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銀河フェニックス物語 【出会い編】第四十二話 同級生が言うことには まとめ読み版
月の御屋敷で療養中のレイターに会いに行こうとティリーは思い立った。 <ハイスクール編>「火事の日の約束」から七年後の物語。
・銀河フェニックス物語 総目次
・第<出会い編>第四十一話 「パスワードはお忘れなく」① ②
・<ハイスクール編>「火事の日の約束」
もしかしたら今がチャンスなんじゃないだろうか?
レイターに自白剤が効いている今が、彼の本心を確かめる。
『ティリーさん、愛してる』
あの言葉が空耳じゃなかったかどうか…
とにかくレイターに会って、彼の気持ちを知りたい。
駆り立てられるように、わたしは月の御屋敷へと向かった。
あれは、学生時代、推しの『無敗の貴公子』エース・ギリアムの限定グッズが売り出された日。
無駄に早く目が覚め、意味もなく早く家を出た。あの日と似ている、衝動に突き動かされて、身体が動いていく。
*
プリンを手土産に、月の御屋敷の前に立った。
大豪邸の呼び鈴を前に、少しだけ気後れする。けれど、レイターに会いたいという気持ちが上回る。
ボタンを押すと、侍従頭のバブさんの姿がモニターに映った。
「あら、ティリーさん。レイターのお見舞いに来てくれたのかい」
わたしのことを覚えていてくれた。
第一関門突破だ。
見舞いに来てほしくないと言っていたレイターに断られるかもしれない。と心配したけれど、バブさんはすんなり御屋敷の中へわたしを招き入れてくれた。
「レイターは今、侍医長のテッド先生のところへ行ってるんだけど、もうすぐ戻ってくると思うから、ちょっと待ってておくれ。ちょうどよかったよ。あの子、熱も下がって、薬も抜けたようなんだよ」
薬が抜けた? バブさんの言葉に気が抜けた。
「そうなんですか。よかったですね」
と答えながら上の空になっていた。
自白剤が効いているレイターに会いたかったのだ。何のためにあわててここまで来たのだろう。急に冷静になる。
「変な夢見てうなされてたみたいなんだけど、あのでかい図体で、『だりぃ~だりぃ~』ってソファーでごろごろされると、こっちまでイライラしちゃうからさ。早く出ていって欲しかったんだよね」
「はあ」
適当に相槌を打つ。
レイターが元気になったというのだ。ここは喜ぶべきところだ。
そのとき、背後から声がした。
「バブさん、レイターは?」
「おや、ロッキー、あんたレイターと約束してたのかい?」
「約束ってほどじゃないけど、明日にはいなくなるような口ぶりだったからさ…」
レイターと同じ年ぐらいの男性だった。呼び鈴も鳴らさず、勝手に月の御屋敷へ入ってきている。
その男性が、わたしの顔をじっと見た。
「あなた、ティリーさん?」
「は、はい」
どうしてこの人はわたしの名前を知っているのだろう。
「やっぱりそっか」
「立ち話も何だから、中でお待ち」
バブさんに案内され、わたしたちは立派な居間に通された。男性と向かい合ってソファーに腰かける。
男性は月の御屋敷の近所に住んでいて、昔からこの家に出入りしていると言う。
「ティリー・マイルドです。初めまして」
「ロッキー・スコットです。オレは初めてって感じがしないんですよね。レイターからもう何年もあなたの話を聞かされてるんで」
と男性は頭をかいた。
驚いた。
「レイターがわたしの話をしてるんですか?」
「ええ、ティリーさんは、かわいいけどすぐ拗ねるって」
あまりにストレートな答えに、どう反応していいのか困ってしまう。
「あ、いや。つい、気を悪くしたらすいません」
何だか憎めない人だ。
「失礼ですけど、ロッキーさんは、レイターとはどういうご関係なんでしょうか?」
レイターの周りにいる知り合いにしては、普通すぎる印象。
「ハイスクールの同級生です。友人、ですかね」
ロッキーさんが照れた笑いを見せた。これまでおしゃべりなレイターからロッキーさんの話を聞いたことはない。
