ADHDな子供の母親のこと【第1章 別れ編】その2
前回のように蝶々結びすら満足に覚えないだけでなく、不規則発言を繰り返したり夜な夜な喘息の発作を起こす我が子。学校の音楽教師だったこともある母はやはり異常や危機感を感じていたのでしょう。幼少期は休みが日曜日しかないお稽古ごと尽くめの日々でした。中でも母は得意分野のピアノのレッスンに情熱を注ぎ時に厳しくお稽古を私に強いるのですが、バイエル通り弾くことや鍵盤を覚えることに興味がない息子にピアノを教えるだけでも骨が折れたのではないかと思います。
小学校に上がる頃にようやく苦手なピアノから解放された私と、母の間には一つの約束ができました。それは「外国人だとは同級生や友達に打ち明けてはいけないよ」という約束。当時すでに理屈っぽかった私は母に散々「なんで?」「どうして?」「何でいけないの?」と様々質問し、「仲間はずれにされるから」「嫌われるから」という母からの答えをインプットした後に、母との約束に素直に従おうと思ったのでした。
ADHDの子供の理屈っぽさがわかるエピソードとしてもう一つ。小学校に上がる前のその頃、1人でお留守番をしていたところ、帰宅してきた父と母は玄関で私に、興奮気味で突然迫りました。
「お父さんとお母さんは今から離婚する。どっちと一緒にくる?」と質問する両親。突然の事態にどっちも選べない私は「2人と一緒がいいし、選べない。一緒に暮らす方法はないの?」と素直な気持ちを問い返しましたが答えはNO。
「では妹と弟がお母さんと一緒なら、お父さんが1人でかわいそうだからお父さんと行くよ!」と、幼児ながらに大人びた返答をしたにも関わらず、何故か父に説得され母と実家に向かう道すがら
「じゃあ最初からきかなくていーのにな」などと1人で考えつつ「お父さんと仲直りしようよ。みんな一緒がいーよ」と母への説得を続ける私はやはり、この数年後に家族を引き裂く大事件が起こるとは思っていなかったのでした。
続く。