見出し画像

note反省会

この頃、ブログやnoteの形式を借りて、文章を書く回数が増えた。
その中で、文章を一回読み返してみると「これもしかして自分の文章読みづらいかもな…」と思い、少し悲しくなったので今回のnoteの反省文を書いてみようと思う。

反省ポイント① 「一文が長い」

これあかんな、と思ったのは調子に乗って一文を冗長に書きすぎるところ。

本当に一文が長い。

noteやブログなんて、考えてみれば家の椅子に座ってじっくり読むなんて人はいなくて、大体通勤中のスマホとかで流し読みが主流のはず。

それなのに馬鹿みたいに一文が長い。もうアホかと、馬鹿かと。

調子が良くて、書きたい情報が多すぎるとこういう状況に陥りやすい。

これからの改善点は、「最初の下書きで、紙にアウトプット。書きたい情報は箇条書きで羅列。その後PCへ」ということになるかな。

反省ポイント② 「上げる前に校正しない」

これも投稿後に読み返した時に思いついた反省点だ。

投稿の前に読み返す重要性を頭では理解していながら、実のところ全然やっていない。

考えられる理由は、「書き終えた達成感によって全てどうでも良くなった説」と「自分の文章読み返すのマジで苦行説」だ。

まず「書き終えた達成感」についてだけど、

いやこれなんだよ。賢者タイムかよ。読み返せよ。

でもこれ、”書き終え→即投稿”をするから起こることなのではないだろうか。

書き終えた翌日の朝、一度読み返す。もしくは声に出して音読で読み返す。
これを行えば、物凄い良い校正になると思う。

でも、声に出して読むのは何か恥ずかしいかもしれない。
家に誰かいる時に、この「賢者タイム」とか入っている原稿を音読するの、なかなかに地獄だと思う。
あと、1人の時に音読するのもなかなかに寂しい。

次の「自分の文章を読み返すのが苦行」

ってお前、一日24時間のどこかをお前に割いてくれて文章読んでくれる人の方が辛いし、苦しいよという話だ。

反省ポイント③ 「下書きしないから書くことを忘れる」

今がそれである。

完全にど忘れした。

忘れたなりにこんな見出しを作って、カバーしていく。

私が言う、”下書き”というのは、一般的に見たら、メモ書きや箇条書きと言った方が適切かもしれない。

見出しと小見出しの内容をある程度書き出す、下書きの作業がないとなかなかめんどくさいことになる。

筆の調子がいい時、もし下書きがなければ、「あっ、これも書こうかな、あれも書こうかな」となって、収拾が付かずに死ぬ。

逆に、調子が悪い時は虚無と化して、そのうち何もかもどうでも良くなり、気付いたらTwitterをスクロールしていたりする。

今回みたいにど忘れするだけなら、まだマシな部類かもしれない。
何かを生み出してしまった後に虚無になると、生み出すために使ったエネルギーが倍にされて虚無になって帰ってくる。

書く前に、各ポイントを整理しておくのは当たり前だが大事なことだ。

反省ポイント④ 「接続詞が変」

これは、①の「一文が長い」にもかなり通ずる話だが、私が一つの文章を冗長に書き連ねてしまうのは、接続詞の使い方に自信がないからだと思う。

書いていると何やら、文の前には必ず接続詞を入れなければならないような、(義務感に押し潰されそうな気持ちを表す良さげな言葉を知ってるはずなのに思いつけない)感じがして、「接続詞入れよ」となるのだ。

これは最近気づいたのだが、話の流れがしっかり流れていれば、接続詞がなくてもしっかり読みやすい。

誰かと話している時に、「だから」を多用すると、
「だからぁ、、」(まだ分かっていないみたいだから説明してあげるけど)
みたいな雰囲気が出て、角が立ってしまう。

と思っている。これと同じことが、文語でもあるのかもしれない。

ともかく、改善点は「文を短めにして、接続詞を連発しないこと」である。


多分だけど、ここで列挙した4つが目立ったバッドポイントである。

また付け加えるならば、文章を書く回数が増えるほど、どんどん自分の語彙の貧弱さを、じりじり穿ってくるような感じで思い知らされる。語彙の貧弱さも、この中に含めるべきかもしれない。

なお、この文章を書く時に全く下書きもしていなければ、読み返すようなこともしていない。

多分、次からやる。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集