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体調改善失敗

 タイトルのまんまです。私が気が済みたいから書くだけの捻りのない内情BAD雑記です。

 寝ても食べても薬を飲んでも気分が悪い。つらいばっかりで人前でも人間性の悪い部分しか漏れて来ない。残念ながら手打ちです。
何週間かは改善に向けてがんばったと思う。一時の良くなってもすぐ悪くなる、やればやるほど限界を悟るいつかの手詰まりな懐かしい感じがするなと思いながら。
 いつかもとにかく良くなりたくて、治したくて、悪くなりたくなくて、危なげなく出勤したくて、前夜から風呂によく浸かり、支度を整え、アラームをかけ、もろもろ万全にしたにも関わらず大寝坊をして、パートを解雇されたことがありました。次遅刻したら、という最終通達を受けたあとだった。その時はさすがに自分の神経を疑った。意思でコントロールできるところでなく、自律神経が壊れてるんだと思う。

 うーん、しんどい。会社に休みの連絡を入れる時はいつもとても苦しい。しばらくは切り替えられない。いつも体調不良でやむなく仕事を休む時は職場の人が迷惑がっているだろう、これが続けばさすがにいつかクビになるだろう、それが過ぎって、会社にとっても私にとっても気まずくならないように、ズルズルしないように、どこか期間を決めて辞めてしまった方がいいだろうかと考える。また収入源が絶たれる。また職場に慣れるまで、いちからやりなおし。そんな元気があれば。ないものを絞り出す。
 まっとうな努力を、丁寧な謝罪を説明を弁明を、仕事の成果で貢献して、自分の社会的存在意義を取り返そうと、すればするほどしんどい。「適当に」「いい加減に」「がんばったゃだめ」。って言われても。何度も言われてるし、それも気をつけているんだけど。

 腱鞘炎はまじめに治そうと思ってからは2ヶ月かな。そっちは変なひねり方をしない限りは動かせないことはないけれど。痛みの元の塊はまだいるので、意図的にもっと悪くしようと思えば簡単。こういう動きが良くないんだなってところは見つけた。壊す方が簡単。治すのは何倍も意思の力と神経と時間がかかる。
 多分、症状が中途半端だと医者も大事にみてくれないだろ。真っ赤でパンパンに腫れればいいのに。誰がどう見ても「これは痛いよね、つらいよね」「すぐに手当しないと」って様になればいい。そしたら私も自分にはどうしようもないことを悟って諦めて何もしようもなく笑って人任せに治療を受けられる。大袈裟に痛がってるだけでしょ、そのくらいみんな我慢してるよ、自己管理が良くないんでしょ、他の患者もたくさんいるから、診てられないよ、みたいな顔をされない。そう見える。

 長く医者にかかってるから、医者も慈善事業じゃないのはもちろんわかってる。いくらお金は払っているとは言っても、こちらから感謝を伝えて親身にならなきゃ良くしてもらえない。ごますり? 賄賂か。お金も可愛げもそんなにないですからね〜。
 仕事をしている人々に、関わる人々に心地よく感謝する心の余裕もない。
 誰にお願いするものでもなく、なにものでもないなにかに願い健康を。魔法のようななにかを望んで。治れ!!
 それを願って求めて現実的にやっていくのが学習、実験、検証、科学、技術、どんな言葉も生まれていく。
 バベルの塔。私は人間らしく驕っている。

 ……最近本当に具合は悪い。職場の人達の表情が「迷惑」「面倒」に見える。「慰めなくちゃ」とか、「なんでもいいから褒めなくちゃ」とか。「それも仕事」。人と人が気分よく働くための「一業務」。それのなにがつらいんだ。私もやれるだけやってる。それがなかったらなかったでつらいだろう。
 治療のことばかり考えているから、私から他の話題が出てこない。まぁ、目の前にいいことがあっても集中できないんだよね。今も、普段なら一服がてらカフェオレ飲んだりするのだけど、まだ飲んでもきもちわるくなりそうなので、店に入っても店内放送の音で頭蓋骨が擦れそうだし、公園にいる。暖と水分は摂っときたいんだけどね。

 治そうと思うな。完治させようとすると健康な頃には戻らないことに気持ちがつらくなるから。長い目で付き合っていけ。みたいことも本で読んだ。読んだ上でイライラしたり悲しんだり、風呂やマッサージや通院や服薬やいろいろやって、やっぱりイライラしては悲しくなってる。
 部屋の物が荒れる。ちょっとの汚れが悪い気がして気にかかる。
 帰宅した時に「帰宅直後で疲れていると無意識に物をそこらへんに置いてしまい、使う時に見つからなくなるから」という頭で必死で鍵や財布を目立つところにセットして、それでも手袋やリップが消えたことに気づいて「気をつけたのに」と悲しくイライラ。
 不安でリュックは重くなり、肩や手首が痛くて荷物を減らすけれど、やっぱり不安で詰め直したり。
 もうね、具合悪いの。無理なの。悲しい。

