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銀河フェニックス物語【出会い編】 第三十九話 決別の儀式 レースの途中に まとめ読み版③
・銀河フェニックス物語 総目次
・<出会い編>第三十九話「決別の儀式 レースの前に」① ②
・第三十九話「決別の儀式 レースの途中に」① ②
* *
クロノスのピットで、第二カメラのモニターを見つめていたティリーは驚いた。
「ハールが赤く光ってるわ」
一体、何が起きているのだろう。
レイターの船が不気味に発光している。機体に張られていた広告ステッカーが溶けおちていく。
さっきまで小惑星帯でギーラルのオクダが幅寄せして、レイターをブロックしていた。
レイターのハールはボディが薄いから、ぶつけられたくないのだろう、接触を避けて後ろに下がっていた。
それが突然、ストレートのラインに入ったところで加速した。
ブォオオオンンンンンンンンンンン。
ハールが炉に入った鉄のように赤く光りだす。
ギーラルのオクダが避けるように慌てて道をあけた。
ジョン先輩のあわてた声が聞こえた。
「まずいぞ、これはパラドマ発火を起こす」
「どういうことですか?」
ジョン先輩の顔を見る。
「スチュワートがどうやって脆弱なハールで高速を出しているのかわかったよ。あれは、ボリデン合金でできたハールだ。ギーラルが試作機を作ったという話をレイターから聞いたことがある」
「え?」
「あの赤い色はパラドマ発火を起こす寸前だ。ギーラルは自社の船だから燃えるってわかってるんだ。だからオクダが道を開けたんだ」
「それって、危険ですよね?」
「ものすごーく、危険だよ。パラドマ発火は宇宙空間でも爆発するように一気に燃える」
学生時代にやったマグネシウムの燃焼実験を思い出した。目にまぶしい発光。
どうしてそんな船に乗っているのあの人は。足がガタガタと震えだした。
* *
スチュワートはモニターを凝視した。
「レイター、下がって距離をとれ」
というアラン・ガランの指示をレイターの奴、無視しやがった。
ブォオオオンンンンンンンンンンン。
「止めろ! 燃えるぞ!」
俺の横でアラン・ガランが慌てて叫ぶ。
「メガマンモスのパワー、九十三パーセントを突破」
計器を確認するオットーの声がかぶる。モニターのデジタル数字がどんどんと上がる。一気に不安が高まる。
ハールが赤く光った。まずいぞ。
「百パーセント、全開です!」
100を示したまま数字は点滅を続けた。
「メガマンモスのエンジンを全開にしたら燃えるんだろ? 大丈夫なのか?」
あせる俺にアラン・ガランが答える。
「消火対策はしていますが、ここで火が出たら完走は無理です」
何てことだ。
「レイターの奴、仕掛けるタイミングを間違えたな」
オクダがレイターに道を譲った。パラドマ発火の巻き添えを避けるためだ。
二位に躍り出たハールは、赤く不気味に光っている。順位は上がったが、今、火が出たらゴールまで持たん。
「百パーセントを維持!」
オットーの叫び声が響く。
アラン・ガランが、モニターを見つめながら計算続ける。
いらだちと不安の中で俺はハールに見とれていた。宇宙を切り裂いて飛ぶ赤い矢。直線番長の加速は銀河一だ。
メガマンモスが人々を魅了する理由がわかる。人は速いものに純粋に憧れる。
レイターは見る間にギーラルのオクダを引き離し、エースへと近づいた。
コーナーで速度が落ちる。すーっと、赤い色が収まっていく。白いハールへと戻った。
「安全圏に入った」
アラン・ガランがほっと息をついた。
俺は聞いた。
「おい、パラドマ発火はどうなったんだ?」
アラン・ガランが答えた。
「どうやら、メガマンモスが全開じゃなかったようです」
「百パーセントだったんだろ?」
データを読み上げたオットーが答える。
「はい、間違いありません」
どういうことだ?
