見出し画像

赤ちゃんを抱いた

つい先日、いとこに赤ん坊(♀)が生まれた。

家も近く、懇意にしているいとこの子供なのだから、私にとってはさながら姪っ子のようなものだ。

生後わずか一日しか経っていない赤ちゃんの顔を拝むために病院まで行くことになったが、いやはや、私はその時まで赤ちゃんの可愛さというものを舐めてかかっていた。

産婦人科ってすごいハイテクなんだなぁ、ホテルみたいだと思いながら移動して件の部屋にたどり着くと、真っ先に赤ん坊に目線を奪われた。

小さい

本当に小さい。もしかすると私の太もものなかに入ってしまうのではないかというサイズ感。

生まれたばかりの赤ちゃんってこんなに小さいんだ...

サイズ感にまず衝撃を受けた。

そして、本当に本当に可愛い。

見ているだけでこちらが笑顔になる。

バブバブ言葉で話しかけてしもうのも無理はないくらい可愛い。

赤ちゃんをこんなに可愛く設計した神様、グッジョブである。


これからこの子はどのように育つのだろうか。

赤ちゃんのこれからの旅路は、誰よりも長い。

未だ若輩の私ですら、人生でかなり先が見えてきたところはあるが、赤ちゃんの足跡はまだまっさらなのだ。

「赤ちゃんの将来は生後●ヵ月で決まる!」みたいな本やネット上の情報が溢れているが、この子はどういう風に教育されるんだろうか。

頭が良くなってほしい。

頭が良くて困るということはない。頭が良くない私でもわかる。

心が豊かになってほしい。

多くの親がそう願うだろう。

誰かの痛みを分かる人間にとは言わない。でも、寄り添える人間であってほしい。

成功を手にしてほしい。

こう表向きに願うことは、下品だなと思う人も多いかもしれない。

でも、将来暮らしに困らないでほしい、失敗するよりも成功してほしい、そう思う親は多いと思う。


大した親戚でもない私はどういう風に接していこうと悩む

重要なこととか教育のことは他の誰でも教えてくれるだろうから、できれば他の大人といるときには出来ないことをさせてあげたいな、なんて思う。

大きくなったときに、一つでも私から教わったことが心に残っていたら、どんなに素敵だろうと思うのだ。

だから、なんというか、理想は「君たちはどう生きるか」の”おじさん”みたいな感じである。

でも、そのポジションは常に誰かに狙われていると思った方がいいだろう。

あと、そうなろうとする下心のある奴は頼んでもないのに布教を始めるオタクのような厚かましさがあるので注意が必要だ。

厚かましいおじさんでもなく、かといって薄い存在でもなく、思い出に残る存在でありたい...........

この願望自体が厚かましいものであるが、どうしたら良いのだろうか。

やっぱり、アニメとか一緒に見るのが一番かなぁ。

不思議の島のフローネを見せてあげたい。。

いや、それも何か厚かましい気がする。

やはり、赤ん坊のやりたいことに同じ目線で全力で付き合ってあげるしかない。

思い出に残る方法はお年玉を大量にあげるくらいしかなさそうだ。

侘しい

いいなと思ったら応援しよう!