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銀河フェニックス物語【出会い編】 第三十三話 宇宙に花火が打ち上がる まとめ読み版①
・銀河フェニックス物語 総目次
・第三十二話「キャスト交代でお食事を」
部長に呼び出された。
仕事でミスをした覚えはないけれど・・・。ティリーは恐る恐る営業部長の部屋に入った。
部長はわたしの顔を見るなり機嫌がよさそうに、二ッと笑った。叱られる話ではないようだ。
「突然だが、ティリー君には、ネル星系で開かれるSSショーへ出張してもらうことになった」
次の仕事の話だった。
新型宇宙船の見本市、スペースシップショー。通称SSショーは、来週から開催される。
二年に一度開かれる宇宙船業界の祭典は、かなり前から準備が進められていて、突然出張が決まるのは何だか変。
「役員室からのお達しだ」
「え?」
わたしがなぜ役員室から?
「期間中、エース専務が会場に入る。君には専務のアテンドをしてもらいたい」
エース専務。その名前を聞いた瞬間、緊張で身体中に力が入った。
わたしの推し。
S1レーサー『無敗の貴公子』エース・ギリアム。
わたしが勤めるクロノス社の御曹司で、専務で、次期社長。彼がいたからわたしはこの会社を選んだ。
「秘書課の担当者が急遽入院することになって、役員室が君を指名してきたんだ。君なら慣れてるからってな」
思い当たることがあった。
前にもわたしはエース専務の付き人を担当した。あれは、宇宙船レースのS1プライム開催時だった。
手放しでは喜べない。
部長は知っているのだろうか。
あのS1プライムで、『無敗の貴公子』のエースに代わり、『銀河一の操縦士』のレイターが替え玉飛行したことを。
レースの途中で、エースは地元マフィアに腕の骨を折られ、操縦できなくなってしまったのだ。急遽、代理で飛んだレイターがきっちりとトップを守た。
そのことは、警察にもS1委員会にも届けていない。
だから、エースの無敗にカウントされている。
これは社内の極秘案件とされた。
さらにあの場でわたしは、誰も知らない現実のエース・ギリアムに遭遇した。
「あさって、専務はフェルナンド君のプレジデント号で会場入りするから、ティリー君も同行してくれ。専務の日程など資料は送っておくよ」
「はい。わかりました」
うれしさが半分、とまどいが半分。
憧れは憧れのままがよかった。なんて言っていられない。これは仕事なのだ。
*
席に戻るとベルがふくれっ面していた。
「ちょっと、ティリー、フェル兄の船でSSショーに出かけるんだって?」
ベルは従兄弟のフェルナンドさんに片思い中だ。
「フェル兄の情報をちゃんとわたしにあげるんだよ、わかった?」
「わかってるわよ。この間も教えたでしょ」
先日、フェルナンドさんと食事をした際に聞いた、今は好きな人はいない、という情報をベルに伝えたのだ。
「感謝してるよ。そう言えば、レイターは連続休暇を取ってるんだってね」
レイターの名前を聞くとドキッとした。
「そうなんだ」
「厄病神の船に乗らなくて済むって、みんな喜んでるよ」
まさにそのフェルナンドさんとの食事の後、偶然会ったレイターと、気まずい別れをしたばかりだ。
わたしが変な言いがかりをつけてしまった。
レイターと顔を合わせなくて済むのは、正直ほっとした。
*
フェルナンドさんの船、プレジデント号はクロノスの最高級船だ。
その整ったリビングで、実物のエースと再会した。
「ティリー、久しぶりだね。元気だったかい。今回もよろしく頼むよ」
わたしは毎週のようにレースを見ているから、久しぶりという感じがしない。
相変わらず素敵な笑顔だ。
でも、なんだろう違和感を感じる。
「こちらこそ。よろしくお願いいたします」
様子を探りながら頭を下げる。
「この前のS1プライムの際は、レース中だったから僕もテンションがおかしかった。いろいろ迷惑をかけたね」
「とんでもありません」
前に会った時より、エースの表情が明るい。
わたしが緊張しないように気を使ってくれているのだろうか。妙に親しげな気がする。
会期中のエース専務の大きな仕事は三つ。
一つ目は、SSショーのオープニングを飾るシンポジウムのパネラー。
二つ目は、今月発売した写真集のサイン会。
そして、三つ目の仕事がメインで、新型船の発表会対応。
わたしの仕事は、時間の管理だ。「まもなく次の予定が入ります」と伝えて、仕事をうまく切り上げ、スケジュールを円滑に進める。
ボディガードのフェルナンドさんは、エースの前では一言もしゃべらない。
影のように気配を消していた。
*
SSショーが開かれる、ネル星系に到着した。
小惑星帯を多く持つネル星系には、公営のレース場がいくつもあって、宇宙船好きにはおなじみの場所だ。
うちの会社も、ネル星系に独自の試乗コースを持っている。
巨大な球体の人工衛星がその会場だった。
表面は広告パネルになっていて、各社のプロモーション映像がチカチカと光っている。
プレジデント号がゲートから球体の中へ入る。
