誰が藁になろうというのか


子供の頃、小学1年の時 弟がそこそこ重い病気で小児病棟の重症患者の病棟に入院していた


そのフロアに入るには名前を記入して
手首まで消毒してマスクして入る
ものものしい所だった

子供心に只事ではない 次は当たり前にないかもしれないと
思い緊張しながら会いに行っていた

面会終了時の子供達の母との別れを惜しみ泣き叫ぶ声を
聞くのが本当に辛くて1人早めに病棟から出て
15分くらい待合室で時間を潰すのが日課だった

そこに週に一度位病院には似つかわしくない風体の
一団が来ていた
新しい患者が入ってくる度に来ていた

なんでこんな所にと思ってた

そこで前世の業がどうとか信すれば助かるかもしれない
とか意気消沈してる両親の前で意気揚々と語っていた

人生観を変えるには十分すぎるほどのインパクトだった

その時思った

こいつらは弱った心に鼻が効くんだ

だから俺は自分を強く信じようと思った
強く強く信じて余計なものが入り込まないように

だから俺は何か言われても自分を信じるので手一杯

と答えている

より良い暮らしを送る為なんだからそれで良いと

今でもこの考えは間違ってないと思う



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