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99. 美しいヒトよ

ここ数年、身近な存在が旅立って行くことが続いていることから終活が頭の片隅に常にある。
といっても、財産というものは無いから残った者が処分に困るであろうモノを処分しやすいように片付けているだけなのだけれど、案外大変なのが紙モノで、その中でも冩眞はダントツで大変かもしれない。
デジタル化以前の親世代は、何でも冩眞に撮るという自動プログラムが実行されているから、その数たるやハンパない。

時代をざっくり区切った中から恋しさを埋めてくれるような冩眞を選んで残し、わかる範囲で時系列に保管していくから時間がかかるのだけれど、自分が知っている義父母や父母の若かりし頃の冩眞や添えられたコメントを見ている内に彼らの人生を知りもしないのに『確かに生きて命を輝かせていた。』という事實を表情から感じたら、彼らの人生にまるごと愛おしさが湧き上がりアルバムを抱きしめてあふれた涙の名前は分からないけど要らないから知らなくていい。
夲当に処分してしまって良いのだろうか‥?と躊躇いが声をあげたので原点に戻って作業の目的を再確認してエイヤさ!と。
仕事と家事と休憩の除いて都合4日間ほどで作業完了。
妙な達成感はあれど、それをコントラストにしないよう均して何も起こっていないの内におさめた。

アラ‥わたしってキレイだったのね。

若かりし頃の冩眞を見て素直に思った。
とてもキレイだ。
でも、キレイなのは自分だけじゃなくて、義父母も父母もパートナーも若さが放つ生命力とでもいうのだろうか、命の輝きがそれぞれに美しい。
我々を美しい存在として見守る<存在>の視点を一瞬垣間見れたのかもしれないなんて思ったりして。

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