アラン・ガランが落ち着いた声で説明した。
「計器は百パーセントを示してましたが、誤差の範囲というか、レイターは計測できない微小な世界で百パーに届かないよう抑えていたようです。パラドマ発火する直前の臨界手前でギリギリで引き留めた」
「そんなことができるのか?」
アラン・ガランは一呼吸おいて答えた。
「おそらくレイターは、船の声を聴きながら飛ばしています」
「船の声?」
「風の設計士団にいた頃、老師がいつも言っていました。現実は机上ではない。船を自分の中に取り込み、全身で船の声を聴いて飛ばせと」
レース直前、ハールに泊まり込んでいたレイターを思い出す。あいつは寝食を削って整備を続けていた。
あれは、老師の教えだったのか。
「レイターの奴、一分一秒でも船を自分の中に取り込みたいと言っていたぞ。全知全能の力で時を止めて支配したいと」
銀河一の操縦士は、ひたすら己を高める努力を続けていた。俺から見ればあいつは天才だが、本人は納得していない。
悟りを求める求道者の苦行のようだった。
「レイターは身体中の五感、いや第六感も使って、船と一体化しようとしているんでしょうね。彼には内燃機関の動きもボディの加熱状況も、センサー以上に見えているようです」
「ははははは……だまされた」
俺は笑いが止まらない。
「ヒヤヒヤさせやがって。パラドマ発火を起こすと見せかけてオクダを抜いたのか。あいつは、ギーラルの魔法使いと俺たちを出し抜いて二位に躍り出たんだ」
こいつは傑作だ。
* *
エース・ギリアムは自分のすぐ後ろを飛ぶのがハールだと気が付いた。
想定通りだ。『銀河一の操縦士』はそうでなくては。
残り二周。あと五分以内に決着はつく。
『無敗の貴公子』と呼ばれる自分が、これまで非公式の場で彼には二敗している。だが、ここS1では負けない。
レイター、君のことはよくわからない。ティリーのことを好きだと公言しながら、彼女が近づくと遠ざける。
君の行動がティリーを傷つけていることは、人の気持ちを慮ることが苦手なこの僕にでもわかる。
許さない。
プラッタS1機は銀河最速の船。そして僕は無敗の貴公子。
さあ、レイター、君の全知全能の飛ばしとやらを見せてもらおうか。
* *
こどもが、うちゅうせんをそうじゅうしてる。
チャイルドレースの動画を初めて見た時、俺は口から心臓が飛び出すほど驚いた。
あれは、まだ、お袋が生きてた頃。
『エース・ギリアム君は三歳から宇宙船を操縦しています』
衝撃だった。
「うちゅうせん、そうじゅうしたいぃ~。こどもだってできるんじゃん」
と大騒ぎした。
「レイター、無理を言わないで」
サーキットじゃ金持ちしか乗れねぇ、ってことがよくわかってなかった。駄々をこねる俺にお袋が悲しい顔をした。
思えば四歳年上のエースは、いつも俺の前にいた。
俺が、初めて無免許で船を飛ばしたのは九つの時、お袋が死んでふらふらしてた頃のことだ。元S1レーサーのカーペンターが俺に操縦を教えた。
ちょうどエースはジュニアクラスで連戦連勝していた。
俺はS1に乗るのが夢だった。銀河最速のS1レーサーこそ『銀河一の操縦士』だと信じてた。
俺は師匠に聞いた。
「俺、エースに勝てるかな?」
口下手なカーペンターが珍しく饒舌だった。
「エースの持ち味は強さだ。お前は速いがまだ無理だな。ジュニアのレースじゃなくて、大人になってS1で勝て。そして、優勝しろ。俺の弟子ならできる」
と、S1のコースで俺に操縦桿を握らせた。
『超速』と呼ばれたカーペンター。
あんたの最期の言葉が俺を外へと導いた。
「ここにいたらダメだ。銀河一の操縦士を目指せ。お前ならできる」
師匠のおかげで外へ出た俺は、十四の時に仮免を取り戦闘機に乗った。
その年、エースは十八歳でS1デビューし、いきなり優勝した。エースは師匠が言う通り相変わらずうまいし強い。でも、俺より遅い。
待ってろ、無敗の貴公子。
その無敗を俺が止めてやる、って十四歳の俺は思ってた。
戦闘機乗りには、俺よりうまくて速くて強い奴がいた。
それが何を意味するかと言えば死だ。戦地にはS1のようなルールはない。卑怯でも何でも生き残る奴が強い。
その世界で十四歳の俺は、敵の英雄ハゲタカ大尉と鉢合わせした。