「あいつの周りって、王族からマフィアまで、いろんな人が出てくるから、振り回されて大変でしょ」
「はい」
思わずうなずいた。共感すると同時に確信する。この人は間違いなくレイターの友人だ。
* *
オレはティリーさんの実物を初めて見た。レイターに初めて彼女の話を聞いてから何年が経っただろう。
写真通りのかわいい子だ。レイターの見舞いに来た、っていう。
情報番組で見たぞ。彼女はレイターを振って、無敗の貴公子のエース・ギリアムとつきあってるんだよな。そりゃそうだよな。片や大企業の社長だもんな。
「レイターはどんな学生だったんですか?」
ティリーさんがオレに聞く。
レイターは、今もティリーさんのことが好きなんだよな。
あいつの印象を少しでも良くしておいてやるのが、友だちってもんだ。
「普通のハイスクールの生徒ですけど」
彼女が怪訝そうな顔をする。そうだよな、あいつ普通じゃないもんな。
振り回されて大変だ、って話をしたばかりだ。
「喧嘩の強い、普通の生徒っていうか」
う~ん、何て言えばいいんだ。
裏番張ってた、とか飛ばし屋仕切ってたとか、言っていいのかどうなのか。彼女はどこまで知ってるんだろう。
「普通の生徒、ですか?」
「いや、決して普通じゃないんだよ。それはわかってるんだけど、ほかに言いようがないんだ。オレにとっては普通のダチだから」
「そうなんですね」
*
アーサーから聞いていたとおりだった。
ティリーさんはアーサーの妹フローラに似てる。
見た目じゃなくて、雰囲気だ。一見おとなしそうなんだけど、結構はっきりと物を言う感じ。
オレには全然会わせてくれないのに、レイターは前にティリーさんを月の御屋敷に連れてきたことがある。その後、オレはバブさんに感想をたずねた。
「ティリーさんって、どんな子だった?」
「お嬢様に似てらしたよ」
「大丈夫かな」
「何がだい?」
「死んだ恋人に似てるなんて知ったら、彼女はいい気持ちしないよな」
「まあ、あのバカだけはお嬢様と似てると思っていないから、いいんじゃないかい」
*
ここの御屋敷には、フローラの写真がたくさん飾ってある。
ティリーさんから、フローラのことを聞かれたら面倒くさいぞ、と思っていたら、悪い予感は的中するものだ、案の定彼女が聞いてきた。
「ロッキーさんは、フローラさんのことご存じですよね」
結婚写真に一緒にばっちり写ってるもんな。知らないとは言えないな。
「え、ええ」
「どんな人でしたか?」
聞かれたくない質問だった。あなたと似ているなんて言えないし。
「かわいかったです。人見知りなんですけど、結構はっきりしてるところがあって」
当たり障りのないホントのことを伝える。
写真を見てると、あの頃のことが思い出されてくる。この屋敷で騒ぎまくった。楽しい思い出。
「あいつら、ほんとに仲が良くって」
って言ってあわてる。オレは一言多い。フローラの話から話題を変えたい。
「僕から質問してもいいですか?」
「はい」
「レイターがあなたのことを好きだ、ってことは知ってるんですよね?」
ティリーさんは首をかしげた。もしかして、伝わってないのか?
「あいつ、あなたのこと俺のティリーさん、って呼んでうるさいんですよ」
ティリーさんは困ったという顔をしながら答えた。
「レイターは特定の彼女は作らない主義だそうです」
ちょっとはぐらかされた。
「それは、そうなんだけど、違うんだよ。あいつの本心は」
レイターの女の話は色々聞いてきたけれど、ティリーさんは違う。あいつの不特定多数からはずれてる。
「わたしとつきあうつもりはないって、レイターからはっきり聞いてますから」
オレは驚いた。
「ええええっ?! なんで、そんなことを、あいつが言ったの? ほんとにレイターの奴、バカだよ、大バカ」
そんなことを言ってるから、エースに彼女を取られちゃったんだよ。って思ったら頭に衝撃が来た。
「人のいねぇところで、俺の悪口言ってんじゃねぇよ」
後ろにレイターが立っていた。こいつ、どこから聞いてたんだ?
