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銀河フェニックス物語【番外編】 歪む時間と揺れる恋
これは、銀河連邦軍将軍家の御曹司アーサー・トライムス少佐と大手宇宙船メーカーに勤めるチャムール・スレンドバーグ一級設計士のスピンオフ物語です。本編を読んでいない方にもお楽しみいただけます。(1万1000字)
・「銀河フェニックス物語 総目次」はこちらから
・本編である<出会い編>の第一話はこちらから
連絡を入れたのは私からだ。
「こんにちは。アーサー・トライムスです」
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想像通りに通信機のモニターの向こうで、チャムール・スレンドバーグさんは驚き、そして緊張した面持ちで私を見つめた。
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将軍家から連絡が入れば、普通は何事かと考える。
「新技術の宇宙船防護シールドについて、お伝えしたいことがあり連絡を差し上げました」
チャムールさんは仕事の話と理解し、少し緊張が解けたように見えた。
*
宇宙船設計士のチャムールさんと、『銀河一の操縦士』のレイターが思いつき、私が詰めの計算をした防護シールドが、連邦軍の宇宙軍艦で実用化されることになった。
特許権者のチャムールさんに使用許可をお願いする。
それは確かに仕事の話だ。
加えて私は、この理論の発展的考察を、チャムールさんに聞いてもらいたいと思っていた。
これは仕事ではない。純粋な好奇心。
他人との議論は新たな世界を切り拓く。
いつもであれば思いついた宙航理論の考察を、レイターに投げてみる。
あいつは獲物を前にした猟犬のように食いついて、私が思いつかないアイデアをぶつけてくる。
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妹のフローラの言葉を思い出す。
「お兄さま、宇宙船に関してはレイターは天才なのよ。わたしたちでは太刀打ちできません」
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そう言って笑った。
*
先日、レイターとチャムールさん、チャムールさんの同期ティリーさんと私の四人で食事をした。
チャムールさんの打てば響く反応は話をしていて気持ちよかった。
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私は自分の理論展開をレイターではなく、チャムールさんに聞いてもらいたいと思った。
*
「今週末、休みが取れましたので、土曜日はいかがでしょうか?」
私の提案にチャムールさんが一瞬、意外だと言う顔をした。仕事であれば平日でいい。
「了解致しました。どちらへ伺えばよろしいでしょうか?」
チャムールさんに聞かれて、私は何も考えていなかったことに気がついた。
私としたことが何をやっているんだ。
レイターと話す時には、自宅である月の屋敷かレイターの船のフェニックス号だが、いきなり将軍家へお呼びする訳にもいかない。
「こちらが合わせます。ご自宅の近くで構いませんから指定してください」
チャムールさんは、少し考えてから言った。
「では、図書館はいかがでしょうか。タイタンの中央図書館です」
「わかりました。伺います」
*
土曜日が待ち遠しく感じた。
時間の流れとは何と主観的なのだろう。
仕事を装ったが、仕事ではない。
さて、何を着ていけば良いのだろうか。
制服である軍服は便利だがプライベートでは相手に威圧感を与える。
スーツというのも、週末に場違いな気がする。
白いシャツに濃い緑色のカーディガン。ベージュのスラックスをはいて出かけることにした。
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昼食を食べていたらお手伝いのバブさんが
「おぼっちゃま、お出かけですか?」
と驚いた顔をした。そんなに変だろうか。
「図書館へ行ってきます」
それだけ伝えて私は月の屋敷を出た。
*
タイタンにはずいぶん早く着いてしまった。
駐機場で時間を潰す。
約束の時間より早くには着かないようにしている。
昔は五分前行動を心がけていたが、ある時レイターに言われた。
「あんたが早く来るとみんなが困るんだよ。あんたを待たせたら、恐縮しちまうだろうが」
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以来、予定時間より早くに到着することはやめた。
*
タイタンの中央図書館に、約束の午後二時の二分前に入り、時間通りに二階の談話室に到着した。
チャムールさんは、既に窓際に席を取って待っていてくれた。
小ぶりな正方形の机に、椅子が向かい合って二つ置いてある。私物と見られるポケッタブルコンピュータを操作していた。
