4月〈間違ったこと〉

長い三日間だった。 症状が起こったのは金曜の仕事から帰ったあとだった。すぐに体から一切の水分をなくしてしまったぼくは腹痛に苦しんで、水面に浮かべた蟻のようにベッドの上をのたうちまわっていた。
翌日の出勤の1時間前になるまでその状態は続き、まったく眠ることもできず、ああ、これはさすがに無理だ、休もう、と親方に電話をかけたつもりだった。が、ぼくの口から出てきた言葉は「こういう状態で動けないのでちょっと遅れます、ラクになったらすぐ行きます」というものだった。どうしてそうなるのか、自分でもよくわからない。自分の希望すらちゃんと伝えられないことを、恥じる元気すらなかった。

深夜2時、どうにか歩ける、くらいまでには回復した気がしたので、所定の出勤時刻から2時間おくれでぼくはタクシーで出勤した。(当然自腹だ、、)
職場に着くと、親方の姿が見えないのでまわりの人に聞いたら、急に体調が悪くなって座り込んで動かなくなってしまい、救急車で運ばれた、とのことだった。(あとで聞いたら、はっきりとした診療結果は得られず、疲れだろう、ということだった。親方は年に3、4回しか休まない)
とにかく目が回る思いだった。ぼくの仕事は親方とふたり、だけでやっているので、他のひとではどこになにを積めばいいのかわからないし、とりあえず自分が動いて仕事をすすめなければ配送のトラックが出てしまう。ので、親方の体調や安否を気にかけている暇もなく、引き継ぎもできていない状況で仕事以外のことを考える余裕がなかった。それでも、ああやっぱり来て正解だったんだ、とは思った。疲労となおも続く嘔気で意識を混濁させながら、やるべき事をやった。

深夜4時、動けなくなったぼくはパレットの上にうつ伏せになっていた。もういいや、精一杯やった、もういいや、神様もゆるしてくれるだろう、となっていた。
そうして無念をかみしめていると病院から親方が戻ってきて、事務所で少し寝てろ、と言われた。聞きたいことはたくさんあったけど、何よりもまず自分が限界だった。ここからここまではやりました、と作業の進捗だけ伝え、言われたようにした。

早朝5時、すこし体がラクになったので再び現場へ降りていった。またもや親方がいない、すると電話がかかってきて、2時間くらい寝てるわ、と言われた。ぼくが寝ている間、やっぱり早く戻ってこい、という一心で仕事していたのだろうな、という申し訳なさでいっぱいだったけど、気づかいすぎると自分がダメになる、という事をこの方はぼく以上に知っているのだろうな、と思うと、自分を棚に上げた相手のための言葉なんて『こじれさせるだけのもの』のように感じられて、ぼくは「はい、大丈夫です」とだけ答え、あとは黙っているしかなかった。

午前11時。どうにかこうにか、土曜の仕事を終えることができた。一時は無理かもな、とあきらめかけたけど、ちゃんと終えることができたんだ、本当に休まなくてよかった、とつくづく思った。帰りぎわに、何か入れなきゃダメ、と事務員さんからウィダーインゼリーとカロリーメイトをもらった。心配してくれた八百屋のおばちゃんから電話がかかってきて、病院まで連れて行く、と言ってくれたけど、帰って一刻も早く眠りたかったので感謝だけ伝えて断ったら、「孤独死しても私のせいじゃないからね」と言われた。ちょっと安心して、このひとちょっと良いな、とも思って、あとは気絶するように眠った。昨日ほどの腹痛は感じなかった。再び出勤前にぱっちり目がさめる。ものすごい量の汗をかいていたけど、いい夢を見ていたのか、目覚めの瞬間はなんとなく幸福感につつまれていた。それも、起き上がったとたん鋭い頭痛で吹き飛ぶ。

いま、日曜の休日出勤を終えた。きょう親方は休んだ。
こうして三日間を思い返すと、(いくら何重にも手袋とマスクをして外装の段ボール箱以外には一切触れないようにした、といっても) 間違ったことをした、のは重々承知しているし、至るところに自分の人間としての未熟さが見え隠れするようで、だけど結局、なにが正解だったのかわからない。それを考えられるほど回復していない、というのもあるけれど、、
だからいまは記しておかなくちゃ、そして後でたっぷり考えなくちゃと思って、ただ事実だけを書きつらねておくことにする。眠る。