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銀河フェニックス物語【少年編】第十話 二段ベッドの上で見る夢(まとめ読み版)
戦艦アレクサンドリア号、通称アレックの艦。
銀河連邦軍のどの艦隊にも所属しないこの艦は、要請があれば前線のどこへでも出かけていく。いわゆる遊軍。お呼びがかからない時には、ゆるゆると領空内をパトロールしていた。
銀河フェニックス物語 総目次
<少年編>第九話「金曜日はカレーの日」
<少年編>マガジン
シャワーを浴びて部屋に戻ると床に宇宙服が転がっていた、と思ったら、レイターだった。
「こんなところで寝るなよ」
ヘルメットをとってやったが起きなかった。
今日の任務はハードだった。
確かにこの耐温、耐圧のスペーススーツは重い。無重力ポーターで部屋まできたところでダウンしたのか。
「しょうがないなあ、もう」
スーツの留め金をはずして脱がせてやる。
Tシャツに短パン姿。小さなレイターの体が大きな大人用のスーツに埋まっている。身体が熱っぽい。腕にも足にも靴ずれの様のような傷が痛々しい。同情はするがこれより小さいスペーススーツはこの艦には置いていないのだから仕方ない。
それが今日の原因か……。
パトロール中に僕とレイターは、偶然、宇宙機雷を発見した。直径三メートル強の球体。
連邦軍のものでも敵アリオロンのものでもなかった。どこの戦地で誰が敷設したものかわからないが宇宙空間を漂ってきたのだ。
爆破処理の方が楽だが、確認のため回収することになり、僕たちは摂氏千二百度の船外活動をすることになった。
起爆装置を解除する処理具をレイターと自分で機雷の二カ所に同時にセットし無効化する。そんなに難しい作業ではないはずだった。
機雷の反対側にいるレイターに声をかける。
「カウントダウンは十秒だ」
「了解」
「……三、二、一」
力を込めて処理具をはめ込む。
だが、レイターの側の処理具がうまく接続できなかった。
「レイター、早く! 何してるんだ」
起爆装置が作動した。このままでは爆発する。
次期将軍の僕が死んだら、アレック艦長は辞任では済まない。艦橋で真っ青な顔をしていたらしい。
永遠とも思える一秒。
「ちっ、この着ぐるみのせいだ。今、つながった」
コネクター接続があと一秒遅れたら、僕たちは吹っ飛び宇宙の塵となっていた。
機雷の回収任務はギリギリのところで成功した。僕たちが上官から叱責されることはなかった。
レイターは何でも器用にこなす。
だから、この程度の作業はできるだろうと、アレック艦長も教育係の僕も判断した。
サイズの合わないスペーススーツをレイターは『着ぐるみ』と表現した。僕は着ぐるみを着たことはないが、作業が困難になるという想像はつく。
これまで無重力での船外活動訓練で、彼がそれほど扱いに苦労しているように見えなかった。だが、平気な顔の裏で、かなり無理をしていたということだ。
きょうの処理具のはめ込みは、普段の訓練より力と正確さを少しだけ必要とした。
レイター自身もどかしかったことだろう。
彼にフィットするスーツを調達するまで、レイターの船外作業は止めさせよう。
重いスーツをロッカーへ片付ける。
死の恐怖は相当にメンタルを削り体力を奪う。きょうは疲れた。
レイターは床に転がったままだ。
あ、こいつ薄目あけている。
「スーツを片付けておいたぞ。起きていたなら礼ぐらい言えよ」