* *
レイターが月の御屋敷に帰ってきた。
レイターと目が合ったティリーは不安になった。彼はわたしに見舞いに来てほしくない、と言っていたのだ。
「おやおや、珍しいお客さまだな。俺の部屋で話そうぜ」
と笑うレイターの様子は元気そうで普段と変わらなかった。わたしは、同級生だというロッキーさんと一緒に部屋へ入った。
本当は、レイターと二人きりで話がしたかった。
拉致されたゲリラ船から逃げ出して、アーサーさんのキャメロット号に着艦した時、レイターが耳元でつぶやいた。
『ティリーさん、愛してる』 とわたしには聞こえた。
確認したくて、わざわざ月の御屋敷まで来たのに。
他人の前でこんな話は聞けない。
連邦軍の特命諜報部のことも聞きたかったけれど、家族にも言えない秘密なのだ。これも話すわけにはいかない。
当たり障りのない話しかできない。どこかでレイターと二人きりになるチャンスを作らなくては。
この御屋敷のレイターの部屋も、フェニックス号と同じように散らかっている。
どこからかレイターがクッションを取り出した。
三人で床に座り、わたしが手土産で持ってきたプリンを食べる。
「サンキュ、ティリーさん。うめぇや」
レイターが幸せそうな顔をしている。ちょっとうれしい。
「もう、体調はいいの?」
「ああ、指はまだつながってねぇんだけどな」
よく見ると指に透明なテーピングテープが巻かれていた。
「また食べさせてくれてもいいぜ」
レイターがにやりと笑った。アーサーさんの艦でレイターの食事を手伝ったことを思い出し顔が赤くなる。
ロッキーさんの前で恥ずかしいこと、言わないでほしい。
「普通に両手、使えてるじゃないの」
「ばれたか」
自白剤が残っている感じはまるでない。
「レイター、お前って、ほんとプリン好きだよな」
「だって、うめぇじゃん。栄養抜群だしな」
「違うだろ、風邪ひいて寝てる時にお袋が作ってくれたからだろ。こいつ、オレと違ってマザコン…」
バシッツ。
レイターがロッキーさんの頭を叩いた。
「あんたは、一言多いんだよ。ロッキーんちのお袋はすごいんだぜ。将軍家に殴り込みに来たんだ」
「なぐりこみ?」
ロッキーさんが照れて笑った。
「オレ、レイターと一緒に家出したことがあるんです。うちの親は俺が将軍家のバカ息子と遊ぶのを嫌がって、ていうか、レイターは、ほとんどの保護者に嫌われてて」
というロッキーさんの頭を、またレイターが叩いた。
「一言多い癖を直せ、っつってんだ」
ロッキーさんは面白かった。
二人が話している様子はまるで掛け合い漫才だ。
「この汚い部屋で、よくこいつと遊んだんですよ。ゲームやったりトランプでババ抜きしたり」
「ババ抜き、ですか?」
レイターが口を尖らせた。
「アーサーの野郎に勝つためにゃ、偶然性の高い競技を選ぶ必要があんだよ。なのに、このバカが神経衰弱やろうとか言い出した時には、殴ろうかと思ったぜ」
アーサーさんがこの部屋で遊んでいた、というのは不思議な感じがした。きっとフローラさんも一緒だったのだろう。
「いや、あの時お前、俺を殴ったぞ、頭を叩いたよな」
「いちいち覚えてねぇよ」
「レイターの奴、ババ抜き始めたら、アーサーにイカサマが見抜かれて、ふてくされちゃって」
「あんた、ここで今、その話するか!」
と言いながら、レイターがロッキーさんの頭をまた叩こうとした。
「やめなさいよ」
慌ててわたしが止める。
「ティリーさん、ありがとうございます。レイターは裏番だったんで、すぐ手が出るんですよ」
「裏番?」
似合ってる。
「あんたは、いつも一言多いんだ」
と言いながらもレイターが楽しそうだ。
アーサーさんやフェルナンドさんに見せる表情とは全く違う。ロッキーさんは「普通の友達」なのだ。
* *
ロッキーは懐かしく思った。
レイターの散らかった部屋は、七年前とちっとも変わっていない。
ハイスクールの教科書とかもそのまんまなんだよな。よくこうやって床に座ってバカ話を繰り返した。
レイターがオレの頭を叩こうとすると「やめなさいよ」ってフローラが笑って止めてくれた。
うわあ、ティリーさんとレイターと三人で話をすると、ますますあの頃を思い出す。
「ロッキー、どうしたんでい?」
「な、何でもない」
レイターは鋭いからめんどくさい。
「わたし、ちゃんとレイターに伝えてなかったわよね」
ティリーさんが真面目な顔をしてレイターに話しかけた。
オレは、どきっとしながら二人を見る。
「S1すごかった。『銀河一の操縦士』の操縦は、文句なしに銀河一だったわ」
レイターは学生時代、『銀河一の操縦士』を目指してS1のレーシングゲームで最高得点をたたき出しまくり、ハイスクールを中退した後は飛ばし屋の『裏将軍』を隠れてやってた。
