「嫉妬」の発見
個人的に今年一番の発見だったので書いておこう。
成り行きで1年ぐらい、300人ぐらいが毎月遊んでいるゲームコミュニティを運営している。discordというボイスチャットができるアプリを活用したものだ。
定期的に届く「たまり場ボイスチャット」への意見
当初、私は、この意見の意図がわからず見当違いの回答をしていた。「特に問題ないです。この行動を注意するつもりはありません。」
ルール上禁止していない。ボイスチャットの枠もたくさん他に存在するから他の人が使えないわけじゃない。しかも、実際には毎回同じ人がいるわけじゃない。ある程度人は入れ替わっている。何が問題なのか。
その場で募集してなくても「明日も何時に集合しよう」とか、「○○さんがいるなら、入ろうかな」と人が「たまり場」に集まってくることもあるだろう。仲良くなったなら、そういうこともあるのでは?程度の理解だった。
「自分がその輪に入りたいのに入れない」という感情
ある人に教えてもらった。「それは、自分もその場に入りたいのに入れない、という感情ですよ」。つまり「嫉妬」というらしい。
なるほど!!!!私としては、ゲームで遊びたかったら自分で募集すれば人は集まって遊べるし、他人がどのように遊ぶかを気にしたことがなかったので、その観点は完全に抜け落ちていた。
世の中を「嫉妬」というレンズを通してみる習慣がまったくなかったように思う。このレンズを手に入れることで、理解できることが増えた。
これも最初感想は「どう思いますか?といわれても、別に問題ないのでは」だった。
「嫉妬」というレンズで見るとわかる。昨日自分と遊んでた人が、今日は他の人とも遊んでいる、そのサーバには自分も入れない、「ずるい」、という感情なのか。それでも、「それを私に言われても」とは思ってしまうが。
頭ではわかるが、まったく腑に落ちてない
教えてもらった瞬間は、本当に今年一番の発見だったように思えた。長年自分に抜け落ちていた視点だからだろう。
でも、体感的にはまったくわかっていない。私は、理解できない事象があったときに、自分なりに理解できるパターンに置き換えることを意識している。
例:おじいちゃんにとっての盆栽は、私にとってのガンダムのプラモデル。もっと若い人ならマインクラフト。
まだ嫉妬に関しては、自分なりにしっくりくる理解がないけど、とりあえず書いてみた。
今回は以上です!