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銀河フェニックス物語<出会い編> 第四十話(最終回) さよならは別れの言葉
S1レースの最終戦から一週間が経っていた。
・銀河フェニックス物語 総目次
・第四十話(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)
* *
レーサーを引退し、無敗の貴公子ではなくなったエースと、わたしはレストランの個室で向かい合っていた。
「S1優勝おめでとうございます」
「ありがとう」
グラスを掲げて乾杯する。二人きりの時間は久しぶりだ。わたしは緊張していた。
ひとしきりレースの感想を話した後、エースが切り出した。
「ティリー、僕はもう友だちごっこは、止めようと思っている」
「は、はい」
やはりこの話だったか。
エースから交際を申し込まれて、友だちから始めましょう、と先伸ばしの提案をしたのはわたしだ。
S1最終戦を終えたエースは先に進みたいと考えている。もうこれ以上、宙ぶらりんの状況を続けるわけにはいかない。
以前は高飛車なところがあったエースだけれど、最近は感じなくなった。
推しのエース。
かっこいいエース。
話をしていて楽しいエース。
美味しいお店をたくさん知っているエース。
何一つ、文句のつけどころのない大好きなエース。
なのに、自分の中に、エースとつきあう覚悟がない。
削除できていないからだ。レイターが好きだという気持ちが。
誤解されないようにうまく伝えられるだろうか。エースのことは好きだけれどつきあうことはできないと。
今の関係を続けたいというのは、虫がよすぎる。悲しいけれどエースから離れるという選択肢しかわたしには残されていない。
エースがゆっくりと言葉を発した。
「君を見ているとつらそうだ。だから、僕は君の友だちになりたい」
論理的なエースにしては珍しい発言だった。今だってエースとは友人という約束だ。
「あの? 意味が分かりませんが」
「恋愛抜きの純粋な友人だよ。友だちごっこ、ではなく友だちだ。もちろん僕は、今でも君とつきあいたいと思っている。だが、君はそれを負担に感じている。君は、今もレイターのことが好きなんだろ。そして、僕は君の憧れの対象のままだ」
「……」
図星だ。わたしは何も言えなかった。
「君が僕のキスを避けた時に、その気持ちを感じたんだ」
あの時だ、S1最終戦の前。
テストコースの停船した船の中でエースと頬を合わせた。
抱きしめあったぬくもりを思い出す。幸福感に身体中が満たされた。決して嫌いでキスを避けたわけじゃない。
「わたし、エースのことが好き過ぎるんです」
「わかっているよ」
エースが微笑んだ。すべてを許容するという柔らかな表情。
これまで、推しのエースの表情を見逃すまいとわたしは観察してきた。そのどれにもあてはまらない、わたしだけに向けられたエースの素顔。
「だから、僕なりに考えた。恋愛抜きの友人という関係は、今、君にしてあげられるウインウインの選択肢と思って提示した。僕が困ったときには、友人として君に相談に乗ってもらう。もちろん君の相談に僕も乗る。もし、君が僕を彼氏としてつきあいたくなったら、いつでも言ってきてくれればいい。男女の友情が成立するかどうかは、文献を読んでもわからなかったが、やってみる価値はあると判断した」
さわやかなライムの香り。
エースの提案は、わたしの気持ちを軽やかにさせた。
ずっと、わたしはエースを見て、エースはわたしを見ていた。なのに、その視線は高速航路の上り線と下り線のように重なっていなかった。
きょうは上下線共通のサービスパークへ一緒に入ったようだ。
心の奥に温かさが広がっていく。
エースが笑顔で言った。
「イメージは円満離婚だ」
「つきあってもいないのに」
わたしもつられて笑った。
「いい笑顔だ。その顔が見たかった。僕は船の気持ちは手に取るようにわかるが、人の気持ちを理解して大切にすることが中々に難しい」
「いえ、エースは十分にできています」
「だとしたら、君のおかげだ」
わたしは首を振った。
「わたしじゃなくエース自身の力だと思います」
「ありがとう。君には感謝している。ほかに、僕が君に対してできることはあるかい?」
わたしはもっと現場に近いところで働きたい。
「わたしを営業部に戻してもらえますか?」
「相分かった」
*
それからしばらくの間、株主総会と取締役会の対応でわたしも含め役員室は大忙しだった。
エースは、株式会社クロノスの代表取締役社長に就任した。
エースの父は会長となり、役員室の秘書には大きな人事異動があった。
わたしにも辞令が出た。
『営業部 営業企画課への配属を命ずる』
さよなら『無敗の貴公子』、わたしの憧れの人。
ありがとうエース、わたしの友人。
荷物を片付けたわたしは、感謝の気持ちを込めながら役員室のドアを閉めた。 (おしまい)
<出会い編>第四十一話「パスワードはお忘れなく」の前に
<少年編>「自由自在に宙を飛ぶ」に続きます
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