球の内側に張り付くように重力場の地面が形成され、その上に街が造られていた。
街の外れはぐるりと人工林で囲まれ、球体の中心部には人工太陽と空が投影されているから、室内という雰囲気はかなり打ち消されている。
人工林の外に宇宙空港はあった。
フェルナンドさんが操縦するエアカーで、エースと一緒に会場がある街の中心部へと向かう。
SSショーの入場ゲートとなっているコンベンションセンターを抜けると、色とりどりな各社のパビリオンが連なっているのが見えた。
巨大テーマパークといった様相だ。
明日の開幕を前に、会場はすでにプレス公開され、報道陣でごった返していた。同業他社の知り合いによく会う。
うちのパビリオンの外観を確認しておこうと、一人外に出る。
コーポレートカラーである鮮やかなオレンジの外壁は華やかだ。
時間を司る神クロノスをイメージし、時計の針が一時五十二分を指した弊社のエンブレムが飾られた横に、巨大なデジタルポスターが張られていた。
サイン会の宣伝が映る。写真集を手にするエースのさわやかな笑顔を前に、つい、顔が緩んでしまう。
かっこいい。
ポスターに見とれていたら、背後から聞き慣れた声がした。
「およっ。どうしてここにティリーさんがいるんだよ?」
いきなり現実に引き戻された。
この人は休みを取っているんじゃなかったんだろうか。心の準備ができないまま、わたしは振り向いた。
レイターが立っていた。
パーカーを羽織って、随分とラフな格好をしている。
「どうしてってお仕事です。専務のアテンドで来たんです」
淡々と事実を答えた。
「貴公子さまの付き人ですか。そりゃ、楽しそうなお仕事で」
エースのポスターを見あげながら嫌味を言う。
「そういうレイターこそ、休暇を取ってたんじゃないの?」
「そうさ、俺はこのSSショーのために休暇をとったんだ。完全プライベートだぜ」
と、幸せそうに笑った。つられてこっちまで笑顔になる。
「あなたって、ほんとに船が好きなのね」
「おーい。レイター!」
警備員の制服に身を包んだ大柄な人が、手を振りながら近づいてきた。銀河総合警備のクリスさんだ。SSショーの警備は銀総が仕切っている。
クリスさんにはS1プライムの際お世話になったし、一緒にバスケをしたこともある。
レイターが露骨に嫌そうな顔をした。
昔から知り合いだと言うクリスさんは、レイターを子ども扱いするのだ。
「やあ、レイター、一度はここへ顔を出すと思ったんだ。おまえって携帯通信機がつながらないからさあ」
レイターへの連絡はフェニックス号から転送される。
基本的にマザーが応対し、本人にはつながらないという話はよく聞く。
ただ、わたしが架けてつながらなかったことはない。
レイターは口をへの字にしてクリスさんをにらんだ。
「言っとくが、俺は休暇中だからな」
「闇の品はもうあらかたさばけたと聞いたぞ。随分稼いだそうじゃないか」
この人、また悪いことしてお金儲けしていたんだ。
「これから純粋にSSショーを楽しむんだっつうの」
「まあまあ、聞いて損はしない話さ。仕事を頼みたいんだ」
クリスさんが肩を叩いてレイターを連れ出した。
* *
ティリーに聞かれない程度に離れたところで、クリスがレイターに耳打ちした。
「せっかくのSSショーが爆弾テロにあったら、お前も楽しめないだろ」 「あん?」
クリスは声を潜めて話を続けた。
「情報ネット上に『打ち上げ花火でSSショーを吹き飛ばす』って書き込みがあがってな、爆破予告の可能性がある」
「で?」
レイターはクリスを上目遣いでにらんだ。
クリスはわざと心配げな顔で言った。
「初日のシンポジウムには、パネラーとしてエースも呼ばれているんだ。ティリーさんが爆破事件に巻き込まれないといいが・・・」
「ったく、俺に何して欲しいんだ?」
「警備を手伝って欲しいんだよ」
「俺は休暇中だ、っつったろ」
「銀河連邦の交通大臣と地元ネル星系の皇太子が出席するから、報酬は首脳級扱いだ。即金で支払われる。どうだ」
首脳級扱い、という言葉にレイターが反応する。
「ちっ、しょうがねぇな」
レイターは肩をすくめ、渋々了承した。
「いやあ、お前がいてくれてほんと助かったよ。じゃ」
* *
ティリーは二人の様子を見ていた。
クリスさんが手を振って嬉しそうに帰っていく。レイターは不機嫌そうな顔で肩をすくめた。
どうやら、レイターが警備チームに入ることになったようだ。休暇を楽しみにしていたのに、と同情する。
レイターはボディーガードとして腕がいいのは確かだ。
けれど、厄病神だ。
大丈夫だろうか。不安になる。
それにしても、レイターと思わぬ場所で会ったおかげで、普通に会話ができてよかった。ほっとしている自分に気がついた。
*
SSショーが開幕した。
初日から、大盛況だ。入場のためにネル星系ではあちこちで宇宙船渋滞が起きているとニュースが伝えていた。
わたしたちは会場の衛星内に滞在しているから、渋滞による遅刻の心配はない。エース専務は会場近くの高級ホテル。わたしとフェルナンドさんは、空港に停めているプレジデント号が宿泊先だ。