そんなあいつが、昨シーズンついに本物のS1最終戦に出場して、無敗の貴公子と戦った。ティリーさんの言う通りすごかった。
最後までどっちが勝つかわからず、S1史上に残るバトルと騒がれた。
勝負はエース・ギリアムが制したけれど、コースレコードはレイターが出した。
「ありがとよ。ティリーさんにほめられるなんて、なかなかねぇからな、お世辞でもうれしいぜ」
「お世辞じゃないわ」
レイターは宇宙船オタクだ。本気で喜んでやがる。
「でも、『あの感覚』には入れなかったんだ」
「そうなの? あれだけのすごいバトルだったのに…」
ティリーさんがちょっと驚いた。
その話、オレも前に聞いたことあるぞ。
「あの感覚、ってレイターが昔言ってた、とにかくすげぇ、ってやつ?」
「とにかくすげぇ、って何だよ、もうちょっと、ちゃんと伝えただろ。全知全能とか」
「いや、お前、すげぇしか言ってないぞ」
ティリーさんが笑った。また、昔を思い出す。
「あれだろ、『あの感覚』って一回目は戦闘機に乗ってた頃に降ってきて、もう一回はフローラと一緒に旅行へ行った時に感じた、ってヤツだろ」
フローラが死んで、飛ばし屋になったあいつはいつ死んでもおかしくない勢いで小惑星帯を飛ばしてた。それでも『あの感覚』には辿り着けなくて、フローラがいないとだめだ、って泣きそうになってたことをオレは忘れてないぞ。
ティリーさんがオレを見て思わぬことを口にした。
「わたしも『あの感覚』を感じたことがあるんですよ」
「え? 本当?」
「ええ、レイターの助手席に乗っていたんです。そうしたら世界が真っ白になって」
おいおい、初耳だ。レイターからそんな話は聞いてない。
レイターが首をかしげている。
「わかんねぇんだよな。どうしてあの時、白魔とのバトルで『あの感覚』に入れたのか」
なんでわかんないんだ? こいつバカじゃないの? オレにはわかるよ。ティリーさんと一緒だったからに決まってるだろが。
この部屋にフローラとレイターが相思相愛ん時と、同じ空気が漂ってる。
ティリーさんとレイター。絶対、二人はお互いが好きだ。
「納得いかないよ」
オレはもう止められない。
「あん? どうした、ロッキー」
レイターの代わりに、オレが友人として言ってやる。
「ティリーさん、エース・ギリアムのどこがいいんですか? 大企業の社長だからですか。こいつ変な奴だけど、いい奴だってこと、あなたもわかってますよね」
ティリーさんが目を丸くしてオレを見た。
「エースと別れて、こいつとつきあってやってくれませんか?」
レイターが大声を上げた。
「ロッキー! あんたは馬鹿か。ティリーさんはなぁ、筋金入りの無敗の貴公子オタクなんだぜ。推しのエース追いかけてクロノスに入社したんだ」
「え?」
知らなかった。そんな情報は聞いてなかったぞ。
レイターの奴、この恋は最初からうまくいかない、ってわかってた、ってことかよ。
オレはあわてて頭を下げた。レイターが言う通り一言多かった。
「ご、ごめんなさい。差し出がましいこと言ってすみません。忘れてください」
ティリーさんが困った顔をしながら言った。
「謝らないでください。わたし、エースとつきあってませんから」
「あん?」
オレはめずらしいものを見た。レイターが明らかに動揺した。隣の家が爆発しても慌てない奴なのに。
「オレ、おつきあいしてる、って会見をニュースで見ましたよ」
「エースは会見でいいおつきあい、って言いましたけど、あれは友人という意味だったんです」
「え? そうだったんですか?」
こいつは朗報だ。
「……」
レイターの奴が固まってる。
面白過ぎる。あいつも 知らなかったんだ。
「レイター、よかったじゃん。チャンスだぜ。お前ティリーさんのこと好きなんだろ」
オレはレイターの肩を叩いた。
レイターの奴、短く息を吐くと、真面目な顔して彼女に話しかけた。
「ティリーさん、恋の吊り橋効果って知ってるかい?」
おいおい、あいつオレの前でティリーさんに告るつもりかよ。ったく場所を選べよ。
「知らないけれど…」
ティリーさんがレイターをじっと見つめる。
その様子から確信する。ティリーさんもレイターのことが好きなんだ。
オレにここで二人の恋の証人になれ、ってことか。緊張してきた。
レイターが静かに語りだした。
「恋の吊り橋効果ってさ、二人で危険な吊り橋を渡ると、ドキドキして恋のような状態に陥る、って話なんだ。俺とティリーさんも吊り橋渡るような経験ばっかりしてきただろ」
ティリーさんがうなずく。二人は先週ゲリラに拉致されて脱出してきた。これまでにも何度も危険な目に遭ったと聞いた。そこから恋が生まれたってことか。
