昭和の頃の話 私の父編
また、昭和の頃のお話しをしてみます。
少し前にキノコ狩りのお話しをしました。
私の父の実家は、マツタケ山も持っていましたが、田んぼや畑、家畜、お蚕さまもやっていた農家でした。
お蚕様は当時は大切なものとされていたので、お蚕様と「お」も「様」もつけて呼ばないと「線香付けるぞ」と叱られました。
この「線香つけるぞ」は今で言う、タバコの火を近づけるぞ、という脅しなのですが、子供にとっては怖かったです。
本家のある地域には同じ名前の家がたくさんあるからか、屋号がついているような大変古い家でした。
後に家の建て替えをした時に、美術館の方が立ち合いに来られましたが、ただ古かっただけで、お宝はなかったようです。
父は9人兄弟の長男で、一番下の弟とは18歳も離れていました。
本家でお盆や餅つき、お正月に親戚が集まると大変な賑わいとなります。
私はたくさんのいとこに会うのは楽しみでしたが、実は、ニワトリが放し飼いになっているのが怖くて行きたくない気持ちもありました。
男尊女卑のような風潮の家でしたので、お嫁さんは座ってなんかいられずに、隅っこでササっとご飯を食べ、まるで召使いのような扱いに見え、私は、農家に嫁ぐのだけは絶対にやめようと思ったものです。
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