エースが出席するオープニングセレモニーは、コンベンションセンターの大ホールで開催される。わたしはスタッフパスを身に着けて会場へ足を踏み入れた。
一般客の入場が始まったホールには、マスコミのカメラもたくさん来ている。手荷物チェックなど警備が厳重だ。
入口付近で人の流れを誘導する男性を見た瞬間、胸がドキッとなった。
制服姿のレイターが立っていた。
ちゃんと髪の毛をまとめて、ネクタイをきちんと締めて、背筋がぴんと伸びている。『よそいきレイター』だ。
「お疲れさま」
仕事の邪魔にならないように声をかける。
「ったく俺は、休暇中なんだ」
レイターは突然警備に入ったにしては随分と手慣れていて、来場者に丁寧な対応をしていた。
初めて『よそいきレイター』を見た時、驚いたことを思い出す。
あれは、永世中立星の大統領夫人の警護だった。それから、アレンカトゥーナ展覧会の警備の時も、別人のようだった。
舞台の袖がわたしの待機場所だ。
客席の様子もモニターでウオッチできる。
視線がつい、モニターに映るよそいきレイターに吸い寄せられてしまう。
隣で待機しているフェルナンドさんに話しかけた。
「レイター、ってこういう警備の仕事もちゃんとできるんですね。普段、わたしのボディガードの時はずっとだらけてるのに」
「レイターさんは、短期のアルバイトでしょっちゅう首脳級会議の警護とか入れてますからね。ボディーガード協会のランク3Aですから、報酬がいいんですよ。今回のバイト代もおそらく一週間で一千万リルは下らないでしょうね」
「一千万リル?」
わたしの年収の倍以上だ。レイターが嫌そうな顔をしながらも、仕事を受けた理由に納得した。
*
SSショーの開幕を告げる派手な3D映像が、カウントダウンを始めた。各社一押しの宇宙船がホールを飛び回っているように見える。
「スリー、ツー、ワン。スペースシップショー、オープニングイベントのスタートです!」
司会者の声を合図に、エース専務とネル星の皇太子と連邦政府の交通大臣の三人が舞台に登場し、パネラーとして座った。
大ホールは満席だ。舞台の袖でシンポジウムを聞く。
エースの話は面白かった。
S1レースの裏話にとどまらず、今後の宇宙船業界の動向まで話は多岐にわたり、業界トップの経営者なのだということを実感する。
レーサーを続けながら、大学で経営学を専攻し卒業。
会社役員とレーサーの二足の草鞋を履きながら、S1では無敗を守り通している。並みの精神力じゃない。
さすが、わたしの憧れの人。
宇宙船好きの皇太子は、エースの話に興味深く耳を傾けていた。
年配の交通大臣は、次の連邦評議会に提案される宇宙航空法の改正案について、長々と説明を始めた。「スピードを出すならレース場で」と当たり前の発言を繰り返していて、退屈だ。
と、その時。
「宙航法改正反対!」
客席にいた男が、大声をあげて立ち上がった。
男は手にした黒いものを、舞台に向けて投げつけようとしている。
と、右手をあげたその状態で、男の身体が固まったかのように動きを止めた。
男の背後から、制服を着た警備員が押さえ込んでいる。レイターだ!
レイターは男の口と腕を締め付けて、音もなく通路へと引きずりだした。あっという間の出来事だった。
やっぱり、レイターは『厄病神』だ。
警察官が駆けつけ、男は交通大臣に向けて靴を投げつけようとした傷害未遂の現行犯で逮捕された。
交通大臣は舞台上で頭を下げて訴えた。
「え~、宇宙航空法改正案にはいろいろなご意見がございますが、何卒、ご理解の程、よろしくお願いいたします」
*
シンポジウムの後、エース専務を宿泊先のホテルに送り届けると、わたしとフェルナンドさんはSSショーの会場へと戻った。
ちょうどそこへ不審者逮捕の手続きを終えたレイターが入ってきた。
「流石ですね」
フェルナンドさんがレイターに声をかける。
シンポジウムが無事に終わったのはレイターのおかげだ。
「あいつ動きが不自然だったから、見張ってたんだ」
お手柄のはずなのに、何となくレイターの声が沈んでいる。
「どうしたの?」
「あん?」
「さえない顔してるわね」
「クリスに手当を断られた。靴ぐらい投げさせてやれば良かった、と思ってさ」
「は? 何言ってるの」
「俺も宙航法の改正にゃ反対なんだよ。速度制限を増やそうって話だからな」
大臣が「スピード出すならレース場へ」と言っていたことを思い出した。
「でも、どうせレイターは速度制限なんて無視してるじゃない」
「無視してねぇよ! 捕まらねぇようにどれだけ苦労してると思ってんだ。ああぁめんどくせぇ。それだけじゃねぇ。この改正案は問題ばっかしだ」
そう言ってレイターは頭を抱えた。
レイターのような飛ばし屋の人たちにとって、交通大臣に靴を投げつけたいぐらい、困った法律改正ということのようだ。
フェルナンドさんがほっとした顔をした。
「レイターさんが改正反対派のリーダーじゃなくてよかったです。大臣を暗殺したりしないで下さいよ」
フェルナンドさんの冗談は笑えなかった。