「だから、そういう心理状態に勘違いして陥っちゃったんだよな。恋じゃなくって心拍数による生物の反射的なもの、それだけのことなんだよ」
ん? 何を言い出すんだこいつは。
「お、おい、レイター」
「ティリーさんは、ちょっとフローラに似てたから声かけたんだ。フローラの身代わりってことさ。ティリーさんに興味があるわけじゃねえ」
「レ、レイター、止めろよ」
ティリーさんが立ち上がった。大きな目いっぱいに涙をためてる。
「そんなにフローラさんがいいんだ」
* *
レイターがじっとわたしを見つめた。
「ティリーさん、恋の吊り橋効果って知ってるかい?」
何を言い出したのかよくわからなかった。
真面目な表情に一瞬だけ期待した。けれど、みるまに打ち砕かれた。
「恋じゃなくって心拍数による生物の反射的なもの、それだけのことなんだよ」
どうやらレイターは、わたしたちの関係は、条件反射のようなもので、恋愛ではない、と言いたいようだ。
その吊り橋から生まれた感情は、その後どうなるのよ。
ちゃんと恋愛になる人だっているんでしょ。
吊り橋はあくまできっかけで。
って、反論しようと思ったわたしに、レイターはとどめを刺した。
「ティリーさんは、ちょっとフローラに似てたから声かけたんだ。死んだフローラの身代わりさ。ティリーさんに興味があるわけじゃねえ」
苛立ちを自分で抑えられない。
「そんなにフローラさんがいいんだ」
わたしは『愛しの君』すなわちフローラさんに似ている、と時々言われた。写真で見ても似ている気はしないのだけれど、兄であるアーサーさんにも言われたから、そうなのだろうという予感はあった。
けれど、これまで、レイター本人はそれを否定していた。そのレイターから、『フローラの身代わり』という言葉を浴びせられて、脳みそが沸騰した。
ぶくぶくと湧き上がる感情の泡が、パチンとはじけた。
レイターは、ずっとフローラの後を追って死のうとしていた。
許せない。
レイターを連れて行こうとするフローラも、後を追おうとするレイターも。
わたしはその時浮かんだことを、深く考えることなくレイターに投げつけた。
「レイターが、フローラさんをいくら追いかけたって、たとえ死んで追いかけたって、フローラさんには絶対会えないわよ。だって、フローラさんは天国にいるんだから」
言葉を発してからその重みに気づいたわたしは、あわてて口を押えた。
「ま、そうだな、俺は地獄行きだからな」
レイターはいつもと同じような軽口で答えた。でも、目は笑っていなかった。
わたしは今、レイターは天国に行けない、つまり、地獄に落ちる、とひどいことを言ってしまったのだ。
こんなことが言いたかったんじゃない。
フローラの後を追ってレイターに死んでほしくない。レイターが死んだら、わたしは悲しい、と言うことを伝えたかったのに。
その場にいたたまれなくなり、席を立った。
「わたしは、亡くなった方の代わりはできません。失礼します」
どうして、どうして、こんなことになってしまったのだろう。
* *
「ティ、ティリーさんっ、待って」
あわてて立ち上がろうとしたオレの手をレイターがつかんだ。
「追いかけなくていい」
振り切れないほどの強い力だった。こいつ指をけがしてるくせに、オレはピクリとも動かせない。
悪いのはレイターだ。ティリーさんのことを「フローラの身代わりだ」なんて言い出した。
けど、ティリーさんの発言も暴力的だった。「天国のフローラには絶対会えない」って、言葉で殴りつけていた。
レイターは裏番時代も悪いことをいろいろやってた。これまでに何人も殺してるってこともフローラから聞いた。
天国に行く、ってキャラじゃないけれど。
違和感のある暴言。
「たとえ死んで追いかけたって」って、ティリーさんは、レイターがフローラの後追い自殺をしようとしたことを知ってるんだ。
それだけじゃない。ティリーさんは、何かを知ってる。オレの知らないレイターの秘密を。
オレは、昔、この部屋でフローラと向かい合った時のことを思い出した。
「あなたに話せないことをレイターはたくさん抱えている。でも、信じてあげて。そして、助けてあげて欲しいの。ずっと、ずっと…」
フローラの迫力に押されながらオレは言った。
「あ、ああ。約束するよ」って。
あの時にはフローラは知っていたんだ。自分の命が長くないってことを。だから、こういう時にレイターを助けろって言い残したんだ。
だけど、おい、フローラ、オレは約束をどうやって果たせばいいんだ?
相変わらず秘密主義のレイターは、オレには何にも話さないんだぜ。歪んだ心を一人で抱えこんでやがる。
オレにできることって何なんだよ?