私に気づくと、チャムールさんは立ち上がって一礼した。
仕事にもプライベートにも使えそうな、ニットの白いワンピースがよく似合っている。
「よろしくお願いします、殿下」
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「殿下はよしてください。こちらこそお呼び立てしてすみません」
私は頭を下げてチャムールさんの正面に着席した。
防護シールドを中型艦に実装させる計画を説明する。今後、使用状況を見ながら大型艦への導入を進めていく。
「問題ありません」
特許の主権者であるチャムールさんから、導入計画について了承をもらう。
「追って正式な書面をお送りします」
ここまでは仕事だ。
*
私は、少し緊張しながら続けた。
「このシールド理論を、ペグ関数で定置化させてみたらどうかと考えてみたのですが」
チャムールさんの表情が一瞬で変わった。
眼鏡の奥の碧い瞳が、綺麗な色を放っている。
「それは、太陽フレアの影響低減に使えるかも知れませんね」
彼女の声が弾んでいるのがわかる。
「流石ですね。私はそんなすぐには思いつきませんでした」
こんな短時間で太陽フレアへの応用に気づくのは、レイターぐらいだろう。
「あのぉ、計算してみてよろしいでしょうか」
「どうぞ」
チャムールさんは、コンピューターのキーボードに手をやり操作を始めた。向かい合って座っているとモニターが見えない。
彼女の眼鏡に映る画面の光を見ながら、どんな計算しているのだろうと興味を持った時だった。
「あのぉ、席を隣に移してもよろしいでしょうか」
「ええ」
モニターが一緒に見えるようにと、彼女は角を挟んで隣へと椅子を動かした。
モニターを見て感動を覚えた。
ペグの変換係数の立て方が面白い。私には無い発想だ。
彼女の細く美しい指がキーボードを操り数式を入力していく。
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と、入力値が誤っている。
キーボードに手をやると、彼女の手に触れた。慌てて手を離す。
「そこは、入力値が違いませんか?」
「あっ」
彼女は間違いに気づくと、すぐに正しい値を入れ直した。
彼女と私の間に、深い数字の世界が広がっていた。
暗く長い廊下にドアが無限に並んでいる。
仮の数式を立ててドアを開ける。少し計算を進めるとこの部屋は先へ進めないことが見えてくる。
前進は断念し、廊下へと戻る。
別の数式を模索し次の部屋を開ける。
その繰り返し。
気がつくと 部屋の奥で見つけた方程式が積み重なり、そこから解がいくつか生まれていた。
いつもは一人の孤独な探検だが、今日は違う。
ドアを開けるスピードも廊下を進むスピードも格段に早い。
何と楽しいのだろう。
気がつくと陽が傾いていた。談話室を閉めるというアナウンスが流れた。
私はこのまま探検を続けたかった。
だが、そういう訳にも行くまい。
「今日はこれで終わりにしますか?」
私の問いに彼女は
「あのぉ、まだ続けたいのですが・・・」
と小さな声で答えた。
私も同じ気持ちだ。
だが、どうすればいいのだろう。
レイターだったら。あいつだったら、上手くやるに違いない。
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あいつは色々な情報を持っている。
カフェでもレストランでも、相手の要望に応える情報のストックを持ち合わせている。
「場所を変えますか?」
案は持ち合わせていないが、とりあえず聞いてみた。
「近くに落ち着いたカフェがあるのですが、いかがでしょう?」
彼女は素晴らしかった。
私の欲しい回答を即座に導き出してくれる。
*
「時々ここで論文を書くんです」
彼女の案内してくれたカフェは、センスのいい個人店だった。
静かな音楽が流れている。客のおしゃべりも控えめだ。
お腹が空いてきた。
私はブレンドコーヒーとクロックムッシュサンドを、彼女はカフェ・オ・レとパンケーキを注文した。
食事が来るまでの間、私たちは論文とは関係のない他愛の無い話をした。
私は聞いてみたかったことを口にした。
「あなたは、スレンドバーグ教授のご親戚ですか?」
「ええ。キンドレール物理学賞を受賞したのは私の祖父です」
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彼女ははにかみながら笑顔で答えた。
やはりそうだったか。
スレンドバーグ教授は先日亡くなられたが物理学の大家で私は尊敬している。
「素晴らしいですね。あなたのお祖父さまが見つけたミレド理論は我々の礎となっている」
「祖父は私の誇りです」
「あなたは基礎研究の分野には進まれなかったんですね」
「随分と迷いました。大学に残るかどうか。私は弊社のサパライアン副社長に引き抜かれたんです。理論系の研究室に所属していたんですけれど、今すぐ人の役に立つという言葉に魅かれて宇宙船設計の道に進みました」
