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銀河フェニックス物語 【出会い編】第三十八話 運命の歯車が音を立てた (まとめ読み版①)
・銀河フェニックス物語 総目次
・<少年編>腕前を知りたくて (上)(中)(下)
・<出会い編>第三十七話「漆黒のコントレール」
「フェルナンド、ったくどういう筋書きのシナリオなんだ?」
警備担当の控室でレイターさんが僕に突っかかってきた。
「僕が書いたわけじゃありませんよ」
「俺のティリーさんに手を出すなよ」
そう言い捨ててレイターさんは、一足早く惑星デューガ・ワンへと出かけて行った。僕の従妹である営業のベルをフェニックス号に乗せて。
僕がティリーさんに手を出さないことを百も承知で、釘をさしに来た。もう一人の同行者の動向が気になっているということだ。
どういう筋書きなのか、僕が聞きたい。
* *
厄病神と一緒だなんてついてない。
フェニックス号の居間で、ベルは腰に手をあててレイターに詰め寄った。
「頼むから厄病神は出てこないでね。特に今回は役員案件なんだから」
ソファーに寝っ転がっているレイターがにやりと笑った。
「役員案件でよかったじゃん。あんたの大好きなフェル兄さんが追っかけてくるぜ」
従兄弟のフェル兄は、来週エース専務を連れて、ここデューガにやってくる。
フェル兄に会えるのはうれしい。
けれど、不安。デューガ星系は三年前フェル兄の勤務地だった。
「それにしても、よくわかんないのよね。フェル兄がレイターのことライバルだっていう理由が」
「あん? 俺はそんなこと思ってねぇぞ」
ネクタイ緩めて、だらだらしている。こんなボディガードは見たことない。
「そうだよね。フェル兄の足元にも及ばないと思うよ」
「おいおい。俺は銀河一の操縦士だぜ。ボディーガードは副業、あいつはボディガードが本業、一緒にすんな」
レイターが不満げに口をとがらした。
「ティリーも秘書としてエース専務についてくるんだよね。わたしたちペアの組み合わせが逆じゃん」
レイターとティリーは仲がいい。友だち以上恋人未満だ。
「ねぇ、早くティリーとつきあっちゃえば?」
「俺は、特定の人とはつきあわねぇ、って言ったろ」
レイターは七年前に亡くなった恋人『愛しの君』のことを今も忘れられないという。なんと将軍家のお嬢様だ。
「でもさ、わたし考えたのよ。『愛しの君』のこと忘れなくても、ティリーとはつき合えるじゃん」
レイターは天井を見ながら答えた。
「俺は宇宙の神様に誓ったんだ、フローラを一生愛するって。つき合う相手を一番に思えなきゃ失礼だろが」
その時わたしは気がついた。
レイターが誰ともつき合わないって言ってるのは、つき合う相手のこと(すなわちティリーのこと)を思ってのことなのだ。
「一番じゃなくてもフェル兄の彼女になりたいけどな。ねぇ、ティリーとつきあう選択肢はないの?」
「ねぇよ」
即答だ。
「随分はっきり言うわね」
「俺が特定の人とつきあわねぇのは、フローラのことだけじゃねぇんだ」
「どういうこと?」
「んぱっ」
レイターが両手を開いておちゃらけた。
レイターは今、しゃべり過ぎたことを隠そうとした。何かある。
*
出張先のデューガ星系はデューガ・ワンからファイブまで五つの惑星をそれぞれ王室が統治している。経済レベルは中の下。治安はそんなによくない。
二十年前まで星系内紛争を繰り返していたのだ。連邦軍が介入して和平交渉がようやく進み、今も連邦軍の皇宮警備が王室を守っている。
今回、戦後二十年を記念し、デューガ星系は五つの惑星が共同でクロノスの新工場を誘致した。経済振興策だ。
その新工場の開所式の準備を現地法人と進めるのがわたしの仕事。現地オフィスも新工場へ移転するから大変だ。苦手な雑務が多い。
机の前で書面とにらめっこする。
社長代行のエース専務は式典であいさつした後、新工場を視察し、夜はデューガ・ワン王室の晩餐会に招かれている。
粗相のないよう流れをチェックをする。
「ベルさん、そこの動線ぶつかってるぞ。入口を変えた方がいい」
「ほんとだ」
見かけによらずレイターは細かいところまでよく気付く。皇宮警備にいただけあって、王室秘書官との打ち合わせも手慣れていて助かった。