「レイター、あんた、何をしたんだい!」
バブさんが血相を変えて部屋に入ってきた。
「ティリーさんが、泣きながら帰っちゃったよ」
「何でもねぇ」
「何でもないわけないだろ!」
「何でもねぇ、っつったら何でもねぇんだよ!」
レイターの剣幕にバブさんは驚き
「全くあんたって子は…」
とぶつぶつ言いながら出て行った。
「レイターお前、どうしちゃったんだよ。変だぞ」
「どうもしねぇよ」
静かな声だった。顔に表情がない。前にも見たことがある。あいつのこういう顔。
そう、フローラが死んだあと。
誰も寄せ付けない。一人の世界に入り込んでいる時の顔だ。
とにかくこっちの世界へ連れ戻さなくちゃ。
「なあ、お前どうしてティリーさんのことフローラの身代わりだなんて言ったんだよ。お前は二人が似てる、って思ってないんだろ?」
レイターは苦しそうな顔をして答えた。
「ずっと似てないと思ってたさ。けど、この部屋で、あんたとティリーさんと三人で話をしていたら、急にフローラの事が頭に浮かんできた。楽しかったあの頃が再現されてるようだった…」
オレはゴクリとつばを飲み込んだ。
オレもさっき、おんなじことを考えた。
「その時、初めて気づいたんだ。もしかしたら、他の人が言うように、ティリーさんとフローラは似てるんじゃねぇかって、俺は、無意識のうちにフローラの影をティリーさんに重ねていたってことさ。だから、正直にティリーさんに伝えたんだ。とにかく、俺はティリーさんとも、誰ともつきあう気はねぇ。フローラのこと忘れて、俺だけ幸せになるわけにはいかねぇだろが」
こいつ、今、自分の言ったことの意味、わかってるんだろうか?
ティリーさんと付き合えば、自分は幸せになると言ったも同然だぞ。
「逆だろ。フローラのことが原因でお前が幸せになれなかったら、フローラはもっと悲しむぜ」
また、黙り込んだ。
こいつ、普段おちゃらけているくせに、一旦考え始めるとオレがついていけないくらい深~く考え込んじゃうんだよな。昔から。
「ティリーさんとフローラが似てるのは、お前の女の好みなんだよ。ただ、それだけのことじゃんか。もう、いっそのこと、ティリーさんを本当にフローラの代わりにしちゃえよ」
「あん?」
「宇宙の神様に誓ったんだろ、フローラを一生愛しますって。だから、今度はフローラの代わりにティリーさんを一生愛すればいいんだ」
ふっ、とレイターが笑った。
「ロッキー、あんたってほんと面白れぇよな。だがな、簡単に取り替えたら宇宙の神様が怒るだろがっ」
そう言いながらレイターは、オレの頭を叩はたいた。
「簡単じゃないよ。フローラが亡くなって七年経ってんだ。神様だって許してくれるさ」
だんだんオレはめんどくさくなってきた。
「もういいじゃん、フローラの代わりだろうとなんだろうと。とにかく、今、お前はティリーさんが好きなんだろ。本当はつきあいたいんだろ。それで十分じゃん」
* *
ロッキーは俺の本音を揺さぶる。そのことをわかっていたから、これまで俺は二人を会わせないようにしてきた。
ロッキーはいつも俺の想定を超えてくる、ティリーさんと同じように不確定要素満載だ。
俺はS1飛んで、ティリーさんと決別したんだ。
なのに、ロッキーの奴、
『エースと別れて、こいつとつきあってやってくれませんか?』
だと。いらぬお節介を焼きやがって。
そして、ティリーさんが答えた。
『わたし、エースとつきあってませんから』
ふぅぅ。まじかよ。ティリーさんはエースとつきあっていなかったのかよ。
ティリーさんの情報は入らないようにシャットアウトしていた。
想定外の発言は、破壊力が半端ねぇな。
いや、エースとつきあっていようがいまいが俺には関係ねぇ。俺にはフローラがいる。
くそっつ。
俺は、俺の気持ちを封印することで精一杯なのに、二人してぼこぼこ穴を開けにきやがる。
* *
ティリーはどうやって自宅へ戻ったのかよく覚えていなかった。
家のエントランスに着くとチャムールが待っていた。将軍家にはどういう連絡網ができているのか。
チャムールの顔を見たら涙が止まらなくなった。
「チャムール、わたしレイターにひどいことを言っちゃった」
チャムールが驚いた顔をした。
「え? 私はレイターがあなたにひどいことを言った、と聞いてきたのだけれど」
部屋に入りコーヒーを入れる。
チャムールに一体どこから話せばいいのだろう。
落ち着かない気持ちを必死に抑えて言った。
「レイターは、わたしのことをフローラさんの身代わりだ、って言ったの」
「そんなはずないわ。レイターはフローラとティリーのことを似ているとも思っていないのよ」