サパライアン氏はクロノス社の副社長でレイターの宇宙船お宅仲間だ。
「私、飛び級だったので大学院に四年いました。アーサーさんと同い年です」
飛び級と言う言葉が懐かしい。
私も士官学校を飛び級で卒業した。チャムールさんは私と同じ二十三歳ということか。
彼女は思わぬ言葉を続けた。
「私、子供のころからあなたのことを知っています」
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「?」
真意を掴みかねた。
銀河連邦軍将軍家の跡継ぎである私の動向は、幼い頃からニュースなどで流れている。
そういう意味で私のことを知っている人は多い。
だが、彼女はそれとは違う流れで話をしようとしている。
「気を悪くなさったらごめんなさい。本物の天才を前にお話しすることじゃないんですけれど、私、子供のころ神童と呼ばれていたんです。ずっと飛び級で同い年のお友達がいなくて。だから、飛び級しているあなたのニュースを見るたびに、勝手に連帯感を感じていたんです」
チャムールさんは頭を下げた。
「失礼なことを言ってごめんなさい」
何だろうこの感情は。胸が熱い。私は慌てて伝える。
「謝ることはありませんよ。あなたのような方にそう言っていただけて光栄です」
とまどいを感じながら話を続ける。
「私は天才ではありません。たまたま情報処理方法が違う民族の血を引いているだけです。天才とは、レイターのような奴のことを言うんだと思いますよ」
「彼はすごいですね」
目を丸くしながらチャムールさんは笑った。素敵な笑顔だった。
食事はおいしかった。
レイターと違って、私はあまり食にうるさくないが、ここのクロックムッシュサンドは、これまで食べたどのサンドイッチよりおいしく感じた。
「物理学の研究者である祖父のことが大好きで、この世界がどうなっているのか知りたいと子供のころから思っていました。父は理系には興味が無くて火星で図書館の館長をしています」
チャムールさんと話をしていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。
数式を解くわけでもない、ただの会話。
この言葉のやり取りの中に、心地よい感情が行き来しているのを感じる。
このまま時間が続いて欲しい。
「明日も計算の続きをしませんか?」
気が付くと私はチャムールさんを誘っていた。
「ええ、喜んで」
彼女の答えがうれしかった。
将軍家である私の誘いをこれまでに断ったのはレイターしかいない。一般人は断りにくいのだろうと想像する。
そうした中、彼女は「喜んで」と言った。断り切れなくてという意味ではない。
こんな小さなことが私の心を喜ばせている。
*
「お兄さまは素敵な恋をすると思うわ」
妹フローラの根拠のない言葉を思い出す。
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「だって、お父さまとお母さまは一目ぼれの熱烈な恋をしたのよ。わたしたちはそのおかげで生き残っているのだから遺伝すると思うわ」
フローラは恋に憧れていた。
そして、夢のような恋をした。
あの頃、彼女の一日一日がきらめいているのが私にもわかった。
「フローラ、私はお前と同じようにはいかないよ。私は将軍家の跡を継がなくちゃならない」
「あら、お父さまは絶対反対なさらないわ」
父上は絶滅民族であるインタレス人の母と恋に落ち、結婚した。
トライムス将軍家だけでなく、地球の本家も含めた一族中の反対を押し切って。
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確かに父上は、私がどんな相手を連れてこようと反対しないだろうが、話はそう簡単ではない。
「将軍家と結婚することは相手に負担を強いることになる」
「お兄さまは恋をわかっていらっしゃらないのよ。負担なんて、愛の前では霞んでしまうわ」
フローラの言う通りかも知れない。私は恋愛というものがわかっていない。
私や妹はインタレス人の母と同じく見たもの全てを記憶する。その中から必要な情報を自ら選択し引き出している。
なのに、何故だろう。
入力ミスをするチャムールさんの手に触れた感触が、勝手に私の中に蘇ってくる。
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私の意思とは関係なく手の温かみが浮かび上がってくる。
* *
チャムールは図書館からの帰り道、気持ちがはずんでいるのを感じた。
この世界のことを知りたいと子供のころから考えていた。世界を数字に置き換えて解いていく孤独な作業。
キンドレール賞を受賞した祖父は、その世界の美しさを私に教えた。
今日は驚いた。その美しさが色彩を帯びていた。
随分と失礼な話をしてしまった。
あの方は本物の天才で将軍家の跡取りで私なんかとは違う。