フェル兄がレイターをライバル視する意味が少しわかった。
* *
高級宇宙船プレジデント号がデューガ・ワンの宇宙空港に着陸した。
ティリーは身なりを整え、現地法人へ連絡を入れた。
「エース専務は定刻に到着されました。このまま新工場へ向かいます」
「ティリー、お疲れ。現地で待ってるからね」
ベルの明るい声がした。
この出張は、先乗りしているベルに会えるのが何より楽しみだ。
専務は新工場の開所式と王室の晩餐会に出席したら、その足でソラ系へ戻る。大企業の役員でS1レーサーでもあるエースは、とにかく忙しい日々を過ごしていた。
*
フェルナンドさんが運転するエアカーでデューガの街中を走る。
戦争で荒れたイメージのある星系だけれど、中心部の様子はソラ系の地方都市とそんなに変わりはない。
後部座席からエースがフェルナンドさんに声をかけた。
「フェルナンドは、このデューガ星系で皇宮警備官として働いていたんだろ?」
「ええ、三年前です。デューガ・スリー王室担当でした」
「デューガはどんな星系かい?」
「基本的に人々は勤勉です。戦争からの復興という大きな目標に向けて国民も王室も力を合わせて動いていますから。外から見るより過ごしやすい星です。食事もおいしいですよ」
かつての赴任地というのは懐かしいのだろう。いつも仕事の時は淡々としているフェルナンドさんが、デューガの話をする時は声に熱がこもっている。
*
シンプルで巨大なデューガ新工場へ到着した。
中に入ると新築の建物のにおいがした。
開所式の会場となる講堂の入り口にベルを見つけた。
事務局として受付を仕切っている。その後ろにレイターが立っていた。
つい、目がいってしまう。
髪の毛はボサボサだけれどネクタイはきっちり締めていた。一応、きょうは式典だ。
現地採用された人たちが、そろいの作業服で次々と入ってきた。みんな緊張と希望の入り混じった表情をしている。
今回の工場誘致はデューガ星系が復興と平和へ進んでいる証なのだ。大事な案件だから厄病神が発動しないことを祈ろう。
ベルに近づいて声をかけた。
「手伝うことある?」
「大丈夫よ。昨日まで死ぬほど大変だったけど。ティリーはいいの? こんなところにいて」
「専務はもう会場に入ったから」
エースは会場前方の役員席に座って式が始まるのを待っていた。その後ろにフェルナンドさんが立っている。
「やっぱ、フェル兄かっこいいね。フェル兄の様子はどう?」
ベルの視線がフェルナンドさんから離れない。
「安定と信頼の警護よ」
「しっかりフェル兄の監視を頼むわよ。女が近づいたらわたしに連絡してね。特にここデューガは」
監視? フェルナンドさんが以前勤務していたからだろうか、ベルのこだわりが気になった。
*
開所式が始まる前に、ベルと一緒に化粧室へ行っておく。
営業にいた時は、いつも会社の洗面所で話をしていた。何だか懐かしい。
ベルが軽くメイクを直しながらわたしに話しかけた。
「ねぇ、ティリー。レイターが特定の彼女を作らないのは『愛しの君』のこと以外にも理由があるって言ってたんだけど、知ってる? 女好きだからかなぁ」
「は?」
二人は出張中に何を話しているのか。
レイターは今もフローラさんを愛している。
だから特定の彼女を作らない。
それ以外の理由・・・。
レイターが連邦軍の予備役に登録している。ということを先日知った。
わたしとレイターの間においては意味がある話だけれど、レイターが彼女を作らない理由にはならない。
「ティリーとつきあう選択肢はない、って言いだすしさ」
「あたり前でしょ」
軽く返す自分の声が動揺していた。
「レイターは、前に自分が人殺しだからティリーとはつきあえない、って言ってたけど、そのことと関係あるのかなぁ」
ベルの様子は普段のおしゃべりとまるで変らない。けれど、その内容が深すぎる。
「な、何なの、その話?」
「時間ないから、続きは晩餐会の時に話そう」
ベルにうながされて講堂へ向かった。
なぜか足がふらふらする。新工場の重力調整がきいていないのだろうか。
* *
レイターは、化粧室へ向かうティリーとベルの背中を見ながら、アーサーとの通信を思い出していた。