わたしは首を振った。
「ううん、はっきりとレイターに言われたの。それを聞いたら、わたし、自分が抑えられなくなって…」
自分の恥ずかしい振る舞い。思い出したくない。
けれど、一人でも抱えられない。
「わたし、レイターに言っちゃったの。フローラさんの後を追って死んでも天国のフローラさんには会えない、って。レイターは地獄へ落ちるって言っちゃったのよ」
もう、あとは言葉にならなかった。チャムールの胸で泣いた。
「どうやってレイターに謝っていいのか、わからない」
「アンタレスでは人を殺したら地獄に落ちる?」
チャムールの問いにわたしはうなずいた。
「暴力での解決は許されないわ。人の命を奪ったら、灼熱地獄に落ちてアンタレスの炎で永遠に焼かれ続けるのよ」
幼いころに見た真っ赤な地獄絵図は強烈だった。炎の熱さ、火傷の痛みが延々と続く恐怖。
「ティリーの故郷は、連邦内で一番殺人率が低いものね」
アンタレスではソラ系と違って、殺人のニュースを目にすることもほとんどない。
戦地では何機も撃ち落し、ロベルトの父親の命も奪ったと聞いた。
チャムールに言われて気がついた。
レイターがアンタレスの炎で焼かれると思っている訳じゃない。けれど、その地獄のイメージは深くわたしの中に沁みついている。
だから、天国のフローラには絶対会えない、と口にしてしまった。
肩に置かれたチャムールの手のぬくもりが伝わってくる。
「本当はわたし、レイターが死んだら悲しい、ってことを伝えたかったの…」
「その気持ちは、レイターに伝わったんじゃないかしら。言い方は歪んでいたけれど」
「フローラなら、こんな言い方しないわよね」
彼女の存在をどうしても意識してしまう。
「でも、レイターがティリーをフローラの代わり、と捉えているのなら、ものは考えようよ」
「どういうこと?」
「知っての通り、レイターはフローラをそれはそれは真剣に愛していた。その代わりというのは、真剣に愛されている、ということだから」
『ティリーさん、愛してる』あの声がまた聞こえた気がした。
「ねえ、ティリーはどうして、きょう月の御屋敷に行ったの?」
チャムールの質問にドキっとした。
「え? あ、あしたから仕事だから、休みのうちにお見舞いへ行こうかと思って」
わたしはとっさに嘘を付いた。
自白剤が効いているレイターに会おうと思った、なんて恥ずかしくて言えない。
しかも、その理由が、空耳かどうか確認したかったなんて。
『ティリーさん、愛してる』
思い出すと、今でもドキドキする。
けれど、もう、どうでもいい。
わたしは一体、何をしに月の御屋敷まで行ったのだろう、馬鹿みたいだ。
* *
レイターの後ろ姿を見ると、アーサーは既視感に囚われた。
七年前、フローラとレイターが結婚を誓ったのはこのバルコニーだった。
かぐわしい香りが漂う。レイターは眼下の庭園を見ていた。庭師のアンダーソンの腕は確かだ。いつ見ても花々は途切れることなく咲いている。
私が声をかけるとレイターは振り向いた。
「テッド先生から連絡があった。薬が抜けたそうだな」
「ああ、これであのじいさんの顔、見なくて済む」
「ティリーさんのおかげだな」
「あん?」
「『赤い夢』を持ちこたえられたのは、ティリーさんのおかげだろ?」
「……」
レイターは答えないがわかっている。こいつは死んでもおかしくない状態だった。
闇の底辺をはいずりながら、こいつは『赤い夢』からティリーさんが自分を救ってくれるという話を私にした。あの後、レイターは『赤い夢』を見なくなった。
おそらく、救いを言語化したことで、精神と神経をつなぐ回路に何らかの作用が起きたと考えらえる。
睡眠が取れるようになれば、こいつの体力の回復は早い。
「それにしても、ティリーさんがフローラの代わりだったというのは、初めて聞く情報だな。二人は似てないんじゃなかったのか?」
「似てたんだよ。俺が気づかなかっただけで」
「お前はティリーさんを必要としているのに、どうしてそんなにティリーさんと距離を置きたがる」
「うるせぇな。折角、決別したのに距離を置かねぇと止められねぇんだよ」
レイターは頭を抱えた。
ティリーさんへの所有欲を、必死に押さえ込もうとしている。
「仕方ないだろう、父と私でお前の足かせをはずしたんだから」
「足かせ?」
「お前が特命諜報部員であることを、ティリーさんに伝えたことだ。お前は、ティリーさんにその事実を伝えることなしに付き合うことはできないと考えていた。だが、その足かせはもうない。だから、お前の心はティリーさんに向かって正直に動き出した。それだけのことだ」