「大臣の暗殺なんてケチなことしたって意味ねぇんだよ。俺ならもっとうまくやるさ」
暗殺をケチなこと、って言ってのけるレイターの感覚は相変わらずよくわからない。
*
明日の打ち合わせが終わり、わたしたち三人は一緒に関係者用出口から外へ出た。
夜の駐車場には、見るからに柄の悪そうな人たちがたむろしていた。ひと目で暴走族とわかる。
SSショーにはこういう人たちもたくさん来ている。
あまり関わりたくない。と思ったところへ、数人がわたしたちに近づいててきた。
逆立った髪に、鋲のついた服。
ナイフや鎖をわざと見えるように持っている。嫌な感じだ。
「『裏将軍』ちょっと顔貸して欲しいんだ」
「あん?」
レイターが間の抜けた声を出す。
『裏将軍』は飛ばし屋時代のレイターの呼び名だ。
「利子つけて返してくれるんだろな」
レイターったら、バカなことを言ってる場合じゃない。空気が緊迫している。相手は六人いた。
フェルナンドさんが、かばうようにすっとわたしの前に立った。
体の大きな男性が、手に持った鎖をじゃらじゃら鳴らしながらがレイターに声をかける。
「俺はギャラクシー連合会武闘派のアギだ。お前を連合会総長がお呼びだ」
「何で?」
「ポリ公の犬に成り下がった」
「は?」
「宙航法の改正反対派を逮捕しやがって」
昼のシンポジウムは多くのマスコミが取材していた。
大臣に靴を投げようとした反対派をレイターが取り押さえた瞬間は、各メディアが何度も放送し、情報ネットワークでも一気に拡散した。
おそらくそれを見た反対派が逆恨みしているのだ。今にも飛びかかってきそうな気配。
レイターはアギという男性を見ながら顎をしゃくらせた。
「あんたらの質が落ちてるから、こんなことになってんだよ」
どうして火に油をそそぐようなことを言うのだろう。自分だって改正案に反対なのに。
「フェルナンド、ティリーさんを送っていってくれよ」
「わかりました」
フェルナンドさんがわたしの手をとった。
レイターは今にも喧嘩を始めそうだ。でも、彼らと争う必要はまるでない。レイターは反対派と同じ立場なのだ。
「ちょ、ちょっと待って、レイターは自分の考えをちゃんと相手に伝えればいいでしょ」
レイターがわたしを見た。目が合う。
「ほんと。ティリーさん、大好きだよ」
そう言いながらウインクした。
胸がドキンと音を立てた。よそいきレイターのせいだ。
この事態に不釣合いなさわやかな笑顔で、レイターは一体何を言ってるの?
思考が停止しているわたしを、フェルナンドさんがかばうようにして駐車場の端へと連れて行く。
「で、どうすりゃいいんだ?」
レイターと男たちのやりとりが聞こえる。
「裏将軍を本部まで連行する」
「嫌だと言ったら」
「力ずくで連れて行くまでだ」
振り向くと男たちがレイターに襲い掛かるのが見えた。
「待ちやがれ!」
暴走族のひとりが、わたしたちを追いかけてきた。
「失礼」
フェルナンドさんは軽く男に蹴りを入れて一撃で倒す。この人もほんとに強い。
停めてあったエアカーに乗り込む。
わたしたちを追ってくる人はもういなかった。
ということは、残り五人がレイターに向かっているということ。
「フェルナンドさん。レイターを助けに行ってください」
「それはできませんよ。あなたを置いていったら、僕がレイターさんに殺されます」
「だって、レイターが」
「僕の仕事はあなたを守ること。あの人なら大丈夫です。心配いりません」
フェルナンドさんはレイターを置いたままエアカーをプレジデント号へと走らせた。
* *
レイターに襲い掛かった全員が駐車場に転がっていた。
「つ、強ぇ。流石、裏将軍だ」
レイターがリーダーのアギの襟ぐりをつかんで体を起こした。
「その呼び方、恥ずかしいから止めろ。レイターでいい。じゃあ、連合会本部へ案内しろ」
「来てくれるのか?」
「行かねぇとは言ってねぇよ。俺は連行されるのが嫌だ、っつったんだ」
レイターは、アギが用意した品のない塗装のエアカーに乗り込んだ。
エアカーは街を取り囲む人工林を抜け、巨大な倉庫の前に到着した。
その周りにはギャラクシー連合会の所属を示す銀のロゴが描かれた小型宇宙船が、所狭しと駐機している。裏には宇宙へ抜ける輸送用ポートがあった。
こいつは無断使用じゃねぇな。
正規の手続きを踏んで敷地ごと借り切ってやがる。いいよな、カネのある奴は、とレイターはうらやましく思った。
銀総のクリスとの会話を思い出す。
「悪いが報酬の増額はできん。お前が捕まえた奴は、爆破予告とは無関係だった」
一体どこのどいつだよ。俺が楽しみにしているSSショーを狙おうって奴は。
*
倉庫の中はいくつもの部屋に仕切られていた。
ギャラクシー・フェニックス時代の拠点と雰囲気が似てるな。レイターは懐かしく思いながら中を見回した。
鎖を懐にしまったアギが奥の部屋に向けて報告する。
「総長、『裏将軍』を連れてきました」
「アギ、ご苦労だった。随分、派手にやられたな」
ドアの奥から紫色の前髪をした男が笑いながら出てきた。レイターに殴られたアギの頬は腫れあがっていた。