 「好きなことをしなさい」。この感じだと、好きなことをしてもつらいだけで恨めしくなってくるからね。好きなことほど簡単に決壊する。泣ける。1回ここまで来ると1回死ぬしかないの。リセット。な、何度目の繰り返し? 良くなってるのか? 信じろ。今までの努力はそれはそれとして、今は同じ効果は出せない、効かないくらいにまで来ちゃってるから、それは環境要因もあって、なにも自分が悪い訳ではないから、時間しか解決してくれない。何をどう過ごしても、良くなる時もあれば悪くなる時もある。知らない。やるだけやった。他人のことなんか知らない。私のレベルしか知らない。裏で幾らでも言いやがれ。

 書いてる間ずっと公園のベンチです。風があるけどダウンを着ていればじっとしていられるくらいは暖かいよ。
 胃と小腸のあたりが先日から可哀想な具合。そのあたりが動悸がするから。筋繊維なのかなぁ、冬だから固まってて、腱が張ってガチガチで、リンパも滞ってるだろうところ、あっためたり揉んだりしてその時だけ快流になって、冷えたり眠ったりしたらまたゆったり固まる。って感じね。忙しいね。身体頑張ってるね。

 私、どうしたらよろし?
 掃除したかったんだけど、したら気持ちも五感もスッキリするけど、身体さんあなた酷く疲れるじゃない。なんだか申し訳ないことした気がしてしまって。
 散歩好きですよ。連日してるけど、いよいよ動かしにくくなって来ましたでしょ。まぁ、昨日は風が強くて参ったよね。楽しかったけど、多分体にゃ拷問よ。
風呂上がりにストレッチもしてるけど、かなり痛い具合ね。どうする?
 体調悪い時はあるあるで五感も過敏になってて特に鼻がつらかったね。乗り物の中の苦手な匂いの正体はそもそも素材の匂いではないかということになった。座席シートか? 苦手な匂いに当たる回数が多くて息がしにくかった。過敏だとマスク1枚あっても無駄だね。マスクの中に香水を垂らすのを忘れた。体調が怪しい時はヒノキの香りを入れてる。いつでも露天風呂気分と錯覚させるために。

 どこに行く? 近所で思いつかないんだよね。
 店内のスピーカーの音が大きめで私は無意識でもつらくなってるみたいだ。耳栓代わりのヘッドフォンはずっと持ち歩いてるよ。バス移動の時にYouTubeで音楽をかけっぱなしだったから、モバイル通信量の毎月の設定ギガ数を超えてしまった。オフラインで落としておかないとね。

 回復が早い場所を探してるけど、身近で私が知る限りではないし、少し遠くに行けば好きな場所もあるけど、この具合なので移動の車内で悪化して元も子もないから、また近所を徘徊(徘徊言うな)。完全なる時間潰しだね。わーい。
 近所はなかなか、平日も車通りも人通りもあるから、川沿いまではがんばるか……。考えてるそばから胃が荒れてきました。帰って寝るか……眠くもないけど。
 痛み止めも脳神経に作用するお薬も飲んだし、あとしてやれるのは胃薬と吐き気止めを飲むくらい。睡眠薬で頭が少し黙るかもね。その線で行くか。

 暇じゃないけど暇。不健康な時って暇だよね。
 ……今も緩やかな山と谷の人生の中にいる。

 なにか食べたい。けど胃がよろしくない。悩む。
 眠るほどじゃない、けど、何がするほど元気もない。悩む。

 静かでぼーっとできる場所に、すぐ行けてすぐ帰れればいいな。お金も体調も心配もなくさ。ないな。エンドレス。
 近くに書店、ないな。
 自転車が漕げる程度だったらもう少し遠くまで行ける。足、ガタガタだからな。動悸が怪しいし。
 某ファストフードチェーンまで行って休む? 何頼むのさ。どれも吐き気フラグ。食べずに座ってれば? だったらお金がもったいないから帰るか。

 自分の思考と移動の範囲じゃ思いつかないな。エンドレス。早く引っ越せ。

 ここまで来ると何しても一緒かぁ。何しよう。近場からチェックポイントを攻めるか。
 そのうち疲れる。そのうち日が暮れる。ほっといても時間は過ぎる。いつかいやでも寿命は来る。うまくいかなくても、それなりにこの人生をまっとうする。幸せ。





