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銀河フェニックス物語【出会い編】 第十四話 雨の後には虹が出る (一気読み版)
「申し訳ありませんでした」
ティリーは頭を下げた。
「困るんだよね。納期はちゃんと守ってもらわないと」
取引先の主任さんが怖い顔をしてわたしをにらんだ。
年輩の男性主任。
先日、フレッド先輩から担当を引き継いだ時もこの人は一度も笑顔をみせなかった。
「来週、間違いなくお届けいたします。以後気をつけますので」
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わたしのせいじゃない。 と、のどまで出かかる。
わたしはちゃんと素早く社内伝票を回した。工場側のミス。
しかも、先週わたしは工場の担当者にわざわざ確認までしたのだ。
だから、きのうになって別の案件に新型船が回ってしまって在庫も届かない、と聞いた時にはびっくりしたのを通り越して泣きたくなった。
とにかく、あわてて謝罪に飛んできた。
「うちは零細だから、後回しになっても構わないと思ってるんだろ」
主任に嫌みな口調で言われた。
「そんなことはありません。こちら側の手違いで本当に申し訳ありませんでした」
とにかく誠実に謝るしかない。
「これまでこんなことなかったんだけどね。担当がお嬢さんに変わって、見くびられてる感じはしたんだよ」
『お嬢さん』嫌な言葉だった。
何となく感じてはいた。
営業の担当が腕利きのフレッド先輩からわたしに変わったこと自体、こころよく思っていないことを。
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主任の態度からは「思った通りの使えない人物」という烙印を押している様子が伝わってきた。
そう思われないように、わたしは念を入れて確認もちゃんとしたのに……
「担当はあなたのままなのか」
つぶやきとも質問ともとれる主任の言葉に、わたしは頭を下げることしかできなかった。
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「お値段についても引かさせていただきますので。これからもよろしくお願い致します」
下を向くと涙が出そうだった。
書類ケースを持って部屋の外に出た。ディスクがいつもの倍入っていて重い。
急に下腹にズキンと痛みを感じた。
生理痛が襲ってきた。
朝、あわてていて痛み止めを飲むのを忘れていたことを思い出した。
部屋の外に厄病神のレイターが待っていた。
「本社へ帰ります」
操縦士兼ボディーガードの彼に短く伝えた。
厄病神に罪はない。わかっているけれど祟られた気分だ。
レイターの手がわたしの手に触れた。
「カバン持ってやるよ」
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「結構です」
断るわたしの手から彼はするりとカバンを抜き取った。
思わずレイターの顔を見つめた。
彼がカバンを持ってくれるのは珍しいことだった。普段は警護の邪魔だと言って手伝ってくれることはない。
きょうは体調も悪いので本音では助かった。素直に甘えることにした。
「ありがとう」
*
雨は本降りだった。
フェニックス号は屋外に停めてある。
傘をさして空港のターミナルビルから駐機場へと出た。
そんなに遠い距離ではない。
けど、雨の勢いが激しくなっていた。
傘を叩く雨の音しか聞こえない。跳ねた雨粒が足に当たる。
冷たい。足下から冷えてくる。
前を歩くレイターの姿が霞んで見える。
気分が悪くなってきた。どうしてこんなについてないんだろう。
謝罪に、生理痛に、冷たい雨……
突然レイターが振り向いてわたしの腕を引っ張った。
痛い! 何するの?