「デューガ星系で仕事を頼みたい」
「高いぞ」
と応じた俺をアーサーはスルーした。
ここデューガ星系から反連邦のアリオロンへ、以前から情報が流出していた。アーサーは特命諜報部を使ってそのルートを追っていた。
「情報の漏洩元が判明した。デューガ・ワン王室に盗聴器を仕掛けて欲しい」
「王室? ターゲットは誰だよ」
「マルグリット王妃だ」
俺は不覚にも驚いた。
「げげっ。ここの王妃っつったら、フェルナンドの元カノだぞ」
美人だが勝気な姫。三年前にデューガ・スリー王室からデューガ・ワンへ嫁いできた。
「知っている」
「じゃあ、フェルナンドにやらせろよ。あいつなら深い情報を取ってくるんじゃねぇの」
「それはいいアイデアだな」
アーサーがうなずく。俺はあわてた。
「あんた本気か?」
「冗談だ」
「だよな」
そもそも、フェルナンドは元皇宮警備で優秀だが諜報部員でもなんでもねぇ。今は民間のボディガードだ。
「情報の流出ルートは晩餐会だ。そこで王妃が情報屋と接触する。情報屋を割り出したいから皇宮警備に気づかれないように盗聴器を仕掛けてくれ」
「王妃の会話を盗聴したなんてばれたら、皇宮警備に殺されるじゃねぇかよ」
特命諜報部と皇宮警備は仲が悪い。
「こいつは危ねぇ仕事だ。割増にしろ」
「命の危険はない。金額の上乗せはなし。以上だ」
ったくなんてシナリオだ。
* *
開所式が始まった。
講堂の壁際でティリーは仕事に集中していない自分に気がついた。
ベルの言葉が耳の奥で何度もループしている。「ティリーとつきあう選択肢はない、って言うんだよね」
当たり前だ。レイターは特定の女性とは付き合わない主義なのだ。矛盾はない。
仕事中よ、仕事中。式典は問題なく進んでいる。
演台にエース専務が立った。
「デューガとクロノスの未来は君たちの手にかかっている」
エースのあいさつは、いつ聞いてもかっこいい。
やらなければならないことをしている間は、余分な考え事を遠ざけることができる。
専務が間違った発言をしていないかチェックをし、問い合わせがあればすぐに資料を出せるように待機するのがわたしの仕事。
現地採用の従業員がエースの来訪を喜んでいるのがわかる。
今回は社長の代理だけれど、エース・ギリアム『無敗の貴公子』には人を惹きつけるオーラがある。さすがだ。
開所式が終わると、予定通りエースは新工場の視察に入った。
現地法人の社長の案内で設備を見て回る。地元のマスコミがカメラを担いでついてくる。視察の様子を本社へ報告するのも私の仕事だ。一行の後ろからついて歩く。
ベルがきちんと準備してくれたおかげだ。工場の視察はすべて予定通りに終了した。
*
次の予定はデューガ・ワン王室主催の晩餐会だ。エースは主賓として呼ばれている。
夕刻まで会場近くのホテルで待機することになっている。
デューガの高級ホテルの雰囲気はソラ系と変わらない。ゴージャスな作りはデューガ星系復興の象徴だ。
最上階のペントハウスで一息入れる。
「夕方五時に、こちらのホテルを出発し迎賓館へ向かいます」
予定時間の確認をすると、エースがわたしを見て意味ありげに微笑んだ。
「ティリー、ドレスを買っておいたよ」
「ええっと?」
エースがドレスを着るわけはない。
「正式な晩餐会だ、カップルで出席するのが礼儀だろう」
わたしはあわてた、そんな話は聞いていない。
「い、急いでどなたかふさわしい方をお探しします」
「大丈夫だ。先方には秘書を連れていくと言ってある。これは業務命令だ」
わたしは晩餐会の間、隣の控室で待機することになっていた。そこでベルとおしゃべりする予定だ。気になる話の続きが聞きたい。
「着ていく服もありませんし・・・」
「だから、言っただろ、ドレスを買っておいたって。必要経費、と言いたいところだが、これは僕のポケットマネーだ。プレゼントするよ。試着してみてくれ」
エースが取り出した鮮やかな紅のドレスを手にして恐縮する。生地の肌触りがうっとりするほどいい。
憧れのデザイナー、キラ・センダードのイブニングドレスだ。
ペントハウス内の別室で着てみる。
クリスタルがちりばめられたマーメイドドレス。サイズもぴったり、多分オーダーメイドだ。一体お値段はいくらしたのだろう。
試着してエースの前に立つ。