ハゲタカ大尉の通った後には何も残らないと恐れられていた。味方は次々と撃ち落され全滅した。
圧倒的に俺よりうまくて速くて強い。俺の前には絶望と死しかなかった。
あの時、俺は初めて『あの感覚』に陥った。
今でもよく思い出せねぇ。記憶から欠落している。
あとから記録映像を見た。俺は驚くような軌跡を描いてハゲタカ大尉を撃墜していた。
どうしてこんな飛ばしができたのかわかんねぇ。天才少年に聞いてみた。
「火事場の馬鹿力という言葉を知っているだろう。極限状態に追い込まれれば能力が最大限引き出されるということだ」とアーサーは答えた。
それじゃだめだ。制御できねぇってことだ。
極限状態じゃなくて、いつでも思い通りに『あの感覚』にたどり着けるようにならなくちゃならねぇ。
あれからずっと追い求めている。
『あの感覚』が扱えれば、俺は正真正銘の『銀河一の操縦士』だ。
この間、七年ぶりに『あの感覚』に触れた。
飛ばし屋の『白魔』との対戦。隣にはティリーさんがいた。
真っ白な世界。身体中に幸福感があふれた。
俺の意識と船を操る感覚がティリーさんと融合する。すべてを司る全知全能の飛ばし。
追い求めていたものがすっと手に入った。
あの日、思わずティリーさんに言っちまった。「ずっと一緒に飛んでくれ」って。
俺は何であんなことを口にしたんだろう。
久しぶりの『あの感覚』で興奮状態に陥っていたせいだ。
きっと俺はティリーさんを『あの感覚』にたどり着くための触媒として利用しようとしたんだ。
最低だな。
ごめんな、ティリーさん。
七年前、『あの感覚』に陥った時、隣にいたのはフローラだった。
俺は銀河一の操縦士だ。一人で『あの感覚』を操れるようにならなくちゃいけねぇんだ。
このS1で俺はエースを破って『あの感覚』を手に入れる。
そして、ティリーさんと決別する。
* *
ティリーは、第一カメラの映像を見つめた。
エースとレイターのトップ争い。銀河中の人が今この二人の対決に注目している。
すごい。
『無敗の貴公子』のレースを推しとしてずっと見てきた。
『銀河一の操縦士』のバトルを助手席で直接見てきた。
二人の対決にも立ち会った。
でも、きょうの二人は違う。
レイターの機体を見ると胸が痛む。
この一か月、おそらくレイターはずっとハールを調整していたのだろう。彼が手を入れると魔法のように船が生まれ変わるのだ。
幸せそうに船を整備するレイターが頭に浮かぶ。器用な彼の姿をただ見ているだけでわたしは楽しかった。
切ない。
彼にとってわたしは単なる趣味仲間の一人でしかない。
わかっているけれど、「ずっと一緒に飛んでくれ」なんて気を持たせるようなこと言うからだ。
あんなことを言われたから、自分の中のレイターへの気持ちに気付いてしまった。
けれど「ティリーさんとつきあうつもりはねぇよ」とはっきり断られた。
失恋した。
もう、忘れよう。
そう思っているのに、レイターを好きだと言う想いを消すことができないでいる。
一体どうやって消せばいいのだろう。心にデリートキーがあれば、こんなに苦しまないで先へ進めるのに。
砂に書いた文字を風が消していくように、時がゆっくりと風化させていくのを待つしかない。
そして、気がついた。
レイターもまたフローラさんへの想いを消す方法がないのだ、ということに。
七年経っても、彼の中に風は吹いていない。大気のない星に刻まれた文字のようにくっきりと残っている。
手に入らないと頭でわかっていても、心が諦められるわけではないのだ。その中で、人は折り合いをつけて生きていかなくてはいけない。
特定の彼女を作らない生き方。それがレイターの選択。
* *
『無敗の貴公子』エース・ギリアムは操縦パネルを見た。
僕が飛ばすギリギリのライン。その先を狙って後ろのハールは攻めてくる。オクダとは違う命知らずな圧力。
レイターと初めて対戦したのは六年前。
君は危険飛行をとられて、結果としては僕が勝ったことになっている。
だが、あのレースで僕は生まれて初めて、他人に負けたと思った。君の速さと勝負勘に。
二度目の対決は、SSショーの時だ。
たまたま宇宙塵が僕の機体に当たった。運がなかったとも言えるが、あれしきのトラブルで勝てなかったのは、君の技能と僕の技術が拮抗しているからだ。
