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銀河フェニックス物語【少年編】第十一話 情報の海を泳いで渡れ(まとめ読み版)
戦艦アレクサンドリア号、通称アレックの艦。
銀河連邦軍のどの艦隊にも所属しないこの艦は、要請があれば前線のどこへでも出かけていく。いわゆる遊軍。お呼びがかからない時には、ゆるゆると領空内をパトロールしていた。
僕は落ち着かないでいる。
同室のレイターは鼻歌を歌いながら戦艦のプラモデルを作っていた。三百五十分の一スケールという大型で高価なものだ。アルバイト代を貯めて買ったのではなく、元機関長のハインラインさんにプレゼントされたという。
彼はアレクサンドリア号の隊員たちとうまくやっている。「うまく」というのはひじょうに的を射た言葉だ。上手にコミュニケーションを取っている。というのが正確な表現にあたるのだろう。
少なくとも、僕と隊員たちより。
レイターはおしゃべりだ。大人たちの会話の輪に参加しようと口を挟む。恋愛話から政治談議まで。ときおり、的外れなこともある。だが、それもまた愛嬌。背伸びして話すレイターの様子を見て隊員たちは楽しんでいる。
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僕はそういう会話に加わることがない。僕のほうが階級が上で次期将軍という、やりにくさは、こちらにも隊員たちにもある。十以上の年齢差も原因だと思っていたが、レイターを見ていると、それは関係のないことだったと自覚する。
業務連絡以外に彼らと何を話せばいいのだろうか。
簡単に言えば僕には雑談の能力が欠けている。任務に支障はない。だが、人を動かすのは命令だけではないことを僕は知っている。
幼い頃から僕の周りには大人しかいなかった。妹のフローラを除いては。
月の屋敷で暮らす僕には、大学教授など各界の専門家が家庭教師としてついていた。知的好奇心を刺激される彼らとの楽しいおしゃべりの時間を、僕は雑談だと思っていた。
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ある日、たまたま家にいた父がその様子を見て僕に言った。
「アーサー、あれは雑談ではない。議論だ」
十歳の時、士官学校へ入学することになった。戦術論など座学で学ぶことはすでに家庭教師から習得しており、入試には卒業試験の問題が出された。満点だった。
幼い頃から将軍家の跡取りとして武術や、武器の扱い、船の操縦など一通りのことを身につけていた僕は、通常四年在籍するところを二年で首席で卒業した。学校では主に団体訓練や持久力トレーニングに力を入れた。
字にすれば簡単なようだが、重装備の行軍訓練は身体ができあがる前の自分には苦しいものだった。入学当時、十歳の僕は小柄な成人女性程度の体格しかなかった。
きつい、苦しい、痛い、寒い、それらを顔に出すことは許されない。将軍家に求められているものを僕はわかっている。理不尽な要求にも淡々と対処する。学友と雑談をする余裕もなかった。
結局のところ、無駄話、というものを僕はしたことがないのだ。
レイターに聞いてみた。
「君は日々の会話で隊員たちとのコミュニケーションを取ろうと意識してしているのか?」
彼は大きな目をさらに大きくした。
「は? あんたってほんと笑わせてくれるよな。冗談の才能があるんじゃねぇの」
レイターが僕の質問の何を面白いと判断したのか、さっぱりわからない。
会話における笑いの効能は理解している。意思疎通の円滑剤になる。将軍家の品位を損ねるわけにはいかないが、ユーモアはリーダーに必要だ。人工知能のように事例を取り込んで学習していくしかない。
相手にとって意外なことを伝えて、最後に「冗談です」と落ちを伝える。このパターンなら僕でも使える。相手の反応を分析し、繰り返す。
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ヌイ軍曹に「仕事でなければ階級で呼ばなくていいですよ」と伝えると、彼は戸惑った顔で僕を見た。
「何とお呼びすれば?」
軍曹が一番意外に思う答えを口にしてみた。
「坊ちゃん、でも」
隊員たちが僕のことを『将軍家の坊ちゃん』と揶揄していることを知っていたからだ。
「え?」
想定通り、ヌイ軍曹が固まった。
「冗談です」
と即座に伝える。軍曹は、脱力しながら引きつった笑顔を見せた。
その表情からわかる。僕の冗談は面白くなかったようだ。