「SSショーの時にサイズは確認しておいたからね。この色はティリーの赤い瞳によく合う」
エースが満足げにうなづいた。
SSショーの際、ファッションイメージングという宇宙列車のイベントをエースと楽しんだ。あの時、わたしがキラ・センダードのブランドが好きだと言ったことをエースは覚えていたんだ。
「あ、ありがとうございます」
エースの手回しの良さには驚く。ペントハウスには美容師がやってきて、わたしの髪をセットし、メイクもしてくれた。
女優にでもなったかのように錯覚する。
* *
レイターは晩餐会の会場となる迎賓館へエアカーで向かっていた。
助手席のベルさんが俺に話しかける。
「髪の毛まとめたんだ。よそいきじゃん」
「王室の警護はうるせぇからな」
「いつもそうしてればいいのに」
「あん? 俺に見とれちゃうってか」
「フェル兄には負けるけどね」
ベルさんがかわいい笑顔を見せる。フェルナンドの奴、もったいないほど愛されているな。
「今夜の晩餐会が終われば、出張終了だからさ、それまで、厄病神が出てこないように頼むわよ。と言っても、もうわたしの仕事はないから、ティリーと控室でおしゃべりするだけだけどね」
「ボクちゃんは、これからお仕事本番だぜ」
軽く肩をすくめた。アーサーに頼まれた仕事もこれからだ。
*
迎賓館の大広間は、皇宮警備官が水も漏らさぬ厳重な警備態勢が敷いていた。とはいえ、警備側に裏切り者がいれば水は漏れる。ほんと厄介だよな。
今回は俺だけど。
座席を確認するふりをして透明なシート型盗聴器を王妃の椅子の座面にすっと張り付ける。
王妃が座ればドレスにくっつく。アーサーと俺に音声が無線で飛ぶ仕掛けだ。王妃がこの部屋から出たところ、例えばご不浄で情報屋と接触しても聞き取れる。
皇宮警備の無線と干渉しねぇことを確認する。十二時間後には酸化して消滅する。
国王と王妃の席の隣に主賓席がある。
ここにエースが座る。隣に同伴者の席が用意されていた。
同伴者? 聞いてねぇぞ。嫌な予感がする。
* *
日が暮れ始め、夕方五時になった。
「さあ、行こうか」
ティリーはエースにエスコートされてホテルから出た。
白い燕尾服に身を包んだエースはまさに貴公子。格好いい。
ファンとしてはお宝ものだ。見とれてしまう。
3D写真に撮りたい、けど言い出せない。
これはコスプレ大会ではない、お仕事なのだ。
フェルナンドさんが運転する車が迎賓館の車寄せに到着した。
警護官が車のドアを開ける。
「お待ちしておりました」
そのいい声にドキッとした。
レイターだ。髪の毛を固めて、ネクタイもきちっと締めている。『よそいきレイター』だ。
「ご案内いたします」
レイターの顔がまともに見られない。
こんな不相応なドレス姿を見られるのは恥ずかしい。お姫様ごっこ、とからかわれそうだ。わたしは目を伏せた。
エース専務が挑発的にレイターに話しかけた。
「ティリーにドレスをプレゼントしたんだ」
「キラ・センダードですか。瞳の色によくお似合いで、結婚式と見まごうところでした」
レイターは慇懃無礼に返した。
「結婚式にはもっとすばらしいドレスを用意するさ」
「ちょちょっと専務、変な冗談は止めてください」
わたしの方があわててしまう。
「お楽しそうで何よりです」
無表情で嫌味を言うレイターに気持ちがザラッとした。彼はわたしとつきあう選択肢はない、と明言したという。
努めて冷静に応える。
「これは、仕事ですから」
大広間の会場に百人ほどの参加者が座っていた。おそらくデューガの名士たちだ。緊張する。
正面の一段高くなったところに国王夫妻の席があり、その隣に主賓であるエースとわたしの席が設けられていた。
一目見てうろたえた。
こんな高砂席に座るのはいくら何でも居心地が悪すぎる。結婚式じゃないんだから。
レイターがすっとわたしの椅子を引く。
仕方なくエースの隣に座る。
高台になっているから会場の様子がよく見えた。
気が付くとわたしは目の端で『よそいきレイター』を追いかけていた。
いつもと違って背筋が伸びていてかっこいい。
レイターはベルに「自分が人殺しだからティリーとはつきあえない」と言ったという。
その判断をするのはレイターなの? わたしじゃないの?
