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六甲比賣大善神社に封印された謎多き女神(日記・超考察)①


どうも、はじめです〜


今年は四柱推命では

  乙(きのと)・巳(へび)



巳年🐍ということもあってか蛇にまつわることに惹かれる今日この頃で


先日前々から行きたいなと思っていた神社があり、とうとうその思いが叶った。


その名も

六甲比賣大善神社



六甲比賣大善神社の本殿

六甲比命大善神社(ろっこうひめだいぜんじんじゃ)は、兵庫県神戸市灘区六甲山町にある、荘厳な磐座をご神体とする神社である。
・祭神
六甲比命大善神(弁財天・吉祥天)=撞賢木厳魂天疎向津姫(瀬織津姫)
祭神名は六甲の山名の変遷とともに変わってきたようである。水の神としての神徳は六甲周辺において、日本三大名泉の有馬温泉、布引の滝のKOBE WATER、灘五郷の宮水に顕著である。
六甲山は江戸時代以前には武庫という漢字があてられ、むこうやま、むこやまと呼ばれ、さらに古くは、賀茂真淵の『冠辞考』 あまざかるの項に記されているように、向かつ峰の名が伝わるので、祭神名は当初はむかつひめと呼ばれ、近世まではむこうひめとよばれていたと思われる。六甲は「むかつ」と読める。

六甲山は、かつて西宮市廣田神社の社領であり
廣田神社祭神、撞賢木厳魂天疎向津姫(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ 又の名を瀬織津比賣)
と六甲山の旧名の向かつ峰の名称が一致する。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/六甲比命神社


わたしはこの六甲比賣大善神社に祀られている
「瀬織津比賣」という女神を調べ学ぶにあたって、自分自身にかなり影響を及ぼしていることがわかり、白ウサギを追うかの如く瀬織津比賣に没頭していた。


そしてこの前自由に動ける時間ができた時、わたしは車を走らせ六甲山へと向かったのだが、


なんと山頂付近はあいにくの大雪だったのだ。


わたしはこのまま車を走らせ、向かうべきか退散すべきか考え


「今日は下見に来たと思い、大人しく帰れ」


と言われているような気がし、ギアを切り返しそそくさその日は帰宅した。







だがその数日後、六甲比賣大善神社に行けるタイミングが見つかったのでその日も車を走らせ向かった。


前回は道に雪が積もって凍りかけていて、とてもじゃないが車で走行できるような状態ではなかった道路がしっかりと雪が掻き分けられており、無事に六甲比賣大善神社付近にある駐車場へと車を止めることができた。


※今回は2月初頭に参拝させてもらったのだが、本来この時期にスタッドレスタイヤチェーンしていないまま車で向かうのは自殺行為のようだ。
(バカなわたしと違って皆さんは注意してくださいね)


そもそも六甲比賣大善神社は六甲山の山頂にあたるので駐車場付近やそこらじゅうに雪などが積もりまくっていた。


六甲比賣大善神社へ続く山道


足元に注意しながら、木やそこらに落ちている石、岩を掴み半ば四つん這いになりながら山道を進んでいると、大きな磐座?があり、手で触ってみると真のある寒さの中に、底知れないエネルギーを感じた。


さらに山道を進むと3人組の八十神(マダム)に出くわす。



「お兄さんお一人で来たんですか?これが六甲比賣を供養する為に作られた"心経岩"なんですよ」


と言われてたどり着いたのがここだ。


山道途中にある「心経岩」


よくみると仏教にて釈迦の弟子「龍樹(りゅうじゅ」にて生み出された般若心経がしっかりと刻まれていた。


ここでわたしは空海が頭の中に浮かんだ。


空海といえばこんな話があった。

空海は7歳の時、世を救うという大きなご請願を
たてた。
讃岐国の我拝師山に登り、断崖絶壁の頂から白雲も迷う谷底に、身を躍らせ飛び降りてしまったという。

だがそんな時!

羽衣を身にまとった天女が、下りてきて空海を抱き留めたのだった。
これが瀬織津比賣の姿だったと言われている。

剣山にアークを隠して四国に結界を張った空海だが、やはり空海も瀬織津比賣に導かれてたのか。


おそらく空海は瀬織津比賣に関する秘密や、真実を知っていたのではないだろうか?