即座に解析を進める。自虐的なところがヌイ軍曹との関係において笑いに結び付かなかった可能性がある。ジョークは難しい。相手との距離感を測りながら瞬間的に最適解を見つけ出さなくてはならない。いくら本を読んでも身につくものではない。実践していくしかない。
会話の終わりにヌイ軍曹から質問された。
「レイターと仲はいいんですか? どんな話をしているのか興味があって」
その問いに僕はうまく答えることができなかった。
僕とレイターは年は同じ十二歳だが、噛み合う共通の話題はほとんどない。それでもレイターは話しかけてくる。
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「なあなあ、バルダンってさあ、めちゃくちゃカレーが嫌いって知ってるか? あいつやっつけるならカレー食べた後がいいぜ」
「銀河の歌姫の新曲がまたエロいぞ、特に歌詞がヤベエんだよ。あんた、興味ねぇの? あ、音楽は嫌いなんだっけ」
「ザブが玉ねぎ切らしちまったんだ。注文ミスってやんの。あすのランチメニュー変更になるぜ。知りたかったら金くれよ」
他愛無い内容。これが普通の十二歳の会話、雑談というものなのだろうか。僕には聞き流すしか術がない。
「あんた、つまんねぇなあ」
そんな中、彼から聞き出した裏社会の情報には興味がそそられた。特に『裏社会の帝王』ダグ・グレゴリーから『緋の回状』が回され、十億リルの懸賞金を懸けられた彼が、どうやって、マフィアから逃れることができたのか。
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彼が住んでいた地球の地図を見ながらレイターがとった行動を聞き取って再現するとひじょうに面白いことが見えてきた。
レイターは随分と策士だった。緻密に作戦を練り、襲いかかるマフィアを罠にかけた。なぜ、彼にそんなことができたかと言えば、彼にはマフィアの動向に関して大量の情報が与えられていたからだ。情報戦で圧倒的に優位な立場にあったのだ。
「俺はここで『シャーク』にブラフをかけたんだ。それに『クロコダイル』が反応した」
「もう半日待った方がさらに効果はあがったな」
まだまだ作戦に甘い点もあった。僕がそれを指摘するとレイターは悔しがった。
だが、十二歳とは思えない読みの深さだ。と、十二歳の僕が言うのも変だが、作戦司令部の若手参謀並みの先読みができている。
「よくこの手を思いついたな」
「夕飯の後、ダグとよく遊んだんだ。マフィアの陣取りゲームってボードゲームでさ。そこでダグが『シャーク』に使ったんだ」
レイターの話には時々陣取りゲームが出てくる。マフィアの構成員の数、武器、幹部の名前と性格、随分細かい設定だ。どうやらこのゲームは裏社会の実戦で使える極秘の生データが満載のようだ。ゲームを通してダグは情報の使い方を随分丁寧に伝えている。そして、レイターはその期待に十分応えていた。
マフィアと一戦を交えるための武器として銃や爆弾などをレイターはグレゴリー一家から調達していた。ファミリーから出ると決めてから、少しずつ外へ持ち出して隠していたという。
何かが変だ。ダグはわかって見逃していたとしか思えない。
机上の陣取りゲームを実際に追体験させようとしたのではないだろうか。
「ダグ・グレゴリーは今、君のことをどう思っているだろうか?」
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「十億リル払わねぇで抹殺できたし、俺が随分マフィアを潰したから喜んでんじゃねぇの」
レイターへの『緋の回状』でマフィアの勢力図は大きく変わった。命を狙ってきたマフィアにレイターが壊滅的な打撃を与えたため、ダグは労せずして地盤を固めた。
レイターは慎重で用心深かった。おちゃらけた見た目からは想像できないほど綿密だ。
「だってさぁ、パン盗みに行くのも命がけなんだぜ」
「マフィアの目をかいくぐって行くということか」
「そうさ。いっぱい考えるのさ。信号が赤だったらどうする。青だったらこうする。撃ってきたら、どこへ逃げる。全部決めてから出る」
リスクの洗い出し。
「もし、パン屋が臨時休業だったらどうするんだ?」
「帰るさ」
「次の店へ行かないのか?」
「もう一度計画を立て直す。飢え死にするまでには時間があるが、射殺されたら終わりだからな」
「ダグ・グレゴリーに教わったのか?」
答えるまでに間があった。
「う~ん、そうだな。一か八かはどうにも手がない時だけにしろ、って言われててさ。この船には一か八かで乗り込んだぜ。どこ行きの積荷か選んでる余裕はなかったからな」