「久しぶりだな、レイター」
飛ばし屋で最大規模を誇る、ギャラクシー連合会の総長アレグロ・ハサムは、親し気に声をかけた。
「随分、手の込んだお呼び出しじゃねぇか」
「ニュースと情報ネットワークのおかげで、お前のいる場所がわかった」
「俺の居場所なんて、月の屋敷に連絡すりゃ済むことだろが」
将軍家の居宅である月の御屋敷が、レイターの住民登録の場所になっている。そして、アレグロ・ハサムの実家も同じ月面地区にあった。
「バブさんは苦手だ」
ぼそりとアレグロは言った。
小言を言わないと気がすまない将軍家侍従頭の顔を思い出し、レイターは苦笑した。
「ま、そうだな」
* *
六年前、俺のことを『裏将軍』と名付けたのがアレグロだった。大富豪ハサム一族の次男坊。
「レイター、お前がスーツを着ているところを初めて見るな」
「あんたは、まったく変わんねぇな」
当時もアレグロは大学生だった。お下がりの服をもらっていたことを思いだす。
「ギャラクシー・フェニックス時代より所帯は小さくなったが、今もギャラクシー連合会には飛ばし屋の情報は入ってくる。時々、お前がアステロイドで飛ばしてることも知ってる」
「そりゃどうも」
「今回、お前が反対派の男を逮捕したことが、我々飛ばし屋のいらだちを増幅させている。お前ならわかるはずだ、宙航法の改正は政治家の人気取りで、意味がない」
「知ってるよ」
「知ってて逮捕したのか」
アレグロが眉をひそめた。
「しょうがねぇだろ。俺のお仕事なんだから。逆に俺に感謝しろよ。あいつが靴を投げる前に押さえてやったから、起訴まで持ち込めねぇよ。あいつはもうすぐ釈放されるさ」
「ふむ、なるほどな」
頭のいいアレグロはすぐに理解した。
靴が大臣に当たり怪我でもさせていたら、靴を投げた男は傷害罪で起訴され、宙航法改正反対派のイメージは一気に悪くなっただろう。
俺は口を尖らせて言ってやった。
「大体、最近、あんたらの素行が悪いから、あんな法律改正が持ち出されんだよ」
「レイター、こっちへ戻ってこないか?」
「あん?」
「お前の言うとおりだ。組織がほころびだしてる。うちだけじゃない。どこの組織もみんな下部組織が好き勝手に暴れてて締め付けがきかないんだ。だが、『裏将軍』が戻ってくれば立て直せる」
「それで俺を呼び出したのか」
アレグロがうなずいた。
「裏将軍ブランドは今も力がある。俺が総長をやっていられるのも『裏将軍の元側近』という肩書きがあるからだ」
「それを言うなら、ハサム一族の財力だろ」
俺の言葉をスルーして、アレグロは話を続けた。
「裏将軍が武闘派のアギを倒したという情報を、飛ばし屋ネットに流した。アギは、あれでもこの業界で名が通っている。この情報はインパクトを持って迎えられるはずだ。裏将軍はもう復活したんだ」
「あん? ちょっと待て、俺はあんたと違って普通の社会人だぞ」
「普通の社会人?」
アレグロは頭が切れる。
あの頃、裏将軍というブランド価値を高めるためのシナリオは、すべてアレグロが描いていた。
「まあいい。お前が表で動くことは無い。ヘレンを動かしたい」
「ヘレンを?」
懐かしい名前に俺は少なからず動揺した。
「そうだ『裏将軍』の正室『御台所』だ。あいつが今も現役の飛ばし屋をやっていることは知ってるだろ」
もちろん知っている。『裏将軍』の次に速い飛ばし屋として、昔と変わらず名を馳せている。
「お前の言うことなら『御台』は聞く」
「おいおい、何年前の話だよ」
「あいつは、お前に命を助けられたことを忘れる奴じゃない。頼む、御台を説得してくれ。あさっての総会に御台が出てくれればそれでいい。ここは御台の地元だ」
「そうだったな」
俺は少し考えた。
「アレグロ、あんた、情報ネットにあがってる爆破予告のこと知ってるか」
「ああ、SSショーを花火で吹き飛ばすってやつだろ。全く困ったもんだ」
「あさっての総会で派手な花火を打ち上げろ」
「花火か」
アレグロは、ニヤリと笑った。
俺の考えてることを、こいつはすぐに理解し実行してくれる。
「こっちから仕掛けてやろうぜ。祭りにゃ花火がつきもの、復活祭だ。ついでに宙航法改正反対ってのろしもあげろよ」
* *
フェルナンドに連れられてプレジデント号に戻ったティリーは落ち着かなかった。
レイターは大丈夫だろうか。
フェニックス号へ連絡を入れた。マザーが出た。
「申し訳ありません、ティリーさん。レイターは今、回線を閉じているので通話をおつなぎできません」
回線を閉じている? つながらなかったことは初めてだ。
ケガをしてどこかで倒れているんじゃないだろうか。
そんなはずはない。レイターは強いのだ。ボディガード協会の3Aなのだ。あんな人たちにレイターがやられるわけがない・・・。
駐車場で『ティリーさん。大好きだよ』とウインクしたレイターの笑顔が頭に浮かぶ。
いつもの冗談だ。いや、違う。
立てこもりから救出された時を思い出す。あの時と同じだ。ふざけているようでふざけていない空気。
身体があの感触を覚えている。胸の動悸が激しくなる。