 日が傾いてどこにいても日陰になってきて寒さがつらく当たる。
 ひとまず帰宅したはいいけれど、何をしたらいいかわからん。

 ふわっと、「線維筋痛症かもしれない」とむかーしから自分の痛みの症状に当てはめるならこれかもと過ぎっている病名が浮かんだけれど、「病名がついたところで治療の何が変わるということもない」と、改めて浮かんだ。当時の主治医に話したらそんなふうに言われて、ガクンと来たこと。
 うつ病も自律神経失調症も発達障害も、あくまで便宜上の通称みたいなもので、だからできることや受けられる福祉制度などもあるけれど、「こうすれば絶対に治る」「人生が好転する」という誰もに確立された治療法のないことには、全般「体調不良」、「おだいじに」、「安静に」、「いいものを食べてよく眠ってよく休んでほどよく運動をして好きなことをして」うんたらくんたらでおしまい。
それで言うと、私は今は今で好きなことをしている。なかなかよくやっているではないか。

 リウマチ持ちの友人が紹介してくれた整形外科医院は、ペインクリニックも兼ねているらしい。少しは今までとちがうおもしろい発見を得られるだろうか。
 一昨年は薬剤師さんが線維筋痛症の専門の医師のいる医院を教えてくれた。その頃は昔のようなつらい全身の痛みは治まっていて、うつ病の症状に近い、思考力や記憶力の低下、疲れやすさ、感覚や運動機能の不自由と鬱屈とした気分と無気力の症状の方に困っていたので、心に留めておく程度にしたけれど。
 教えてもらった医師についてネット検索をすると、医師と線維筋痛症で闘病中の女性との対談の動画があり、それを見た時は胸に込み上げてくるものがあった。自分の感じていることに近いのかもしれない。
 今、切羽詰まっていて、心も限界なので、無意識に他者への期待と不安が膨れ上がってしまっていて、ひとりで内心勝手に小さいことに傷ついたりイライラしたり悲しんだりしてしまっている状態だ。もう少し具合が落ち着いてから医院を訪ねようかと思っているけれど、もはや何をしても変わらない具合まで来ているので、これを好機に行ってしまった方がいいだろうか。そこが外れたらまたひとつ諦めがつくかもしれない。

 行ったり来たりする考えなので、また具合が良くなればちがうことを思うと思うけれど、私は感覚がそばにない時はすっかり忘れてしまうので、今のこの具合でしか考えられないことがたくさんあると思う。
 体調の良い時は、何かをする前にこんなに色々考えたり止めたり迷ったりしない。するりとシンプルに、仮になにかついていないことがあったとしても、引っかからずに過ごせている。余計なことをぐるぐると考え続けない。引きずらない。なるようになる。あの体調に戻りたい。時間が経てばすぐだ。

 一生軽度精神障害者として生きていくことになるかもしれない。
 軽度なので、人によって捉え方や向き合い方も分れて様々。時に「障害」と言ったり、「個性」と言ったり、「経験不足で未熟」と言ったり、「生まれ持って変わらない遺伝性の特性」と言ったり。
 私の具合の波により、その時必要なケアもあれこれと変わる。社会情勢の変化などでも受けられる福祉制度も揺らぎ、その都度私は情報を求め、見捨てられたようなショックを受けたり、自身への支援になることがあれば喜び、日本社会とこの土地と人の環境で自分を生きることを心に決め、言葉や対応を選び、然るべき機関を見定め、相談し、自身の個人的独自の心情と、それとは別の社会的公式レッテルを定め、受け止め、更新し、私の不安と適合、他者から得る社会的立ち位置や評価の具合で、自身をわかりやすく紹介したり、自身の存在を許容されようとお願いしたり、自他に余計な懸念がないように事情を説明したり、時に伏せたり隠したり、場面や人によって振る舞いを変わるだろう。
それらのことを踏まえて十年後、二十年後の暮らしの想像をした方がいいかもしれない。
 今までとこれからと何が違う? 大雑把に捉えればたったひとりのなんでもない人間の人生、いくら苦しんでも喜んでも大きな影響なんてないのに。それを当たり前としてどうしてこんなに私にとってはおおごとなんだろう。
 こんな風に考えている時点で、具体的かつ現実的に想像して行っていくことが得意ではない頭なことはお察しの通りではあるけれど、できる限りではやっておこう。
 否、やっている。何度も言うように、自身に言い聞かせるように、私という個人ができる範囲ではやっている。その事実しかない。
 その上でこうして無駄打ちしている!! 泣いている!! イライラしている!! 情報を!! 幸福を!! 健康を!! 人々の!! 個人の!! 私たちの!! 幸せを願って!! 求めて生きている!!

