元欠格事由者、宅建を受ける 五 誤算のあとのフルパワー
直前期の大誤算
「先週受けた模試の結果が酷くて……」
10月7日。本試験の13日前、定期通院している精神科の一室で、私は沈んだ声で主治医に言った。過去を持つ私は基本孤独であるが、弁護士先生や両親、主治医のような恩義のある人々には宅建を受験することを明かしていた。
「あぁ、そうなんですか」
「これはもう本気出さないと合格できないと……。6割から合格点の8割に上げるのがこんなに難しいとは思いませんでした」
30点から合格点の40点まで上げるのは数字だけ見れば簡単に思える。しかし実際は30点からは急坂にさしかかったようになり、1点を上げることすら時間がかかる。年ごとに合格点が変わり、1、2点の差で泣くこともある。それが宅建の怖さであり残酷さであった。
「今年は33年ぶりに応募者が30万人を超えまして、例年になくハイレベルになると思いますので。上位資格の所持者が宅建に下りてきたり、何回も落ちてるリベンジ組とか……」
ライバルとなるのは、やる気なし組や記念受験組、会社からの強制組ではない。まともに勉強している場合、職域を広げる目的や片手間で宅建を受ける上位資格者や、リベンジに燃える再受験組としのぎを削ることとなる。これまでの勉強から、努力や時間をかけずに高得点合格を果たせる先頭集団に入れないことは分かっていた。自分が位置するのは宅建マラソンの中で最も多数を占める中間集団――ゴールか失格かの瀬戸際にある凡人の集まり。その中で逃げ切らねば合格は不可能となる。
直前講座によるチートで調子づいていた自分を打ちのめしたのは、9月下旬と10月初めに受けた2回の公開模試だった。
LECで負け、TACでも負ける
ーーなんで、なんで上がってないんだ?ーー
9月23日に受けたLECの公開模試の結果に、私は目を疑った。
結果はゼロ円模試と全く同じ、30点ジャスト。
本番一ヶ月前に行なわれる公開模試だけあって、ゼロ円模試とは比較にならないほど問題レベルは高かった。が、そんな中でも平均点は31.6点、下のグラフを見ればお分かりの通り合格基準点(36点)超えが多数いる。試験終了直後、講師に点数を聞かれた学生らしき男性の「37点です」という言葉には焦りを覚えた。
――いかん、このままでは絶対に、負ける――
LECの公開模試以降、危機感を覚えた私は勉強量を激増させた。
LEC模試から11日後の10月4日、今度はTACの公開模試を受験。本試験の時にコンディションが悪くても対応できるよう、あえて金曜の仕事終わりという悪条件で臨んだ。学生風の若者が大半を占め、私服の中年者が点々と座る教室でスーツ姿の私は浮いた存在に思えた。
TACの公開模試はびっくりするほど難しかった。
私の感触では今年の本試験の1.5倍以上の難易度で、仕事疲れも相まって試験中に投げ出しそうになった。その結果は――
28点。
平均点が25.7点であることが物語っているように、TACの公開模試は他の受験者にも難しかったようだ。今回は平均点を超えられたが、難易度調整によって下がった合格基準点(34点)は突破できず、LEC同様、不合格一直線の水準に変わりはなかった。
予備校に行って慢心していた。このままだと確実に落ちる――直前期に来て大きな読み間違いをしていたことを自覚した。
惨敗からの猛省
二度の敗退によって、私はこれまでの勉強法を改善する必要性を感じた。同時にStudyplusでの勉強時間の記録が単なる自己満足であり、宅建受験者のフォロワー間での『いいね』の押し合いが無意味な日課であることにも気が付いた。
4月から9月までの総勉強時間は400時間超。勉強時間が不十分でないのに合格基準点を超えられないのは、勉強方法が間違っているということだ――私は反省した。
・いつからか流れ作業のように過去問を解くようになってはいなかったか?
・覚えたり理解するのに重点を置かず、ただ解くだけになっていたのでは?
・答練の結果に一喜一憂するばかりで、誤答やあいまい回答の復習をおろそかにしていたのでは?
・YouTubeをながら見していたぐらいで勉強した気になってはいなかったか?
