Noの後にThank youを言えたい(ただの日記)
おこんばんは!
11月、わたしは繁忙期の週6出勤でくたくたな日々を過ごしておりました。去年までは3日働いて1日休んで〜2日頑張ってまた休み!みたいな生活をしていたので、結構頑張ったんじゃないかなと思います。すっかり久しぶりの更新になってしまいましたが、あっという間に師走も半ばに差しかかっております。みなさまは急な冷え込みについていけておりますでしょうか…
久しぶりの更新とはいえ特に変わったできごとはありません。
夏ごろにインサイド・ヘッドのシリーズ2作を観ました。ご存知のかたも多いと思われますが、主人公の脳内で暮らす、あらゆる感情がキャラクター化されたお話です(ざっくり)。2には1作目で登場しなかった「ナツカシ」というキャラがちょい役で登場するのですが、わたしの脳内ではナツカシが主導権を握っているだろうなと思います。未来のことなんてほとんど考えていなくて、日々懐かしさにころされそうになりながら生きています。そんなわたしが最近ふと考えた懐かしさにまつわるできごとを書き記しておきます。
🟨水がつめたい
最近水道の水が本当につめたいですよね。でも、つめたい水で洗ったあとの手がなんだかとても好きです。
末端にぎゅっと血があつまったようにオレンジやピンクに色づいて、「ギーン」と音が聞こえてきそうな手。肌色が際立っていつもよりきれいな感じがして、ついじっと見つめがちです。
そんな手を見ていると思い出すのが、給食の冷凍みかんです。つめたさもですし、解凍されゆくふにふにのみかんの皮の質感が洗いたての冷えた手とよく似ている気がします。
机に敷いたナフキンに直置きされる冷凍みかん。みかんを持ち上げると表面の氷がナフキンにひっついてごそっと剥がれ、それを指で取るのが楽しかったな〜ということを思い出します。何が楽しいのか分からないですが、なんか氷って見ると触りたくなりますよね。庭に置きっぱなしのプラスチック製漬物樽に張った氷とか…
久しぶりに食べたいなと思いましたが、悲しきかな知覚過敏です。冷凍みかんのキーン具合はアイスより耐え難い気がする。舌の上で少し温めてから咀嚼する必要がありそうです。
🟫枯葉のカサカサと自転車のペダル
冬らしい曇り空のお昼どき。まさに今日がそんな感じでしたが、枯葉が風に吹かれるカサカサという音と自転車のペダルが空回りするような「カコッ」という音が重なるときに思い出すことがあります。
今は「いちど転びかけてから外出が怖い」と言って会いに行っても部屋で会話するだけの祖母が、まだ自転車をバリバリ乗りこなしていた頃。もう20年くらい前かな。祖母の家に泊まった翌日の朝、2人で自転車に乗ってよくモーニングに出かけました。
いつもは徒歩でも行ける範囲の場所に行くことが多いのですが、たまに少し離れたハーブを専門的に扱う喫茶店に行くことがありました。
そのお店は住宅街を15分から20分ほど(当時小学生なので多分長く感じている、実際は15分弱なのかも)行った場所にあり、傍らに竹林がありました。枯葉のカサカサで思い出すのはそのせいでしょう。
SNSなんてものがなかった時代、しかも当時で70近かった祖母はどうやってあんな場所を知ったのか気になるところ。やっぱりおばあちゃんコミュニティの口コミ…?わたしがいまだに抱いている「白い柵とモッコウバラのアーチがある家に住みたい」という憧れも、この喫茶店がきっかけな気がします。
ハーブといえばレモングラスとミントくらいしか知らない当時のわたしは、そのお店のモーニングで出てくる「ハーブ味」のちっちゃなオムレツが大好きだったのですが、今ならあれがオレガノの風味だとわかります。今度朝ごはんに作ろう。
そのお店にはポプリなどハーブにまつわるグッズも販売していました。8歳〜10歳ごろのわたしといえば、りぼんの付録の読み切り小冊子のおしゃれや美容にまつわる話を真剣に読み込んでいた時期。当然におい物にも興味津々で、祖母にねだってアロマオイルを買ってもらいました。
家に帰ってきてから、買ってもらったイランイランのアロマオイルを母に内緒で湯船に垂らしたところ、えも言われぬ、というかはっきり言って悪臭が浴室に広がりました。アロマオイルは通常数滴使用する物だと思いますが、なんせ小学生のわたしには適正量がわかっていませんでした。
ちっちゃなバケツで流せど流せど浴室に充満し続けるあのなんともいえない匂い。ラーメンのスープのように油膜がぷかぷかと浮いた湯船…そして、母にこっぴどく叱られたことを今でも覚えています。
🟦風邪っぴき、布団で聞く大人の会話
子どもの頃わたしの家では、風邪をひくと2階の自分のベッドではなくリビングに敷き布団を持ってきて休むことが多かったです。
今のところ人生の中でかなり大変だったマイコプラズマ肺炎のときも、リビングの敷き布団の中で過ごしました。小6の12月を3週間も欠席してしまったこと、当時はかなりのショックを受けました。リビングに転がりながらのだめカンタービレの実写ドラマを毎週観ていたので、いまだにラプソディ・イン・ブルーを聴くと寝ても覚めても咳が止まらなかったときのことを思い出します。
というのはサブの話題で、タイトルに戻ります。
わたしは大人が会話しているのを、布団にくるまれた状態で聞くのがなんだかとても好きでした。自分は弱っていて、でも大人と家にいて、しかもあたたかい布団にくるまれている。テレビでは多分笑ってコラえて!とかが流れていて、明日も学校を休まなきゃいけない…そんな中で聞く、自分の登場しない大人同士の会話。なんと説明したらよいのか難しいですが、あの状況にとても幸せを感じていました。
大人になるとそんな機会もないですが、つい先日、職場の先輩3人ほどでなかよく仕事に関係ない話題で談笑されているのを少し離れた場所で小耳に挟んだ瞬間、「今、あのときの布団の中にいるかも……!」と感じてうれしくなりました。
この感覚を人と共有できるかは謎なところですが、なんか、忘れたくない感覚だなあと思います。
脈絡のない懐かし話3本立てでお送りいたしました。これからも懐かしさと切なさでギュッとつぶされそうになりながら生きていきたいと思います。またこういう話をしたいです。
さて、今回のタイトルの「NoのあとにThank youを言えたい」
ちょっと変な日本語ですが、「NoのあとにThank youを言える人でありたい」の略です。
人の何かを断るとき、「いいです」と言うときつい感じがしますが、「大丈夫です、ありがとう」と「ありがとう」と付け加えることでその人の厚意には感謝が伝えられるし、お互い気持ちがよいなと思います。
まだまだ間違えてしまうこと/知らないことも多いですが、こういった些細な言葉遣いに気をつけて生活したいものですね。結果的にまったく内容に関係なくなってしまったけど!!!
はちゃめちゃな記事を読んでくださりありがとうございました。また取り留めのない話にお付き合いください🛁🐈⬛
ここで本日の1曲
自転車に乗って/never young beach
そういえばわたし、夏前に自転車を盗まれました泣泣泣怒怒泣
自転車の防犯登録には期限があり、都道府県ごとにその期限はバラバラだそうなので、みなさんも確認することをおすすめします!どんな終わり方!またね!!