レイターはわたしの目の前で人を殺した。けれど、正当防衛だ。法的に許される。
レイターは連邦軍の戦闘機乗りで何機も撃ち落したという。けれど、戦争だ。敵を殺すことが許される。
人の命を奪うことを法律も制度も許している。
だから、わたしが受け入れることさえできれば、わたしたちつきあえるんじゃないの?
胸が苦しい。
どうしてわたしとつきあうという選択肢はないの?
考えはいつも同じところへ落ち着く。
*
若き国王ご夫妻が大広間へ入ってきた。
三十代前半の国王陛下は、随分と落ち着いた雰囲気の方だ。年齢より老けて見えた。一方で国王がエスコートする王妃は、少女のようだ。淡いライトブルーを基調とした民族ドレスがよくお似合いで、会場の空気が一気に華やぐ。二人は十歳近く年が離れていると聞いた。
ご夫妻がエースの隣の席に着き、晩餐会が始まった。
「デューガの未来とクロノスの発展を祝して、乾杯!」
この星系の伝統食だというコース料理が運ばれてきた。フェルナンドさんが言っていた通り、どれも美味しい。
デューガ星系は経済指標的には裕福ではないかもしれないけれど、きちんとした文化が感じられる。
マルグリット王妃は気さくな方だった。美しい笑顔でエース専務に声をかけてきた。
「エース殿はすてきなお嬢さんをお連れなのね」
「いつかは妻にと思っているのですが」
わたしはあわてて否定した。
「専務、冗談は止めてください。わたくしには畏れ多いお話です」
「なかなか良い返事をもらえないのですよ」
エースはチラリとわたしを見て微笑んだ。
王妃がわたしにたずねた。
「あなたはエース殿が嫌いなの?」
嫌いなはずがない。エースはわたしの推しだ。
「滅相もございません。大好きです。わたしは無敗の貴公子、エース専務に憧れてクロノスに入社したんです」
エースがうれしそうに笑った。
わたしったら勢いで「大好きです」なんて言ってしまった。顔から火が吹き出しそうだ。
「まあ、そうでしたの。たとえ身分違いであっても、恋をするのは素敵なことですわ。人生を豊かにします」
身分違いという言葉が時代錯誤だ。エースも気になったらしい。
「王妃、私どもは民間人です。役員と平社員は身分違いでも何でもありませんよ」
「あら、うらやましい」
マルグリット王妃はにっこりとほほ笑んだ。
国王陛下が王妃をたしなめる様に言った。
「マルグリット、皆は私達とは違うのだよ」
「そうでしたわね」
わたしは思い出した。
デューガ星系の五つの王室は戦争終結の約束として、それぞれの王子と姫を結婚させることを決めたのだ。
デューガ・スリー王室のマルグリット姫は生まれた時に、デューガ・ワンの王子、すなわち隣りに座っている国王の許嫁になった。
お互いを侵攻しないための人質。政略結婚だ。
恋愛の自由がないと言うのは、一体どんな人生なのだろう。
* *
おいおい、上座で何て話をしてやがる。
レイターは王妃の盗聴器から聞こえてくる会話を聞きながら不愉快になった。
ティリーさんのはしゃいだ声。
エースのことを「大好きです」かよ。俺に対して絶対出てこねぇワードだな。はにかむ笑顔が悔しいほどかわいい。
エースが選んだ真っ赤なキラ・センダードのドレスが似合ってやがる。
俺がティリーさんにプレゼントしたニルディスのペンダントはご丁寧に返却された。俺が贈って喜ばれたのは、エースの過去のレース動画だけだ。
こんな無線、切っちまいてぇ。
それにしても、あの王妃、なかなかなもんだな。「身分違いでも恋は素敵で人生を豊かにする」だと。
後ろに立つフェルナンドに聞こえているのをわかって話してやがる。
* *
三年ぶりにあった姫は、大人になっていた。明るい雰囲気は変わらない。マルグリット王妃の声がフェルナンドの心を揺らした。
あの頃、僕は皇宮警備の仕事に誇りを持っていた。最年少任官と周りの期待も高かった。