・スマホで宅建の勉強法や他の受験者のこと、出題のヤマを調べるばかりで時間を無駄にしていたのではないか? ーー
――勉強下手の落第生パターンに見事に陥っている――
私はStudyplusを休止し、紙ベースで過去問やテキストと睨み合い、過去問道場も復習にメインを置く学習スタイルに変更した。
二兎追う者は一兎をも得ない。
そう思った私は二次試験が決まっていた採用試験を棄権、宅建一つに力を注ぐことにした。同時並行で受かるほど自分は頭も要領も良くはないし、空き時間全てを宅建に費やさないと受からないのだと気が付いた。
予備校講師からのエール
「がんばってください」
「がんばってください」
10月13日、直前講座の最終日。
全てのカリキュラムが終わった教室で、私はアンケート用紙にペンを走らせながら、教室を去る生徒一人一人にエールを送る先生の声を聞いていた。
二ヶ月足らずの講義のあいだ、私の先生に対する印象は『まあ、いい先生』だった。が、不満がなかったといえばウソになる。TAC公開模試直後の講義での「難しかった、って声聞いてるけど、まだ試験の内容見てないんだよね」との言葉に「いや、先生だったら読んどいてくれよ! こっちはすぐにでも解説を聞きたいんだから」と心の中で突っ込んだし、時折挟まれるわが子や奥さんの話も余計だった(「親バカだな」「結婚記念日? 知らねぇよ」などと思っていた)。
それでも全体を通してみれば講師だったと感じている。この場では先生の名を挙げることは出来ないが、背中を後押ししてくれた先生として感謝している。
「がんばってください」
受講アンケートを所定のボックスに投函して教室を出る間際、先生は直前講座から来た馬の骨にも言ってくれた。私は礼を言って教室を去った。
合格祈願ではなく合格表明
合格に必要なのは運や神頼みではなく、本人の実力。そのため願掛けはしたくなかったのだが、やはり気になるので通りがかりに天神様を祀る神社があった時は詣ったし、受験会場近くの天神社に受験会場の下見を兼ねて詣ったりもした。だが「合格しますように」という一般的な祈願ではなく「合格します」という表明をして柏手を打った。本試験の二週間前には大平光代弁護士にあやかろうと思い、大平弁護士が宅建試験の三ヶ月前に参り、生き直す決心を固めた清荒神にも参った。境内に神聖な空気が漂っているのを感じ、心身が洗われた気がした。
――合格します――
この表明は天神様だけでなく、お世話になった弁護士先生、両親、主治医の先生にもしていた。もし不合格だったら、神様や恩人に嘘をついたことになってしまう。嘘をつかないためには、嘘にしないためには、合格するしかない。そんな意味を込めた、良い意味で自分を追いこむための取り組みであった。
超直前期 最後の追い込み
本試験までの最後の一週間、有給を3日貰って勉強に没頭した。9時から無料の学習室を使って勉強、17時には集中力が尽きて何も手につかないほどの状態となった。やる前は10時間はぶっ続けで勉強する気持ちでいたので、勉強嫌いのおっさんぶりを実感せざるをえなかった。しかし無理に勉強をしても頭に入らないと思ったので7時間ほどの勉強で帰宅。帰宅後はYouTubeで苦手分野(借地借家法等)をくつろぎながら観ていた。学習室では隣の席の年配の男性が同じく宅建のテキスト(おそらく予備校か通信講座用)で勉強していたが、一切話しかけることはなかった。相対評価の宅建試験では『みんなで合格』だの『切磋琢磨』だのは綺麗ごと。他の受験者は敵としか思っていなかった。そのため予備校でも友達や仲間を作る気はなく(そもそも性格的にも経歴的にも作れないのだが)、ひたすら勉強しに行っていただけだった。
勉強有給中はダメ押しで買ったTACの予想模試をやり切った。一週間前になって新たな模試を買うのは浪費で徒労にも思えたが、超直前期の現状と弱点の把握、どんな形式の模試にも対応できるための買い足しだった。
初回が過去問厳選、残り4回が模試という全5回分の分量。
本はもう手元にはなく記録にも残していないので正確な点数は挙げられないが、5回目以外は全て40点超えで、5回目は37点だったのを記憶している(自分の感触では5回目のレベルと今年度の本試験のレベルはほぼ互角だった)。
予想模試で40点超えを連発したのは初めてだったので、本試験数日前にしてようやく戦えるカラダになったのだと感じた。
図書館での5回目の模試終了後、へろへろになった私は近くのカフェで一服。蛍光ペンで塗りまくった37条書面(『マンガ宅建士入門』の付録)を広げながら勉強していると、そばを通り過ぎた女子大生らしき二人組の「やば」という声が聞こえた。私の雰囲気ではなく、勉強の異様さからの言葉だと思いたい。
試験二日前からは心身を落ち着けようという気分になった。二日前の夜は近所の温泉に浸かり、前日の午前は名画座で十代の頃から好きな映画を観に行った。『試験前夜はぐっすり眠る方がいい』とのアドバイスが多いが、私の場合は逆に目が冴えてしまったので眠くなるまで復習し続けて床についた。毎月受験できる(日本人が金づるにされている)TOEICとは違い、宅建試験は一年に一回きり。余力があるなら可能な限り押さないと安心できなかった。