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「空っぽ」に色を付けるなら
ありのまま生きればいいんだ
そんな綺麗事を言うな
私上手く生きられないんだ
空っぽだから
泥臭く、不器用に、それでも自分に嘘をつかないように必死で。
だけど、いや、だからこそ、心は満たされないままで。
イキリツイッタラーアイドルがフルマラソンに挑戦します
フルマラソン完走直後に、通常通りのライブを行う。
走ることを特に嫌う彼女が、急なチャレンジに対峙した。
当日の顛末自体は、上記動画に譲るとして、ここでは「マラソン」であることに敢えて積極的な意義があるという立場で、マリンさんの「凄み」を勝手気儘に慮りたい。
「結果」としてのマラソン
マラソンの起源には、大きく2つの説が存在する。
まずは、よく知られている方から。
紀元前450年9月12日、アテナイの名将ミルティアデスはマラトン(ギリシア語: Μαραθών, Marathon)に上陸したペルシャの大軍を奇策で撃退した。マラトンの戦いである。勝利というエウアンゲリオン(良い知らせ)をアテナイの元老に伝えるためにフィリッピデス(Philippides)という兵士が伝令に選ばれた。フィリッピデスはマラトンから約40km離れたアテナイまでを駆け抜け、アテナイの郊外で「我勝てり(ギリシア語: νενικήκαμεν)」と告げた後に力尽きて息を引き取ったと言われている[1]。アテナイは現在のアテネとされる[2]
彼女が伝えた「勝報」とは何か。
マジで私運動できないし、ロクに走ったこともなかったんだけど
死ぬほど嫌だったものに挑戦すること、それ自体。
「ライブ」という自分が命を懸けているものの前に、不確実でハイリスクなイベントを盛り込むことの持つ両義性を覚悟したこと。
この企画も、「マラソンやってライブするなんて何の意味があるんだよ」とかすごい言われたし、YouTubeのコメントとかでもメンバーを傷つけるようなコメントとか、本当何かしょうもない人たちばっかで。
その両義性からくる、望んでいない周囲の反応を受け止めると決意したこと。
あの時ライブ会場に駆け込んできた彼女は、まさに「勝った」わけである。
しかも、ほぼ予定通りの時間で。
これ自体も、Evangelionであろう。
本当に今日走れたのはマジで、(メンバーの)みんなと、ファンのみんなと色んな人が支えてくれたからだと思うし、それを背負ってなかったら、ここまで走り切れてなかったと思うし、まずは本当にありがとうございます。
そして、彼女はこれまで「勝ち得てきたもの」によって、また勝つことができたのである。
それを知るには、知らしめるには、42.195kmという舞台装置は、非常にお誂え向きだったのだろうと思う。
決意表明としてのマラソン
この伝承は19世紀にイギリスの詩人であるロバート・ブラウニングが書いた詩によって世間に広まったが、歴史書の記載とは相違点がある。ヘロドトスの『歴史』によると、フィリッピデスが走ったのは紀元前490年のペルシャとの戦いにおけるアテネからスパルタまでの約250kmであり、その目的は終わった戦いの勝利を告げるものではなく戦いの前にペルシャ軍を撃退する援軍を集めようとするものであって、走った後に死亡したという記載もない。
「援軍を集める」こと、それは基本的には「応援してください」と頼むことと同義に扱われるが、ここではもう少し攻めのスタンスを強調する。
つまり、「我々は勝つんだから協力しろ」という、自身の力強い宣言として捉えるのである。
私はちゃんとメンバーと、関わってくれてる運営さんと、ファンの人と、そういう大事な人を守るために、ここにいる全員に嫌われても私は、自分の大事なものを守って戦い抜けるような女になります。
だからこれからは、理不尽なことがあっても、理不尽なことを言われても、私は自分のなりたいアイドルでいるし、そういうしょうもないことを言ってくる人を黙らせるまでここで歌い続けます。
上手く生きられない彼女の、堂々たる宣言。
あの日走ることを決意し、走る中で得られた「積極的な変化」という勝利。
そして、「この生き方を貫く」と決めトーキョーにやってきた時から、積み重ね続けてきた想いと決意。
だからみんなに一つだけ言いたいのは、そういうね、やなこと言ってくる人とか、私たちのことを批判してくる人たちとか、そういうの気になると思うけど、私が全部守るから、私がちゃんと覚悟を持って戦うから、みんなはマジで誰のことも見ないで、私たちのことだけずっと見ててください。今日このライブも、明日もずっと私たちから目を離さないでずっと見ててください。
「支え支えられていく」という協働関係をテーゼとしやすいこの職業に対しての、超絶攻め色の決意表明。
「空っぽ」に色を付けるなら
ありのまま生きればいいんだ
そんな綺麗事を言うな
私上手く生きられないんだ
空っぽだから
その「空っぽ」に、今あなたは何を注いで走っているのだろう。
その一端を、あの日自分は見たのだろうと信じている。
青い日々の途中
答え探してるの
あの子とは違う何かを持ってる?
まだ知らないまま
どこにあるんだろう
それを探して、トーキョーに来たのだろうか。
あの頃の「青い日々」は、より鮮烈な意思を持ったブルーに変わった。
「空っぽ」に色を付けるなら。
「トーキョーで輝くブルー」によって。
君の言葉ひとつで
街は色付く
心無い言葉で、望んでいない言葉で。
支えてくれる人たちの言葉で。
全部ひっくるめて守ると誓った自身の言葉で。
あの日僕にくれた
言葉が
今でもまだ
胸の中
だからこうやって、私も表現しているわけで。
君が笑うなら
それでいいさ
その覚悟は、次の勝利の因となって。