「ばれたか、サンキュ」
舌をだし、おどけた返事が返ってきた。
「大丈夫か?」
「平気平気」
と口では言うが、多分こいつは本当にばてている。
「下の僕のベッドで寝てもいいぞ」
「大丈夫でい。上からあんたを見下ろしてやる」
彼はよろよろと立ち上がり、二段ベッドの梯子に手をかけて登りはじめた。
しかし、手に力が入らないようだ。案の定、足を踏み外して床に転がった。
「痛ってえ」
「だから、言っただろう。さっきまでの無重力とは訳が違うんだから」
「わかってるよ。手がすべっただけだ」
全く、どうしてこいつはこう意地っ張りで頑固なんだろう。
結局、レイターはベッドの梯子を上れず、下の段、僕のベッドにもぐりこんだ。
ものの一分もしないうちに寝息が聞こえてくる。基礎体力がなってないのに筋力トレーニングはすぐにさぼるからだ。
部屋の真ん中に引いた境界線から向こうはレイターの領域。
脱ぎっ放しの服、食べ散らかした菓子袋、プラモデルの部品や工具が床に転がっている。足を踏み入れるのは危険だ。
自分の部屋が汚部屋と呼ばれる部類に入るなんて、これまでの人生で考えたこともなかった。
部屋を散らかしながら嬉しそうに宇宙船のプラモデルを組み立てているレイターに聞いたことがある。
「君が目指している『銀河一の操縦士』とは何を指しているんだ? S1レーサーなのか?」
「あん? とにかく銀河一操縦が上手いに決まってるじゃん。S1もいいけど、俺、自分の船が欲しいんだよ。銀河を越えて飛んでいけるようなやつ。そいつで宇宙の端から端まで飛び回るんだ。このプラモみたいな五十メートル級の中型船がいいな」
彼の夢だという『銀河一の操縦士』は定義づけもされていない、随分、漠然とした未来だった。
同い年とは思えない幼いレイターの寝顔を見つめる。
アレック艦長は何を考えて僕と彼を組ませているのだろう。
僕の中に芽生えた小さな不安が石のような固まりとなって胸につまった。子供は子供同士というのでは余りに短絡的過ぎる。
幼い頃、僕の周りには大人しかいなかった。
自分を論破する少年を好きな大人はいない。自らの影響力が行使できる子供がかわいいのだ。
だから、僕はずっと大人の求める子供らしさを演じてきた。
「アーサー殿下の将来の夢を聞かせてください」
「はい。父のように世界平和に貢献したいと思います」
少年らしい模範解答に疑問を持つ大人はいなかった。僕自身、何の疑問もなかったのに。
「嘘だね」
鼻で笑うレイターの言葉が小さな棘のように突き刺さった。
「なぁにが世界平和さ。あんた本気で言ってんの?」
軽侮のまなざしに苛立ちが募る。
「何を根拠にそんなことを言うんだ」
「だって、答えがつまんねぇんだもん。俺は、あんたが心の底からやりてぇことを聞いてんだ」
棘を抜きたいのにうまく抜けない。触れば触るほど身体の奥の方へ入っていくような違和感と痛み。
先日、暗号通信士のヌイ軍曹にも聞かれた。
「アーサーに夢はあるの?」
いつもと同じ回答をした僕を軍曹はじっと見つめた。何かを見透かすような瞳だった。
僕のやりたいこと。
「世界平和への貢献」
そこに嘘はない。なのに、この居心地の悪さは何なのだろう。
「俺は、あんたが心の底からやりたいことを聞いてんだ」
心の底。
それは一体どこに存在しているというのか。
遠い昔に置き忘れてきたような焦燥感。
レイターを恐れている
オソレテイル
僕が?
レイターがうらやましい
ウラヤマシイ
僕が?
