#3「過剰な自意識と人見知りのふり」
僕、去年の夏まで人見知りでした。正確に言えば人見知りのふりをしていました。
自覚したのは最近なのですが。
なぜそんなふりをしなければならなかったのかというところからお話ししましょう。
基本的に、僕は自己肯定感が非常に低い。
行き過ぎた客観視というのだろうか。そうそう、この「行き過ぎる」ことが重要なポイントで、過剰なくらい自分の価値を下げてみることで、勘違いしなくて済むから楽なのだ。
そしてこの勘違いとは「思い上がり」のことである。
僕は、小・中・高と所謂スクールカーストの外側にいる子だった。(そんな人いませんでした?)
特定の仲良しグループに属している訳でもなく、かといっていじめられている訳でもなく。
「あぁ、山口くんね。あの子はまぁ、一匹狼タイプだからね・・・。」と言われていただろうなと今では思う。
実際は頑張って輪の中に入ろうと、何度も気分が乗らない集団に潜り込んだりもした。
子供同士でもにそういう気持ちというのは伝わっていたようで、翌日そのグループは同じ場所で、僕抜きで同じ遊びをしていた。
なんでこんなことになるんだろう?とずっと自分を分析しているのに、一向に状況は変わらなかった。
今になってなんとなく察しはついている。一言で言えば自己評価がなっていなかったのだろう。
鮮明に記憶が残っている訳じゃないけれど、(お前がそれ言う?)みたいなことを口走ったり、
(え、その裏の中心人物みたいな子のことイジる?)みたいな見方をされるような発言があったのだ思う。
ある程度大人になってきてもよくそういうことがあったから、「自分の取るべきポジションを把握できない」というウィークポイントを増長させ続けスクスクと成長していったように思う。実に狂気的である。
同時に、そりゃそうなるよなとも思う。人間関係を構築する術、もしくは集団での調和の取り方を学ぶために踏むべき場数を踏んでこなかったのだから。
やがて僕は、自分から進んで孤独に身を置くようになる。図らずも1人の時間を長く過ごしているうち、その環境に適応してしまったのである。むしろいつしかそっちの方が楽になった。要するに社会性で成り立つ人間関係の摂理から逃げた訳ですね。
あぁ、どうしても説明が長くなるな。すみません。
そんなこんなで、自分が楽に過ごすため人見知りを演じていたという訳である。でも心の奥で、人との繋がりが多く持てないことへのもどかしさは常に感じていた。
2022年の夏に、祖母が亡くなり母の故郷である秋田へ訪れる。
火葬場で、母は自分の親との別れで泣いていて、なぜかやけに懐いた親戚のちびっ子は人生初の火葬を前に恐怖と好奇心で落ち着かない様子だった。
両者の様子を見守ることに手一杯で、祖母の死を正面から受け入れる余裕がなかった。
どうしても1人の時間が欲しくなり、衝動的に仙台の宿を予約した。秋田からそう遠くない東北の中で、有名なのに行ったことがない場所だからという至極単純な理由だ。
仙台では偶然開催日だった「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」なる素敵な音楽イベントに立ち寄ったり、牛タンやずんだシェイクを嗜んだりなど1人の時間を過ごし、もちろん当初の目的通り、亡くなった祖母のことを考えたりもした。
ただ結果的にこの旅では何よりも「知らない人に話しかける」というチャレンジを、何かに導かれるように重ねていた。今後会う機会もなさそうな相手だからというのはあるにしろ、おそらく道を尋ねた居酒屋の店長・おすすめの観光スポットを教えてくれたホテルマン・アツいイベントをやっていそうなクラブに案内してくれた若者たち・そのクラブの中に一緒に入ってくれたアパレル店員など全員が、嫌な顔どころかむしろ行為的に接してくれたおかげだと思う。
そんな旅の中で僕は(案外話しかけられる側ってそんなに嫌じゃないのでは?)と思った。
確かに、自分や自分の住む街・コミュニティに対して興味を持って近づいてきてくれる人に対して、自分なら手厚くもてなしてあげたいと思うなぁと。
「行き過ぎた客観視」とやらはそのまま「過剰な自意識」に置き換えられるものなのかもしれないと、そう思った。
東京に戻ってきた自分は、別人のように変化していた。
タクシーの運転手とは短時間でも身の丈話をするようになり(話すのが好きそうな方に限り、です。)、バーで初めて話すおじさまとは2、3時間話し込んだりするようになった。
久々に話す友達には、どうしたの?ととても驚かれた。(若干引いてていたかもしれないが、いい意味だと願おう。)
仙台1人旅を経て東京に戻った僕からは「過剰な自意識」は消え去り、「今この瞬間、全く違う場所や時間軸を生きてきた他人同士がなぜこの同じ空間に居合わせることになったのか?」という偶然への興味が止まらない27歳の男性へと変化していた。
そんな状態の僕だからこそ、冒頭のように、
人見知りのふりをしていた幼少期〜少年期〜青年期を懐かしがれている。
という訳である。
前回登場したFoggy Woods(Bar人間)のりょうさんにこの話をしたら、「きっと、他人に鏡写しになる自分にも興味が出てきたんだろうね」と言われた。
確かに。自己分析しているつもりで何も改善しなかったあの頃、対話する相手は内なる自分自身だけだった。そのあとの、他人との関わりを避けていた頃の自分もそうだった。
最近、日頃関わる人たちには、とても恵まれているなぁと思うようになった。
9月から働く会社では程よくいじってもらえて嬉しいし、大学時代からの友人には、以前よりもサシ飲みに誘ってもらえるようになってありがたい。
そして何より、寂しいと感じることが増えた。寂しさって、孤独な時間から離れる時間が長いほど強く感じるものなのだなと、改めて実感した。
宇多田ヒカルは『For You』という曲で“1人じゃ孤独を感じられない”という歌詞を歌っていたっけ。(当時17歳らしい。実に狂気的である。)
次に待っている戦いは「社会性を求める人間の欲求と、創作に必要な孤独の時間のバランスをどう取るか」かなと思っている。
それではまた次回。おやすみなさい。