【夫婦別産制】
高校生の頃、落合恵子がパーソナリティをつとめる「セイ!ヤング」というラジオの深夜番組を聴いていた。穏やかながら、凛として正論を述べる彼女が好きだった。落合恵子は後に小説家となり、婚外子という自身の生い立ちを公表して、「非嫡出子(=婚外子)の遺産相続分は嫡出子の半分」(民法900条)とする規定の撤廃に尽力した。
私も、長い間この規定は法の下の平等に反すると信じていた。当然であろう。子供は親を選んで生まれてくることは出来ないのに、たまたま母親が正式な結婚をしていなかったというだけで、子の権利が半分になるのだ。理不尽ではないか。
ところが、法曹の道を志し、司法試験の勉強を始めた私は、ある時、日本の民法が【夫婦別産制】を採用していることを知る。
【夫婦別産制】とは、「夫婦の一方が婚姻前から有する財産及び婚姻中自己の名で得た財産は、その特有財産(夫婦の一方が単独で有する財産をいう。)とする」(民法762条)という制度で、ひらたく言うと、「結婚前から持っていた財産は、結婚後も自分の(=夫婦の共有財産ではない)ものであり、結婚後築いた財産でも、自分の名前で得た財産は、自分のものにできる。」ということである。
これは一見、公平なようだが、日本女性の就業率は1980年代にようやく50%を超えた程度で、多くの女性は専業主婦として「婚姻中自己の名で財産を得る」、つまり自力で稼ぐことが不可能な状態におかれてきた。また、女性が就業している家庭でも、不動産や預貯金などの夫婦の共有財産は、共有名義とするより、一家の主である夫の単独名義にされるほうがずっと多かったはずだ。
そのような状況下で、非嫡出子の相続分を嫡出子と同じにすると、ちょっとおかしなことが起こる。どういうことか説明しよう。
仮に甲男(サラリーマン)、乙女(専業主婦)という夫婦の間にAという嫡出子が一人、また、甲男と丙女(サラリーマン)の間にBという非嫡出子が一人いたとしよう。そして、甲男は乙女の内助の功もあって1000万円の財産を築き、丙女は独力で500万円の財産を築いたとする。つまり、3人それぞれが500万円分の財産を築いた勘定であるが、甲男と乙女の財産はすべて甲男名義となっており、乙女名義の財産は無い。
このケースで甲男が乙女より先に亡くなった場合、配偶者と子の法定相続分は共に2分の1なので、妻の乙女が500万円、子のAとBが残りの500万円を平等に分けてそれぞれ250万円を相続する。そして、後日乙女が亡くなると、その財産500万円を子のAが全額相続するので、Aの相続分は合計で750万円となる。そしてBも、後日丙女が亡くなれば、その財産500万円を全額相続するので、合計は750万円となり、ABに差は生じない。
ところが、乙女が甲男より先に亡くなった場合、乙女には名目上の財産がないので、甲男にもAにも相続は生じない。そして、後日甲男が亡くなると、1000万円の財産をAとBがそれぞれ500万円ずつ相続することになる。すると、Aの相続財産の合計は500万円にしかならないが、Bは後日丙女が亡くなると、その財産500万円も相続するので、合計で1000万円を相続できてしまう。
もうお分かりだろう。【夫婦別産制】が名実共に実現していれば、嫡出子と非嫡出子の相続分に差は無く公平だが、【夫婦別産制】が名目に過ぎず、専業主婦である妻の財産形成が難しい状況下で嫡出子と非嫡出子の相続分を同じにすると、逆差別とも言うべき現象が起こるのだ。
ここで、おそらく読者の頭には、ある疑問が浮かんでいるに違いない。“であれば、専業主婦である妻の財産形成のため、元々、夫の財産の半分を妻名義にしておけばよいのではないか?”、と。
これはもちろん可能だ。だが、ナント、夫には贈与税が課される。贈与税を支払わず、夫の収入の一部を妻名義の銀行口座に預金しただけでは、妻の財産とは認められない。(「婚姻中自己の名で得た財産」とは、労働収入や貯金で購入した財産などであり、その所有名義を問わない(最判昭34.7.14)ため。)
では、単に銀行口座を妻名義にするのではなく、妻に家事労働の対価として決まった額を定期的に支払った場合はどうだろうか?(2016年にヒットしたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』を連想した方も多いだろう。)残念ながらこの場合も、その対価を妻の財産とすることは出来ない。なぜなら、「市場」を介さずに行われる家内労働は「無償労働」とみなされ、対価も労働収入とはならないからである。
ここまで長々と書いてきたが、私は、だから嫡出子と非嫡出子の相続分を同じにすべきでないとか、夫から妻への財産分与は非課税にすべきとか、家事労働を有償労働とみなせとか、あるいは長年信じていたことも、視点を変えると全く違う見方ができる、といったことを主張したいわけではない。
言いたいことはただ一つ。【夫婦別産制】は幸せな結婚生活の基本であり、妻が個人として尊重されるために不可欠な制度だということだ。
最近、パートタイマーとして働く人たちが、「配偶者控除」が受けられる範囲内に労働時間を抑えるため、様々な業種で人手不足が生じているという報道を目にするが、【夫婦別産制】が一般的になれば、おのずと解消される問題だろう。
夫婦それぞれが責任をもって自分の収入と財産を管理し、「配偶者控除」という税制が不要になる日がくることを願っている。