もし、ルールなしのアステロイドベルトでバトルをしたら、裏将軍の君に勝てないだろう。そのことを僕はわかっている。
だが、ここはS1の舞台だ。
僕は、三歳の時からレースの世界にいる。
この世界を隅々までわかっている。君よりもね。僕はここで育ったんだ。目隠しをして走っても舞台から落ちることは無い。すべてを掌握している。
観客はこの舞台で演じられているものを見て楽しんでいる。
レイター、君は戦闘機乗りだ。
全知全能とやらの力で、舞台裏も観客席も関係なく飛び回りたいのだろう。
だが、このS1という劇場では、観客に見えないものは存在しない。
だから、いくら君が速くても、僕には勝てない。
君の分析は的確だ。僕は速くないが強い。
だからこの世界で負けないでここまできた。
銀河一の性能を誇るプラッタは、僕の会社の船。僕の思い通りに動く。
僕はS1レーサー。
このS1世界の完全体。
調和を壊すことは、何人たりたもできない。選ばれしパーフェクトなんだよ。
* *
エース、さすがあんたはS1の王者だ。試乗コースで対戦した時とは全然違う。
なんて言うんだっけ、風を得た鳥、水を得た魚か。S1という地の利を思う存分に生かしてやがる。
一緒に飛ばしてるとわかるぜ、あんた人間より船が好きだろ。
俺は必死になって船を取り込まなきゃなんねぇが、あんたは苦労せずに身体の一部のように船を動かせる。人馬一体ってやつだ。
自分と船だけの世界に浸れる突出した才能。S1の申し子。
師匠のカーペンターとそっくりだ。
人付き合いが苦手だったカーペンター。船の気持ちは、誰よりわかってた。『超速』と呼ばれ、S1レースの中で何度も『あの感覚』で飛ばしてた。
弟子の俺だってできるはずだ。
俺は、エース、あんたとの真剣勝負の中で、『あの感覚』を呼びこむ。
俺が追う。あんたが逃げる。
あんたは今、これ以上ない、いい飛ばしをしている。
最終戦にふさわしい、一ミリも迷いのないライン。惚れ惚れする。
そして、それを追いかける俺の能力が、最大限まで引き上げられていく。
全知全能の『あの感覚』まで、あと少しだ。
* *
ラスト一周。
『ホームストレートにトップ争いの二機が入ってきました。無敗の貴公子最後のレースで、新人レーサーのレイター・フェニックスが追い詰めています。スピードと技術。人間業とは思えないデッドヒート。新たな時代の幕開けを予感させます。これは、すごい、見たことがない世界です…』
アナウンサーの実況が途切れた。
『僕はアナウンサー失格です。この素晴らしいレースを言葉で表現できません。ただ、このレースに見入ってしまう。沈黙、おそらくそれが一番皆さんに伝わると思います…』
第一カメラのモニターを見つめながらスチュワートはつぶやいた。
「すごいな。こんな世界が見られて俺は幸せだ」
さっきまでのオクダとエースの競り合いが、子どもの遊びに見えてくる。
『無敗の貴公子』と『銀河一の操縦士』の頂上決戦。
これは間違いなくS1史に残る戦いだ。
学生時代に情報プラットフォームの起業で成功した俺は、莫大な資産を手にした。
このカネで次々と色々な事業に手を出した。多角経営という奴だ。リスクもヘッジできる。
うまくいかない事業はすぐに売りに出した。
次は何に投資をしようか考える中で、S1チームを持つことを思いついた。
俺は宇宙船レースが好きだ。それだけ理由があれば十分だ。
レーサーのコルバが契約していた弱小チームを安く買収し、ここにいるアラン・ガランとオットーをメカニックとして雇った。
だが、S1の世界は甘くなかった。予選落ちが続いた。
経済記者たちはこのS1チームも、すぐに売却するだろうと記事にしていた。
だが、俺は、このチームを売る気にならなかった。
成績は振るわなかったが、チャレンジングな俺の性格と俺のチームは息が合っていた。
アラン・ガランの卓越した発想とオットーの緻密な計算に、レース業界があたふたするのは痛快だ。
会社の事業とは切り離した俺の道楽。俺は個人資産のかなりの額を注ぎ込んだ。
面白がる奴はどこにでもいる。こんな弱小チームにもファンがつきだした。入賞するようになると、俺のチームはさらに注目を集めるようになりスポンサーもついた。
だが、万年六位で満足はしない。
俺は攻めるのが好きだ。
狙うは優勝。