自分がいつ寝たのかよく覚えていない。
朝になっていた。身支度を整えるとすぐにフェニックス号に通信で連絡を入れた。
レイターがあくびをしながら出た。
「ふわぁ、ティリーさん、どうしたんでぃ? 俺、きょう非番なんだけど」
「無事だったのね」
「あん? 何? 朝から愛の告白かな?」
だらけた顔を見たらイライラした。
怪我しているような様子はまるでない。フェルナンドさんの言うとおりだ。心配しただけ損をした。
「何でもないわ!」
わたしは通信機を思いっきり切った。
*
仕事場であるSSショー会場の前に、『宇宙航空法改正案反対!』という大きなプラカードが掲げられていた。
「反対の署名をお願いします」
腕章をつけた人たちがビラ配りと署名活動をしている。
わたしは署名はしなかったけれど、ビラを受け取った。
そこには、「プライバシーを守れ」「衛星利権を許すな」と大きな文字で書かれていた。
宙航法の改正で速度制限区域を拡大すると同時に、監視衛星を増設するという。
これがプライバシー保護の観点から望ましくなく、さらに衛星メーカーの業界と評議会議員の癒着によって生まれた法案だと批判していた。
今後、小惑星帯にも監視衛星を設置することが盛り込まれていた。飛ばし屋は小惑星帯をバトルの場として使う。今は、一般人に迷惑が掛からない限り、速度違反も見て見ぬふりがされている。
レイターが反対するわけだ。
このネル星系には小惑星帯が多くて、飛ばし屋や暴走族が集まってくる。
だから法案の反対運動に力が入っているのだ。
*
明日のサイン会に向けた打ち合わせが、思いのほか早く終わった。あとは夜、現場で最終チェックするだけだ。突然半日フリーになった。
せっかくSSショーの会場に来ているのだから、他社のパビリオンも見たい。
「自由時間をいただいてもよろしいでしょうか? SSショーを見ておきたいので」
エースに許可をもらう。
「ああ、行っておいで。勉強になると思うよ」
わたしだけに向けられた素敵な笑顔に心拍数が上がる。心が射抜かれてしまう。
「では、後ほど六時に」
とパビリオンの外へ出た。
*
関係者パスがあるから、会場内を自由に歩ける。
とりあえず、ライバルのギーラル社を見ておこう。
それにしても広い会場だ。会場内のシャトルをうまく乗り継がないと見たいものも見られない。
携帯通信機に入れた会場ナビマップを見ながら、右回りのシャトルに乗ってみる。
おかしい、ここはどこだろう。ギーラルのパビリオンから遠ざかっている。
首を傾げて会場のナビを見つめる。まずい、迷ったようだ。
「迷子のお子さま、どうしましたか?」
顔を上げるとパーカーにTシャツGパンという普段着のレイターが立っていた。
非番と言っていたことを思い出す。
「迷子じゃないわ」
「案内が必要なんだろ?」
迷子と言われてムっとしたけれど、事実だった。レイターが案内してくれたら助かる。
「案内料金とるつもり?」
「そうだな、小型船の試乗を手伝ってくれたらチャラにするぜ」
試乗の手伝い。
わたしはレイターの操縦を見るのが好きだ。それでいいなら願ったり叶ったりだ。
「わかったわ。わたし、競合他社のブースを見ておきたいんだけど」
「OK。じゃ、動く歩道に乗り換えるぜ」
レイターとわたしの共通の趣味は宇宙船レースの鑑賞だ。船の話題にはことかかない。
「ほら、今度のギーラル、操縦桿の軽さが売りだぜ、これ触ってみな」
「ほんとだ」
「あっちに、べヘム社のコンセプト船が展示してある。話題集めてっから、見といた方がいい」
相変わらずの情報通で、解説のひとつひとつが勉強になる。
非日常の空間に気持ちが浮かれる。
ちらりとレイターの顔を見上げる。
船が大好きな『銀河一の操縦士』は、遠足に来た子供のようないい表情をしていた。
「やっぱ、実物が一気に見られるってのは、最高だよな」
レイターがこのSSショーのためにわざわざ休みを取った理由がよくわかる。
楽しい。
*
古風な赤レンガ造りの美しい駅舎。
大手宇宙鉄道会社「宇鉄」のパビリオンの前で、わたしはため息をついた。
「やっぱり、チケット売り切れなのね」
ファッション業界とコラボした特別企画『ファッションイメージング』に長蛇の列ができていた。
チケット完売の看板がでている。
ポーーーーー。
警笛を鳴らしながら、宇宙から帰ってきた豪華列車がパビリオンの中へと入っていく。
有名ブランドのファッションショーを、宇宙列車の個室に乗りながら体験できるというこのイベント。
人気モデルが彼氏と楽しんだ内容を情報ネットに投稿したところ、一気に火が付きトレンド入りした。
増便された、とニュースで伝えていたから、もしかしたら当日券があるかもと期待していたのだけれど・・・そんな様子は微塵もなかった。
「あんた、こんなの行きてぇのか?」
宇宙船お宅のレイターは全く興味がなさそうだ。
「こんなので悪かったわね。あなたには関係ないでしょうけど、女性客を取り込むには画期的なイベントよ。ちゃんと研究しなくちゃ」
「とか、何とか言って、ただ、服着て遊びてぇだけだろが」
