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Stay Old を観た。

〜エンタ★ニカ学習帳について〜
こちらは、僕が表現物に触れた時、
「これは使えそう」と思ったことを
書き記した日記です。
よって、
中にはネタバレもございます。
ご了承ください。


【3時間目】
Stay Old / OLD JOE




はじめに

OLD JOEとは

今年の10月に再結成を発表し、リスナーを騒がせているバンドSuchmos。そのVo.である河西洋介(YONCE)が率いる、アマチュアバンドがOLD JOEである。彼のルーツに近いOLD JOEは、同じ曲でもギターソロが毎度違い、アドリブ色の強さが特徴だ。

Stay Oldとは

2024年6月1日、新宿LOFTで行われたOLD JOEのライブに至るまでの過程を追ったドキュメンタリー。彼らがステージに立つのは下北GARAGE以降、約五年ぶりとなる。



真田徹というギタリスト

今回はドキュメントということで、直接的に創作へ還元できる要素はなかったが、やはり拾えるものは拾っていこうと思う。

その一つがOLD JOEのGt.真田徹さなだてつの人間性についてだ。

本番前の通しのリハーサル、いわゆるゲネプロを行いに、相模原のスタジオへ向かっている車中で彼は昔話をしていた。

モノローグのきっかけは、インタビュアーが「昔思い描いていた自分と今の(32歳)自分に違いはあるか」という質問だった。
その問いかけに対し、彼は「違っているね」と画面に向かって笑いながら答えた。そして過去と現在とのギャップについて語り出した。

当時、彼は武道館ドリームを抱く若者の一人だった。また自分が率いるバンドで世間に衝撃を与えることを夢見ていた。
だが、「余裕で無理だった」らしい。笑みを交えながら当時を振り返る彼は今、多くのバンドにサポートギターとして入っている。

端的に表せば、彼はプレイヤーからサポーターへ転向したのだ。

その質問に関する応答は、それ以上時間が割かれることはなく、また彼自身もさらっと語っていた。が、「自分の力で武道館まで行く」と決意した男がバンドのサポートに転ずるまで、多くの葛藤があったと思う。

そんな人間にしか出せない魅力が、真田徹という男にはあると僕は思う。

何かを目指して努力をしている時、必ずそこには挫折が待っている。
真田徹というギタリストも同じく挫折を経験した。だが、それでも彼はまだギターを弾き、音楽と共に生きている。

挫折を味わいつつもやり続けるというのは、その世界の中で生存政略を見出すということだ。そんな強かさこそが、真田徹というギタリストの魅力なのかもしれない。
また彼はカメラに映ると、大抵、ふざけたことを言っている。そういった飄々さも彼の魅力の一つだろう。

こんな人間性を持つキャラクターが一人いるだけで、その集団がうまく纏まる気がする。だから彼はOLD JOEのフロントマンなのかもしれない。
また人間という生き物の思慮深さを表現するときに、お茶らけた表情も見せられる三枚目キャラというのは便利で、何より個人的に好きだ。





ミニマルな創作スタンス

次に取り上げたいのは、Vo.河西洋介かさいようすけという表現者の根っこに存在する、創作に対してのスタンスだ。

2021年2月3日。
その日、彼はSuchmosを活動休止させた。

KIDSを始め、出すアルバムが全て売れ、間違いなく日本のロックシーンを変えたであろうそのバンドはファンに惜しまれつつも「修行期間」に入った。
そんな矢先、Ba.であるHSUが亡くなり、解散も危ぶまれたが、今年(2024年10月)SNSを通じて彼らは活動再開を宣言した。

