絵から読み解く髙地優吾という人
まえがき
有料ブログである「優吾のあしあと」
そこで突然始まった100日間の「こちゆごチャレンジ」という画伯の自覚がある彼が毎日イラストを描いてアップするという企画がある。
現在72日目までアップされているのだが、あまりにも普段語られることのない「髙地優吾という人が世の中をどう見ている人なのか」が溢れていて我慢できなくなってしまったので、100日目に至る前にみんなに私なりの分析結果を伝えたい。
残り4週間を噛み締めて欲しい。
そんな思いでこれを書いています。
おことわり
冒頭に書いた通り、有料ブログなので購読していない人には何のことやらわからないかもしれません。その前提で読んでいただきたいです。
私は彼の絵をキャプチャしている訳ではないので、何日目に描いたものか、などは忘れています。
根拠として挙げる例は色々ある中で印象的なものへの言及です。
私は心理学者ではありません。この手の分析と関係ありそうなところを言うなら占い師です。
絵から受け取ったこと
感覚派 - 理詰めではない
アリの絵の脚は胸から4本、腹から2本生えていたし、パソコンのエンターキーはキーの形ではなく印刷された矢印の形に影響されている(たぶん)
これは、彼が「細けぇことはいいんだよ」というマインドで生きていることの反映だと思われる。
→モノを形ではなく機能で見ている。世の中の些末な部分に囚われずに自分軸で生きている
自分ルールがある - 物事はケースバイケース
基本的には翌日に「昨日は〇〇を描きました」と教えてくれるスタイルであるため、伝わるかどうかを本人も楽しみにしている節があるのだが、絵の中にはたまに文字が書かれる。たとえば、アルコール消毒剤のポンプには大きく「消毒」の文字が書かれていた。
普通であれば、絵で何かを伝えるチャレンジで文字を書くのはご法度だが、そんな常識には囚われないのがこちゆご。
一方で、神社など文字情報を入れれば伝わりやすいものでそれを省くなど、文字情報が「伝えるため」に書き入れられているわけではないことがわかる。
→基本的に行動は読めない。客観的には一貫性がないように見えるが、おそらくそこには彼なりのルールがある(商品名を「SixTONES」をモジった名前で置き換えるなどの感覚がある)
想像で描くと外形を失う - 抽象表現の才能を感じる
想像上のヒーローや、イチョウなど輪郭線を取っていない絵がたまに出現するが、描きたいものが仮面(たぶん)の目が鋭いことであったり、葉の表面のシワの質感であったりというディテールであって、全体像ではない感じが、バラエティのコメントで細部に焦点を当てることでリアリティを伝えるこちゆごイズムに通じている。
物事の本質を肌感覚で掴む人なので、抽象的なお題を質感のある画材で描いてみたら大化けする可能性があると思う
→知識ではなく感性で生きているので、具体的な部分、たとえば数字の把握は基本的には苦手だと思われる(ただし、日頃の言動から、購入するモノの値段などはきちんと調べて適正価格を把握していると思われる)
まとめ
こちゆごチャレンジから浮かび上がる彼の基本性質は「外界に惑わされず自分の感性に従う」だ。
他者からの評価の良し悪しが、自己評価の良し悪しに直結しないタイプだと思われる。
苦手意識が薄らいだせいなのか「うまく描けた」という自己評価がくだされることも増えてきたのだが、正直なところ、私には他の絵との違いがそれほど感じられない。ただ、表現したかった玉と本体の差が描けたんだろうな(けん玉)、鼻緒部分とそれ以外の質感の差が描けたんだろうな(サンダル)のように、自分の表現したいポイントに満足しているのではないかな、と考えている。全然違うかもしれない。
少なくとも、題材の選び方を含め、言語化されていない部分の「髙地優吾の世界の見方」が明かされる良企画なので、改めてみんなで大切に見守っていきたいところだと思う。