ずっとレイターを、S1に乗せたいと思っていた。
無敗の貴公子を破るのは、銀河一の操縦士しかいない。
その夢が六年越しで叶う。
第三コーナー、つづら折りのヘアピンカーブ。
紙一枚の誤差で事故につながる。よくこの緊張の中でミスをしないで飛ばせるもんだ。先を行くエースにレイターが圧力をかける。
最後のコーナーガード柵を抜けたところで、レイターが追い越しをかける。二機が並んだ。
メガマンモスがうなる。レイターがエースの一歩前へ出る。
「よし!」
俺は、S1やっててよかった。
最後の小惑星帯に入った。
エースが抜き返す。
まっすぐ飛ばせないこの区域はメガマンモスエンジンは不利だ。
抜きつ抜かれつの状態。
最短コースが最速コースではない。メガマンモスは曲がりがきついコースは避けるほうが速い。
二機のルートが重なったり離れたりしながらレースが進む。
もはや芸術の域。いや、神の領域だ。
一機で飛んでも、こうはならない。
ライバルの二機だから、この飛ばしが存在している。
今、このレース中継を見ているすべての人が、歴史的な瞬間に立ち会っていることに気づいている。
無敗だったエースを、最終戦で追いつめている。
俺のチーム・スチュワートの船が。
銀河一の操縦士、レイターお前ならやれる。
世界を上書きして塗り替えろ。銀河一を高らかに宣言するんだ。
* *
クロノスのピットに緊張が走る。
「まずいな」
メロン監督がつぶやいた。
レイターが前に出る。エースが抜き返す。先頭が次々と入れ替わる。
「最後の直線勝負は、メガマンモスが有利だ。この小惑星帯で何とか差を広げろ」
メロン監督がエースに指示する。
無敗の貴公子に土がつく。ありえないことが起きようとしている。ティリーは心が分裂しそうになった。
「ティリーは、僕とレイターのどっちに勝って欲しい?」
先週、小惑星帯のテストコースで船を止めたエースがわたしに聞いた。
「……わからないです」
無敗の貴公子は無敗を守り切るために戦っている。
そして、銀河一の操縦士は、銀河一を証明するために戦っている。
どちらにも負けて欲しくない。これがわたしの偽らざる気持ち。
頬が熱くなる。
エースの顔が正面からわたしに近づいた。
推しのご尊顔に息を呑む。
美しく整ったエースの唇が意思を持って接近してきた。
わたしは無意識のうちにその軌道を避けた…。
キスを嫌がったのではない。
その逆だ。エースが神聖すぎるのだ。これ以上の深入りは自分を汚してしまう。
ライムの香りと共に、エースの右頬がわたしの右頬に優しく触れた。ほんのりと温かみが伝わるチークキス。
そして、軽い、あいさつのようなハグ。
息が止まった。心臓が止まったかと思った。
いや、心臓の音は大音量でわたしの中で響いている。心が歓喜に震えている。
エースのがっしりした身体をわたしは力を込めて抱きしめた。
現実感がない。
「セクハラと訴えないでくれ」
「は、はい。もちろんです。ありがとうございます」
耳元で聞こえるエースの声が、冗談なのかどうかもわからない。顔がほてりだした。
マウス・トゥ・マウスのキスは避けたのに、チークキスとハグがうれしくて、涙が出た。
ああ、どこまでも無敗の貴公子はわたしの推しだ。負けないで。
* *
トップを飛ばすクロノスとスチュワートの二機はあと少しで小惑星帯を抜ける。
エースが先行した。
と、その時だった。
突然、レイターが操縦するハールの速度が落ちた。旋回がゆるい。
『あっと、どうしたんでしょうか?』
アナウンサーの実況に、年配の解説者がつぶやくように答えた。
『これはマシントラブルだな』
スチュワートも気が付いた。ハールの速度が落ちている。
「おい、アラン・ガランどうした?」
俺の声があせっている。ゴールまであと少しだ。ここまできたら無敗の貴公子に勝ちたい。
「エンジントラブルか?」
「いえ、メガマンモスは生きてます。制御系の不具合です。暴れ馬が暴走しているようです」
レイターから通信が入る。
「操縦桿が上下にぶれて、まっすぐ飛ばねぇ。尾翼だ」
アラン・ガランが遠隔で機体状況を確認する。
「兄弟ウォールの接触の影響だな」
俺はつぶやいた。
「べヘム弟、ベータールか…」
五位から四位へ浮上する時、弟のベータールが捨て身でレイターを止めに入った。その時に水平尾翼が接触した。