河西洋介という男に触れる時、この出来事は避けては通れない。それはこのドキュメンタリーも例外ではなく、カメラに映る彼はこう語っている。

「Suchmos休止して1、2年経ってからもう、表立って活動する意味あんのかなぐらいまでいってたというか」

車中で対話が繰り広げられる。
ファンにとっては当時の彼の胸中を聞けるまたとないタイミングだ。そんな最中、彼は自分の根っこにあるスタンスの話をしだした。


「音楽ってさ、別に聴く人居なくても、別に楽しいじゃん」

「自分が作って歌うだけで。家で。それを聴くだけでも」

「それは一つのやり方として完結しているものだと思ってて」

Stay Old河西洋介
車中インタビューより


息継ぎのようにタバコを咥えて、煙を吸い込みながら彼はそう語った。
僕はその言葉一つ一つに共感できた。

表現者にとって創作へのスタンスというのはとても重要だ。なぜなら、見失えば活動できなくなってしまうからだ。

もちろん、世間に衝撃を与えたい、あるいは誰か一人でもいいから強烈な一撃をかましたいという欲は僕にも、というより表現活動を続けている人間には必ず存在しているものだ。

だが、報われる可能性は低い。

そのため多くの人間は自分の欲望との折り合いがつかなくなってしまい、活動を辞めていく。

だが、河西洋介という男は違う。


「土触りながら、晴れの日は外で自分の仕事して」

「で、雨降ったら、楽器触ったりしながら、ポロポロ、ギターを触って」

「独りで、宛先のない歌を歌うみたいなことをするのも全然いいな」

Stay  Old河西洋介
車中インタビューより


河西洋介という男は「宛先のない歌を歌う」ことが元々好きなのだ。
そして僕にも同じような気持ちが根っこにある。

「誰のために作品を作るか」

そう考えた時、僕の頭の中に浮かぶのはいくつかの人間の顔と自分だ。
おそらく僕にとっての作品制作は、自己問答の一環で、その時々で導き出した結論が物語の帰結となっている気がする。

彼は「宛先のない歌」を歌うが、
僕は、例えるならば「自分宛に送る物語」を綴っている。

こういったミニマルな環の中で完結する創作スタンスを持つ人間は、表現活動を行うにあたって、非常に強いと僕は思っている。

制作に行き詰まったら、このルーツを思い返したい。





良いグルーヴを生むためには、
適したコミュニケーション頻度を

2015年、彼は一度、OLD JOEを解散させている。

その理由は「Suchmosとの両立が難しかったから」という理由と「バンドとしての関係性が長く続けるにつれて難しくなっている」という実感によるものだったらしい。

「関係性が長く続けるにつれて難しくなる」

この問題は何もロックバンドに限った話ではない。
誰しもに言えることだ。

例えば職場での人間関係で考えてみよう。
業務を円滑に進めるためには、そこに所属する人間と良好なコミュニケーションを保つことが重要だ。それを維持できれば誰もが息をしやすい職場になるだろう。その空気がロックバンドでいうところグルーヴに当たるのかもしれない。

だとすれば、人間関係を持続させていくにあたって、良いグルーヴを生むためにはどうしたらいいのか。それは「コミュニケーションの頻度を相手と考え、折り合いをつけていく」ことが大切となってくるだろう。

だが、コミュニケーションの適した頻度を、形別に数値化することは絶対にできない。なぜなら、人間同士だからだ。
人間には必ず感情のムラが存在する。よって、どんな形のコミュニケーションであれ、人間同士が行う時点でその頻度は定量化できない。

だが、それこそが人間関係の醍醐味だと僕は思う。

相手と向き合い、考え、悩み、折り合いをつけていく。その過程は必ずしも、苦痛を生むわけではなく、また結論が出れば達成感も得られる。

だからこそ、彼ら、OLD JOE は再びステージに上がれた。そして「4、5年に一度のライブ」というのが、彼らが見出した適したコミュニケーションの頻度なのかもしれない。

映像越しでも感じる彼らの気持ちいいグルーヴ、その正体に触れられた気がした。






「音楽が今でも救い」
Ba. カメヤマケンシロウ


「やっぱ音楽をやってる時間が一番楽で、健康です。疲れるけど」
Dr.大内岳おおうちがく









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