レイターがにやりと笑う。反論できない。
カップルで並んでいる人たちがたくさんいた。
船に興味のない女の子も、彼氏と楽しむのに持って来いのイベント。遊園地で言えば観覧車みたいなものだ。
何だかうらやましい。
*
「俺との約束も、忘れずに頼むぜ」
レイターの手がわたしの頭に触れた。
心臓がドキンと音を立てた。この感触、立てこもり事件で抱きしめられた時を思いだす。
気付かれない様に平静を装う。
「わかってるわよ。試乗につきあえばいいんでしょ」
レイターが向かったのは、会場の端の端。外装にお金がかかっていないパビリオンだった。中小のメーカーが共同で入っている。
わたしが聞いたこともないメーカーのブースに、レイターは足を踏み入れた。
「お~い、ガレガレ。いねぇのか?」
レイターが声をかけると中から、ギョロっとした目の痩せた男の人がでてきた。
「レイター、久しぶりだな。あんたが一人目の客だ」
「新型の小型船に乗せてくれ」
ガレガレと呼ばれた年配の男性がレイターに聞く。
「彼女か?」
そんな風に見えるのだろうか。
レイタはにやりと笑って答えない。わたしがあわてて否定した。
「違います」
コンパクトな小型船が展示されていた。フォルムがきれいだ。
レイターはボディを確認すると助手席に乗り込んだ。中で座り心地をみているようだ。
「ティリーさん、早く乗れよ」
助手席に座ったまま、レイターはわたしを手招きした。
「え? レイターがどいてくれないと」
「あんたが操縦席に座るんだよ」
「え、ええええっ?」
そんな話は聞いてない。
「手伝ってくれる、っつったじゃねぇか。それともガイド料払うかい?」
いくらぼったくられるか、わかったもんじゃない。
「わたし、ほとんどペーパーなのよ」
「知ってるさ」
仕事で遠出する時は、操縦士付きの船に乗るし、近場は公共船で事足りてしまうから自分で操縦する機会は少ない。
とはいえ、わたしは宇宙船メーカーの営業だ。うちで売り出す新型小型船のペルットに先日乗ってみた。大通りは問題なく飛ばせたけれど、着船は怖くてレイターに代わってもらった。
とりあえず操縦席に座る。
「エンジンかけてみな」
キーをかざしてスタートスイッチを押す。
「あ、簡単だ」
エンジンが調子良く回り始めた。音がいい。ペルットより動かしやすそうだ。
「大丈夫だよ。何があっても俺がついてる」
そう言ってレイターがウインクした。また胸がドキンと鳴った。
『ティリーさん。大好きだよ』という声が聞こえた気がした。
わたしは頭を振った。船の操縦に集中しないと。
教習所で習った操作を思い出しながら動かしてみる。
ほとんどペーパーのわたしにとって、見慣れたクロノス以外の船はハードルが高いのだけれど。
「安全装置を解除してください」
次に操作するところが全体に発光し、順に示してくれている。
ガイド機能が抜群だ。
へえ、うちの会社の船にも導入すればいいのに。
各パビリオンの中には宇宙空間へ飛び出すためのポートが、それぞれ設置されている。入場客はそのまま見本船を宇宙で試乗することが可能だ。
ガレガレさんが外へのハッチを開いた。
「じゃあ、出発します」
恐る恐る船を動かす。
あら?
いつもはスタートでガクガクしてしまうんだけれど、きょうはすごくスムーズだ。重力離脱も問題ない。
「操縦しやすいわ」
レイターに話しかける余裕がある。
「この船はガレガレが、カミさんのために作った船なんだ。操縦が苦手な人でも操縦しやすいように、ってな」
妻のための船。
わたしは顔が赤くなった。
レイターったら、そんな船をわたしに操縦させてどういうつもりなの?
船はゆっくりと宇宙空間へと飛び出した。
この船は至れりつくせりというか、痒いところに手が届く。わたしがもたつきそうなところは自動でカバーしてくれる。
人工衛星周りの試乗コースに入る。
「操縦がうまくなったみたいじゃない?」
「そりゃ良かった」
「でも、あまりスピードは出ないのね」
加速器の反応が悪い。
「あんた、前の船との距離ちゃんと見てる? この船は船間距離が詰められねぇようにできてんだ」
「そうなの?」
あっという間に試乗コースを一周した。もうちょっと飛ばしてみたい気分だ。
操縦には苦手意識があるのだけれど、この船だったら、苦にならない。隣には銀河一の操縦士もいる。何かあったら何とかしてくれる。
とはいえ、残る着船はわたしにとって最大の難関。
ガレガレさんのポートが近づく。
あれ? わたし何もしていないのに、レーダーがきちんと着船地を捕捉している。
ほぼオート操縦状態だ。
船は衛星内へ吸い込まれるようにい入っていき、わたしの人生の中で一番スムーズに着船した。
「すっごーい。これならわたしでも乗れるわ」
「そのようだな」
船を降りるとガレガレさんが待っていた。
「こちらのお嬢さん、俺の妻といい勝負だな」
妻といい勝負?
ドキっとして、わたしはまた顔が赤くなりそうになった。
「だろっ、ティリーさんが操縦できれば誰でも操縦できる」
ん? どういう意味?
