苦しい気持ちを話しても、理解どころか、バカにされたり、舐められたり、私が折れるように言われてしまい、ただただ絶望している
こんばんは。4Lかあさんです。
季節の変わり目の寒暖差のせいか、職場(在宅勤務ですけど)や子どもの学校、街中でも体調を崩している人が増えています。
私は職場のそういった方のフォローをすることが多いです。リーダー・トップに立つ器ではありませんし、察する能力・提案する能力が全くないこともあって、お客様の前に立つこともできませんから、様々な業務を覚えたり資格を取ったりして、皆さんのフォロー役に回るのが自分の役割だと思っています。
休暇から戻ってこられたときに特に何も言われなくても気にしたことはありませんが、逆に私が体調不良や子どもの用事などで休んだときに、フォロー役が休むなよ、みたいなことを言ってくる方が少なからずいました。幸い今の職場には表だってそんなこと言ってくる人はいません。
子どもの頃から体調を崩すと長引きやすく、学校を休んで授業についていけなくならないように必死で勉強したり、負けたくないから頑張っていましたが、「ずる休みしてただろ」とか馬鹿にされたりして悔しい思いをしてきました。今は病気のデパートで薬をもらい、これ以上悪くはならないように投薬の生活を送っています。
職場では、お子さんから病気をもらってしまったという方もいます。こちらが気を配っていても、子どもが汚いところに手を置いた後に何を食べたり目をこすったり、夕方寒くなるのに、半袖で出かけて羽織りものを忘れたり、幼いころとは違って子どものミスを全部管理・把握することはできないのに、子どもが体調を崩したら、こちらの予定が狂ってしまい、母親のせいにされたあげく、人生を奪われてしまうのです。
「人生を奪われる」というと「命を失う」と考えられるようで、「健康的て規律的な生活を何日か奪われる」という意味でしょ、と心療内科の先生に言われたのですが、それは言葉の認識が違うだけで、私にとっては1日1日がかけがえのない人生で、1日でも半日でもすべてのことを一発でしとめて一回も失敗したくないのです。体調を崩したら、命そのものはあったとしても、心身は死んでいます。失敗の結果、得られるはずの成果を得られなかったり、罵倒されたりして、その後の人生に支障をきたし、自ら命を絶つこともありえるのです。また、子どもが崩しても失敗なのです。子どもがほめられるようなことをしたときは子どもの成果ですし、特になんとも思いませんが、子どもの失敗は私の咎なのです。
「体調崩したんだからしょうがないじゃん、と思えばいいのに」と夫はいいますが、何故私が折れなければいけないのか。フルタイムフルリモートである以上、私が世話をすることになるのだから、そんな甘いことを言わないでほしい。子どもが体調を崩した場合、通院以外で出かけることや100%仕事に振り切ることは難しいです。子どもが体調を崩したタイミングで夫が行きたいコンサートがあったりすると、夫は行ってしまい、体調を崩してなくても同じ日時で用事がかぶった場合私があきらめることがほぼ100%で、母があきらめて当たり前という世の中の認識(と自分で思っている認識)に苦しめられるのです。夫が好きなアーティストや芸人さんのライブ参戦(行って聴くだけ)と私のライブ出演のための練習だと、素人に毛が生えた程度のアマチュアである私があきらめる必要があるようだし、これを運悪く読んでしまった方に「母親のくせに」「なんで子どもうんだんだ」と罵声を浴びせられる妄想が働いて、身動きできなくなるのです。これに限らず仕事などで失敗してしまうと、罵声の妄想が強く出てしまうのです。食事の片付けでお皿を洗って手をすべらせてしまったときでも、です。
外でせき込む方もいますし、なんでしんどいのに出かけて、咳という名のバズーカ攻撃しているのか解せません。出かけなければいけない事情はあるでしょうが、だからと言ってまき散らしてもいいという理由にはなりません。罪には問われないでしょうが、犯罪に等しい行為です。出かけて食事をすることも楽しめなくなりました。マスクをしていたらこちらが風邪扱いされてバカにされますから、たまったものじゃない。
それだけしんどい思いをしていても、子どもは平然とマスクをつけずに出かけ、くしゃみをする、寒い恰好をする。鼻をうまくかめないこともある。どんだけ注意しても直らない。「お前の注意が下手だから悪いんだ」という罵声の妄想が聞こえる。本当にただただしんどいです。
誰も私をバカにしないでほしい。ただそれだけです。太っていること・不細工なことでバカにされるのは別に構わないですけど、横で咳しても平気な奴だとは思われたくない。舐めるのもたいがいにしてほしい。
心療内科では、暴飲暴食でしか心を埋められない私に、写経とマインドフルネスを薦められました。
前者は、自宅でただ書いているだけで成果がないと思ってしまう(たまにやっている漢字ジグザグなどのペンシルパズルは、問題を解く⇒解けた私は素晴らしいと思える、成果を披露したり懸賞に応募しなくても平気、懸賞に応募して外れたらそれも失敗だからやらない)。
後者はすすめられた先生(お二方)のサイトにそれぞれ行ってみたら、一文読んだだけで「偉そうで無理、従いたくない」と思ってしまい、そっと閉じました。
みんな私に折れることを望んでいるのがしんどいです。