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でも、殿下はまた誘ってくださった。
同じ時間を共有できると考えると私はうれしくなった。
数式を前にして、私たちは気づくと時間が経つのを忘れていた。
荒野を開拓して進む同志のようだと思った。辛いけれど楽しい。二人なら乗り越えられる。
私ったら何と恐れ多いことを考えているのだろう。
でも溢れ出る感情を理性で抑え込むことができない。
* *
二週間が経った。
週末を迎え、アーサーは思い返していた。
あれは十年以上前、レイターに出会って間もないころ。十二歳だった。
「あんたはどういう女が好みなんだよ?」
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レイターはませた子どもだった。
「尊敬できる人物であれば」
「へぇ、面白れぇ」
レイターに答えた女性に対する考え方。その気持ちは今も変わっていない。
そして今、私の目の前に尊敬できる女性が座っている。
この二週間、時間の感覚がおかしくなっている。
チャムールさんと会うまでは遅く、会っている間はあっという間に過ぎ去っていく。
私は彼女に問うてみた。
「あなたは時間の概念についてどう考えますか?」
「定義ではなく概念ですか?」
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彼女は私の目を覗き込んで確認した。
「そうです。一秒の定義はセシウム百三十三を基準として決まっている。しかし、それが歪んで長くも短くもなる」
彼女はふぅ~と長く息を吐き、おもむろに口を開いた。
「古くはニュートンや相対性理論から物理学における時間論は一通り学びました。でも今、私が一番興味を持っているのは哲学的というか心理学的な時間です」
私はその言葉についはじかれた。
「私もです。なぜあなたと過ごす時間は速く過ぎるのか」
言ってしまってから後悔した。安っぽい恋愛小説のような言葉を口にしてしまった。
彼女は驚いた顔をしている。
やりきれない気持ちに襲われた。
自分の感情が制御できないのは久しぶりだ。
「私もなんです」
チャムールさんは落ち込む私の気持ちを吹き飛ばすような笑顔を見せた。
「え?」
続けて、驚くことを口にした。
「時間が同じ方向で歪んでいるとすると、心理学的には恋愛状態にあると考えられます」
「私とあなたが?」
私は思わずまばたきをした。
「ええ。式が等号で結ばれていた場合、右辺と左辺は形が違っていても同じ状態を示していますから」
そして、私は十二歳の時にレイターから聞いた言葉を思い出した。
あいつは言った。「恋の始まりに理由はない」と。
私はその言葉を素直に認めることにした。理由なく恋は始まるのだ。
「ニュースを見ていたらご存知かも知れませんが、私はこれまで女性とお付き合いしたことはありません」
「そうですね」
「私はあなたとお付き合いができたら嬉しいですが、私と付き合ったらチャムールさん、あなたがニュースになるということです」
* *
アーサー殿下は私の覚悟を確かめるようなことを口にした。
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私は数式が友だちのような人生を送ってきて、人付き合いは得意ではない。でも、殿下とは気を使わずに話すことができた。
私たちは似ていた。経験も思考回路も。他の人には見えない共通の世界が私たちには見えていた。
こんな人と出会ったのは初めてだ。
あの日、図書館で過ごしたあの日から、会えない日にはメッセージを送った。
『新しい仮定数値を見つけました』
通信機を握って返信が来るのを今か今かと待ち続ける。
『過程が重要です』
時々、意味不明の返事が返ってくる。それが冗談だとわかるのに少し時間がかかった。
そのやりとりすら愛おしい。
これは恋だ。私の初めての恋。
アーサー殿下の低音の声が頭の中でこだまする。「あなたとお付き合い出来たら嬉しい」
私もです。殿下のことが好きです。
即答したい。
でも、
「少し、お時間をください」
そう答えるしかなかった。
私は昔からニュースを見て一方的に知っていたとは言え、出会ってまだ二週間。
家に帰ると涙が出てきた。
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銀河連邦軍の最高指揮官、元帥である将軍職は世襲だ。その将軍家の御曹司とお付き合いする。それはいい加減な気持ちではできない。
結婚が前提ということだ。
次期将軍であるアーサーさんの世継ぎを産むことが求められ、自由な生活もできない。
そして、彼は表情を変えずこう言ったのだ。
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「連邦軍かあなたのどちらかを選択することになったら、私は軍を選択します。あなたを守ることはできません」
