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126. 自分が望む世界への途中

學生の頃だったろうか、寝転がってボーッと
していた時に、もし、人間を食べる生物が
いたら、自分達も牛や豚や鳥のように身動き
できないキッチキチの柵で間仕切られた中に
押し込められ、その氣もないのに知らん男と
交尾させられて命がけで産んだ子どもを抱き
しめることもできずに取り上げられ『やわら
かい赤子肉』とかラベル貼られてスーパーに
並んだり料理され、命の尊厳など無視された
単なる『食べ物』として旨いとか不味いなん
て評価くだされるのかしら‥
なんて想像を突然したことがあった。


もしかして、とんでもない事してない?


当時のわたし‥ぃゃ、今のわたしでもあの時
の血の氣が引いていく言葉にならない恐怖は、
取り返しのつかない過ちに氣づいたソレだと
今ならわかる。
身近なオトナの両親に、このままで大丈夫
なのだろうか?と問うても答えは毎度の

『しかたない。』

この『しかたない。』は、呪文であるかの
ように見事に自分の中で声をあげた疑問や
違和感を沈黙させ、寝ぼけ眼のわたしを
再び眠らせた。
こんなことを繰り返して來たから今回の
567茶番で二度寝している人々への指摘を
見ても、自分なんざ何度寝なのかさえも分か
らないほどだもの、二度寝ならまだ救いがあ
ると断言できる。(笑)

全世界がカオス状態で、多くの人が悲しみや
苦しみの中で耐えているように観えるし、
何なら人類オワタようにも観えなくもなくて
連中のストーリーに乗っかれば本当に終わる
のかもしれないが、波乗りなら乗らないハズ
がないほどのビッグウェーブ級のカオスは、
連中だけでなく、聖靈も放っておくワケが
ないと確信しているのは、8月の曝露体験
で噴出した前代未聞級の怒りや悲しみを
コントロールするのにモタついていたら
無意識に閉じ込めていた鬼を暴走させて
しまった自分の観察を継続している中で、
あの状態で鬼をコントロールしてこれまで
同様に鬼の存在を無視し続けることは出來
なかった。
不可避だったのなら必然。
聖靈なら間違いなく癒しのプロセスを
サポートしてくれるに違いない。
で、出て來たひとつの答えだ。



これだけデカイ波が來たのだから、心身の
回復と共に再び自分本來のラインに戻れると
思っていたら、新たな波が間髪入れずやって
來たのが冒頭の想像話の『肉食』だった。


ひと昔前、ヒーリングクラスに通い始めた
直後から突然體が、酒・たばこ・肉を受け
付けなくなったことは、長きにわたりお付き
合い頂いてる皆さんは、お馴染みのエピソー
ドだけど、脱肉食生活がもうすぐ10年という
寸前で何故か肉食(主に鶏肉)が復活し、家族
と同じメニューを食べる日もあることが増え
たが、それも1~2年ほどで再び一切受け
付けなくなった。

最初の波では、自分だけが食べないという
選択をした上で家族の肉料理を作ることは
苦痛ではなかったのだけれど、今回の第二波
では、肉を観たり触ると『沈む』のを感じる
ようになったのが大きな違いだったりして、
自分だけが食べなければ良いという氣樂さ
だけではないからスーパーで買い物リストを
思い浮かべつつ油断して移動してると、精肉
売り場が突然目に飛び込んできて「ぅぉっ💦」
と、のけ反るほど焦ったりして、未だ第二波
に慣れない所に立て続けに流れてきたのが、
動物たちが命であることや、その尊厳を完全
に無視された状態で精肉にされる過程の情報
だった。

彼等への残酷非道な扱いについて知らない
ワケじゃないし、動物虐待は、わたしの怒り
と憎しみのスイッチをオンにしてしまうこと
から、できるだけスルーするようにしてきた
けど、鬼を暴走させた際、その存在に氣付き
ながら無視して心の平安のためにお花畑を
観続けるってのは無理があると痛感したこと
もあり、ソフト路線情報開示として文字で
その様子を伝える記事が流れてきたので
覚悟を決めて目を通した。

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その翌日には、国内メーカー<二本公>の
処理工場での動画がまわってきた。
観たくないんだよ?
観たくないけど、このまま此処に止まってる
のはもっと嫌だから観た‥‥

目の前で泣き叫ぶ母豚と子豚が、あの時の人
間畜産の想像と自分や娘が出産したことと重
なり、心穏やかとは程遠い状態になることは
覚悟の上だったとはいえ、たまらず

今まで知ろうとも
しなくてごめんなさい!


