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灼熱の夏、工事現場から見える景色。  感謝・敬礼。

蝉が鳴いてる。

勢いを増して。

久しぶりに外に出て感じた。

久しぶりに夏の暑さを感じ

工事現場の近くに立つ。 


その中の職人たちの様子、雰囲気で読む。
外国人実習生と思われる人が1人現場を任され
周囲の確認として見渡している。

もうすっかり、所属される会社としてはその外国人実習生が
たのもしい存在なのだろう。

思い出される・・・。

あの時の現場の空気感。
どくとくの緊張感。

仕事を効率的にスピーディーに、無駄なく、
より仕上がりの良いものにするためと
先輩たちの張り詰めた緊張感。

機械トラブルや業者間でのコミュニケーションの不一致、
1つの汚点がとても大きな影響を及ぼしてしまう。


現場内は、重量物を軽々と扱うクレーンや
出来つつある構造物の
地盤を築く開口部等が点在している。

一瞬の判断ミスが怪我や転落、
重機に巻き込まれ事故など
紙一重である。


現に僕も、安易にかかわったことで、
指の複雑骨折をしてしまい、現場を止めたことがある。
こっぴどく怒られた。

現場の先輩、会社の上司、現場担当者、現場監督など
たくさんの人から声かけられた。
その現場関係事業所はそれなりのペナルティとして減点されるようだ。

その場にいたものが、ケガするだけでペナルティとは、
たまったものじゃないだろう。


自分の体験もこれ以外にもある大なり小なり。
仲間も当然同じ境遇。いくらベテランでも。

死亡事故にも、遭遇したことがある。
現場が、とても長く止まった。

現場再開したときには、2度と繰り返さないために、
改革したミーティングから始まる。

すべてに、確認を必要として、2重チェックや
元請け業者、外部視察など、
より丁寧に現場づくりを行っていくことになった。

本来の計画からは、大幅に遅れてしまうのは
たやすく想像できることである。

自分なりに、現場のシュミレーションをしてその日を迎える。

しかし、日々の現場と宿との往復は、あの夏ですら4リットル以上の水分、塩分アメの補給、またいかに快適に過ごすか着替えをどのタイミングで、
すかさずやり遂げのり切るか。

いろんな葛藤の中、いろんなプレッシャーを抱え、
日々を送っていたのでもう現場と宿の行き来、
ただそれだけが習慣となり
週末を希望にずっととりくんだことが思い出される。


朝の朝礼が始まる。

昼休憩の口にできるものを一時の楽しみとするが、
宿から持参したおにぎりとちっちゃな汁物カップ麺。

昼からの段取りの簡単なシュミレーションが頭を覆う。



ーーーーーーー
僕は6年前、長年携わった福祉の世界を離れ、
転職を決意し土木工事の世界に40歳にして飛び込んだ。

さらに、時代はさかのぼって
社会人として初めて就職をした兵庫県内の職場土木工事の会社だった。
神戸大震災後の全土に「復興」の文字が浮かび上がったその渦中に
避難所で知り合った人の紹介でつながった会社の部長に、本当にかわいがってもらった。

SNSが世に普及し、自分ごとに使いだしたその6年前。
その部長とつながった。
お会いした。

以前の会社は閉じ、今は別の会社でのいちオペレーターだわと聞く。
「もし、こちらの世界にくるんやったら、社長に話しておくで。」
というものの。部長の背中はとても小さく、寂しさを醸し出していた。

なんか、気になり、いろいろ調べた。土木を身近に感じた。
とくに、黒部ダムの話。
石原裕次郎主演の映画を見た。
先人の方々が築き上げてきたから、今のこの社会がある。
自分の中が震えあがった。
情熱が湧きだしてきた。

感謝と尊敬と・・
と同時に、この先人の人たちの流れにそって活きたい。

自分の腹は決まった。
再び、土木の世界にいく。
40歳だった。5体満足で、心も充実している。
・・・・今しかない。


思った以上にその5年間は大変だった,すさまじかった。
しかし、それよりも、たくさん、学びがあった。
出張先での地元の人との交流。

はいった初めの現場でこの世に生まれ初めての痛みを伴う腰痛は、
継続無理と思った。最初の根を上げてしまったできごとである。

思いっきり笑われたけど、思いっきり心配され、
思いっきりひき止められた。
最初に乗り越えた壁だった。

2回目は、長時間の運転かも。睡魔をごまかすのに精いっぱいだった。
運転も仕事。そこでも強くプレッシャーを与えられた。
また、ひと現場を終え一つ成長した感があった。

人間関係も当然ある。
いろいろ乗り越えたと自信になった。

僕を導いてくれようとする仲間がいた。先輩がいた。
やさしく声をかけてくれたことを力とした。
本当にそんなちっちゃなことを喜びとしなければ
やっていけない場所である。

そこで、5年を費やし、限界を感じた。
人間関係、体力、現場適応力。
いろんなことが重なった。

離れた。とても、その決断は、安易ではなかったが、
なんとか振り切れた。

その後、念願の働き方が生まれた。
自分らしさ、もっと、家族に向き合う時間を取りたい。
自分のやりたい事をと思い、今がある。

もう二度と工事現場の中には戻れない。
そう思ってる自分がいる。

しかし、あの5年はとても貴重だった。
初めてに近い感覚で、自分の中から生まれた情熱のまま行動し、
周りから無理だと言われながらでも飛び込み、
その世界を堪能できた。

そこから、広がるドラマを自分なりに感じた。

辞めたことは、ある人から言わせれば「逃げ」かもしれない。
そう、僕は逃げました。それは、認めます。
しかし、それでもいいのです。

しかし、僕には、選択肢がある。
選べるって自由だなと思う。

その自由さというのを、最近、幸せであると感じます。


なぜなら、

逃げられない人がいるから。


本当のところは、その人の立場でないからわからないが
重度障害者の人がその例である。


僕の悪い癖がでてきた、いろんな思いが派生する。
せっかく、出した文章が横道にそれてしまう。
読んでくれる人を混乱させてしまう。


結局
   今回、1番言いたかったことは

特にこの灼熱の暑さのなか携わる
      工事現場の関わる人に【感謝】です。敬礼です。



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