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わたしにとっての最高アイドル

中村嶺亜さんを好きになって2年半が経っていた。
そういえば、嶺亜さんについて言葉にしたことがないなと思った。
思い立ったが吉日。言葉にすることを試みることにした。



気づいたら好きだった。

嶺亜さんを好きになったときのことを振り返ると、この言葉が1番しっくりくる。

気づいたら好きだった。
この言葉だけ聞くと緩くクレッシェンドするように好きになった、と感じられるかもしれない。
でも、そうではなかった。

ジャニオタという立場から足を洗ったつもりで、もうジャニーズを好きになることは一生ないだろうとぼーっと生きていた私にとっては、それはもう青天の霹靂だったのだから。
嶺亜さんはよく雷のモチーフが好きだと言う。
それを聞くたびに私にとっては、君自身が雷だよと思う。
米津も歌っている。「現れた春の真っ最中 えも言えぬまま輝いていた」と。

地獄特急便と袖に書かれたロンTを着て、ベレー帽をかわいく被った1人のアイドルはわたしに雷を落としたあと、「愛してる」と笑った。

だれが抵抗できようか。
気づいたら情報局に入りなおしていたし、公式写真は手元にあった。
再び、最高なアイドルを好きになってしまった。



好きになって2年半、手元にあるのは嶺亜さんを好きであるという事実のみだ。

今回、思い立ってこの「好き」の解像度を上げることを試みた。
しかし、すぐに困った。私にとっての中村嶺亜というアイドルを紐解くきっかけが見つからない。
それなりの数の嶺亜さんの映像を見て、ブログや雑誌を読んでも、嶺亜さんの存在はふわふわしている。
つくづく、嶺亜さんはつかみどころがないなと思う。

わたしが中村嶺亜というアイドルのことが好きな理由の1つに、
こちらに考える隙を与えることがないほどアイドルでいてくれる、という理由がある。
アイドルは偶像を意味する。中村嶺亜というアイドルは、偶像をこれ以上ないほど確立している。

アイドル・中村嶺亜は中村嶺亜自身によって、形を創られて、彼の大好きなアイドルという仕事を全うしている。
彼の一挙一動が彼をアイドルにしている。
中村嶺亜というアイドルは、どんな媒体でも、こちらに負の面を全くと言っていいほど見せない。
長所はポジティブなところ、短所はポジティブすぎるところだと言うし、自分は強いからと言っているのをよく目にする。
このことが、どれだけの努力と悔しさと楽しさの上に成り立っているか、わたしには一生分からないし、分かるはずがない。
けれど、分かることは、嶺亜さんが愛しているアイドル像をわたしも愛したいということ、ただそれだけ。



「これからもずっと大切で大好きなカッコいいお互いでいようね」

この言葉は、嶺亜さんが25歳になった日のブログでくれた言葉だ。
わたしは、この言葉が大好きで仕方ない。
だって、こんなのアイドルとファンの理想の関係すぎる。
嶺亜さんはいつだって最高を更新してくれるアイドルだったことをこの日、痛感した。

カッコいいお互いでいようね、この言葉がどれだけ重い愛の言葉かをわかっているのかな、と思ってしまうほどにキラキラの笑顔でこの言葉を発する嶺亜さんに完敗、降参、くびったけ。
この言葉を大好きで堪らないアイドルから言われたことで、私は彼に恥じない生き方をすることを課せられたのだと嬉しくも思った。
嶺亜さんに恥じない生き方をしなければと思いながら、生きるうえでの主体はもちろん自分。だけれど、好きなアイドルの言葉に生かされる日があってもいいじゃんと思う。
私はこの言葉に生かされている。



嶺亜さんに対するこの気持ちは、恋ではないし、愛でもない。
ただただ、好き。これ以上でも以下でもないんだと思う。
嶺亜さんが今日も楽しく自由に生きてるこんな地獄みたいな世界を少し愛してみようかな、と思うほどには嶺亜さんの存在に勝手に救われている。
毎日、好きだなと感じる。


今日も嶺亜さんはアイドルとしてステージに立つ。
そのことがたまらなく嬉しい。
よし、それに恥じないカッコいい自分でいよう。
そう思わせてくれる嶺亜さんはわたしにとっての最高アイドルだ。







  


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