慎重かつ大胆な行動。
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アレクサンドリア号に密航したレイターが二週間もの間、誰にも見つからずに潜んでいられたのは偶然ではない。
ダグの教えは彼が生き延びるための能力を最大限に引き出していた。それは、これから僕らが向かう戦地で役立つ能力でもある。
『緋の回状』が示した三ヶ月の期限。ダグは、レイターが逃げ切ると踏んでいたのではないだろうか。そして、その通りにレイターは生き延びた。生存情報を知ったら『裏社会の帝王』はどう出てくるのだろう。
いずれにせよ、レイターの存在はこの艦にとってリスクが高い。
*
二段ベッドの上から声がした。
「なあ、これってあんたんち?」
レイターが指さした空間ディスプレイに映し出されていたのは、見慣れた将軍家の居宅だった。通称『月の御屋敷』。
「そうだ、我が家だ」
「すげぇな。ダグのアジトより広いぜ」
情報ネットワークを検索すれば、将軍家の情報はいくらでも掲載されている。レイターが見ているのは非公式な将軍家のまとめサイトだった。
レイターの指の動きに合わせて動画が次々と入れ替わる。
「これがあんたの親父の将軍か。あんたと似て、見た感じ冷たそうだな」
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式典であいさつする父の映像だ。冷たそう、か。彼が僕のことをそう認識していることがわかる。
「父は、公式の場では厳しい顔をするが、普段は陽気だ。僕とは違う」
「うわぁ、この娘かわいい」
レイターの声がはずんでいる。昨年の将軍忌の映像が現れた。普段表に出ない彼女が、参列する僕の隣に静かに立っていた。胸に詰まるものがこみ上げる。
「もしかして、あんたの彼女か?」
「妹のフローラだ」
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「妹かぁ。あんたに似てなくて、ほんと、良かったなあ」
安堵した声に思わず反応してしまう。
「どういう意味だ?」
「かわいい、ってことさ」
レイターが言う通り妹は可愛い。似ているいないは大きなお世話だ。身内のひいき目と言われればそれまでだが、存在そのものが愛おしい。
高知能民族インタレスの血を引くものは、彼女と僕しかこの世界にいない。
かなり丁寧にまとめてあるサイトだな。
フローラが誕生した時のニュース動画が現れた。おくるみに包まれた妹を母が抱いている。懐かしい。
「これが、あんたの母さんか。美人じゃん。あんたの妹に似てるな」
「逆だ。妹が母に似ているんだ。母はフローラを産んで体調を崩し、この動画を撮影した四十二日後に亡くなった。僕が二歳の時だ」
つい、聞かれてもいないことを口にしてしまった。
「二歳の頃のことなんて覚えてねぇな。あんた、母親の記憶はねぇの?」
レイターから質問が続く。不思議なことに嫌な気持ちにはならない。それどころか自分の中に他人に伝えたいという欲求があることを感じる。これまでこうしたプライベートな話を他人としたことがなかった。
「僕は生まれた時から目で見たものはすべて覚えている。母の姿も動画より鮮明に思い出せる」
亡くなる直前まで母は、幼い僕に母国のインタレス語を教えこんだ。
「うらやましいな、天才少年は」
珍しく嫌味ではない。
「何がだ?」
「俺がお袋を思い出すのはいつもよく似た表情ばっかりさ。もっといろんな顔してたと思うのに、どんどん記憶のピントがぼけてくんだ。写真もねぇしな」
「手元になくても一枚ぐらい情報ネットワークにあがっていたりしないのか?」
「お袋は写されるのが嫌いだったんだ」
情報ネットワークでレイターの母親マリア・フェニックスの検索を試みた。ピアノ教室の生徒募集情報がヒットした。地球のコミュニティセンターの過去の掲示板だ。講師名として名前が出ている。掲示板にはコミュニティセンターの活動記録の動画や写真が多数アップされていた。だが、レイターが言う通り彼の母親はどこにもでてこない。
レイターが学校でピアノを弾いた動画が情報ネットにアップされた時には母親が削除要請したという。
写真嫌いにしても徹底している。まるで逃亡者だ。
レイターのことを住民登録のデータベースで調べた時、父親については何の記載もなかった。
「君の父親は?」
「俺が生まれる前に死んだんだ。親父の写真もねぇし、母さんは名前も教えてくれなかった」
「名前も……」
