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63. パワーフード


食べるだけで元氣になるチカラ飯の存在を知ったのは、家族と一緒の時は、彼らを不安にさせてしまうから泣けないと踏ん張っていても突然、襲ってくる涙をコントロールできず慌ててトイレに駆け込んだり、シャワーの音でかき消して声を殺して泣いていた十数年前のこと。
死にたいと思っていたわけではないけど、毎朝目が覚めると感謝どころか「ぁぁ、起きてしまった‥」と、痛みと怯えと倦怠感の枠の中で過ごす時間が始まったことへの落胆から朝が始まっていた。

高熱でも食欲が落ちない自分が家族の食事を作る氣力も失せるほどだったから、自分のために食事を作ることはなく、ひとりの時間があれば安直に空腹を満たすものを押し込んみ、思考させないためにひたすら寝ていたわりには
何時間寝ても起き上がるのにとても時間を要し、何なら金縛りにあって怒った勢いで起きるもともしばしばで、<一家の大黒柱>なる言葉はあれど、その実、家族全員が大切な柱ゆえ、一本が不調になったら全員で支えつつ快復を目指さないと家がもたないと信じているから現状打開のために何か行動しなくてはいけないと思いつつ、氣分転換すら虚しく思うほど涸渇が著しく、何かをするという氣力が湧かないままだった。

でも、この重苦しいミッチミチの状態に風を呼ぶための何かがあるハズ。

その手がかりを得るには、出来る事なら見たくも感じたくもない自分が抱えている重苦しさや息苦しさを見て感じる以外の手段が見当たらなかったから
重苦しさをひたすら感じて言葉や音や色などに変換し、それらに心地良い風を通してくれるモノや場所があるだろうか?と自らに聞いている内にコアが生まれ育った地元にあるお寺さんの境内のイメージを差し込んでキタ。

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ほぅほぅ‥  イイかも。
とりあえずイメージの中で境内にあるベンチに座り、ゆったりと深呼吸ができたことから日頃、どれだけ呼吸が浅くなっていたのかを知った。
ここからしばらく瞑想‥ぃゃ妄想タイムに入って五感を放牧し、それまで頑として受け付けなかったネガティブな発想の全てを吐き出させてやることにしたら、どれほど強くありたいと思っても強くなれない自分に対し、
「もぅそれでいいよ‥。」と思った。(笑)
幸い誰もが認めるオチコボレを長年やってきてるものだから、考えてみれば周囲も期待なんてしてないのだから、そもそものハードルが低い。
これは幸いだ。(笑)
なんてことを考えている内に氣分がラクになってきて、無性に何かを食べたくなってきたので何を食べたいかを尋ねると、思考が色んなものを思う浮かべては「違うなぁ‥」と呟いて、再び思い浮かべては「これでもない‥」と
やっているので、そのまま境内と空を交互にボーッと眺めていると、

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と、予想だにしなかった答えを引っ張ってきて驚きつつ、母のおにぎりを思い出したらジーンとしみて抱えていた重苦しさが溶けるのを感じた。
購買意欲を掻き立てる健康志向の成分と書いて能書きと読むものとは別の
自分にとってのパワーフードは、母の作ってくれたおにぎりだったことが
判明。
自分が生まれ育った町と家には、自分が必要とするものが無いはずがないという理由なき確信がまず最初の風を呼び背中を押してくれたから助けを求めることにした。
母にお邪魔したい旨を伝えると「お昼何がいい?」と聞いてくれたから 「おにぎりが食べたいんだよね。」「ぇぇ?おにぎり?」「そう、お母さんの鮭のおにぎり。」と答えると「そんなもんでいいの?(笑)」と言うので、事情をザックリ伝えると、よく分からないながらも作ってくれると言ってくれた。
幼稚だと思われようが何でも良いから生まれ育った土地と家に100%で甘えさせてもらう氣満々で訪れた。

まずは、境内のベンチで内側の放牧をしつつアレやコレやの告白をした。
根っこが生えてしまうんじゃないかと思うほど想像以上に居心地が良くて
夢中で鳩と遊んでいた子どもの頃には受け取れなかった情報を回収できた。
この心地良さに完全に浸ってしまう前にきっと母から‥‥と思った所で、
スマホの着信メールの音がした。おそらく母だ。
「まだ来ないの?」とでも書いてあるのだろうと思いながら確認すると
まんま書いてあった。(笑)

仏壇の祖父母に挨拶をしてからお楽しみのおにぎりをパクついた。
特別な米でも塩でも鮭でもない、ただ母が作ったおにぎりが自分にとっての
特別だ。
母の無意識の領域にある愛のエレメントである、おにぎりを食べられることが今この瞬間の幸い。

「ホントにこんなんで良かったの?」
「うん。これが食べたかったんだもん。」

涙目でおにぎりを頬張りつつ、自分も子どもが本当に涸渇してしまった時に
同じことをしてあげられる母でありたいと思ったことは今でも変わらない。


実家に泊まった際、美味しい海苔でおにぎり食べようということになり、
握っていると、

「あら‥三角握れるの? アタシ出来ないのよね。」
「前にも言ってたよね。でもね、三角の方がラクなんだよ。」

「へぇぇー‥  どうやって作るのかも分からないよ。」
「まぁ 両方できると中身が違う時が便利なくらいだよ。
 今までそれでやってきたんだからインじゃない?」

「そうね、今さら三角にしろって言われてもする氣もないわ。」
「うん。(笑)」

70歳を過ぎてから独学でパソコンをマスターした母とは思えない、この 小さな小さな弱点が実は好きだったりする。
『生』とがっぷり四つで生きていた母が今月、81回目の誕生日を迎える。
富士山の話になると、疎開先の三崎で見た富士山が人生で見た富士山の中で
一番だったから、決して良いことがあったり楽しかった場所ではないけど 懐かしいから死ぬ前にもう一度行ってみたいと度々言っていたので、バースディドライブを提案したところ、とても喜んでくれた。
その時のイメージでは、妹もいたのだけれど誘っても仕事だったら逆に申し訳ないので黙っていたら、妹から「お母さんに電話したら誕生日にドライブ行くんだって? その日休みだから良かったら同行させてー♪」とメールが 来てイメージ通りのドライブとぁぃなりそう。

久しぶりに良い感触のワクワクが自分の中で音符と共に弾んでいるのを感じている。



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