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229. 座標

知覚しているモノやコトしか
認識出來ない我々が、何かを、
誰かを観て反応する感情や
思考が教えてくれることは、
自らの〝状態〟だ。
そのように認識したものを
自分が持っているこそなのだと。
それに抗ってみてもこの世界の
仕組みゆえに覆ることはない。
先日、不愉快なマウントに遭遇し、
なんなんコイツ💢キモっ❗️と、
久しぶりに怒りの目盛りが高速で
爆上がりしたのを味わいながら、
ぁぁ、わたしが抱えているから
こそ観ているものなんだな。
ごめんね、かつてマウンティング
しちゃった各位。

と呟いて聖靈に託した。
この所、立て続けにマウンティング
行為を第三者的な立場でも頻繁に
観かけるので、そうした行為に
及んでしまう自分の意識の訂正と
手放す時が迫っているのだと感じて、
内心、ワクワクだったりウキウキ
だったりしていたりもする。
制限となる言葉の枠におさまること
もなければ、名すらもない本來の
自分に還るために身軽になることは至福。
わたしの人生には、自分は何故、
こんなにも他人と上手く関われ
ないのだろうか‥と問うてきた
一面がある。
思ってもいない事で相手の氣分を
害したり、害される事に恐怖すら
おぼえるようになってきて

悪化してね?wwwwww

とすら思う事もあるが、投影し合う
事で認識に至る世界ゆえ、誰が
何を観てどう思おうが、それは
ジャッジした者のみ有効であり、
勘違いである事を理解するまでの
暫定的なものでしかないという
基本を思い出せるようになって
いるのは幸いだ。

この所、
噛み合わない会話をしている時や、
そうした会話を目の当たりにして
いる時に必ず差し込まれるイメージがある。

それは、幾何学模様のようであり、
蜘蛛の巣のようでもあり、張り巡ら
された電波の網目のようでもあって
何なのだろう?と思っていたら
『座標』と響いた。
我々が認識している左右や高低の
ポイントに意味はなく、ただそこに
自分の意識が在るだけだから善悪も
ないらしい不思議なイメージに、

こういうことね〜 d(*´︶`*)

と、わたしの何処で何かが腑に落ちた。
人の数だけ世界があり、その人は
その世界の創造主であり、創造主
各位が観てる世界は似ていたり近い
ものではあっても決して同じ世界を
観ることはないと思って久しいの
だけれど、そこに『座標』が
加わった事で、感情が揺れている
時間が飛躍的に縮まったのは
ありがたい。

左右、高低、善悪‥といった
目盛りが一切ない座標上に散らばる
ように配置されている星々の創造主
である我々は、一つとして同じもの
を観ることすら出來ないのに、一つ
として繋がっていない星が存在しない
という采配キセキの瞬間を積み重ねている
のだなぁ………と思った時、

あんたも好きねぇ

と響いて吹き出した時、
自我がこの世界をどう受け止め、
どのようにジャッジしようとも
好き好んで〝この座標に在る〟
ことが真実であることを
ようやく受け入れられた氣がした。

この記事を書き始めたら頭ん中で
繰り返し流れてた曲のソノココロは
謎のまま動画を貼っておこう。


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