皇宮警備官が警護対象者、しかも婚約者がいる王室の姫君と恋に落ちるなんて許されるわけがない。
身分違いと頭ではわかっている。
でも、互いに惹かれあってしまった。
*
「フェルナンド、私を連れてここを出て」
僕は二十歳だった。
勤務地デューガ・スリーの広大な城の中で、マルグリット姫の声は切羽詰まっていた。
「どこへ行こうというのですか?」
「デューガ以外ならどこだって構いません」
姫はまもなく成人する。
そうしたら、九歳年上のデューガ・ワンの王子に嫁がなくてはならない。姫と一緒になるには今、駆け落ちするしかない。
天真爛漫なマルグリット姫はデューガ・スリーの国民に愛されていた。その姫が星を捨てる。王家や国民にどれだけの衝撃を与えるのだろう。
それだけではない、デューガ・ワンとの和平を約束する結婚を破棄したとなれば外交問題にも発展する。
戦争再開の恐れすらある裏切り行為。
そして、僕が所属する皇宮警備の名誉も失墜する。
僕の家族には一体どれほどの迷惑をかけるのだろうか。
我がネフィル家は代々皇宮警備官を輩出してきた名門だ。祖父は、皇宮警備長官。積み重ねてきた信頼を一気に失う。
誰にも祝福されない僕たちの恋。
でも、僕はすべての世界を敵に回してもいいと思った。
「明日、私は非番です。午後十時に裏門でお待ちしております」
マルグリット姫と約束の口づけを交わして別れた。
時間になっても、姫は裏門にあらわれなかった。
僕は警護官。待つのは慣れている。
二人分の夜行船チケットを手にしたまま、その場にたたずんでいた。
白みだした空を見た時、僕は現実を受け入れた。そして、何かが壊れた。
姫は何事もなかったかのように、翌日も公務をこなされていた。
未遂に終わった駆け落ち計画。
これに僕の上司だったマクドレン隊長が気が付いた。すぐに僕はデューガの担当をはずされ、そして、体調不良を理由とした自主退職の扱いとなった。
この件は皇宮警備の中でも極秘中の極秘とされた。
しばらくして、祖父は自ら皇宮警備長官を辞職した。
恋も仕事も無くした僕は、もう何もしたくなかった。
息もしたくない。ただただ、家でひきこもっていた。
レイターさんが殉職したと聞くまでは・・・。
* *
迎賓館の大広間。
クロノスの新工場誘致を祝う晩餐会は歓談の時間となっていた。出席者は席を離れグラスを片手に会話を交わしている。
「新工場の開所、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
紋切り型の社交辞令か。張り付けた盗聴器は感度良好。
レイターは入り口近くで王妃の監視を続けていた。
客が動くこの時間は特に注意が必要だ。
国王夫妻とティリーさんたちが座る高砂の席の前には、あいさつのための長い列ができていた。
不審な接触は今のところない。情報屋は一体どいつだ。
フェルナンドが寄ってきた。
「レイターさん。あなた、何してるんですか?」
小声だが怒気が含まれている。
「あん?」
「王妃を監視しているんですね」
そう言いながらフェルナンドはわざとマルグリット王妃が陰に隠れる位置に立った。こいつ、ほんとに優秀だ。
「よくわかったな。誉めてやるから俺の仕事の邪魔すんな」
「どういうことですか?」
「だから仕事だっつうの」
「特命諜報部の?」
俺はフェルナンドの目を見つめて言ってやった。
「そうさ、あんたが続きをやってくれるんなら代わってやるぜ」
フェルナンドが動揺している。
「どういう案件ですか?」
「王妃にスパイ容疑がかかってる」
「まさか。あり得ない」
「か、どうかを調べてんだよ。皇宮警備にばらすなよ」
* *
マルグリット王妃は国王陛下と並んで大広間へ入った瞬間、幻を見たのかと思った。
主賓席の後ろにスーツを着たフェルナンドが立っていた。その時私は、これまで皇宮警備の制服姿の彼しか知らなかったことに気がついた。