日本神話に伝わる天照大神(一般的に女性とされている)や、アメノウズメ、豊玉毘売や、木花咲耶姫など、日本神話、古事記に登場する女神たちにくらべ、瀬織津比賣だけ明らかに不自然に名が消されている。


そして瀬織津姫のことが記載されているのは

大祓詞(おおはらえのことば)


ホツマツタヱ


の2つの文献のみで日本書紀、古事記では一切名前が出てこない。

ここには相当な根深さを感じる。


歴史はヒストリー(history)his storyと書いて、勝者の歴史なので致し方ない部分はあるのかもしれないが、、、


大祓詞(全文)


大祓祝詞(おおはらえのことば)
は、神道の祭祀で唱えられる祝詞で、心身の罪穢(けがれ)を祓い清め、人として清浄で正直な心に立ち返り、明るく穏やかな世の中になるよう祈る神事で用いられる。


そして何より瀬織津比賣を筆頭に祓戸四神が神々、人々の罪・穢を祓い去る神で、「大祓詞」にはそれぞれの神の役割が記されている。

最も現存確認できる文献で(公認されている文献)瀬織津比賣のことが確認できる祝詞となっている。

それ以外は上記でも触れているように


名が一切消されている神なのだ



祓戸四神

・瀬織津比賣(せおりつひめ)
もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す

・速開都比賣(はやあきつひめ)
河口や海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む


・氣吹戸主(いぶきどぬし)
速開都比賣がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ
風の神格をもつ


・速佐須良比賣(はやさすらひめ)
根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う



歴史から抹消されている女神なのに祓戸神という、人々を罪穢れから救い出すという大仕事をしてくれているわけだが、何故ゆえに歴史から抹消されてしまったのだろうか?

さらに瀬織津比賣のことを追いかけてみよう。




さらに瀬織津比賣は龍蛇神として祀られているのをご存知だろうか?


古来日本から蛇や龍は水神、農耕神、祓戸神として崇拝されていた記録がある。


京都・宇治の三室戸寺に祀られる宇賀神


京都・三大龍穴のひとつ「貴船神社」


島根・出雲大社(しめ縄が龍神を模している)


古来東洋の人々は龍や蛇を祀ることによって、豊穣を祈願したり、川や海を龍神、蛇神として祀り見立てたりして密接な関係にあったという。


ここらへんが西洋の龍や蛇に対する文化との違いだ。


西洋では蛇や龍(竜)は退治すべき対象であったり、敵側の勢力として扱われることがしばしばあり、東洋と違い西洋では畏怖、邪悪、混沌の象徴として考えられてきた。


ここでの東洋と西洋での龍蛇神文化の違いについてはまた今後深掘りしていこうと思う。



さらに六甲比賣大社を上がっていき、本殿を通過してさらに山頂へ向かうと、龍神信仰の痕跡あった。



本殿を超えて山頂の方へ向かうと八大龍王を祀っている御神体が確認できた。

八大龍王



因みに八大龍王とは
仏教を守護する天竜八部衆に所属する竜族の8人の龍神で、

・難陀(なんだ)

・跋難陀(ばつなんだ)

・娑伽羅(しゃがら)

・和修吉(わしゅきつ)

・徳叉迦(とくしゃか)

・阿那婆達多(あなばだった)

・摩那斯(まなし)

・優鉢羅(うはつら)

の各龍王が該当する。


ここにも龍神信仰、空海の痕跡が残されている。


ホツマツタヱによると原初の国作りの神・国常立尊が8柱の神・トホカミエヒタメ(国狭槌尊)を生み出し、その御子が国を8つに分けてそれぞれ治めた。


これが洲君(クニキミ)のはじまりみたいだ。



ここでも仏教の守護神でもあり、瀬織津比賣の守護神でもある八大龍王と繋がる。



何故一部の神社(廣田神社や六甲比賣大善神社)では祭神として崇拝されているのに、頑なに歴史から抹消されてきたのか?


一体誰にとって不都合な存在だったのか?





心経岩を超えさらに進むと八十神(マダム3人集)達が、バカでかい磐座の前で写真を撮っていた。


兎神・瀬織津比賣



磐座がウサギの形を模様している


なんと兎は瀬織津比賣の眷属(けんぞく)のようで、この兎の御神体自体が瀬織津比賣だというのだ。


つまり瀬織津比賣は兎の女神なのである


兎の女神とは一体何者なのか?

ここでWikipediaで「ウサギ」について調べてみた。

すると東洋、西洋とともにウサギは様々な信仰で祀られていたのだ。



うちの中でも数説はわたしの過去のnoteでも触れてきた。

東洋・日本では古事記の大国主命神話にて登場した「因幡の白兎」が有名なのではないだろうか?