センシティブなところへ踏み込んでしまったかも知れない。母親自身がレイターの父親をわからない、もしくは望まない妊娠だったという可能性があり得る。ドメスティックバイオレンスからの避難か。
と言う僕の予測を打ち消す話をレイターは始めた。
「でも、話はたくさん聞いたぜ。船乗りで『銀河一の操縦士』で凄腕で、母さんは父さんの船を見るのも乗るのも大好きで、デートではよく船を飛ばしたって言ってた。俺、一度だけ、母さんに本物のS1レースに連れて行ってもらったことがあるんだぜ。父さんが出場してたら楽勝で優勝してたよ、って笑ってた」
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彼の夢である『銀河一の操縦士』は父親を投影したものだったのか。嬉しい思い出なのだろう。目を細めてレイターは幸せそうだ。
「君の母親は、お父さんを愛していたんだね」
「そうさ。親父は俺のこと、すっげー楽しみにしてたけど、船の事故で人を助けて死んだんだってさ。父さんみたいに人を助けられる強くて優しい大人になれっ、て言われたもんだぜ」
なぜ、その愛する夫の名前を息子に伝えなかったのか。違和感が残る。
名前もわからない父親の素性を追いかけるのは難しいが、レイターは純正地球人だ。母方の親戚を捜すのはそれほど難しくないはずだ。
「へへ、俺も『銀河一の操縦士』になって、彼女を乗せて飛ばすんだ。助手席で母さんみたいに笑ってくれたら、きっと最高にハッピーだぜ。俺は船を操縦してるだけで幸せなんだ。あんたはどうなの? 幸せ感じるのはどんな時だい?」
僕は答えに窮した。幸せを感じる瞬間、という問いは難しい。
「任務を完遂した時だ」
無事に任務を終えたときの安堵感は、幸福感に限りなく近い。だが、僕の回答にレイターは口を尖らした。
「俺、仕事以外の答えが聞きてぇんだけどな。例えばさ、あんたいつも難しい本をペラペラめくってるけど、あれは趣味なのか?」
読書が趣味かと問われるとそれもおそらくは違う。僕は正直に答えた。
「本を読んでいる時間が幸せなわけじゃない」
「じゃあ、どういう時が幸せなんだよ」
「新しい価値感と出会った時」
「あん? それってどういう意味だよ? あんた十分天才なのに、もっと勉強したいってことかい?」
「知識を得ることとは少し違う。知識が自分の内面に何らかの影響を与える、そういう事象に出会うこと」
「例えば?」
「自分の想定外の出来事が起きる、例えば、いるはずのない密航者が船にいるようなことだ」
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そう答えてから僕は気づいた。レイターの存在そのものが僕にとって新しい価値観であることに。
「君はそんなことを聞いてどうしようと言うんだい?」
「あん?」
レイターは不思議そうな顔で僕を見た。
「あんたって、やっぱ面白れぇなあ。どうもしやしねぇよ。知りたいから聞いてるだけで」
*
レイターがベッドで眠ったあと、僕はこっそりと地球の個人情報データベースにアクセスした。連邦のプライバシー管理は厳重だが、将軍家には閲覧権が許されている。
マリア・フェニックスの情報を追いかけると、フェニックス家の親族は全員既に故人だった。おかしい。どこがどうおかしいと聞かれると説明ができないが、妙に引っかかる。折り目のついた紙を、さらに丸めて折り目を消したような違和感。
「偽造なんだろ? その登録」
僕は驚いて振り向いた。レイターが後ろに立っているのに気が付かなかった。
「君は何か知っているのか?」
「ダグが言ってた。巧妙で緻密な偽造だって。裏社会でもここまでは中々できないんだってさ。何のためだかわかんねぇけど、天才のあんたならわかるか?」
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偽造と言われて自分が感じた違和感に納得する。何世紀にもわたる系譜が作りこまれている。移民ではなく純正地球人の偽造か。将軍家である我が家クラスの関与がなければ難しい。
「偽造の方法はわかるが、理由まではわからない」
レイター自身が今、データベース登録上は死亡扱いになっている。アレック艦長は未成年を軍艦に乗せていると知られるのを面倒くさがって修正登録を先伸ばしている。裏社会からレイターの身を守るにはこの状態が望ましいため艦長に意見はしていない。だが、いつかは登録しなくてはいけない日が来る。修正登録か、別人を偽造するか。その作業を艦長は僕に押し付けるのだろう。
