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週刊文春はデスノートとなり破滅の道へ

『DEATH NOTE』(デスノート)という漫画を知っていますでしょうか。
その漫画には死神のノートである「デスノート」が登場する。デスノートは、名前を書いた人間を死なせる(殺す)ことができるノートである。
最初は、正義の名のもとで、法で裁かれない悪人を処罰し、世直しを考える。しかし、時間が経つにつれ、純粋な正義は歪んでいき、善悪関係なく自分の都合の悪い人を殺していく。そして破滅に向かう。

このようなものがあったらいいなと一瞬思う人も少なくないだろう。でも冷静に考えると、こんなものがあってはいけないと多くの人は思うだろう。
法治国家である日本において、法のもと裁かれることが原則でなくてはならない。
誰も独断で裁きを与えることはできない。まして嫌いだからという理由で処罰を与えることはできない。

週刊文春という雑誌がある。
政治家の不正を暴くなど、正義の名のもとに世直しを行うことを建前としていた。
その正義が、芸能人の不倫を暴くことを主にしていく。これがヒットし、多くの支持者を得ていく。
それからは、
週刊文春が掲載→ネットニュースで拡散→支持者が対象者をネットで批判→テレビのワイドショーが連日報じる(嘘であることも事実として報じられることになる)。
そして対象者は社会から抹殺される。

週刊文春はデスノートを手に入れたと等しい。証拠がなくても対象者を記事にすれば、マスコミが、支持者が、社会から抹殺してくれる。何事においても、文春が正義で対象者が悪であると信じ込ませることに成功している。

いまこの不条理を世に問うてる人がいる。
ダウンタウンの松本人志氏である。
文春掲載の記事は、事実無根(証拠も根拠もなくでたらめである)であると主張し、文藝春秋を訴えている。
裁判を通じて、日本国民に訴えかけているようにも感じる。

週刊誌という存在がどのようなものか。
マスコミの偏向報道。
国民の情報モラル。

文春がデスノートとなってしまったいま、いつか破滅(廃刊)の道を辿るだろう。

しかし、その前に一刻も早く、
一人でも多くの人に気が付いてほしい。
文春がデスノートに名前を書き、マスコミや支持者が社会的抹殺行為を行なっていることを。

そして、晴れて松本人志氏を待つ人たちが、再びダウンタウンで笑える日がくるを願ってやまない。

〈了〉

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