警護するその所作は三年前と変わらず、影のように静かなのに凛々しい。
彼は私を恨んでいるだろうか。そそのかし、誘い、そして裏切った私のことを。
彼が警護に来る日が楽しみだった。
最年少任官で優秀な彼が、私のわがままに困った顔を見せる。その表情が見たくて毎日彼のことを考えていた。
どんな難題にも応えるフェルナンドは大人たちより信頼できた。彼には私の心のすべてをさらした。そして、彼もまた、任務とは別の顔を私に見せた。
今思い返しても輝いた日々。
いつまでも、そんなやりとりを続けられないことはわかっていた。
成人になる日が近づいていた。
どこか遠くへ逃げたいと、フェルナンドに課した最後の難題。
本気でフェルナンドを愛していた。だから、踏みとどまった。
もし、逃避行が見つかったら、いや、仮に見つからなかったとしても、私の無謀な行為は、彼を幸せにはしない。
あの晩、私は一睡もしないで裏門の方角を見つめていた。
フェルナンドに恋をしたときめき。苦しさ。痛み。その経験すべてが私の人生の一部で、今の私を形作っている。
恋は素敵で、そして人生を豊かにする。フェルナンド、あなたのお陰だ。私は本当にそう思っている。
無情な時間は一方通行。もう、あの頃には戻れない。
* *
レイターがフェルナンドを押しのけて、マルグリット王妃の監視を続けようとした時、大広間のドアが開いた。
十歳ぐらいの少年とブレザーを着た年配の男性が会場に入ってきた。晩餐会の華やかな雰囲気に違和感が走る。
男性がにこやかにあいさつした。
「子ども福祉支援事業団のオルレアでございます。皆さま、温かきご支援をよろしくお願いいたします」
レイターがフェルナンドに聞いた。
「あいつらは何だ?」
「王妃は恵まれない子どもたちをサポートする事業団の会長を務めています。晩餐会の出席者に活動を理解してもらうため、こうした場に子どもたちを招待しているんです。デューガは戦争の影響で、福祉が行き届いていない地域が多いので」
引率の男性が少年を紹介する。
「ケント君は身寄りがおらず施設で暮らしていますが、成績優秀で将来は進学を希望しております」
ケントと呼ばれた少年が頭を下げた。
少年が手にしている募金箱へ出席者が次々と寄付をする。
マルグリット王妃が奥から伝統菓子を持ってこさせた。手慣れた様子で侍女が箱を運んでくる。
王妃の前にケントとオルレアが呼ばれた。
「施設のみんなで分けて食べてちょうだい。ケント君、お勉強がんばって、身体に気を付けて暮らしなさいね」
王妃から菓子の箱を両手で受け取ったケントが感謝の言葉を述べる。
「王妃さま、ありがとうございます」
「オルレア殿、いつもご苦労様です。ほかの子供たちにも届けてください」
「了解しております」
二人は深々と礼をし、大広間の外へと出ていった。
「おい、フェルナンド。あんたにプレゼントだ」
レイターはフェルナンドが腕に着けている警備無線のダイヤルを王妃の盗聴器に合わせた。
「王妃が怪しい奴と接触したら俺に教えろ」
「あ、あなたは?」
「菓子もらってくる」
*
「すみませ~ん。お菓子を検査したいんです」
大広間の廊下でレイターは手を振ってオルレアとケントを引き止めた。
「そんな話は聞いておりません。地方へ帰るため急いでおりますので失礼します」
引率のオルレアがいらだった声をだした。
「王室からの賜り物に異物が混入していたら大変です。ご協力お願いします」
レイターが少年からスルリと箱を取り上げた。
* *
バンッツ。
大きな音とともに大広間の扉が開いた。
ティリーはびっくりした。
「黙れ、近寄るな!」
廊下で男性が叫んでいた。一体何ごと?
叫んでいるのは、さっき男の子を連れて王妃の前に現れた福祉事業団のオルレアさんだ。
会場内の視線が一気に集まる。
オルレアさんの隣に、お菓子の箱を持ったよそいきレイターが立っていた。
ああぁ、厄病神は一体何をしたの?