 そろそろ遊びたくなってきた。今も遊んでいるのだけど、割と真面目に苦痛と向き合って突き詰めてやっている。

 頭いてぇ。耳が痒い。
 私は外耳炎が高校生の頃からあって、文字通り耳の穴周辺が炎症を起こして皮膚が痒くなったり痛くなったり血が出たり膿が出たりする。体調不良のサインのひとつでもある。今もムズムズしている。
 治んねぇよ、はらたつのりひさただのぶおにぎり(?)。

 もうやだ! こんな治らない人生やだ!! たまに治ったと思ったらまたぶり返すそんな人生!! やだやだ!!!!!

 らしくない幼児化をしたところで治りはしない。

 そろそろこの意識に飽きたので、ゲームをして体を痛めようかと思います。そのあと、来月の漢検試験に向けて漢字勉強をします。またつらくなってきて腹が立ったら、人体図鑑とか痛みとの暮らし方みたいな本を読んで、治らなさにイライラします。

 もっと切なく思っていることがある。考えないようにしているので、考える時間は少ないし、たまに考えたくて考えても、確実に心が苦しくなって具合も悪くなる。いっそそっちに向かって、もうちゃんと精神崩壊すればいいのかもしれない。ほどほどに善良で穏やかなお行儀の良い一般人らしさを保っているのがどうかしている。
 ホワイト企業の正社員か、美味しい食品の生産者や販売者にでも携わらない限り、日本人においてはまちがった努力の異端者なのに。医者だって敵だよ。芸能人だって敵だよ。あいつらは稼いでいて人に求められていていい思いをしているから、下品なことは控えるべきだ、弱い者のために私益を分け与えるべきだ、みたいな陰の風潮。
 フルタイム働けず家仕事も社会貢献もそこそこに現代日本社会の闇の末端のように目立たないよう埋没してひっそり暮らす私は論外だよ。この社会にいてもいないような、見て見ぬふりと触れてはならぬもののような、そんな対象だよ。

 「社会」ってなんなんだろう。
 人間の集合体。固定概念? 個人ですらないのに、社会の規範にみんな沿った振る舞いをしないと、爪弾きにされるって、なんとなく肌では感じていて、それを教育と教養と自然な習慣で適応できていれば、行儀が良くて正しくて好感を抱かれやすくて、できなくてもしなくてもその自分に無自覚で気にする神経のない人間は軽く頭のおかしい人扱いで、社会悪で、なんなんだろう。学習できる感覚や環境が、それらが当たり前にあるようでない人はどうやって人に迷惑をかけずに良い気持ちで暮らせば? まちがった努力をし続けて病気や怪我だらけになって、さらに害悪みたいな白い目で見られるのに。生まれの損? 考え方の歪み? 環境の運? それもまた人間だから仕方ない? よくわからない。
 ただただ魔が渦巻いてる。ように思える時がある。無意識の、或いは故意に「そういうもの」と許容していく集団心理と自己責任論と利己主義の魔が。
 でも、私個人の意見は弱く小さいので、私が弱いのは弱いなりの然るべき理由があり、当然であり「弱いお前が悪い」でおしまいだ。
 気付け、この環境で恵まれた特別さに。私の強みに。私ですら優遇されている。だからしなくて済むことをせずに済んでる。
 私は私だけの生で、気づいたことがある。それで一生苦しみ、遊ぶ。暇しない!

 あとで読み返して、「この時相当体調悪くて八方塞がりで心も脳神経も参ってるな〜」と思って嫌になって消しそうだから、今だけでもこの擦れた感じを楽しんどけ。





 内容はともかく、午後からずっとたくさん書いていたら少し心が楽になってきた。ひたすらスマホで書いていたから、全然動いていない。食事もまだだ。
 体調は相変わらず。自律神経が緩やかに修繕しているところ。生命力ががんばっている。私の意思の問題じゃない。生きていれば、個人差はあれど勝手になるようになっていくこと。

 なるようになる。私がどう過ごしていようと、私が好きに生きているように、他人も好きに生きているから、人の世界は勝手に変わっていく。それが、いい方に向かえば、私は一時でも許されたような、人として大きくまちがえてはいないような、そんな心地になれる。
 毒か薬かわからないよね。何事もほどほどでないと、良くない。
 私、人より全然働いていないのに、疲れやすいことを想定して時間を減らしているのに、休日は休日らしく過ごしているのに、どうしてこんなに体は苦しさを取り除けと訴えて活動しにくくなるんだろう。ままならない。

 できれば食べて眠る。不調はしばらく取れないから、そこは気にしないように努める。
笑えることがたくさん降ってくるといいな。心は笑ってもいるのだけど、体の不調のつらい部分に邪魔されてしまっているから、ちゃんと顔や声で思い切り笑うのは意図してできるものでもないから難しい。適当に過ごそう。


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