と声を上げて泣いた。
本当にこれでいいのか? これはいいのか?
あの時の疑問が再浮上。
この手の話は、取り上げられる度に利益追求
と雇用問題の壁に『資本主義とはそういうも
の。」でアッサリ潰されてきた。


たださぁ‥
世界が変わるのに、このままで良いんかね?
何か他にやり方があるんじゃないのかね?


感謝ヲササゲテルカラ大丈夫。


うん、そう答える大人は沢山いたんだよ。
それを聴くたびにね、そっか☆と思う自分と、
ハァ?(゚Д゚;)と思う自分が同時にいたんだよ。
でも、「ジャア、オマエニ何ガ出來ル?
何モ出來ナイナラ仕方ナイジャン。」

何度も寝てきたわけだけど、真の感謝を捧げる
ことが出來るのなら全てがエネルギーのこの
世界で有効に働くかもしれないけど、真の
感謝を捧げることが出來ない場合は?って。
『真の感謝』って言葉にするとメチャやや
こしくなるからと思って説明すると更なる
ドツボに入るだけだから敢えて説明しない
けどもね?w
要は、それが出來る場合とそうでない場合が
あると思ってるんだよね。


でもってよ?
ヒトのスペックは草食動物に近いハズなのに、
そんなに肉食して大丈夫なんだろかね?
という単純な疑問も生じてたりもするし、
更に、もともと現代医療不信ありきだったの
に拍車をかけた567茶番からの人ロ削る汚注
射登場で、これまでの『あたりまえ』を疑う
ようになってるものだから、何なら肉食も
共喰い大好きトカゲDNAによる洗脳なんじゃ
ね?と疑ってもいる。


そうだね。
わたしには何もできないよね。
出來ないからこそ、ぼんやりアウトライン程
度の情報を知っているつもりでいながら、
これまで目の前の料理に、命や魂を真に感じ
ることも感じようともせず、旨いだのイマイ
チだのとジャッジして食べてきたからこそ、
現場の状況を知ろうと思った。
食べるなら知るべきだとも思った。
これもね、どんだけ輪廻を繰り返しても罪人
としての手足の枷から解放することを許さない
自我の策略なのかもしれないけど、今のまま
ではお花畑を観て「はぁーしあわせー♪」なる
言靈を発することは難しい。
それが出來るのは、自分を許せた人だから。
知らんけどもwwww

こうした良くも悪くも強烈な動画には発信側
の『意図』や『誘導』や『復讐』の氣配を
感じなくもないが、自分を許すための教材
として現れたものとしよう。


パートナーに話した所、「俺は、栄養素とし
て必要だと思ってるし好きだから食わなくて
良いとは思わない。農耕民族時代だって全く
食ってないってことはないだろう。
そんな動画を観たら四本足がダメなら魚だっ
て野菜や果物だってダメだろって俺はなる。
ヴィーガン通り越して生き物全てが食べられ
なくなる、つまり食べられるものが無くなる
からから観ない。」
と怒られた。


彼は、567茶番下でも、極力<真ん中>で
あろうとする。
何故なら、顔オムツして接タネする人々と
そうでない人が同じに観えるからだそう。

真理だwwwwwwww

彼の『世界の愛し方』が好きだ。
怒りまみれで此処にやって來たわたしには
心掛けてもすぐ挫折することを自然にやって
のける。

なんてことを考えていたら、これもまた
自分を癒すための教材であることを思い出して
心の水面が大きく波立っていたのが静かに
なっていくのを感じた。



何も起こっていない。


ACIMにあった言葉が響いて自分の望む世界に
思いを馳せた。
彼等が友として、きょうだいとしていてくれる
世界に。

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