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やはりレイターの母親は、どこかから逃げてきて架空の人物になりすましたに違いない。犯罪者という言葉が頭に浮かぶ。だがこれは、あくまで推測だ。レイターに伝える必要はない。
*
レイターは将軍家に限らず、誰にでも興味があった。
「艦長のアレックは随分大ざっぱだよな。反対にモリノ副長は細かい。副長がいなかったら、この船はやってけないぜ」
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僕も同意見だ。
「どうしてそう思うんだい?」
「食堂ってところは、みんなの素の顔がよく見えるんだよ。副長は皿やフォークの位置をきっちりそろえて食べるが、アレックは俺が適当に配膳しようとおかまいなしさ」
よく人を観察している。
艦長のことを呼び捨てにするのが引っかかった。レイターは軍人ではなく、軍規上の問題はない。だが、心理的距離が近すぎる。
僕以外には愛想を振りまき、懐に飛び込む人たらし。裏社会の帝王にも気に入られる程だ。これは、親のいない彼が身に着けた処世術なのかも知れない。
レイターと話をするうちに、というかレイターの一方的なおしゃべりを聞いているうちに、僕は自分の知らなかった艦内の情報、いわゆる噂話を自然に得ていた。
ある日、僕は驚いた。
「ズーマが昇格するんだろ。お祝いしてやらなきゃ」
レイターが解禁前の人事情報について話しを始めた。
「どうして知ってるんだ?」
「驚くなよ。もうみんな知ってることさ」
僕は聞かされていた情報だが、内示前に漏れるなんて管理が甘すぎる。
「一体その情報を、どこで聞いたんだ?」
「あんたが絶対行かない場所」
僕が行かない場所?
「一体どこだ?」
問いつめる僕に彼はにやりと笑った。
「取り引きしようぜ」
情報を売ろうという魂胆か。いくらふっかけてくるつもりだろう。
「どうしろと言うんだ」
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「明日、三十分長く戦闘機に乗せてくれよ」
彼の答えに気が抜けた。どうせレイターは操縦訓練時にいつも延長するのだ。それを取引材料にするあたりがよく読めないが、とりあえず僕は応じることにした。
「わかった」
「じゃあ、教えてやるけど喫煙所さ」
勿体ぶることもなく、素直にレイターは答えた。喫煙所。確かに僕がいくことのない場所だ。今や艦にそうした場所が残っているのも珍しいが、艦長が昔、喫煙者だったことからこの艦には喫煙所がある。
「あんたは知らねぇと思うが、アレックは今も時々吸ってるんだ」
「えっ、艦長が?」
知らなかった。随分前に禁煙に成功したと聞いていたのに。
「どうして君はそんなところへ行ったんだ」
「へ? あんたが、この部屋で吸うな、って言うからじゃんか」
タバコのような前時代的なモノを吸う若者はほとんど見かけないが、未成年の喫煙は銀河共通法で禁止されている。僕はレイターに、この部屋で、ではなくタバコ自体を吸うな、と言ったのに。
「アレックとハインライン爺さんが人事について話してるの聞いたのさ」
元機関長のハインラインさんは今も喫煙者だ。機関室でタバコを吸っていた時代が懐かしい、と時々ボヤいている。
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「誰にも言うなよ、って口止めされたけど、どうせあんたは知ってんだろ。他のみんなも噂してるし」
どこまで広がっているのだろうか。しかし、艦長自らの情報漏洩では対処のしようがない。レイターのことを子供だと思っているせいで警戒感が薄すぎる。
「これ以上、ほかの人に言うんじゃないぞ」
きつく釘を刺す。救いは漏れた情報が既定路線の昇格人事ということだ、漏洩による影響は少ない。
「大丈夫だよ。追い出されるような真似はしねぇから。っつうことで、明日の延長よろしくな」
とレイターはウインクした。
*
レイターは情報が集まるポイントをよく押さえていた。一つがハインラインさんだ。この艦で一番の年長者で今はアドバイザリー待遇のシニア専門職。現役時代には機関長も務めた。気のいい彼は隊員たちのよき相談相手でありアレック艦長の知恵袋にもなっている。
レイターや他の隊員たちはハインライン爺さんと呼んでいるが、歴戦の古参兵に対して僕は口が裂けてもそんな風に呼ぶことはできない。
