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外国で暮らすということ-Shin-
オフコース「夏の終り」にこんな歌詞がある。
"夏は冬に憧れて 冬は夏に帰りたい"
初っ端から引用がオフコースだったりすると、なんだかやけに感傷的な文章みたくなってしまいそうだけど、特にそういった意図はない。
日本(母国)で暮らすことと、外国で暮らすことの関係性にそのまま当てはまる気がするって話である。
ちなみに、「旅するように生きる」、とかいう平成ヒッピーみたいなフレーズはあまり好きじゃない。ちょっと考えてみたら、こんなにさっぱり意味が分からない言葉もない気がする。旅するように生きたい方には、なんかごめんなさい。でも、こんな過ぎ去っていく否定的コメントも柳に風で受け流してこそ、旅するように生きることの本懐のはず。どうか気にせず旅を続けてほしい。
話を戻す。
基本的には、暮らす場所を地球の表面のどこかにずらしたからといって、何が変わるというわけでもない、と思っている。それでも、日本のテレビで「外国での暮らし」の様子が放送されていたりすると、憧憬の眼差しを向けてしまう。これは別段、おかしなことではないと思う。自分が生まれ育った国での暮らしには大した新鮮さはなく、日常の小さな不満やあきらめばかりが頭に浮かぶ。
そして実際に、外国で暮らしてみる。刺激的なことも興味深いことも、うんざりすることも、溢れて押し寄せて来る。国や地域・生活水準によって相貌を異とするかもしれないけれど、どこでもそれなりにあるはずだ。
せっかくこの国にこのタイミングでいるのならば、何かを目撃しておきたい、と思うが、実際そんなにダイナミックに歴史が動くことなんてない。
しばらくして、飽きる。辛くしんどい訳ではなく、刺激にしっかり慣れてしまうのだ。そして恋しくなるのは気候と食べ物、そして街並みだ。冬の京都の寒さ、湘南で食べる朝獲れ生しらす。青山〜表参道の路地裏あたりの、穏やかで洗練された街並み。
そんな状態でやってくる一時帰国は、日本への憧憬を目一杯高めた状態で始まる。そんなに空腹でもないのに、コンビニで納豆巻きを買ってしまったりする。
やっぱりキリンビールはいいなぁ、なんて独り言たりする。
そして数日間、心底日本を堪能しつつも、1週間くらい経つと、そろそろ出国してもいいかな、なんて思い始める。もっと面白いものがあの国にはあった、的な気持ちが出てくる。どうしようもない欲深さだ。新宿駅の殺人的な雑踏が空恐ろしくなったり、きめ細かく煩雑な役所からの書類の束に辟易する。
タイトルに沿わず、日本のことばかり書いてしまった。自家撞着のきらいはあるが、とどのつまり「外国で暮らす」ということは、「日本で暮らす」ことを見つめることなのだと思う。外国が「外国」である間は、日本での暮らしとの距離感や関係性の中で捉えているということだ。それは結果として、日本での暮らしを注意深く見つめることと同義ではないだろうか。
「夏は冬に憧れて 冬は夏に帰りたい」的に、日本とベトナムどっち付かずに迷いながらも、今年度の一時帰国シーズンが迫っている。まぁ恐らく日本に帰るだろう。ベトナムで何を目撃して、いつ本帰国するのか。実家で鴨鍋つつきつつ、またゆっくりと考えたい。