と。
* *
アーサーは思い返していた。
次期将軍の私にはこれまでに何度か縁談の話が秘密裏に持ち込まれた。
連邦評議会委員の令嬢や他星系の王女などの名前が上がっていた。
政略結婚と言う訳ではない。父上も母代わりのバブさんも楽しんでおられた。
私が女性と接触する機会は多くない。
父上は私が女性に興味がないのではないかと心配しておられたが、そういう訳ではない。芸能人の女性を見れば可愛いと思う。
それは、勉学から得る感動とはまた別の、心ときめかせるものであることも理解している。
ただ、妹のフローラの方がかわいいと思ってしまうだけだ。
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自分にシスターコンプレックスの傾向があることは否定しない。
母が亡くなって、高知能民族インタレス人の血を引くものは私とフローラしかいなくなった。
仕事以外に趣味らしい趣味もない私にとって、妹と一緒に最新の論文を読み込む時間は至福の時だった。
もう、あのような時間は訪れないだろうと思っていたのに・・・。
*
かつて、縁談が持ち込まれた女性方と直接お会いしたことがある。
どなたも将軍家の妻として申し分のない方たちだった。性格、学歴、家柄。
ときめく恋というものでは無かったが、中には話をしていて感じのいい方もいらした。こういう人たちのどなたかと私は家庭を持つのだろうな、と漠然と考えていた。
だが、結果としてこれまでの縁談は全て断られた。
先方は私が断ったと誤解しておられる様だ。
私は正直に伝えただけだ。「あなたより軍を優先します。あなたを守ることはできない」と。
それにしても、この言葉を伝えるのがこんなに身を切られる様に苦しいものだったとは。
かつて、レイターが私に教えた言葉には続きがある。
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「恋の始まりに理由はない。恋の終わりに理由はある」
* *
「あなたより軍を優先します。あなたを守ることはできない」
何と残酷なことを口にするのだろう、とチャムールは思った。
これはアーサー殿下の本心なのだろうか?
本当は愛する人を守りたいのかも知れない。それでも殿下は間違いなく組織を選ぶ判断をする。
そんな彼を私は受容できるのだろうか。
どうして将軍家なんて人を好きになってしまったのだろう。
今ならまだ引き返せる。
殿下はそのチャンスを私に与えたのだ。ボールは私に投げられている。
でも・・・一体どこへ引き返すというのだろう。
アーサー殿下を知らない私にはもう戻れない。
*
私は火星に住む祖母に会いに行った。
「チャムール、よく来たね」
いつものように温かく迎えてくれた。
去年亡くなった祖父のホログラム祭壇に花を添える。
子どもの頃からこの家に来るのが大好きだった。
憧れの祖父の遺影は少し若い。
蝶ネクタイをして笑っている。キンドレール物理学賞を受賞した時に撮影したものだ。
幼かった頃を思い出す。祖父の大きな声が聞こえてくる様だ。
『チャムールは凄いぞ、天才だ。キンドレール賞だって取れるぞ』
大学院に進学してからも、病気がちだった祖父とこの部屋で議論を交わした。
祖母はお茶とお菓子を運んできて、静かに見守ってくれた。その時間は私の宝物だ。
祖父が亡くなったという喪失感はまだ消えていない。
「おばあちゃん、ごめん。席外してくれる?」
三次元ホログラムの祖父と向かい合った。まるで生きているように笑っている。
「お祖父ちゃんと同じ世界を見る人と初めて出会えたんだよ。私、とても嬉しかった」
誰にも話せない秘密を祖父に打ち明けた。
祖父が見せてくれた世界を一緒に歩きたい人がいる。でも、もうこれ以上進めない。
祖父の笑顔がループした。
いくらホログラムに相談しても答えが返ってこないことはわかっている。
涙がぽたりぽたりと流れ落ち、スカートに染みを作った。
「大丈夫かい?」
部屋に入ってきた祖母が優しく私の肩を抱いた。
「おばあちゃん、聞いてくれる」
思わず口にした言葉に自分が驚いた。
お祖父ちゃんにしか話さないつもりだったのに。
「私とても嬉しかったの。でも、もう終わりにしなくてはいけない」

一言話すたびにしゃくり上げてしまう。泣きながら話す話を祖母は黙って聞いていた。
いつもと同じように。
たった二週間の恋。
そこに乗り越えられない壁が立ちはだかっている。
祖母に話すと少し心が落ち着いた。
身分違いなのだ。
私の気持ちだけで決められる話ではない。反対されても仕方がない。
祖母は私の恋について何も言わなかった。
代わりに、祖父の話を始めた。
「私はおじいちゃんのことが大好きで結婚したんだよ」
「知ってるわ」
二人はいつも仲が良かった。
「でもね、私にはお前やおじいちゃんの見ている世界は見えなかった。とんと物理のことはわからないからね」
祖母は祖父の大学の後輩だけれど理系ではない。