レイターがハインラインさんと仲がいいのは、みんなが知っていた。元機関長は超一級の技師だ。銀河一の操縦士を目指すレイターにとって宇宙船情報の宝庫と言える。そして、ハインラインさんにとってレイターは孫のようなものだ。(年齢的には僕もそうなのだが)
レイターの机の上にある大型プラモデルをプレゼントしたのも彼だ。宇宙航法概論を手にエンジンの前で話し込む二人の姿がよく目撃された。
ハインラインさんには一つ欠点があった。食堂で酔っぱらうとすぐ隊員に絡みだすのだ。ハインラインさんが酒を注文すると「また爺さんのお得意が始まるぞ」とみんなが席を立ち、元機関長の周りから離れ始める。
「少し話をしないかね」
不幸にも捕まった隊員は若かりし頃の昔話を聞かされた。戦況が厳しく、今よりずっと大変だった、という内容だ。
「いいか、いつ砲撃されるかわからないのが戦争だ。そんな中、イド海戦では味方を助けるか逃げるか、厳しい選択を迫られたんじゃ」
それは、ひじょうに興味深い経験談だ。初めて聞いた時、僕にとってその情報は文献で得る以上に有益だった。だが、同じ話を二度も三度も聞くと、その有益であったはずの話は、自分の時間を奪う単なる自慢話へと変化してしまう。
そんな中、食堂で給仕をしているレイターは、「爺さんのイド海戦の話聞くの三十二回目だぜ」と言いながら、何度も同じ話を聞いて、いつも同じところで笑っている。
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プラモデルを買ってもらうための作戦だろうか? 僕は聞いてみた。
「よく、ハインラインさんの話につきあっているな。そんなに面白いかい?」
「爺さん、面白れぇじゃん。為になるっつうか。姉さんの店に来るチンピラたちより百万倍マシだぜ。あいつら、酒癖悪くて自慢にもならねぇ話を偉そうに繰り返したあげく、暴力振るいやがるからな。よく殴られた」
「君は遊興施設で働いていたのか?」
「ダグんとこで酒作ったり運んだりして金もらってたんだよ」
迷惑な酔客のあしらいに慣れているわけだ。
「十五歳以下の深夜労働は、連邦労働規制法違反だぞ」
レイターが噴き出した。
「ぷっ、裏社会の帝王に法律守れってか。けど、違反はあんたもじゃん。明日は夜勤だろ」
「将校は労規法の適用除外だ。連邦軍法に定められている」
「真面目な顔で返すなよ。ほんと、あんたって笑えるな」
*
PPPPPPP……
眠ろうとしたところへ、緊急危機連絡が機関室から入った。通信機のメッセージを見ると補助エンジンの推力が上がらないという。
ベッドから出て素早く服を整える。
「何が起きてんの?」
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先に寝ていたレイターがむくっと体を起こした。
「君には関係ない、寝てろ」
と言って足早に部屋を出るが、レイターが僕の言うことを素直に聞くわけがない。Tシャツのまま後ろからついてきた。
エンジンの監視ルームに到着すると、機関長のほかハインラインさんら機関士たちが顔を揃えていた。
「二三〇五に補助エンジンの推力二十パーセント減退」
「メインエンジンへの影響は?」
「現時点では出ていませんが、原因不明のため、判断不可」
アレック艦長が不機嫌そうな顔で現れた。寝入りばなを起こされたようだ。
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「とにかく原因を探れ。敵の攻撃かどうかわかる前に証拠を消すなよ」
モリノ副長が報告する。
「最悪時に備え、近距離基地に曳船の準備を要請しました」
「さすが、副長は手回しがいいな、後は任せた。俺は寝る。トライムス少尉は報告書を作っとけ」
それだけ言い残して、アレック艦長は艦長室へ戻ってしまった。
「さっすが、アレックは大雑把だな」
肩をすくめてレイターが笑った。その場にいた全員が同じことを思っただろうが、艦長の指示は的確だ。たとえ艦が止まってでも原因の追究を優先するという方針。それさえ決まっていれば、後はやるだけだ。
エンジンの監視モニターの数値を一つずつ確認する。プログラム系に異常はない。コンピューターウイルスの類ではない。
どうやら強磁気によって制御装置が誤作動を起こしているようだ。なぜ、磁気を帯びたのか可能性をあぶり出す。
「磁気干渉を起こすものは艦内からは発見されていません」
内的要因で無ければ、外部要因。
「時空震は近くで観測されていません」
自然現象でも無いとなると敵の攻撃か。
「磁気爆弾による攻撃の恐れは?」
