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銀河フェニックス物語 <番外編> 思い出の曲 ショートショート
俺は、船も好きだが音楽も好きだ。
お袋は音楽教師で、地域のコミュニティセンターでピアノを教えてた。名門のセントラル音楽学院に通い、専攻は声楽だったという。
地球の福祉支援地域っつう街の路上で、お袋はよく歌ってた。貧乏人しかいねぇ場所だ。それでも聞いてる人たちは少ない小銭をよく俺に投げてくれた。
汚ねぇ灰色の町で、お袋の声だけが鮮やかな色を塗っていくように俺には見えた。
お袋は幼い俺にピアノを教えた。
ミスしねぇでフルコンボを目指す。この音ゲーの攻略にはまった。
「面白れぇ」
「毎日練習すると、もっともっと楽しくなるわよ」
お袋の言う通りだ。速弾きが上達すると次の難曲にチャレンジしたくなる。一日サボると指がなまる、ってことを身体で覚えた。
初等科の学校に通うようになったある日、音楽室でショパンの練習曲を弾いたら音楽の先公が目を丸くした。「天才少年だ」っつって。そん時、クラスメイトが撮影した動画が話題になって、メディアが取材に来ることになった。
お袋はそれを断った。動画も全部削除申請した。そして俺に言った。
「レイター、人前ではピアノを弾かないで」
みんなが驚くのが楽しかった俺は、口をとがらせた。
「なんで?」
「一緒に暮らせなくなるかもしれないから」
いつものお袋じゃなかった。怯えた真剣な様子に、このままお袋がいなくなっちまうんじゃないか、っていう恐怖を感じた。
しばらくしてお袋は病気で死んだ。
俺がピアノを弾いたせいじゃねぇのか。
フェニックス号の作業場にはアップライトのピアノが置いてある。指がなまらねぇように運指練習をする。
六十の練習曲によるヴィルトゥオーゾ・ピアニスト。
ハノンの第三十九番。
列車が連なって坂を上ったり下ったりするような楽譜が延々と続くこの曲。音階の繰り返しをただ無心で弾く。
ドレミファソラシドレミファソラシドレミファソラシドレミファソラシ
四オクターブ進んで下がる。
ドシラソファミレドシラソファミレドシラソファミレドシラソファミレド
繰り返しは飛ばす。
カデンツが入って、今度はイ短調。
ラシドレミファソラシドレミファソラシドレミファソラシドレミファソ
上ったら折り返す。
ラソファミレドシラソファミレドシラソファミレドシラソファミレドシラ
次が何調の音階かは指が覚えている。どんどんフラットの数が増えていく。
一秒でも速く、ムラなく反応する。操縦につながる訓練。
ガキの頃はタイムアタックを更新するのが楽しかった。これまでの人生で何回弾いただろうか。
調性なんてちゃんと勉強したことなかったが、俺の中にはお袋が伝えた音楽理論が沁みついている。絶対音感があるのもお袋の教育のたまものなのだろう。
おかげで、俺は連邦軍の音階暗号譜を見る間に習得した。
俺に音階暗号譜を教えた通信士で元シンガーソングライターのヌイは、うらやましそうに俺に力説した。
「お袋さんに感謝するんだぞ。お前は音楽の女神ムーサに愛されているんだ」と。
敵に囲まれて攻撃を受け、このままじゃ艦は沈没する、という絶体絶命な場面で、俺は届いた音階暗号の退避座標を瞬時に解いた。
今、こうして生きていられるのはお袋のお陰だ。
人様の前で、ピアノは弾かねぇ。
誰にも聞かれねぇこの船で、単調な音階の練習曲を今日も俺は弾く。 (おしまい)
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<出会い編>第一話「永世中立星の叛乱」→物語のスタート版
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