そんなはずはない。
薄暗い部屋の中で、寝息をたてているレイター。
十二才にしては成長不良。頭の回転は速いが、知力も体力も恐るるに足らない子供。
彼を恐れる理由も、うらやましく思う理由もない。
なのに、不安の固まりは消えるどころか更に大きくなり僕を包みこんだ。抜けない棘のせいだ。
きょうは疲れている。早く寝たほうがいい。自分に言い聞かせながら二段ベッドの梯子に足をかけた。
上の段をのぞいて思わずため息が漏れる。ここも汚いな。あいつはベッドの上にもプラモデルや漫画を持ち込んでいる。シーツも脱いだままの服もぐちゃぐちゃだ。
彼は身体が小さいから平気なのだろうが、僕には狭すぎる。
物を端に寄せて寝る場所を確保する。これでは塹壕づくりだ。
枕の横に本が開いたまま置かれていた。僕が渡した宇宙航法概論だった。読みかけのページに引かれた赤いアンダーラインと幼い字の書き込みが、僕の心を激しく揺さぶった。
「アーサー」
下の段から声がした。起こしてしまったか。
身体を乗り出すとレイターが目を開けて僕を見ていた。
「きょう、心中するところだったな」
思わず、「誰のせいだ」という言葉を飲みこんだ。
レイターは僕の目をまっすぐに見て言った 。
「俺、やりたいことやらないで死なねぇから。絶対、大人になるまで、『銀河一の操縦士』になるまで死なねぇからな。せっかく生き残ったんだ」
彼が使った「生き残った」という言葉が、きょうの機雷処理のことを指すのか、マフィアから命を狙われたことを指すのかはわからなかった。
ただ、自分にもあてはまるような気がした。
僕は乗り出していた身体を元に戻し、天井を見つめた。
レイターの射貫くような視線と、枕元にある宇宙航空概論のアンダーラインが交差する。「大人になるまで」と彼は言った。
僕は、一体いつ大人になるのだろう。
漠然としていた不安の輪郭が少しずつ形を持つ。
僕に欠けている子供のプロセス、それをレイターは持っている。『銀河一の操縦士』に憧れるレイターの前進するエネルギーを僕は嫉妬し恐れている。
夢は誰でも口にできる。だが、実現するのは簡単じゃないと、打ちのめしたい。
そんな欲求にかられて僕は宇宙航空概論を彼に渡したのだ。レイターに理解できるはずのないテキスト。
しかし、彼は絶望しなかった。正面から将来の夢と向かい合っている。
「僕が本当にやりたいこと。死ぬまでにやりたいこと」
無意識のうちに声に出してつぶやいていた。
『世界平和への貢献』
それは僕が『やりたいこと』である以前に、僕が『やるべきこと』なのだ。
今日、回収した機雷は、連邦軍でも敵のアリオロンのものでもなかった。おそらくは宇宙三世紀以前のものだ。
どこかの地方紛争で使われ、不発のまま慣性の法則に従い漂い続けた。
ずっとずっと遠方から、長い長い時間をかけて、ここへたどり着いたのかもしれない。
さいはての星から。
瞼に淡い光が浮かんだ。その光が集まって形をなす。それは母の姿だった。荒涼とした平原に母が立っていた。
「お母さんの故郷にはね、もう帰れないのよ」
「大きくなったら、僕が連れていってあげる」
星空を見上げ寂しく微笑んだ母の笑顔。あれはいつのことだったろう。
そう、幼い頃、僕にはやりたいことがあった。
さいはての星。
惑星状星雲の周りを公転する第十八番惑星インタレス。
父に救出された母はたった一人「生き残った」のだ。
高度な知能を有しながら全ての文明が滅んでしまったという故郷へ、僕は母を連れて行きたかった。
今では生きるものもなく冷え切ったその星で、生命力が輝いていた頃の記憶が、僕と妹の中に宿っている。
侍医のテッド先生は二人目の出産は無理だと両親に伝えた。
けれど、母は「アーサーが一人になってしまいます」とフローラを産み、程なくして亡くなった。
フローラの存在は僕の孤独を支えている。母はそのことを予見し自らの命を手放したのだ。
僕のため? 僕のせい?
彼方の星へ母を連れていくことはもうできない。
忘れるという機能を持たない僕は、思い出さないように封印した。
それでも心の底で僕が僕を呼んでいた。
ずっとずっと彼の地の記憶が僕を誘っている。
原点に帰りたい。
何もないという母の故郷インタレスに立って、僕は自分が何を感じるのか、内なる声を聞きたい。民族の末裔として生き残った意味を知りたい。
これが僕のやりたいこと。
誰にも言えなかった僕のやりたいこと。
熱いものが頬を伝った。涙を流すのは何年ぶりだろうか。
僕はいつかレイターに話そう。僕が心の底からやりたいと思っていることを。
そして……
僕は枕元に置かれた宇宙航法概論に触れた。
そして、大人になったら君の船で母の故郷に連れていって欲しい、と伝えよう。
棘が抜け、不安の固まりが溶けて涙と共に流れていく。
そのまま僕はぐっすりと眠りに落ちた。 (おしまい)
<出会い編>第一話「永世中立星の叛乱」→物語のスタート版
イラストのマガジン
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