「ほかに船体に異常は発見されていません。補助エンジンのみに影響しているので可能性は低いとみられます」
磁気爆弾が仕掛けられたとしたら艦全体のパフォーマンスが落ちるはずだ。補助エンジンだけと言う不自然な影響。
僕は一つの可能性について発言した。
「範囲を限定する小型磁気爆弾の可能性はありませんか?」
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宇宙船を狙う磁気爆弾の小型化。これまでに聞いたことはないが開発は簡単だ。しかも発見しづらいものになる。
「一体、何のために?」
ハインライン元機関長に聞かれて僕は困った。補助エンジンだけを狙う意図が不明だ。だが、参謀として常に最悪の事態に備えるのが僕の仕事だ。現状から推論を導く。
「敵による新型兵器の試射かもしれません」
隊員の視線が僕に集まる。
この後、さらなる攻撃があるかもしれない。見えない敵の存在は隊員たちの不安を増幅させる。
その時だった。
張り詰めた空気を、幼く高い声が撹拌した。
「なあ爺さん、制御装置を塩水で洗ってみれば?」
部外者は黙っていろ、とレイターに注意しようとした時、ハインラインさんが手を叩いた。
「それじゃ。前にも似た状況があったぞ」
「デンジゴケで大騒ぎしたんだろ」
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デンジゴケ? 磁気を帯びた粉末が緩く結合した物質だ。宇宙空間に存在し、小型船の計器類に影響を与えることが時にあるが、エンジンを止めたという事例は聞いたことがない。
まさか、こいつが仕掛けたんじゃないだろうな。
レイターが元機関長にウインクした。
「イド海戦の惑星攻撃じゃ、噴出口から入ってきたデンジゴケで戦艦のメインエンジンが止まって、海に落ちた、って言ってたじゃん」
「そうじゃ、それで海の中から敵基地を攻撃したんじゃ」
イド海戦の報告書は読んだ。
「有名な死んだふり攻撃ですね。現場判断で海中からの攻撃に切り替えて成功したという報告があがっていました。でも、そこにデンジゴケについての記載はありませんでしたが」
ハインライン元機関長が照れた笑いをした。
「現場判断と言えば聞こえがいいが、突然エンジンが止まって海に墜落したんじゃよ。幸いなことに海に落ちたお陰でエンジンが復活して、無我夢中で攻撃して勝利したんだ。海水の塩分とデンジゴケが反応して磁気が消えたんじゃな。報告書を出したあとに、デンジゴケが原因の墜落とわかったんじゃが、そのころには現場の死んだふり判断で成功、と持ち上げられていたから報告書の修正をしなかったんじゃ」
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二十年前のイド海戦。正しい報告がなされていなかったとは。当時の司令官の不作為。職務怠慢だ。
*
デンジゴケの探査を調査ロボに指示する。
補助エンジンの起動センサーにデンジゴケが付着していたことが確認された。侵入ルートを解析すると噴出口の隙間から入り込んだことが判明した。デンジゴケを塩水で洗い流して一件落着となった。
宇宙空間を浮遊するデンジゴケと船が接触する確率は低い。噴出口からデンジゴケが入り込み、エンジンを止める確率はさらに低い。これまで、危険な存在とは認識されてこなかった。だが、これは重大インシデントだ。
部屋に戻ると僕はレイターに聞いた。
「デンジゴケのことを、よく知っていたな」
「突然、エンジンが止まるって怖ぇじゃん。なのに、デンジゴケってどの飛行教則本読んでも載ってねぇんだよ。ハインライン爺さんの昔話って貴重だぜ」
レイターは眠そうにあくびをしながら話を続けた。
「あんたは全部記憶するから気が付いているかも知れねぇが、爺さんの話って毎回微妙に違ってんだ。こないだは初めて通信兵が出てきたし。爺さんの手持ちの札を全部つなげた話を知りてぇんだけど、爺さんの頭ん中にしかねぇから、毎回ちょっとずつ聞くしかねぇんだよな」
それで三十二回も聞いているのか。僕はイド海戦の話を三回聞かされた。あらためて記憶を引き出すと、確かに話の構成要素が微妙に違う。レイターに言われるまで気が付かなかった。
ベッドからレイターの寝息が聞こえてくる。
僕は机に向かいアレック艦長へ提出する報告書の作成を始めた。ここで、きちんと対応しておかなくては。
「本案件は軍本部、並びに宙航業界と共有し、デンジゴケが宇宙船のエンジンに与える影響について注意喚起することが必要である」と。
*