オルレアさんが、子どもを抱きかかえるようにしていた。
「その箱を渡せ、さもないと、この子どもを殺すぞ」
心臓がドキンと鳴った。
銃だ。オルレアさんは子どもの頭に銃を突きつけていた。
強力そうなレーザー銃。
フェルナンドさんがわたしたちをかばうようにすっと横に立った。
会場が静まり返る。
王妃がびっくりして立ち上がった。
「オルレア殿、何をしているの?」
「王妃、すみませんねぇ。私が逃走するための船と金をご用意願います」
「どういうこと?」
「ここらが潮時だったようで」
「わ、私をだましていたの?」
王妃の声が震えている。
「とんでもない。ちゃんと恵まれない地方の子どもに物資はお届けしましたよ。ただ、ちょっとこの場を利用させていただいただけで」
王妃が真っ青な顔で叫んだ。
「オルレア殿、とにかく、ケント君を離しなさい!」
「それはできません。人質になってもらわないと」
とその時、
ハハハハ、とレイターが大声で笑った。緊迫するホールに響きわたる。
「人質ぃ? あんた、そのガキにそんな価値があるとでも思ってんのかよ?」
レイターがオルレアさんに歩み寄る。
「な、何?」
「親もいねぇみなしごだろ、死んだところで文句を言う奴、誰もいねぇんだぜ。人質の価値もねぇよ」
よそいきレイターの格好なのに、口調は普段のレイターだ。
「う、うるさい。本当に撃つぞ」
追い詰められたオルレアさんの目が普通じゃない。脅しじゃなく、本気で子どもを殺す気だ。緊張で上手く息ができない。
バシッツ。
と、レイターが子どもを回し蹴りにした。
倍速動画のような、あっという間の出来事。小さな身体がオルレアさんの手から離れて吹っ飛ぶ。
オルレアさんの驚きと怒りの混ざった顔。
次の瞬間、レーザー銃が明るく光った。
ビビュッ。
まぶしい。何が起こったのかわからない。
目を開けると、レイターはオルレアさんに馬乗りになって押さえ込んでいた。銃が床に転がっている。
「ったく、特別手当を請求させてもらうぜ」
さすがだ、レイターは。
厄病神だけれど、きっちりと警護の仕事をやり遂げる。
衛兵が駆け付け、オルレアさんはそのまま連行されていった。
「あの者をこちらへ」
マルグリット王妃がレイターを呼んだ。
*
レイターは王妃の前でひざまずいた。
マルグリット王妃がレイターに近づく。
「おもてを上げて。ケント君を助けてくださってありがとう。お礼を申し上げます。でも・・・」
パシンッ。
王妃の平手がレイターの頬を打った。
「彼を侮辱したことは許せません。親がおらず恵まれない子どもたちにも平等に命の価値はあるのです」
王妃の怒りがその場にいるわたしたちに伝わる。
部屋全体が静まり返った。
「命に価値がないなどと口にするのは、人として最低です。謝りなさい。親のいない子は、それでなくても痛みを抱えているのです」
王妃の言っていることはわかる。正しい。
でも、でも、わたしは知っている。
「お、王妃さま、恐れながら、レイターは、彼は、子どもの頃から両親がいないんです。痛みはわかっているんです」
当事者であるレイターが発する言葉は、わたしが話す言葉とは、たとえ同じ文言であったとしても違う。
気がつくとわたしは、王妃を否定するようなことを口にしていた。
一斉にわたしに視線が集まる。
しまった。
隣でエースが驚いているのがわかる。
王妃は眉間にしわを寄せ、困惑した表情を浮かべた。
ど、どうしよう。どうフォローすればいいの。次の言葉が思いつかない。会場中が凍り付いている。
と、レイターがすっくと立ち上がると王妃に敬礼した。
「王妃、あなたのような尊敬すべき大人が私の周りにもおりました。おかげで、こうして生きておりますことを感謝いたします。ケント君にはお詫び申し上げます」
それだけ言うと、レイターはくるりと踵を揃えて反転した。
美しい身のこなし。
そしてそのまま、風のようにさっとその場を立ち去った。
まるで、劇の一幕のようだった。惚れ直しそうだ。惚れ直す? こんな時に何を考えてるんだわたしは。
そして気が付いた。
レイターのおかげで、王妃に恥をかかせずに済んだことを。 まとめ読み版②へ続く
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