ザザザザアーーー
すぐ横を、水しぶきをあげて整備車が駆けていく。レイターが車に向かって怒鳴った。
「ったく、危ねぇぞバカ野郎!」
整備車は歩行者ゾーンを横切り、遠ざかっていく。
レイターははねた水をかぶり、ずぶ濡れになっていた。何が起こったのかよくわからない。
けど、きっと『厄病神』のせいだ。
「ちっ」
舌打ちしながらレイターは傘を拾った。
フェニックス号は目の前だった。
*
船の中は暖かかった。
マザーが暖めておいてくれたのだろう。
居間のソファーに腰掛けると疲れがどっと出た。足元の温風が濡れた靴を乾かしていく。
レイターがわたしに声をかけた。
「シャワーどうする? 一緒に浴びるかい?」
「結構です!」
思わず反射的に大きな声を出した。
「大丈夫そうだな」
ニヤリと笑いながらレイターはシャワーに向かった。
彼なりに気を使ってくれたんだ、とその時、気づいた。
マザーに痛み止めを出してもらう。
はあ、気が重いけれど、報告書を書かなくちゃ。
書類ケースに手をかけた。
不思議だ。ケースはまるで濡れていない。
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あの時。整備車が横を通った時。
レイターは傘を捨ててわたしの腕を引っ張った。
そして、わたしとケースが濡れない様に車との間に入ってかばってくれたのだ。
いつも荷物で手がふさがることを嫌がっているレイター。
彼は口も態度も悪いけれど、仕事はちゃんとしている。
後でお礼を言わなくちゃ。
*
コーヒーのいい香りで目が覚めた。
わたしはソファーでうとうとしてしまったようだ。痛み止めを飲んだせいかも知れない。
「ほいっ、カフェ・ラテ」
頭にタオルを乗せ、マグカップを両手に持ったレイターが近づいてきた。
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きめ細かく泡だったミルクの上に、クマの顔が描かれていた。
かわいい。飲むのがもったいなくて、思わず笑顔になる。
「お子さまスペシャルだ」
「……」
そのネーミングは気に入らなかった。
けど、おいしい。
泡が唇に優しい。熱すぎずそれでいて体の中から暖まる。
疲れた身体にじんわりと甘さが染み入ってきた。
マザーが煎れてくれるコーヒーもおいしいのだけれど、きょうのこれは多分レイターが煎れてくれたものだ。
少し元気が出てきた。
レイターが、操縦席のモニターを見ながら舌打ちをした。
「ちっ、この大雨で、管制が乱れてやがる。下手くそな操縦士がいるな」
しばらく船は飛び立てないという。
このままだと会社に戻るのは深夜、残業だ。わたしはため息をついた。
冷たい雨のせい?
それとも厄病神のせい?
ほんとについていない。
とにかく今のうちに報告書をあげてしまおう。
*
データを打ち込んでいるうちに、思い出して腹が立ってきた。
うちの工場担当者はフレッド先輩の大口の契約が突然入り、そちらに気をとられて入力を間違えたという。『零細だから後回しになった』と腹を立てた先方の気持ちが痛いほどわかる。
わたしも軽く見られて後回しにされたのだ。
今回の件は工場の担当者による全面的なミスということで、社内的にわたしは何の責任を取らされることもない。
工場担当者は上司とともにわたしのところへ謝罪に来た。
値引き分についても、わたしの営業成績には反映されないことになっている。
でも、顧客の前に立つのはわたしだ。
取引先はわたしを『お嬢さん』と呼んだ。あの主任さんはそもそもわたしに不信感を持っていたのだ。
そこへきて今回の失態。彼の信頼を回復するのは並大抵じゃない。ため息が出る。
わたしのせいじゃないのに……
『担当はあなたのままなのか』あきらめの入り交じる冷たい声を思い出すと胸が苦しく涙が出そうになった。
来週も新型船を届けるために、あの主任さんと顔を合わせなくちゃいけない。
部長に言って担当を代えてもらいたい。
わたしのせいじゃないのに……
また下腹が痛くなってきた。
肩に温かい手が触れた。
「ったくガキのくせに眉間にしわを寄せるな」
ガキと言われて更に気分が悪くなった。『お嬢さん』という言葉とかぶる。
「どうせわたしはガキですから」
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自虐的な返事をした。
「背中は、ばあさんみたいに凝ってやがるし」
そう言ってレイターはわたしの背中をさすった。
一瞬セクハラという言葉が頭をよぎったけど、そんなことを言ったらもったいないぐらい、レイターの手は暖かくて気持ちよかった。
「他人の評価は面白ぇもんだ」
レイターはわたしの肩をもみながら自分の話を始めた。
「俺は将軍の口利き、つまりコネでクロノスに入社したんだ」
この人は前にわたしと同じ営業部に勤めていた。
うちの会社は宇宙船メーカー最大手の優良企業で、ハイスクール中退の暴走族を採用するイメージはないから不思議だった。
けど、将軍の紹介ならありえる。
「それは事実だからしょうがねぇが、上手くいっても『コネだから』、失敗しても『コネだから』って言われたぞ」
そう言ってレイターは笑った。
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五年前、レイターが営業部にいたと聞いて、わたしは過去の記録を検索したことがある。
驚いたことに、レイターはフレッド先輩を抜いて月間販売台数一位の記録を持っていた。
コネの力じゃない。この人の実力だ。
「コネって言われて悔しくなかったの?」
わたしは『お嬢さん』とレッテルを貼られることに抵抗がある。
「面白くはねぇが、ほんとのことだからな。気にしたって事態は変わんねぇ。ただ、俺の限定解除免許を将軍のコネで取った、って言ったフレッドだけは殴ってやったぜ。それで謹慎処分さ」
何だか目に浮かぶ。この人は船の操縦に対するプライドが高い。
今、この人の仕事ぶりをコネという視点で評価する人は誰もいない。
態度は悪いし、『厄病神』ではあるけれど、ボディーガードとしても操縦士としても仕事は文句のつけようがない。
不思議な人だ。
船の操縦はもちろん、警護も、調理も、何をやらせても器用な人。肩もみもほんとうに上手だ。
体もほぐれて気分も落ち着いてきた。
「誰だってミスはするさ」
レイターの言葉に身体が固まった。
反論したい、わたしがミスをしたわけじゃないのだ。でも、そのまま黙って聞いていた。
「銀河一の操縦士のこの俺だってミスすることがある」
めずらしい。
自信家のこの人が自らミスをするということを口にするなんて初めて聞いた。
「次はあんたがミスするかも知れねぇ」
その時気づいた。レイターは知っているのだ、わたしのミスじゃないことを。
「とすれば、どうやってミスから立て直すかが勝負だ。フレッドのバカはそこが得意だ」
フレッド先輩が?
