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間鞘ンの好きな作品語り①「現代3コマ 」─雀100

現代4コマを作り始めてから日が浅い私が、「あくまで好きな作品語りであり、知識に裏打ちされたような高尚なものではない」と逃げ道を作った上で始めた評論もどき。

続くか分からないが、今回は雀100さんの作品集「現代3コマ」について解説する。
作品集という形式上、取り上げるのは全体を通しての解説と、その中の数作品を抜粋したものだけになってしまうが、ご了承いただきたい。

まずは基本的な解説から入るので、まだリンクは踏まなくても良い。先に一人で見たい人は是非どうぞ。

内容の概説

これは現代4コマ作家(現代4コマ以外のものも作っているが、便宜上こう表記しておく)の雀100さんによる、「現代3コマ」の作品集だ。

この作品群に属する作品は、どれもいわゆる「純粋4コマ」から2コマ目を抜いたようなものが基本形になっている。
回転したり、部分的に変形したり、塗りつぶされたりされることはあるが、この基本形が大きく変化することはない。現代3コマの作品集は、これらの基本形に一つ一つ異なるタイトルが付けられた物なのだ。
ここまでが現代3コマの、基本的な、見ればすぐ分かる部分の説明である。

さて、ここまでの説明を聞いてあなたは、現代3コマの作品群は同じものの繰り返しで単純な、退屈でつまらないものだと感じたかもしれない。
実際ここまでの説明では「基本的には同じ画像で、タイトルが異なるものが続く」としか言っていないのだから、この説明を読んだだけだとそう感じるのも無理はないだろう。

しかし、私はそれを強く否定したい。

現代3コマは、単純な形態の繰り返しを用いながらも、異なるタイトルをつけ「作品集」という発表フォーマットを用いる事で、一つ一つを全く異なる作品に昇華させた、類稀なる作品群なのである。

作品レビュー

ここから細かい解説に入る。現代3コマの作品集からいくつか抜粋し、その作品内容に触れるので、ネタバレを避けたい人は読み進める前に鑑賞してきて欲しい。

ネタバレ嫌いな人、読んで来たね?

では、まずは冒頭の三作品に触れよう。
最初に登場する作品は「あいつに取られた」。

「あいつに取られた」
(雀100、作品集「現代3コマ」より抜粋)

このタイトルと画像を見ただけで、「あいつに取られた」という文面と2コマ目の欠落が結びつき、2コマ目が「あいつ」に取られてしまったという事実が難なく想像できるだろう。

現代3コマにおける「コマの欠落」の部分を「取られた」ものに見立てることで、大事なものを取られてしまった気の毒な少年の姿が脳裏に浮かぶ。タイトルと画像からの連想だけで多くを語る、現代4コマでも見られる表現のテクニックが光る。

さて、ここで続く二作に注目したい。

「四千頭身」(同上)
「モンティー・ホール」(同上)

もうお気づきになっただろうか。この作品集、「コマの欠落」がテーマに結びついているとは限らないのである。

「四千頭身」はトリオのお笑い芸人、「モンティー・ホール」は三つの扉と景品を用いた思考実験がタイトルの由来で、どちらも「3」にまつわるタイトルがつけられてこそいるが、「4から1が欠落した状態」というわけではないのだ。

ここで我々は、自分たちが日頃から現代4コマ、あるいは4コマ漫画に親しんでいる事で、本来「​空白の空いた3」でしかないものから無意識に「4」を見出していたことに気付かされる。

最初の作品が「タイトルと空白から連想させる」作品だった事を逆手に取り、こちらの無意識の偏見に気付かせる。作品集という形式を活かした素晴らしい魅せ方だ。

この着眼点は、少し先の作品「お前は4コマにはなれない」にも見出すことができる。

「お前は4コマにはなれない」(同上)

一見すると一作品目のように「欠落」をテーマにした作品のように感じられるが、ここで先ほどの「本来これは『空白のある3コマ』でしかない」という着眼点に注目してみよう。

「4コマになれない」のは何故か。2コマ目が欠けているから、という事は自明である。では果たして、それは「欠落」なのか。

この作品のタイトルは「お前はもう4コマじゃない」ではない、「お前は4コマになれない」だ

元々は4コマであったが何かを失ったのではなく、元から何かが欠けた存在であるが故に、4コマとしての素質を持ち得なかった、と捉えるのが自然であろう。

つまりこの作品は「欠落」ではなく、「才能や素質がない」ことを表しているのである。

それにしても、見ているだけで慰めたくなる3コマだ。彼が「3コマとしての自分」を肯定できるか、あるいは「足りないもう1コマ」を見つけられると良いのだが。



少し話が逸れたので本題に戻る。

見る側の「無意識」を逆手に取った作品はこれだけではない。

ごめん父さん 母さんに着いていくことにしたんだ」では、1コマ目と2コマ目の間(元が4コマだとすれば1コマ目と3コマ目)の空白を「距離」として表している。

「ごめん父さん 母さんに着いていくことにしたんだ」(同上)

タイトルから空白を「距離」に連想させ、「隙間のある3コマ」を鑑賞者の手で「2コマと1コマ」にしてしまう技量。

何を隠そう、私はこのテクニックを見て「現代3コマのことを語りたい」と思わされたのだ。

同様のテクニックは「掃除だから机前に出して」でも用いられている。

「掃除だから机前に出して」(同上)


縦配置だと今まで「1  34」だったところを、この作品では「12  4」にする事で、「前の列から机を動かしている」様子を連想させやすくする一工夫がニクい。


最後に、現代3コマの作品群の中でも特に異質な作品を紹介する。

解説するのが無粋とも言える作品なので解説は省略するが、ここまで読んで作品を見た皆さんであればその意図するところは分かるだろう。皆さんの手で読み解いてほしい。

「3人で肝試し」(同上)

終わりに

ここまでのレビューで、皆さんにも現代3コマの奥深さを分かってもらえただろう。

基本的に同じ画像でありながら、タイトル一つで鑑賞者の意識を操り、鑑賞者自身の手で異なる光景を想像させて「異なる作品」にしてしまう。

この唯一無二の鑑賞体験こそが現代3コマの面白さであり、作者である雀100さんの技量の凄まじさなのだろう。

基本的には同じ画像を「全く異なる複数の作品」に見せるような作品作りができるという事は、すなわち「一枚の画像から複数の要素を見出す」ことができるという事だ。
視野の広さというか着眼点の良さというか、連想力の強さというか。
先日の「8/8」の作品集でも感じた事だが、やはりそう言った部分がとても上手な方だと思わされた。

素晴らしい作品を届けてくださった雀100さん、本当にありがとうございます。だいぶ好き勝手に解釈してしまいましたが、どうかご容赦ください。

最後に、この記事についてのことを少しだけ。
なんとなく勢いでタイトルに①とつけてしまったものの、次があるかは未定。元はと言えば「現代3コマ」を語りたいというだけの勢いで始めた記事だし。

ただまあ、現代4コマ関連に限らず気に入った作品は語りたくなるタイプなので、その時には第二弾を書くだろう。
基本的には「その時語りたい作品を語る」形になるだろうから、急に現代4コマとかアートから外れて「好きな作品語り②:『アメイジング・スパイダーマン2』」とかが公開されるかもしれない。

その時は…まあその時に。

ではまた。

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