誉められているわけではなさそうだ。
「ガレガレのカミさんはさ、操縦が銀河一下手だって有名なんだ。この船なら誰が操縦してもフェニックス号を傷つけられることがないと思ってさ」
「わたしが操縦下手だから試乗させたの?」
「助かったぜ、おかげでこの船の性能がよくわかった」
不愉快だった。
わたしが下手だから利用したというのは仕方がないにしても、『妻のための船』という言葉にドキドキした自分が馬鹿みたいで腹が立った。
「で、この船いくらなんだ」
レイターがガレガレさんに聞いた。
「定価は千五百万リルだ」
結構高い。
今回うちで売り出す、同じクラスのペルットが千二百万リル。
「ガレガレ、俺とあんたの間じゃん。八百万ぐらいでどうだ」
思わずレイターを見上げる。いきなり半額に値切りだした。
SSショーは各社の船を乗り比べて購入することができる。うちの場合はクロノスのディーラーのパビリオンを併設している。
ガレガレさんが力説した。
「安全を金で買えるんだぞ、どんなにがんばっても千四百までしか無理だ。永年保証も付いてる」
「保証はいらねぇよ。壊れたら俺が直す」
「・・・そうだったな」
ガレガレさんががっくりと肩を落とした。レイターは整備士の免許も持っている。
「まだ、ひとりも客が来てねぇんだろ、早く一件目を成約させた方がいいぜ。カミさんが待ってんだろ?」
「千三百を切るわけにはいかん」
ガレガレさんが少し金額を下げた。
「開発費かかってるようだな。かなり出来がいい」
「わかってくれるか。だから頼む」
「銀行への返済もあるし、まとまった金が、早く欲しいんだろ?」
「そうなんだ」
「一括現金で払ってやろか」
「で、できるのか」
レイターはパーカーのポケットから何かを取り出した。
うわっ札束だ。
五センチほどの厚みの束を二つ、ガレガレさんの前にドンドンと置いた。
こんな現金、生まれて初めて見た。
普段の買い物はデジタル通貨を使うのが一般的だし、船の購入は通常ローンを組む。
「ただし、税込みで頼むぜ。手持ちはこんだけ、一千万リルしかねぇんだ。これなら即金で払ってやれるから」
ゴクリ。
ガレガレさんがつばを飲み込む音が聞こえた。
現金は強い。所有権の移動が目で見て確認できる。しかも手数料が一切かからない。
「・・・あんたにゃ負けた。一千万でいいよ」
「損はさせねぇから安心しな。フェニックス号まで運んどいてくれ」
レイターの周りでは驚くようなことがよく起こる。最近は慣れてきたけれど、今のはびっくりした。
「よく、そんな大金を現金で持っていたわね」
「さっき、カバのクリスからバイト代を前借りしたんだ」
今回の警備代だ。
フェルナンドさんが言っていたとおりの高額バイトだった。
「大金を持ち歩くなんて、危なくないの?」
「危ない? 何で? 俺が持ってるのが一番安全じゃん」
そうだった。この人は現金輸送のプロだ。
それにしても、新型船を三割以上値切る客なんて、わたしは絶対担当したくない。ガレガレさんに同情する。
*
レイターは会場の警備にあたっている。
だから当然なのかも知れないけれど、事前パスやら会場内シャトルやら活用できるありとあらゆるものを把握していた。
ほとんど待ち時間なしで回った。わたし一人だったらこの三分の一も回れなかったと思う。助かった。
「ありがとう。勉強になったし、楽しかった」
素直にお礼を伝える。
船の話をしている時、わたしたちはあまり喧嘩をしない。
「俺も、買い物に付き合ってもらえて助かったぜ。あんた、まだ、仕事があるんだろ。がんばれよ」
「うん、じゃあね」
名残惜しい気持ちを抱えながら、わたしは仕事場のクロノスのパビリオンへと戻った。
*
入場客が帰った後のパビリオンに、エースが姿を見せた。
明日のサイン会の最終打ち合わせ。
実際の現場で、ファンの待機場所やエースの動線を確認する。
クロノスに入社していなければ、わたしは明日サインをもらう列に並んだだろうな。
SSショーに合わせて発売された写真集。
最近のエースの活躍が中心にまとめられている。実物大の美しい笑顔の表紙を見るだけで頬が緩む。
わたしは、割引された社内販売で三冊買った。
普段見る鑑賞用の一冊と、汚さないように保存しておく一冊。そして、布教用の一冊。
学生時代にはクラスメートやテニスクラブの友だちに汚れてもいいから、と三冊目を貸して回ったものだった。
今、会社では貸す人がいない。なんせエースは上司なのだ。推す必要がない。けれど、習慣で買ってしまった。
「こんな感じでよろしいでしょうか」
椅子に腰かけたエースの前に、わたしは私物の写真集を広げた。カバンに入れて持ち歩いている三冊目。
「そうだね」
エースがペンを持ってさらさらとサインを書いた。心の中でガッツポーズをする。役得だ。
「ありがとうございます」
嬉しさのあまり、わたしは不自然なほど深く頭を下げた。
そんなわたしを見てエースが笑った。しまった、今は仕事中だ。
*
「お疲れさまでした」
夜の打ち合わせが終わった。
エースのサインも手に入った。きょうは歩き疲れたし、早く帰って休もう。と思った時だった。
「ティリー。これから時間あるかい?」
エースから声をかけられた。
「は、はい。大丈夫です」
残業だろうか。後ろ向きな気持ちを出さない様に笑顔でこたえる。
「ディナーを食べに行きたいんだ」
きょうは専務に会食が入っていない。
「わかりました。すぐ、お店をお探しします」
「いや、店はホテル内のレストランをすでに予約してある。フェルナンド、車を出してくれ。僕がごちそうするから」
「え、ええっと」
思考が固まる。これは食事に誘われているということだ。
「ありがとうございます」
とりあえずお礼を伝える。
残業じゃなくて良かった。
専務と平社員。
普通におごってもらって問題ないよね。
フェルナンドさんも一緒だから、お金のことは後で相談しよう。と、思ったのだけれど・・・。
到着したのは、エースが宿泊している高級ホテルの最上階。わたし一人では絶対に入れないゴージャスな個室レストランだった。
手持ちの端末に入ってるお金じゃ、多分足りない。
まとめ読み版②へ続く
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