レイターは苦しそうに目を閉じた。
「…俺の中から少しずつフローラの記憶が薄れていく」
やはりここへきたか。
「俺の部屋でティリーさんを見ていたらフローラを思い出した。その記憶がどんどんとティリーさんに上書きされていっちまう」
「自然なことだ。誰もお前を責めはしない。フローラも言ったはずだ、忘れていいと」
*
私は記憶を薄れさせることができない。
妹の最期が頭に浮かぶ。髪の毛の一本一本までクリアに蘇る。今にも消え入りそうな、小さな、それでいてはっきりと聞きとれる声。
「レイターは、わたしのこと、忘れていいから」
レイターがフローラの身体を必死に抱きしめる。
「は? お前、何言ってんだ。俺があんたのこと忘れるわけねぇじゃねぇか」
フローラは自分に縛られず、レイターに新たな人生を歩んでほしいと、最後の思いを伝えた。「忘れていいから」と。
レイターに幸せになってもらいたい、という素直な願い。
だが、十七歳のレイターは、そのまま受け取ることができなかった。
フローラは自分を信じていない。どうせ忘れてしまうと思っているに違いない、と思い込んだ。
自分を信じていないから、フローラは死期も伝えなかったのだ、と。
*
レイターは、バルコニーの手すりをげんこつで殴った。
「永遠の愛を誓ったんだ。自分で決めたことを守れねぇ奴は、最低だ」
こいつは、昔から本当に変わっていない。
他人が作った法律は破っても、自分がやると決めたことだけは、やらずに済まない性分。
レイターが囚われているのは、フローラにじゃない、レイター本人の呪縛だ。
「お前も知っていると思うが、私は記憶を薄れさせることができない。フローラのことは、昨日のことのように思い出すことができる」
「うらやましい限りだぜ。くそっ。この部屋であんなに泣いた記憶ですら、昔のような苦さが抜けている」
レイターが、時々フローラの部屋で記憶をたぐろうとしていることを、私は知っている。
「だが、私もお前と同じだ。記憶を蘇らせても、感情は復元しない」
「どういう意味だ」
レイターが眉間に皺を寄せながら、私の顔を見た。
「フローラを失ったことに昔ほどの痛みは伴わないということだ。時間はそれだけの力を持っている。もちろん今でも辛い。だが、あの頃とは違う。七年が経ったんだ」
「……」
「お前がフローラのことを思ってくれるのは、兄としてうれしいが、いつまでもお前が縛られているのは、フローラの本意じゃない。フローラが忘れていいと言った本当の意味を、今のお前ならわかるはずだ」
「……」
「フローラは最初からわかっていた。お前と一緒に人生を歩むことはできないと。だから、死に際して望んだのは、お前の人生の障害にはなりたくない、ということだけだった。お前は、フローラのその気持ちを尊重して、もっと自分に正直になるべきだ」
「……」
レイターは言い返すことができなかった。
こいつもロッキーと同じことを言いやがる。
「もっとも、それでもうまくいくかどうかはわからないのだからな」
アーサーの声がはずんでいるように聞こえる。
「どういう意味だ?」
「お前だけじゃない、ティリーさんも恋愛に踏み切れない足かせを持っているということだ。軍隊を持たず銃を持つことすら抵抗のあるアンタレス人が、連邦軍人と恋に落ちる、ドラマのような話だな」
「ったく、あんた、何、楽しんでやがる」
「ティリーさんが、泣いて詫びていたそうだ。お前にひどいことを言ったと」
「ひどくねぇよ、事実さ。地獄行きは決定事項だからな」
ティリーさんのことを考えると苦しい。フローラの身代わりだなんて、ずいぶんひどいことを言っちまった。
「お前が地獄に落ちると、一蓮托生の私に降りかかるから、困るんだ」
「は?」
「そこで、私は地獄に落ちないために、善行を積もうと考えている。そのために、お前には手伝ってもらわなくてはならないことが山ほどあるのさ」
「あん?」
「体調も戻ったようだからな、次の仕事もよろしく頼む」
「次の仕事って……あんた、わざわざ、それを言いに来たのかよ。俺はまだ指の骨もつながってねぇんだぜ、鬼かよ」
「冗談だ」
そう言うとアーサーはにっこりと笑った。
「ここは、冗談言う流れじゃねぇだろ」
突っ込む俺にくるりと背を向け、アーサーはフローラの部屋から出て行った。
俺と花の香りだけがそこに残された。
(おしまい)第四十三話「恋心にテーピングして」へ続く
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