因幡の白兎では日本の国土を統一すべく奮闘するオオクニヌシ (大国主命)が傷ついた白兎を助けて、その白兎に導かれることによって、出雲王国のトップに立ち日本を納める国つ神の代表になるというヒーローズジャーニー的な物語であるが、
ここでもウサギは天下統一を助けるといういわゆる道祖神(導きの神、道案内の神)として活躍している。




ここでは東洋の神話に絡めて、メソアメリカで使われていた暦、マヤ暦やアステカ暦で「ウサギ(rabbit)」は、20日を1周期とする暦(ツォルキン)の8番目のシンボルであり、「lamat(ラマト)」「星」「金星」と呼ばれていることを解説した。


マヤ暦、アステカ暦で表される8番目の暦

lamat(ラマト)・黄色い星



さらに、「星=ラマト」はキチェ語で「種、食物、播種、発芽、命、愛の創造」の象徴で、土地の再生、トウモロコシの成長のような生死の繰り返しのシンボルとされている。


lamat(ラマト)には性質として「調和」「美」「星の種」「道案内人」を秘めている。


このように古代のマヤ文明やアステカ文明でも「ウサギ」は「異次元の案内人」として活躍していたようだ。



さらにマヤ暦のラマト(トトチリ)に紐付いて関連する女神の存在が明らかになった。


兎についてWikipediaで調べていたらちょうどこの間テーマにした女神の名前が書かれていたのだ。


多産・豊穣・性のシンボル

アングロ・サクソンの多産と豊穣をつかさどる春の女神エオストレは、その化身あるいは使いがウサギである。

ウサギは、冬に失われた生命が復活し草木が芽吹き花々が咲く再生の春のシンボルである。卵は宇宙の根源のシンボルであり、宇宙は卵から生まれ、殻の上半分が天になり、下の部分が地になったことを表す。絵画等でも女神は必ずといっていいほどウサギを伴った姿で描かれ、このウサギが良い子に卵をもたらすとされる。卵のほうは絵画には現れないが、ウサギと卵の関係について、このウサギは女神が冬に翼の凍ってしまった鳥をウサギに変えたものなので、特別に鳥のように卵を産めるのであるとする話や、ウサギが春色に塗り分けたきれいな卵をプレゼントしたところ女神が大変に喜び、皆にも配るよう命じたという話、ウサギが子どもたちを喜ばせるためにニワトリの卵を庭に隠して探させてみようとしたところ、その後ろ姿を子どもたちに見られてしまった話などが伝わっている。欧米では現在も春の祭りの日の余興として、子供たちや招かれた客があらかじめ招待主の隠しておいた庭の卵探しをすることがあるという。

同様の話は、オスタラ (Ostera) アスタルテー (Astarte) イシュタル (Ischtar) イナンナ (Inanna) などの女神の名で欧州各地の神話伝説にあり、さかのぼれば、ギリシャのアフロディーテやローマのビーナスなどにも通じ、古代エジプト、ペルシャ、ローマなどでは春の祭りに卵に着色して食べる習慣が既にあったという。のちに、キリスト教が入ってきたときに、キリストの復活と春を祝う女神信仰が「生命への希望」という共通点で結びつき、エオストレ (Eostre) は復活祭 (Easter) の名前の由来となった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ウサギ


なんとウサギは前回も記事で扱ったシュメール、メソポタミアで崇拝されていた太陽神でもあり、月神でもある「女神・イナンナ」と密接に繋がっていたのだ。






つまり今までのことを繋げていくと


  瀬織津比賣=イナンナ



ということになるのか。


確かに瀬織津比賣は伊勢神宮では主祭神・天照大神の荒御魂(あらみたま)として祀られている。


荒魂・和魂とは、神道における概念で、神の霊魂が持つ2つの側面のことであるので、つまり瀬織津比賣は月神でもあり太陽神でもあるのだ。


Wikipediaで天照大神について調べてみると、天照大神の名称の中に


撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)


という名前を発見した。


向津比賣といえば、瀬織津比賣である。


ここまで来るとかなり天照大神=瀬織津比賣に信憑性がでてきた。


そして今回で明らかになったシュメールの女神・イナンナとの関係は掘り下げていくと、何故古代では崇拝されていた女神達が、歴史から抹消されていたり、別の神の名前にすり替えられていたのかがわかるのかもしれない・・・





そして瀬織津比賣が執拗に名前を消されたり、祀られている神社が少ないのは、瀬織津比賣の旦那となる男神が関わっていることが分かったのだが、それはまたpart2で取り上げていこうと思う。



その男神の名とは




天照國照彦天火明櫛玉饒速日命
(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまのにぎはやひのみこと)





そして瀬織津比賣の東北での呼び名は




阿良波々岐アラハバキ






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