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「あいつだったら今回、裏の手を使ってでも、新型船の都合をつけただろうな」
「裏の手?」
「工場から一隻も回せないなんてはずはねぇんだ。お得意様の分とか別にとってあんだから」
「だってそれは動かせないじゃない」
「普通はな。けど物はやりようだ」
確かにフレッド先輩なら多少強引なことをしてでも船を確保したかも知れない。
「次はあんたも動かせるぜ」
「わたしが?」
「今回ヘマした工場の担当者に頼んでみろよ、あんたのために何とか融通つけてくれるはずだ」
そんなこと考えたこともなかった。
「何だか卑怯な気がする……」
「あんたってほんと真面目だな。ま、俺はそこに惚れてるんだけどさ」
レイターの冗談は相手にしない。
でも、レイターの話には一理ある。
人はミスをするものなのだ。そこでイライラしているより裏の手でも何でも考えた方がよっぽど建設的だ。
まだまだわたしには力が無かった。
小さくため息をついた。
「『お嬢さん』と呼ばれても仕方がなかったのかな……」
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それを聞いたレイターが不服そうな声で言った。
「つまんねぇなあ」
は?
「やっぱ、ガキはガキって言われたら怒んねぇと」
何だかこの人の話は支離滅裂だ。他人の評価は気にするなって言いたかったんじゃないのだろうか。
「……もういいです」
「あん?」
「肩もみ、ありがとうございました」
ほんとは続けて欲しかったけど、ガキと言われたことにカチンときた。
生理痛もおさまってる。身体が軽くなり随分楽になった。
もう少しで報告書が書きあがる。
工場の担当者や取引先の主任の顔が浮かんだ。
今回の件では、わたしだけじゃない、みんな嫌な思いをしている。
フレッド先輩は『立て直すのが上手い』か。
ちょっと思いついた。
船を届ける時、取引先の主任さんに少しでも信頼されるように値引きだけでなく何かサービスをつけられないだろうか。
そうだ、工場の担当者に協力してもらえれば、付属品の融通は効くんじゃないだろうか。
卑怯にならない範囲で裏の手を使ってみるっていうのはありだ。
あんなに嫌だった来週が少し楽しみになった。
「およ、虹が出てるぞ。しかも二重だ」
レイターがフェニックス号の天窓を開いた。
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報告書を打つ手を止めて見上げた。
空が明るくなっていた。
雨上がりの空港に虹が二本かかっている。
七色がはっきりと半円を描き、その上にやや薄い色のアーチが地平線の端から端まで大きく覆っている。
こんなに大きく美しい虹を見るのは生まれて初めてだ。心が弾んだ。
レイターが居間に置いてある古いギターを手に歌を口ずさんだ。
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「ほら、雨が上がる。虹ができる。僕の前に」
初めて聞く曲だった。
相変わらず歌が上手い。
さっきまであんなに沈んでいた心が、前に向かって歩こうという気持ちになる。
この美しい虹をずっと見ていたい。ささやかな幸せ。
歌い終わるとレイターは虹を指差しながら言った。
「冷てぇ雨のおかげだな」
さっきまであんなに嫌だった冷たい雨。
でも、その雨が美しい虹を作り出し、わたしにいろいろなことを教えてくれた。
冷たい雨はいつか止む。悪いことばかりじゃない。
「冷たい雨のおかげね」
それと、レイターのおかげだ。ありがとう。
「さぁてと、行くぜ」
レイターのかけ声とともにフェニックス号のエンジンに火が入った。
船は大きな虹のゲートへ向かって動き出した。 (おしまい) 第十五話「虹の後にも雨は降る」へ続く
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