「若い頃からおじいちゃんはずっと研究室にこもりきりでね、何日も帰ってこないこともあった。ミレド理論を発表して、益々忙しくなって、この人は私じゃなくて物理学と結婚したんじゃないだろうかとイライラしたものだよ」
初めて聞く話だった。
「別れようにもあなたのお父さんがいたから、そうもいかないでしょ。子育てもしない人だったから、あなたのお父さんは文学青年に育ってしまった」
お祖母ちゃんは笑った。
「でもね、おじいちゃんがキンドレール物理学賞を受賞した日の記者会見で言った言葉は今も忘れられないよ。『この賞が取れたのは妻のおかげです。一緒に歩んでくれてありがとう』って初めてお礼を言われたの。それで苦労が吹き飛んだというか、満足しちゃったわ。私、やっぱりこの人が好きなんだ、結婚してよかった。そう思ったら人生が幸せへと振れ始めたんだよ」
私が尊敬し憧れる祖父。
キンドレール賞を受賞する素晴らしい祖父と暮らす祖母はずっと幸福な結婚生活を送ってきたと思っていた。
私の前で二人はいつも笑顔だった。
でも、祖父がキンドレール賞を取ったのは私が生まれた後だ。
憧れの夫婦だった二人の間に、私の知らない長い物語があった。
将軍家であろうとなかろうと、人生には喜びも苦しみもある。それを共にできる覚悟があるかどうかだ。
* *
チャムールさんから連絡がきた。週末に図書館で会いたいと。
辛いな。
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将軍家に生まれていいことなんて何もない。権力にものを言わせて妻を娶ることもできない。
いっそ政略結婚の方がすっきりするかも知れない。などと馬鹿な妄想が頭に浮かぶ。
チャムールさんは頭のいい人だ。
将軍家と付き合うことのリスクについて十分検討し結論を出されたはずだ。
恋愛対象として関係を築くことができない場合に、男女で友情を結ぶことは可能なのだろうか。
せめて仕事のパートナーとして会うことは許されるのだろうか。
レイターならうまくやるのだろう。
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時に、あいつのコミュニケーション能力がうらやましく思う。
しかし、仕方がない。私はあいつではない。
だから、驚いた。
*
「お付き合いをお受けしたいと思います」
彼女は私の目をまっすぐに見つめてそう答えた。

私は思考が停止してしまった。
その言葉を咀嚼し理解するのに時間がかかった。
否定形を聞き漏らしたのではないかと、チャムールさんの言葉を頭の中で再生し直した。
「あのぉ、いけないことを申し上げましたでしょうか」
チャムールさんが心配そうに私の顔を覗き込む。
「いえ、本当によろしいのですか?」
「ええ、家族にも話してあります」
恥ずかし気に彼女はうなづいた。
* *
チャムールは覚悟を決めていた。
それでも、いざ伝えようとすると声が震えた。心を落ち付けようと殿下の深い色の瞳を見つめた。
「お付き合いをお受けしたいと考えています」
もう後戻りはできない。でも、後悔はしない。
私の返事を聞いて、いつも冷静な殿下が動揺していた。急に心配になる。
「あのぉ、いけないことを申し上げましたでしょうか」
「いえ、本当によろしいのですか?」
「ええ、家族にも伝えてあります」
アーサー殿下はほっとした様子で微笑むと私に聞いた。
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「あなたはご存じですか? 私の父と母のことを」
「はい」
もちろん知っている。
それは、私が生まれる前の話だけれど、周囲の猛反対を押し切っての結婚は今も語られる将軍家の大ロマンス。
「両親は苦労もしましたが、幸せそうでした。手を取り合う二人の姿は私の理想です」
殿下はどうしてこの話を先にして下さらなかったのだろう。
将軍家は不自由で制約が多い、でもそこにも幸せがある。
いや、二人で幸せを作ることができる、と。
私が悩んで出した結論と同じことを殿下は考えていた。
「どうぞ、アーサーと呼んでください」
「私のことはチャムールと呼んでください」
そう言って私は右手を差し出した。
アーサーは私の手を握った。
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私のことを守ってくれなくても構わない。あなたと手を取り合って歩いていければそれでいい。
「よろしくお願いします」
私はアーサーの手をしっかりと握り返した。温かく大きな手だった。
(おしまい)
最後までお読みいただきありがとうございます。本編もぜひ御贔屓に。 後ろに本編のリンクをつけておきました。気に入っていただけましたら「スキ」をして、拡散いただけたらうれしいです。
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