私はChatGPTをこう使っている:「世界の虫眼鏡」としてのChatGPT
こんにちは。今年は人工知能学会全国大会(JSAI2024)に参加しています。
昨晩、会社のメンバーと食事をしていたのですが、その時にちょうど「ChatGPTをどのように使っているか」という話になって面白かったので、改めてまとめてみます。
ChatGPTの使い方については、その登場以来、いろんな人がいろんなテクニックを披露していますが、その弊害として私も良く「どのように使ったらいいですか」と聞かれます。個人的には「どう使ったらいいか」を訊かれること自体が変な感じなのですが、この記事はそれに対するアンサーでもあります。
以下は過去一週間くらいの私の実際の履歴の抜粋です。ちょっとだけ加工していますが、おおむねこんなようなやりとりをしています。なお、使用しているのは基本的にGPT-4oです。
友人と食事をしたときに学生時代にサンスクリット語を履修していたという話になって、気になったので聞いてみました。ほぼ教材がマハーバーラタとラーマーヤナしかなくて、例文が王とか少年ばっかりだった、という話が印象的でした。やっぱり今はあまり使われていないのですね。
ちなみにChatGPTが私のことを「先生」と呼ぶのはCustom Instructionです。呼ばれていてそこまで気恥ずかしくなく、それでいて自己肯定感が高まる呼び名を工夫して、「先生」に落ち着きました。
単なる趣味で、Duolingoで中国語を少しやっているのですが、Duolingoだとニュアンスの違いを教えてくれないので、気になって聞いてみました。なるほど、よくわかりました。
ma(吗)は、中国語の漢字で入力したほうがよいのですが、キーボードの切り替えが面倒で、そうじゃなくてもきっとChatGPTならわかってくれるよな…と信じてローマ字で指示したら案の定わかってくれました。
これはAdvanced Data Analysisで図示する機能のテストでもあるのですが、子供がパクチーが苦手で、そういえば単純にパクチーってどのくらいの国で食べられているのか気になったので聞いてみました。案の定、日本以外のほとんどの国では食べられていることがわかりました。私は大好きです。
これは最近「へうげもの」という漫画を読んでいるせいですが、なんとなく気になったので聞いてみました。もし幕府が鎖国していなければ、西欧に植民地化されていた可能性もあるよな……などと考えました。
日本史は大学受験でも使っていず、あまり詳しくないのでありがたいです。
仕事でモンゴルをたびたび訪れており、寒い地方の暮らしが気になっているので、ヤクーツクに興味がありました。そういえばイルクーツクって町もあるよな、何が違うんだろう、と思って聞いてみたものです。このあと、寒さだけではなく他の違いも聞いてみて、ヤクーツクとイルクーツクの違いについて理解が深まりました。イルクーツクのほうが大きな街なんですね。
私のChatGPTの使い方
というわけで、私のChatGPTの使い方ですが、見ての通りどうでもいいことをどうでもいい感じで訊いています。ちなみにブラウザだけでなくスマホとiPadのアプリで使用しています。
もちろん、ハルシネーションのリスクは理解しています。ですが、学習データが多そうな一般的な話題はハルシネーションが少ないこと、こちらの質問がシンプルであるほどハルシネーションが少ないことは感覚としてわかっています。
そして何よりも、どれもどうでもいい質問であることが重要です。私がイルクーツクについて間違って覚えたところで特に大きな問題はありませんね。もちろん誰かに話したり書いたりする前にはちゃんと裏をとるようにしています。
「世界の虫眼鏡」としてのChatGPT
生成AIは、様々なニュースや情報でビジネスの文脈で語られがちということもあり、多くの人は生成AIを「何かの役に立てなくては」というプレッシャーが多いように思います。
その焦りが重厚長大なプロンプトとか、謎のテクニックにつながり、結果としてAIの参入障壁になっている側面があります。
でも実際のところ、特に焦って役に立てる必要はないのですよね。
私の使い方は、「虫眼鏡」みたいなものだと思っています。道を歩いていて、石の模様とか葉っぱの裏とか、気になったものをズームインして見てみる。ふーん、きれいだね。面白いね。それで終了です。ChatGPTも同じで、気になったことをAIと一緒にぐーっと解像度を上げてみる。それだけですけど、面白いですよ。
問いを立てる訓練、としてのChatGPT
最後にちょっと強引にこじつけます。
AIのある世界において重要なのは「問いを立てる能力」だと言われることがあります。問いを解決するのはAIがやってしまう。我々人間に求められるのは問いを立てる力だと。
「そもそもこれって何?」
「これはどうしてこうなってるの?」
「もしこれが、こうじゃなかったら何が起こる?」
大人になって、世界の仕組みがだいぶわかってくると、こういった子供じみた問いかけをする機会も減っていきがちです。もしかしたらChatGPTに対して問いを立て続けることは、いずれ世界に対して大きな問いを立てるための訓練になるかもしれないですね。
だそうです。