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4kizメンバー紹介!プロジェクトマネージャー 木村晋也

4kizメンバー紹介第二弾!!

今回は4kizプロジェクトマネージャー木村晋也についてご紹介させていただきます!

4kizで開発ディレクターやUX,UIデザイナー、マーケターとマルチに活動する木村。彼のこれまでの人生や経歴に触れながらご紹介していきます!



木村は1985年8月23日、埼玉県に生まれました。

兄弟は2つ下の弟がおり、現在はソシャゲ関連の企業で広報や集客などを行っています。

幼少期


幼少期は本を読むのが好きな子どもで、日中外で遊んだ後は、家の図書室のようなスペースでよく本を読んでいました。

本好きだったということからおとなしい子だったのかと思いきや、かなりやんちゃで好奇心旺盛な性格で、悪いことをした子どもが入れられてしまう「ねこぐみ」という倉庫にいつも入れられていました(笑)

他にも本で読んだ植物を探しに、幼稚園の裏にある森にひとりで探検しに行き、気づいたら数時間たっていてお巡りさんまで来る事態になってしまったこともありました(笑)

また、家族旅行を沢山する家庭で、色々な世界の価値観を見せてもらったことが、今の感性・性格にかなり良い影響があったと思っていて、子供の頃の体験はとても貴重で大切だと考えているそうです。


幼少期・サイパン マニャガハ島にて

小学生

親の仕事の都合で埼玉県と福岡県を行ったり来たりしていた木村ですが、小学校の卓球部や習い事の水泳、絵画教室、くもんと、とにかく色々なことをやっていました。

また、父親が変わった考えを持っていた人で、いい意味で「子供扱い」をしなく、お小遣いはなかったのですが「なにが、なぜ、どのような利点があるから必要」などと順序立てて相互の合理性をプレゼンをすれば買ってもらえるようなルールでした。

この経験は今でも人にプレゼンをする時に活きていると思っていて、父親には感謝しているそうです。

そんな彼の父親のキャリアが変わっていて、木村が小学生の頃は建築士、その後中学生の頃は僧侶、高校からはブランディング系のコンサルタントを務めるという異色のキャリアの持ち主。この後も少し彼の父親の話をご紹介しますが、父親の仕事関連で彼自身が学んだことについてもお話させていただきます。

小学生時代。髪がとても長いですね!


中学生

中学も福岡と埼玉を行ったり来たりしていたのですが、小学生から続けていた水泳を引き続きやっていました。

水泳ではなぜかトライアスロンコースにさせられて、とても大変だったと話していました(笑)

高校生

高校生になると木村は子供の頃から続けていた絵からデザインへと興味を移し、埼玉の美術コースがある高校に入学しました。

弓道部所属だったのですが、この頃筋トレにハマり、友人が所属しているラグビー部の部室に入り浸り、トレーニングばかりしてラグビー部員と間違えられるほどの傾倒具合でした。

また、父親の仕事にくっついて行くこともあり、この頃からコンサルタントとしての仕事を見聞きしたり、父親の会社のデザイナーさんに学校では学べないデザインの現場を見せてもらっていました。

高校時代


大学生

大学はグラフィックデザインを学ぶ大学に入り、軽音楽部に入って大学生活を謳歌していたそうです。

デザイン会社のインターンもしていたのですが、そこでの仕事内容と大学の授業の内容のギャップが大きく違和感を感じていたという木村は、
「デザイナー」という仕事についておぼろげながら以下のように考えていたそうです。

あくまでその当時の考え方で、もちろん今考えればデザインの基礎として必要な要素も沢山ありましたし、教授との関係からつながるキャリアも沢山あったかと思います。
ただ、当時インターンで経験したデザインの現場はWEBデザインの案件がどんどん出てきてグラフィック案件単発などはほとんどなく、フラッシュサイトやガラケーサイト制作に合わせて名刺・ロゴなどを作るような…「デザイナー」という職業はグラフィックのみでは成り立たずWEBも含めてデザインしていくようなスキルを求められて行くような流れをその当時でも強く感じたのを覚えています。
そのような業界が大きく変わっていくタイミングだったのでまだ未熟でせっかちだった僕は「いつまでも紙に絵を描いて居て良いのか…?」と焦ってしまったんですね。
結局違和感を拭えずやめちゃいましたが、また落ち着いたらどこかに入って純粋に勉強を楽しめたらな、と思っています。

