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幼いいとこたちを残して若くして亡くなった叔父を見習いたい

こんばんは。4Lかあさんです。
夕飯の支度を済ませて、パソコンに向かっています。

在宅で仕事をしているとき、最近は涙が止まらなくなったり、頭に大きな岩が乗ったように気分が沈んでしまいます。文句言わんでやれることやれ、という気持ちでやってきましたが、そろそろ限界が来ています。

私が仕事を始めた直接的なきっかけは、社会貢献とか子どもの学費を稼ぐとかそういう意味ではなく、コロナ禍で夫が在宅勤務になり、夫の仕事姿が可視化されたため、どうにもこうにも悔しくなったからです。完全に自分のためですね。仕事にまい進する夫と家事育児をする(ほぼ)専業主婦の私。私はその妻側にはなりたくなかった。母のように文句言いながら主婦をしているのだけはやりたくなかった。自分はなんてみっともないのか、なんて情けないのか。それで仕事を探して今は在宅で仕事をしているのです。

そういえば、おそらく私は「誰かのため」に何かをしたことがないような、自分のためにやったことが結局誰かのためになることはありますが、最初から「誰かのため」というのはない。主婦というのは「誰かのため」に何かをするロール(役割)なので、自分はそれだけはしたくないと思っていたのに、いつのまにか子どもを2人もって、数年もそのロールに従事している。その現実に目をつぶっていたけど、コロナ禍で可視化されてしまった。

数年仕事をしてみて思ったのは、やっぱり私は優秀ではなかったということ。別にいなくなってもいいということ。でも家庭の主婦はもっとないし、外で仕事をする気もないので、このまま…という結論になる。

これで終わり。

小学校を卒業して中学に入る直前、叔父が30代で急死。つまらない女どもはみんな泣いていたけど、私は絶対に泣かなかった。叔父は親族が経営する会社の重役だったので、葬儀には社員が多数参列していた。かっこよかった。私もああなりたかった。叔父のように営業マンはできないけど、バリバリ仕事をして、若くして死んで、こんな風に弔ってほしいと思っていましたけど。

キャリアウーマン以前の問題で、結局何の才能も能力もなく、つまらない人生を生きてきました。

これで終わり。

子どもがオンライン講座をさっきまで受けていたけど、毎回最後に「来週は〇〇をやります」と先生が言うので、「何をやるか教えてほしい」と頼んでいるのに、毎回そこを聞き忘れてしまう子どもに腹を立てている。来週の受講前になればお知らせは来るけど、事前に知りたいという私のささやかな気持ちを「毎回」踏みにじるのは許せない。私は子どものために生きていない。これからも自分推しで、自分のために生きるのだ。

4Lかあさんという名前でやってきたけど、私はかあさんではないようなので、4Lおばさんに変更します。

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