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44. またしても・・・


知ることによって何も知らなかったことを思い知らされ、またしても・・・と受け入れ難い不条理に、激しい怒りと深い悲しみは過去世の記憶(感情)にまでに及んだ。
精神衛生を考慮するならここで遠ざけるのが正解だったのかもしれないが、のめり込みつつ不安を覚えたら『知るべき通過点』であるとコアが言った。
そう、あくまでも通過点で、憎しみや怒りや悲しみの中で打ちひしがれることに浸っていれば良いわけではない。
それでは自分が創り出した彼らの<回路>と何ら変わらないことになる。
無慈悲な所業の数々が自身に由来していることは明白。
ホログラムの彼らにひとしきり感情を吐き出したら次に進まねばならない。

あなたが現実といっているものは、眠って見ている夢と同じ。

と奇跡の道(ACIM)の中でイエスは言っている、それを選ばなければきっと、此処に居る意味が無い。
何かがある。
誰かがいる。
それら全てが自分由来のホログラムであるとしたら、この世界にいるのは 自分の意識だけということになる。
なんのために?
自分を許すこと以外考えられない。
カルマという世界観は、この世界に閉じ込めようとするチカラが働いているような氣がして嫌いだ。
命が永遠でカルマが存在するならヒトは永遠に救われなくない?
ぃゃー 悪趣味すぎて面白くないゎー。
それでも、カルマを必要とする時やヒトはいるのは何故か?
これまたやっぱり自分を許すためのプロセスだとしか思えない。
ってことは、この世界って自分のためにあって、自分中心に回ってるんじゃないの?と。

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世界が自分中心に回っているなら、もっと選ぶべきストーリーがあっただろうにとイマサラ。
自我は時間が無いとあきらめさせることに躍起になるけど、ぃゃぃゃぃゃ、
こんな時に現れるサポーターは必ずいる。
今回は、めいこさんだった♪
いつもネジまいてくれてありがとう。


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