基本的にレイターは好奇心が強いのだ。そして、興味のあることについてはしつこいほどねばり強く聞き続ける。似たような話の中の微妙な差異をのがさない。情報への収集欲と感度が高い。
だからだろうか。レイターの周りに情報が集まってくるように見える。
僕はストレートに聞いてみた。
「どうして君のところに情報が集まるんだ?」
レイターはおどけたように肩をすくめた。
「あん? 簡単さ。俺が情報を持ってるってみんなが思ってるからさ。情報は情報を持ってる奴のところに集まる。食堂は噂の発生地だ。情報を確かめようと俺に寄ってくる奴がいれば、そいつの動き自体が情報になるからな」
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「噂話だけじゃない。君は実際に情報を持っている。それにはネタ元が必要だ」
「まあな、噂話を欲しがってるネタ元ってもいるのさ」
「艦長か」
「言わねぇよ。情報源の秘匿だ。ネタ元を裏切らねぇことが大事だからな。大体、あんたは情報をたくさん持ってるくせに使い方を知らな過ぎるんだよ。もったいねぇ。情報は金と一緒、動いてこそ価値が上がんのに」
「秘匿すべき情報を明かしたり、解禁前に伝えるわけにはいかない」
「いやいや、坊ちゃんはリークの方法を勉強したほうがいいぜ。その情報を必要としてない奴に流すとか」
「必要としていない?」
「そうさ、毒にも薬にもならねぇ奴さ。けど、情報を持ってることを知らせておくことが、後から役に立つ」
情報が情報を引き寄せる。
「君が利益を得るためにか」
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「あんたや、連邦軍のための使い方だってあるさ」
レイターのネタ元、おそらくアレック艦長はそれをわかって彼を利用しているということか。
「あんたの欲しい物は秩序。だから、秩序が乱れる情報に食いついてくる。解禁前の人事情報の漏洩とかな。ちなみに、この間のズーマの昇格を艦内のみんなが知ってる、ってのはウソ」
「な、何?」
「フェイクさ。あんた、あれ聞いて慌てて俺の情報が欲しくなっただろ」
「……」
図星だ。
「あの人事情報は昇進が決まったズーマ本人にだけ、おめでとう、ってこっそり伝えた。仕事への意欲が増してたぜ。この話が外に漏れたら取りやめになるかも知れねぇって言っといたから、誰にも話さねぇし」
アレック艦長はレイターを通じて本人に伝わってもいいと考えたのだろう。そして、レイターは情報を引き渡した先が不都合な漏洩をしないか、きちんと見定めている。
「最終決裁の段階で変更となったら、どうするつもりだったんだ」
「俺の信用が落ちるだけさ。面白いことに、情報を与えた奴って、俺に借りを作りたくねぇのか別の情報を返しにきてくれるんだよね。ズーマの持ってる寄港地情報は助かるぜ」
「それはダグ・グレゴリーに教わったのか?」
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饒舌だった彼は言葉を止めて空くうを見た。僕の指摘で気づいたことを受け入れた顔。
「そうだな、相手の欲しい物を押さえて優位に立てと。のどの乾いた相手に水を持って交渉すれば、水を与えて飼い慣らすことも、水を与えず脅すこともできる。何より強いのは情報だ、って陣取りゲームでコテンパンにやられて、俺は随分泣かされたんだ」
情報の扱いにたけている。こういう人種を僕は知っている。
将軍家には直轄の部が存在する。特命諜報部だ。中でも隠密班のメンバーは情報を嗅ぎつけ、操る能力に秀でている。時にはフェイク情報も織り交ぜる。
彼らと共通する感覚がレイターの中に見える。それはダグが教えたというより、ダグがその才を見抜いて引き出したに違いない。
「君は特命諜報部に興味はあるか?」
「は? 俺をスカウトするなら戦闘機部隊だろが」
「冗談だ」
「ったく、あんたの考えてしゃべるジョークはちっとも面白くねぇんだよ。自分が天然だってことを自覚しろ」
レイターの長けた情報収集能力。将来、特命諜報部員として働かせる選択肢はあるのか。いや、味方にしたところで、彼が僕の言うことを素直に聞くわけもない。だが、この能力を裏社会で発揮されては危険だ。
「あんた、何笑ってんだよ。気持ち悪りぃ」
まだ見ぬ未来の想像に怯えた自分に対し、僕は笑いを止めることができなかった。 (おしまい)第十二話「図書館で至福の時間を」へ続く
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