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3月5日

15歳、中学3年生。卒業式の数日前にクラスでタイムカプセルを埋めることになった。誰が言ったのか忘れたがそんな話が出て決定した。箱に入れる物は自由。未来への自分に書いた手紙、中学時代の思い出に詰まった品々等ベタなものばかりだった。

そして卒業式が終わった後、裏庭に移動し、それぞれの入れ物を箱に詰め穴を掘って埋めた。

「5年後、みんなが20歳になったら会いましょう」
「いつにしますか?」
「3年5組なので、5年後の3月5日に会いましょう」

誰が言ったのかは忘れてしまったが会う約束は決まった。自分たちは3年5組に在籍していたので3月5日に会うことが決定された。

ちなみにその数日後に学校に行くことがあったので登校して教室の窓から裏庭を見た。タイムカプセルは土を浅く被せただけなので目印はとても分かりやすかった。

それからして中学校には行かなくなった。それぞれ高校に進学し3年5組はバラバラになった。



そして2021年を迎えていた。

タイムカプセルは、開いて、、、



ません!



(ん?どういうことなんだ…?)

(開けてない…の?)



そうなんです。


タイムカプセルは開けていないんです!


というか中学を卒業し、裏庭にタイムカプセルを埋めてから10年以上は経ってます。5年後って言ってました。もうすでに成人してます!働いてます!!何なら自分は地元にいません!!!だけど手紙とかネームプレートを入れたのは事実です!!!!

じゃあ、何でしないの?って思いますがその連絡どころか話が上がってません。っていうか連絡しようがないです!自分含め地元にいないから。
後、悲しいことに当時仲良かった同級生がそんなにいなかったのもあるかもしれない。

そうやってウダウダこのnoteに書いているとふとそのことについて思い出してきました。

これは又聞きした話で自分が卒業して3年経ったある日、母親と担任だったS先生が会う機会がありましてタイムカプセルのことについて話していた。

母「先生、タイムカプセルの件どうなったんですか?」
先生「あれ?そんなことしてましたっけ?」

S先生は忘れてしまっていた。「何故忘れてしまったの?」と自分は尋ねたかったが卒業してから会うことがなかったので自分の口から直接言うことはできなかった。



そうやって自分ができなかったこと、不甲斐ない、どうしようもないこれらの出来事を一部フィクションを混えた実体験を元に自分で脚本を書き、自分で演じた。タイムカプセルの話ではあるがその後日談がフィクションである。と言うかほぼフィクションの話だ。

タイトルは「メルカトル図法の約束〜破られた約束〜」(、、、だった気がする)。

メルカトル図法は恐らく高校の時に社会地理で知った言葉で意味を忘れてもメルカトル図法というワードだけは印象に残っていた。

サブタイトルの破られた約束は短大の時の授業で小泉八雲の「怪談」を取り扱った時「破られた約束」を読んだ記憶がある。内容がインパクトあったがそれ以上にタイトルの響きも良かった。

内容は完全無関係ではあるがそれを自分が知る限り、タイムカプセルのことを自分目線で、フィクションを混え、自分なりに演劇としてある程度昇華させた。

それがタイムカプセルを開ける予定の20歳の時だった。

そして今日に至る。



結局何が言いたいかというと

タイムカプセルを開けたいということだ。

当時3年5組だった自分たちで。皆集まって開けたいということだ。

だけど現状は、

連絡すら取れない。
地元も離れてしまっている。
尚且コロナで帰れない。

中には記憶から忘れ去られてしまっている人もいる。

いや、

もしくはすでに開けているかもしれない。それだったら言って欲しいし連絡して欲しい(ちなみに同窓会をするというのをFacebookで見かけたが不明。多分行われたのかもしれない)。ていうか連絡して欲しい‼️

何れにせよ3月5日が近づくとタイムカプセルを思い出していた。


追伸:このnoteは1月末に書いてすぐ投稿しようとしたがもしも何か起こるかもしれないという理由でタイトル通りの3月5日に投稿しました。

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