泥臭く、不器用に、それでも自分に嘘をつかないように必死で。
だけど、いや、だからこそ、心は満たされないままで。
イキリツイッタラーアイドルがフルマラソンに挑戦します
フルマラソン完走直後に、通常通りのライブを行う。
走ることを特に嫌う彼女が、急なチャレンジに対峙した。
当日の顛末自体は、上記動画に譲るとして、ここでは「マラソン」であることに敢えて積極的な意義があるという立場で、マリンさんの「凄み」を勝手気儘に慮りたい。
「結果」としてのマラソン
マラソンの起源には、大きく2つの説が存在する。
まずは、よく知られている方から。
彼女が伝えた「勝報」とは何か。
死ぬほど嫌だったものに挑戦すること、それ自体。
「ライブ」という自分が命を懸けているものの前に、不確実でハイリスクなイベントを盛り込むことの持つ両義性を覚悟したこと。
その両義性からくる、望んでいない周囲の反応を受け止めると決意したこと。
あの時ライブ会場に駆け込んできた彼女は、まさに「勝った」わけである。
しかも、ほぼ予定通りの時間で。
これ自体も、Evangelionであろう。
そして、彼女はこれまで「勝ち得てきたもの」によって、また勝つことができたのである。
それを知るには、知らしめるには、42.195kmという舞台装置は、非常にお誂え向きだったのだろうと思う。
決意表明としてのマラソン
「援軍を集める」こと、それは基本的には「応援してください」と頼むことと同義に扱われるが、ここではもう少し攻めのスタンスを強調する。
つまり、「我々は勝つんだから協力しろ」という、自身の力強い宣言として捉えるのである。
上手く生きられない彼女の、堂々たる宣言。
あの日走ることを決意し、走る中で得られた「積極的な変化」という勝利。
そして、「この生き方を貫く」と決めトーキョーにやってきた時から、積み重ね続けてきた想いと決意。
「支え支えられていく」という協働関係をテーゼとしやすいこの職業に対しての、超絶攻め色の決意表明。
「空っぽ」に色を付けるなら
その「空っぽ」に、今あなたは何を注いで走っているのだろう。
その一端を、あの日自分は見たのだろうと信じている。
それを探して、トーキョーに来たのだろうか。
あの頃の「青い日々」は、より鮮烈な意思を持ったブルーに変わった。
「空っぽ」に色を付けるなら。
「トーキョーで輝くブルー」によって。
心無い言葉で、望んでいない言葉で。
支えてくれる人たちの言葉で。
全部ひっくるめて守ると誓った自身の言葉で。
だからこうやって、私も表現しているわけで。
その覚悟は、次の勝利の因となって。