
銀河フェニックス物語<出会い編> 第三十九話(18) 決別の儀式 レースの前に
あの日、わたしはレイターの助手席に座っていた。アステロイドで白魔と戦った時。

「あの感覚…」
口にしたら身体が震えた。『あの感覚』がよみがえる。あふれる多幸感。脳内から光がほとばしり恍惚状態となった、あの時…。何が起きていたのだろう。
「レイターは『あの感覚』と呼んでいました」
「もう少し具体的に表現できるかい?」
困った。言語化できないから『あの感覚』なのだ。
わたしは絞り出すように言葉にした。
「すべてを制御する幸せな感覚というか。……全知、全能」
「それを相手にするのは手強そうだな」
エースは船を停めるとわたしを見た。
「ティリーは、僕とレイターのどっちに勝って欲しい?」
仕事としての迷いはない。
「エースに勝ってもらうため、わたし毎日、がんばってます」
「仕事じゃなく、友人として聞いているんだ」
エースの目が真剣だった。
エースに勝ってほしい気持ちは嘘ではない。友人であるエースを喜ばせるために「エースです」と答えることもできた。
でも、わたしは目をそらし、迷いながら答えた。
「……わからないです」
友人だからこそ真摯に向き合わなくてはいけない。
心の奥に、レイターの全知全能の飛ばしを見たがっている自分がいた。
エースが操縦桿から手を離した。
「エ、エース、手放し操縦はダメです」
「停船中だから大丈夫だ」
エースの顔がわたしの目の前にあった。

なんて綺麗に整った顔立ちなのだろう。クールな切れ長の目、長いまつげの一本一本までくっきり見える。
わたしの憧れの貴公子。
エースのブロマイドも生写真も山のように持っているけれど、こんなに優しい表情は見たことがない。
うっとりしているわたしに、エースの顔が近づいてきた。

わたしの頬にエースの手がゆっくりと触れた。手のひらの温もりが伝わる。
学生のころ、サイン会で握手をしてもらった。操縦桿を握るエースの手がわたしに触れている、と興奮したあの時と同じ感触。
さわやかなライムの香り。
エースの整髪料の香りが胸を高鳴らせる。わたしは慌ててまばたきをした。エースの息がわたしに触れ、視界いっぱいに無敗の貴公子の美しい顔が広がった。
* *
きょうもレイターはハールの中にいるのか。
スチュワートは深夜にチームの整備工場へ顔を出した。

本番まであと一週間。
ようやくメガマンモスのエンジンをハールに積んだ。
レイターは一人であっちいじっては試乗、こっちいじっては試乗を繰り返している。
家、というかフェニックス号にも帰らずハールの座席で寝ていることもしょっちゅうだ。食事も適当。
俺は心配になる。
「おい、レイター。お前は操縦士だろ、体調管理も仕事のうちだ。夕飯食ってないんだろ」
「食わねぇ方が、感覚が研ぎ澄まされるんだよな」
まるで飢えた狼だな。
「S1は体力勝負だぞ。短距離の飛ばし屋のバトルとは違う」
「わかってる。でも、今は、一分でも一秒でも船を俺ん中に取り込みてぇんだ」
「折角、プリン買ってきたんだが・・・」
「食う」
レイターは船から素直に出てきた。
プリンを食べながらレイターは俺に不思議な話をした。
「俺、船を自在に操りてぇんだ」

「今だって操ってるじゃないか」
「違うんだ。すべてを支配してぇんだよ。俺は『あの感覚』って呼んでるんだけどさ、その域に入りてぇんだ」
「入ったことあるのか?」
「ああ、先月も入った」
随分簡単な話だな。
「その域に入るとどうなるんだ?」
「時が止まる」
「時が止まる?」
「全知全能ってやつさ。誰にも止められねぇ。銀河一の操縦士ならそれが扱えなくちゃいけねぇんだ」
「そいつはすごいな。期待してるよ」
レイターから返事がない。
いつもなら自信満々で「まかせとけ」というのに。あいつは苦しそうな顔をして頭を抱えた。顔色が悪い。
「おい、どうした?」
「…どうしたら再現できるかわかんねぇんだ。ハールとメガマンモスならいけるんじゃねぇかって思ったのに。…また、入れそうで入れねぇ。俺が銀河一の操縦士であるためには『あの感覚』を俺一人でつかまなきゃ、意味がねぇっつうのに……」

絞り出すような声。どうしたんだ?
焦り? いやまるで怯えているようだ。レイターのこんな表情を初めて見る。
この状態でこいつをS1に乗せて大丈夫なのか。俺は不安に襲われた。
<出会い編>第三十九話(19)「決別の儀式 レースの途中に」 へ続きますが、その前に
<裏将軍編>第一話「涙と風の交差点」へ
いいなと思ったら応援しよう!
