2021/12/21
いくら映画を観ようが、どれだけ書籍を読もうが、感性は磨かれないし生活が豊かになることもない。物語や他人の人生に少しだけ触れられる。それだけ。そしてそれだけで充分だと思う。付加価値を求めること自体が間違っている。
ここまで断言するのは、私自身何も得ていないし、それに満足しているから。私は年間で映画を400作、本を50冊程読む。単純に「好きだから」以外の理由はない。あ、あと現実逃避をするにあたって、とても都合の良い道具。「物語は一番身近な冒険」とよく聞くけど、つまりそういうことなんだと思う。
初対面の人に「俺も鬱だったけど、『嫌われる勇気』を読んでから人生変わったよ。」と言われたことがある。(うるせえんだよバーーーカ。泣きながら何件もの心療内科に電話して片っ端から「現在初診は受け付けておりません。」って断られ続けたことあんのかよ、自称うつ病は黙ってろや。)と思った。とりあえず「えー!すごーい!」と言った。
否定されるのと同じくらい、同情されることにも腹が立つ。職場に優しい人が居て、会うたびに、「今日も生きてえらい!」「出社してえらい!」「働いてえらい!」と褒めてくれる。本当に良い人だと思う。しかし(偉人と呼ばれるような成功を収めない限り、生きようが死のうがえらくなんかないんだよ。)と落ち込む。終わっている。マジで終わっている。精神疾患に関わらず、性格が悪いのだと思う。
友人から「この作品おすすめだよ!元気になれる!」と何らかの作品を薦められることもある。その場合、可能な限りその作品に触れるようにしている。次にその友人に会った時、「面白かったよ。」と言えるようにする為だ。もはや作業と言っても過言ではない。何故なら映画も本も、元気になるためのものではないから。しかしそれは私の主観でしかなく、相手は親切で薦めてくれていることも理解できる。だから「面白かったよ。」の一言を返す為に私はその作品を手に取る。
そういう行動も、ある種の誠実と呼べませんか?もう私には何も分かりませんが…。