オットーが叫んだ。
「レイターさん、ブレる方向を教えてください。僕が補正計算します」
「頼む。データを送る」
一体、レイターはどうやって操作しているのか。飛ばしながら飛行データ送信してきた。
「右二度、仰角三度修正」
オットーが暗算で導くナビゲーション数値をレイターが操縦に即座に反映する。小惑星に激突したら、ペラペラのハールは大事故を起こす。少し大回りしながら小惑星をよける。
先を行くエースが小惑星帯を抜けた。かなり離された。
すぐ後ろにオクダが迫ってきた。何てことだ。
エースが首位で、最終コーナーに入った。
いや、まだだ。レースは最後まで何が起こるかわからん。
うちの出場レーサーを決めるシミュレーターでの対戦で、若いチャーリーはこの緩いカーブでコーナーガード柵にぶつけて順位を落とした。
エースだって人間だ。失敗することがあるかもしれん。
と期待する俺をあざ笑うかのように、エースのプラッタは安定したままカーブを抜けた。無敗の貴公子だ。甘くはない。
残すは直線。
小惑星帯で後れをとったレイターが、今、最終コーナーを回る。補正しながらよく飛ばしてきたが、距離をあけられた。
「直線ならメガマンモスで追いつけるか?」
「これだけ離されると無理です」
計算が得意なオットーが力なく答えた。
ここまでか。
レイターが最後のストレートに入った。直線番長がうなる。
あいつはあきらめていない。
エースを追いかけ、再度ハールが赤く光りだした。エースとの距離がぐいぐいと詰まっていく。見たことのない加速だ。
アラン・ガランが叫んだ。
「レイター、そこまでだ! 速度を落とせ! これ以上のスピードは危険だ」
『追いかけるスチュワート。は、速い。これは瞬間最高速度のレコードが更新されそうです』
実況の声が裏返った。
エースのプラッタにレイターのハールが迫る。
それは、まさに襲い掛かる火の玉だった。
「おい、レイター止めろ! パラドマ発火を起こす。ハールが燃えるぞ!」
レイターの奴、アラン・ガランの指示を無視していると言うか、通信機を切ったな。
オットーがあわてる。
「エンジン全開です! 今度は本当に百パーセントを超えてます」
見ればわかる。機体が赤から金色に変色した。臨界だ。
メガマンモスのエンジンがフル回転している。
ハールがパラドマ発火の限界値を超えた。
だが、機体から火は出ていない。羽が緑色に染まっている。
「どうなってる?」
「消火剤だ」
レイターの奴、船に設置してある消火剤を巻きながら飛ばしていた。
消火剤が機体の熱を吸い取る。
「ダメだ! このままじゃ火がついた時に、消火できない」
「馬鹿野郎! あいつ死ぬ気か!」
* *
すごいレースだ。ティリーは手を握りしめた。
無敗の貴公子を銀河一の操縦士が追い詰めている。
『は、速い。これこそがメガマンモスです。瞬間最高速度のレコードが更新されそうです』
アナウンサーさんの声がひっくり返っている。
「いかん。このままではエースが捕まる!」
メロン監督が叫んだ。
ありえない加速。
エースのプラッタはこれ以上の速度はでない。
レイターのこのメガマンモスの加速なら、ゴール前でエースを追い抜く。
ハールが金色に輝き、緑の消火剤をまきちらした。
その様子は美しく神々しさすら感じる。
とその時、ハールが少しスライドする様に横に動いた。
レイターにしては不自然な無駄な動き。
ジョン先輩が叫んだ。その声が切羽詰まっていた。
「やばいよ! レイターはパラドマ発火を起こす気だ」
「え?」
「まずいよ、まずい。どうしてスチュワートは止めないんだ。機体が燃えだすぞ。レイターはエースのプラッタに燃え移らないように横へ距離を取ったんだ。ハールはすでに消火剤も使い切ってる」
「それって?」
「このままじゃ、空飛ぶ棺桶だよ。自殺行為だ。レイターが死んじゃうよぉ」
ジョン先輩が泣きそうな声を出した。
直線を飛ばすハールは光のラインを描いて宇宙を切り裂いていく。
「いやだ、レイター、死なないで!」
わたしは叫んだ。
メロン監督が通信機を手にした。
「消防艇をすぐゴールに」
* *
レイターの目は、前を飛ぶプラッタとその先のゴールを見ていた。
メガマンモスがうなる。
