見出し画像

#5「常識と自由」

(うるせえな)と思うことが最近多い。


生活のあらゆる場面で、なんの根拠もない所謂「空気」とか「常識」のように呼ばれる何かが行動・言動の理由となってしまうことが多々あるようで。


著名人の結婚・離婚に対して匿名かつ憶測で批判したり、他人のプライベートな領域にズケズケ侵入しては根も葉もない噂話や陰口で追い詰めていく。
こんな世間的な、時に集団的な歪みが人の生き方をも変えてしまう危険性を孕む。


虐殺や性犯罪、その他許されざる事柄はもちろんあるにせよ、
自由じゃないか。生き方なんて。



異性の親友がいるということ。

好意のある相手だからといってすぐに恋人にはならないこと。

同年代の多くがするような遊び方をしてこなかったこと。

逆に、バーに1人で行き知らない人と話す方が好きなこと。

同じ組織だから、とかいつもやっているからというだけの集まりに参加しないこと。

年末年始に実家に帰らないこと。



何がそんなにあの人たちの正義感を刺激するのだろう。
もしくはそういう人もいるという事実や、自分が理解できない価値観がそんなに怖いのだろうか。

形もない根拠で強いられる「常識」が本当に息苦しくて、社会から外れた自分だけの領域に逃げ込みたくなる。自分の部屋だったり、心の内側だったり。


一方で僕は、
多様性を重んじていたつもりの僕は、
今まで本当に自分と他者の違いを許容できる人間でいられていたのだろうか。

ただただ常識を振りかざすように見えているあの人たちを悪者扱いするような僕の中の正義感は、一体誰のためのものなのか。
まだわからない。

自分の一挙手一投足も振り返って問い直さないといけないですね。


それではまた次回。おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?