4kiz木村インタビューより本人のコメント抜粋

これまでの職歴

受託のWEB制作会社でグラフィックデザイナーとして勤めていました。

職能はグラフィックデザイナーではありましたが、そのころはまだWEBバブルの頃で、LP1本40万ほどするような時代だったため、強制的にHTMLを書いていました。
そのおかげでマークアップ、フロントエンド、サーバ周りなども理解できるようになり以降のキャリアに活かせたようです。

次は広告代理店でディレクター
エンジニアの抜けた穴を埋めるためにphpの実装や、解析などのマーケターとしての業務の他営業なども行うなど、マルチ業務をこなしていました。


その次にマルチで稼働できる点を評価され、ジモティーでUIデザイナーとして働くことになった木村。

スタートアップは立ち上げ時のとてもエネルギーが必要なフェーズにある企業なので、人員1人あたりの期待するタスクがとても多く、企画・UI設計・フロント/バックエンド実装・解析と、一通り行っていました。

ジモティーではビジネスロジックを学び、グロースの考え方も1からしっかりと学べた経験となりました。
この経験が、現在の木村の仕事の仕方の基盤となったそうで、とてもいい会社だったと話していました。

続いて株式会社じげんに所属していた彼ですが、

そこでは主任を任され、一人でやるグロースから、組織でやるグロースのキャリアフェーズに進むことになります。

マルチなのは変わらず、組織の目標達成や、MAした企業の新規事業立ち上げ、人材教育などマネジメント系のスキルをしっかりと学べたのはここでのキャリアからになります。

当時木村は白黒のツートンの髪色にしていたのですが、見た目ではなく、コミットできたかどうかで評価されるかなり自由な社風だったそうでその点がとても自分に合ったと話していました。

サラリーマンでの最後のキャリアは、じげんの先輩のつながりでソフトバンク系列の企業に転職します。
ここでは、UX部署の立ち上げを担当しました。

その後、友人と受託開発などを営む株式会社ワンハンドレッドという会社の共同経営をしたり、木村が本人が代表のUXのコンサルティングをメインとした合同会社RIOT(ライオット)という会社の経営を行うなど、多岐にわたって活動しています。

趣味

幼少期から様々なことに取り組んできた木村の現在の趣味は自転車・筋トレ・料理・読書・ゲーム

42kmを週2〜3走るほど自転車にハマっており、他にも週イチでジムでトレーニングしています。

また、料理については学生時代から好きでやっていて、カロリーの計算や栄養バランスを考えながら料理作ったりして楽しんでいます。

幼いころからの楽しみである読書。最近では音楽業界の著作権についての本を読んだそうです。
Kindleなどもありますが、木村の読み方は少し特殊で、少し読んだらまたすこし戻って読み直したりするので、で読む方が好みなようです。
本を買いすぎて部屋が本で圧迫されてしまう事は少々悩んでいるようでした(笑)

ゲームについては最近だとマインクラフトダンジョンズを空いたタイミングで弟と一緒にやっているそうです。
本人もいっていましたが、本当に木村家は仲がいいですね!

4kizでの活動内容と意気込み

4kizでの活動内容と意気込みを本人の言葉でご紹介させていただきます!

私の職能はUXデザイナーだったりマーケターだったりディレクターだったりUIデザイナーだったりマルチにやっているので、その点の実働やPMとして担当しています。
意気込みとしては、幼少期の体験は一生モノだと思っており、体験次第でその子どもの可能性の幅を増やせると信じています。
4kizは多感な幼少期の可能性の種を蒔くことができるSNSだと思っています。
お子様たちには家族との新たなコミュニケーションとしてはもちろん、世界という規模で友達をつくり、様々な価値観に触れて成長していってほしいです。
本山の「世界中の子どもが当たり前に使うようになるプラットフォームを」という言葉の通り、
私もユーザー体験を設計するUXデザイナーとして、歳をとって大人になっても「子供の頃4kizでさ…」と、当然のように友人と話せるようなサービスに育てていきたいです。

4kiz木村インタビューより本人のコメント抜粋


終わりに

最後までお読みいただきありがとうございます!
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