「レイター、そこまでだ! 速度を落とせ!」
うるせぇよ。通信機を切る。
ほらほら、直線番長はまだいけるぜ。俺の考えた通り軽いハールの機体との相性抜群だ。瞬間最高速度を叩きだしてやる。
さあ全開だ。エース、あんたを捕まえた。
これで終わりだ。
デューガの晩餐会でエースと並ぶティリーさんの姿が浮かぶ。
恥ずかしそうな笑顔。「わたしは無敗の貴公子、エース専務に憧れてクロノスに入社したんです。大好きです」
くっそぉ。
こんな奴のどこがいいんだよ。性格だって歪んでるぞ。
エースのものになったティリーさんなんて、見たくねぇんだよ俺は。
ああ、ああ、俺はなんて醜い嫉妬をしてんだろ。
緑色の消化剤をぶちまく。
大事なものを無くして人は初めて気づくという。
俺の心の奥に押し込めていたティリーへの想いが可視化される。苦しい。
俺はこんなにもティリーが好きだったんだ。
船内の温度が急速に上がる。
大丈夫だよエース。あんたを巻き添えにしたりしねぇ。ティリーさんを幸せにしろよ。
自分の幸せより愛する人の幸せを。ってきれいごとに、俺はもう耐えられねぇ。
だが、それもあと少しで終わりだ。ここで決別する。
フローラ、待っててくれ。
* *
将軍家秘書官のカルロスは驚いた。
アーサー隊長が感情をあらわにして怒っている。
「あの馬鹿! 私たちの努力を無にするつもりか」
僕と隊長は、ステルス戦闘機をコースから少し離れたところで待機させていた。
敵のアリオロンは攻撃を止めている。
暗殺協定は一般人を巻き込まないことが条件だから、エースと競っているレイターさんを狙うことはできない。
けれど念のためだ。
レースの中継映像を見ながら隊長が憤っている。こんな興奮した隊長は初めて見る。
レイターさんが乗るハールは赤色から金色に変化し輝いていた。
緑色の消火剤を蒔きながら飛んでいる。危険だ。まもなくパラドマ発火を起こして融合燃焼するのは間違いない。
隊長が憤慨するのは理解できた。このままではレイターさんは焼け死んでしまう。
喜ぶのは暗殺協定の対象者である敵アリオロン軍のライロット中佐だけだ。
アーサー隊長の苦しそうな声が聞こえた。
「あいつはずっと船で死にたがっていた」
* *
アーサーの目に妹のはかなげな笑顔が浮かんだ。
フローラ、頼む、あいつを連れて行かないでくれ。
* *
金色にハールが輝いている。
まずい状況だ。スチュワートは眉間にしわを寄せた。
ハールにメガマンモスを乗せることを俺は面白がった。危険なこともわかっていた。
人生にリスクはある。そこから得るリターンとの兼ね合いだ。だが、死んだら終わりだ。リターンはない。
レイターの奴、通信も切って、俺たちの言うことを聞こうとしない。
「アラン・ガラン、あと打てる手は何だ? とにかくレイターを死なせるな」
「……」
思いっきり目をつむったアラン・ガランの左足が最速で揺れている。
返事はない。
「おい、オットー」
「だから僕は、最初から反対だったんですよ」
「そんなことは聞いてない」
アラン・ガランが目を見開いた。
「わかった。あいつは、最初からここで死ぬのが目的だったんだ」
「何だと?!」
「ずっと不思議に思っていたんだ。どうしてレイターはハールを選択したんだろうかと。スポーツ船ならもっと楽にエースに勝てたはずだ。あいつは、ここで自殺するためにハールとメガマンモスを選択し、周到に準備してきたんだ。このまま加速を続ければレイターは優勝とともに確実に死ぬ。もう、止められるのはレイターしかいない」
俺の背筋に冷たい汗が流れた。
『ハールが光り輝いています。その様子は不死鳥フェニックスを彷彿させます。今、エースのプラッタに追いつきました』
レイターと出会って俺の夢が成就される日が来た。だが、こんな結末を望んだわけじゃない。
『二機が並んでいます。先にゴールを切るのは無敗の貴公子エース・ギリアムか、それともスチュワートの新人、レイター・フェニックスか?』
「レイター止めろぉ!」
俺は切れた通信機に向けて大声で叫んだ。 (おしまい)
<出会い編>第四十話「さよならは別れの言葉」 の前に<会社員編>「起業家の夢は宇宙に輝く」へ続く
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