【ネタバレあり】ライ麦畑でつかまえてを読んでみた
J.D.サリンジャー著の名作、「ライ麦畑でつかまえて」を読んだ感想です。ネタバレしかありません。
<要約>
高校生のホールデン・コールフィールドは勉強に熱心でなかった為にペンシー高校を退学になってしまう。
クリスマスの前、ホールデンは予定よりも早く学校を後にして、実家に帰るわけでもなくニューヨークを彷徨うことを決める。
ホールデンは旅路の中で様々な人に出会い、孤独を埋めるために元カノのサリーやかつてのルームメイトのカール・ルースと再会するが、どれもホールデンの心を埋めるものではなかった。
落胆したホールデンは妹のフィービーに会いにいく。フィービーに退学になったこと、「ホールデンは全てが気に入らないのだ」ということを問い詰められる。そして、将来何になりたいのかを聞かれた時、ホールデンは「ライ麦畑の捕手」になりたいのだとフィービーに言う。
その後ホールデンは寝床を求めて前の高校の恩師であるアントリー二先生を尋ねる。
そこでアントリー二先生はホールデンの身を案じ忠告する。
話し終わり、寝入ったあとのホールデンは、自分の頭をアントリー二先生が撫でていることに気づくとそれをホモセクシュアルな行為と勘違いして先生の家を飛び出し、また1人彷徨う。
歩きながらホールデンはヒッチハイクで西海岸まで旅してそこで暮らすことを考え、フィービーに別れを告げて旅立とうとする。フィービーは自分も連れて行って欲しいと言い、ホールデンはそれを認めなかったため半ば兄妹喧嘩のようになってしまい、ホールデンはフィービーを宥めようと動物園に立ち寄る。そこで回転木馬に乗るフィービーの姿を見てホールデンは掛け値なしの幸福感を感じる。ホールデンは家に帰る。
<感想>
ぼくは年齢的に言えばホールデンと同い年だが、まだホールデンより年上だなと思った。そして言われもない親近感を覚えた。
もう少し若輩の時期に読んでいたら、ホールデンや彼の退廃した人生観に憧憬の気持ちを抱いていただろうが、どちらかというとぼくはアントリー二先生に近い捉え方をしている。
時系列がちょっと分からないのだが、ホールデンは退学が決まって、'水曜日'に実家へ帰るはずのところを繰り上げて、ニューヨークを1人でさまようことを決める。
それはルームメイトのストラトレイダーがホールデンの幼なじみでガールフレンドのジェーンとデートをするということに苛立ちを覚えたからだ。
ホールデンの特徴でもあるが、特にこのルームメイトのストラトレイダーとアックリーに対する評価、思いというものは色々な散らばった箇所で全く別の言及をされていて、ホールデンの2人に対する気持ちが掴めない。
ハンサムで気が利くと持ち上げたり、低脳だと罵ったりプロレス技を急にかけたりもする具合にだ。
そこで思ったのはホールデンが2人に対しては、嫌いだけど嫌われたくないという感情に似たものを抱いているのかもしれないということだ。序盤アックリーのことを心中酷く罵倒しているのに、後のシーンで声をかけたりするのにはそれが見られる。
そして、作中でホールデンの友達としてホールデンが会おうとする人々と、ホールデンの距離感もなかなか不思議だ。国や時代の違いというのもあるのだろうが、ホールデンはガールフレンドのサリーや前のルームメイトのカール、それにフィービーへの話の中で登場した自殺した生徒のジェームズ キャッスル………そのいずれもホールデンの本当の、心の通いあった友達ではない。
唯一、ホールデンが心を許し、心底気に入っていると言えるのはジェーン(と亡き弟のアリー)であるが、ジェーンは結局作中には出てこない。ホールデンはストラトレイダーとのデートを待つジェーンに挨拶しようとしたり、ボルティモアの彼女の家に電話をかけようとするが結局会うことは無かった。
これこそがホールデンの抱える大きな孤独である。彼の孤独を埋め得る存在とは、彼は出会うことが叶わなかった。
結果、もう1人の妹のフィービーがホールデンを救済するが、もう少し早く、ジェーンやもしくは亡くなったアリーがホールデンと会っていれば、ホールデンは退廃的にニューヨークを彷徨い、傷ついて孤独を深めることもなかったと思うのだ。
話は変わってライ麦畑の大きなテーマである「大人や社会に対するヘイト」について書こう。
ホールデンは「インチキ(phony)」という言葉を多用している。
これを噛み砕くならば大人特有の欺瞞や建前というやつに対するホールデンの怒りなのだ。アリーの葬式での話を聞いた時や、フィービーに「将来は弁護士はどう?」という趣旨に質問をされたあとの受け答えを見ても、ホールデンは社会に対して真実だったりスパーンと割り切れる正しさを苛烈に追い求めていることが分かる。
そしてペンシー校のスペンサー先生の「幸運を祈る」や、サリーの「ステキ!」(村上春樹訳だと御機嫌)などのちょっとした社交辞令にも神経を尖らせてしまう。
反面、子供に対しては全身的な共感を持っていて、ヒッチハイクを考えつく所も子供の純粋な夢に浸っているホールデンだが、ヘビースモーカーで煙草を呑みまくり、バーでは必ず酒を頼もうとするところは、忌み嫌う大人の世界に足を踏み入れているということを示し、同時に憧れも抱いているという矛盾も示唆していると思う。
この矛盾は、ピーターパンシンドロームは卒業したけれど、大人になる現実的な怖さが見えてくる16歳の子供という生き物をよく表している。
この本が売れ続ける理由が分かった気がする。
時代が変わり、言葉遣いが変わっても、ホールデンは物語の中で16歳の少年のままで、そこには現代の16歳とは何も変わらない、自分がどこにいるのか知ってほしい孤独な寂しがり屋で、劣等感や疎外感も人並みに味わっていて、自分が何者かもちょっぴり分かり始めている、人より少し口が達者なだけの少年の姿がそこにはある。
多分そういうことなのだ。