ダウン症の確定診断 我が家の場合

興味本位で受けた4Dエコーで胎児の十二指腸閉鎖か狭窄の可能性を指摘され、その足で大学病院へ行くよう指示されたのが妊娠28週の終わり。

その日のうちに受けた大学病院での検査で可能性は事実に変わり、翌日からの管理入院が決まった。

赤ちゃんは出産当日か翌日、なるべく早い段階で十二指腸の手術を受けることになる。入院の説明とともにそんな説明を受けたはずだが、平静を装うことに全力を注いでいたので、途中からその辺の記憶が曖昧だ。

赤ちゃんを健康な体で産んであげられないことが申し訳なくて、入院の説明を真面目な顔で受けたあと、家まではとても我慢できず、病院のトイレの個室に駆け込んで、文字通り大泣きした。

今思えば、私全然悪くない。誰も悪くない。泣かなくてもいい。どうにもならないけど起こること。人生あるあるだ。

大丈夫だよ、元気にかわいく、時に生意気に、すくすく育つから安心して、とタイムマシンで個室に潜入して教えてあげたい。

けれど母になりたての当時の私は、お腹にいる胎児の健康を守るのは母として最低限の責任で使命だと思っていた。

それが、守れなかった。出産前にして母失格。どうして、どうして、どうして、何がいけなかったの。と思っていた。妊娠中のメンタルの崩壊速度はすさまじい。

翌日、入院してすぐ、初見の先生にエコーの機械で腹皮越しに赤ちゃんをグイグイ押されて「うちの子に何すんじゃいっ」とムッとしている私に、

赤ちゃんはダウン症を持っている可能性があること

が告げられた。

大学病院に入院する前の個人産院での4D検査で、やたら立体的な我が子の映像に「見てみてかわいい!鼻ぺちゃ。これはパパ似だ。」なんて言ってたけど、大学病院ではダウン症の特徴のひとつである鼻梁の低さが確認されていたわけだ。

というか、
えーーー!こういう告知って妊婦一人で聞くもんですか?ご家族来られますか的な事前のモーションもなく、ですか?
と思った。

頭が真っ白になったまま部屋に戻った。思考しようと脳に乗せるだけで自動で涙が出るのだった。6人部屋に入院中なので周りにだれかいる時は、考えないことに全力を注いだ。だからおしっこの途中とか、気が緩んだ瞬間にガンガンに涙があふれた。

遠方にいる夫に電話で話す気にもなれず「仕事の都合をつけてなるべく早く飛行機に乗って来てくれ。緊急事態だ」とだけ言った。

里帰り出産だったので私の両親は近くにいたが、初孫を楽しみに(たぶん)している両親に私の口から説明するのはとても無理だったので、翌日、私の両親にも先生の方から説明してもらうことにした。

夫が到着し、夫婦で先生の話を伺ったのはそこからさらに数日後のこと。

「赤ちゃんには十二指腸閉鎖があり、十二指腸閉鎖はダウン症に多い合併症のひとつで、その他の所見と合わせて見てもダウン症が疑われる」

という医師の説明に、私が

「ダウン症の可能性がある、ということですか?それとも高い確率でダウン症だということですか」

という質問をすると、医師はくいぎみで

「高い確率でダウン症ということです。おそらくダウン症だと思います。」

と答えた。

そこ、くいぎみで言う?しかも重ねて二回言う?
とは思ったけど、ダウン症であるという覚悟は決めた方が良さそうなのはあきらかだった。
私は「可能性」の指摘から数日たっていたせいか表面上の落ち着きを取り戻してきていて、

「ダウン症であればそれを個性として育てていこうと思っている。」と

今思えばかなりあっさりと先生に告げた。

この時に覚悟ができていたわけでは全然ない。ただの強がりといえばそうだし、外面よし子を繕ったといえば、そう。

そもそも、その時点で私はダウン症については、なんだか似たような顔をしたずんぐりむっくりした感じの人たちという漠然とした印象しかなかった。
遠目から見たことはある気がするけれど、身近にはいなかったし、自分の人生とはあまり関係のないカテゴリーにいる人たちと思っていた。

だから、振り返ってみるとこの時の私のこの反応、不思議が過ぎる。
何を根拠に。
どんな自信をもとにこの発言!?
これが正解だと思われる模範解答が考え無しに口をついて出たのだろう。とにかく褒められたいを基準に生きてきたタイプあるあるだ。

当時の私は、お腹の子供はなんとしても守らねばという母スイッチが全開にオンだった。隣では、ダウン症の可能性があることを初めて聞いた夫がただただオロオロしていた。当然だ。

ダウン症であるかどうかは羊水検査で確定診断が受けられる。精度は100パーセントではない。生まれてから赤ちゃんの血液検査をして確定診断を受けることもできる。

出産後の赤ちゃんへの医療ケアのスピードは、出産前に確定診断を受けていてもいなくても変わらないということだった。その点だけ確認して、羊水検査は受けないことに決めた。

羊水検査を受けることのメリット(早めに情報収集できる)よりも、確定診断を受けた時の自分のメンタル崩壊による胎教の悪さが心配だったので、羊水検査はあえて受けなかった。

私が赤ちゃんのためにあとできるのは、なるべく穏やかな気持ちで妊娠期間を過ごすことしかない、と思っていた。胎教気にしすぎは初産あるあるだろうか。

確定すると不安や絶望に襲われるだろうことは私の豆腐メンタル加減からはあきらかで、そもそも確定してない段階でまあまあの不安や絶望が来ていたので、なるべく不安や絶望時間は減らしたかった。だって、お腹にいるんだから感じちゃうじゃん?まだ産まれてもないのに悪いじゃん?って当時の私は思っていた。

今思えば、産後は何かと忙しいので、超絶暇な入院生活で情報収集するのもアリだった。

ダウン症のある子と共に生きる覚悟をうっすら育てつつ、そうであってもいい、そうでなければいい、毎日毎日行ったり来たりで過ごした。

ほかに考えることもないけれど、考えない方がいいこととして、結果、とにかく寝る、となった。
だって切迫早産診断で安静を命じられてるし、平常時の趣味の読書がしんどくてできない。だから寝る、寝る、とにかく寝る、漫画なら読める、で、寝る。

そんな入院生活を続けること二ヶ月半、正期産期に入ってすぐ、張りどめの点滴を外した翌日に破水、陣痛に約2日耐えたのち無事に長男が誕生した。

予定通り、産まれてすぐに血液検査に出し、結果がわかるまでは約2週間かかった。

産まれて顔を見れば、結果を待たずともわかるかと思ったが、正直わからなかった。
ちなみに夫は、産まれて顔を見た瞬間
「かわいい。よかった、違ったんだ」
と安心したらしい。

2週間後、21番目の染色体が3本、ダウン症の確定診断があった。

覚悟を決めていたつもりでも、そうでない期待もやはりあって、確定となるとやはりガンっと来るものがあった。
この時、一緒に聞いていた夫がどんな様子だったかは全然覚えていない。
私は自分の感情で精一杯だった。
ちょっとのひと言で止まらない大泣きに入りそうなギリギリ感があったので、数粒溢れてしまった涙をぬぐって、呼吸も、話す言葉も、考えることも、すべてを最小限にすることに集中して、待っていた父に何の説明もせずに、町で一番大きな本屋に連れて行ってもらい、大量のダウン症関連の本を買って帰った。



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