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銀河フェニックス物語【出会い編】 第十一話 S1を制す者は星空を制す①
第一話のスタート版
第十話 「愛しい人が待つ場所で」
~エース・ギリアムへ 命が惜しかったらS1プライムに出場するな~
机の上の脅迫状をはさんで男が二人立っていた。
「君に頼める筋合いでないことはわかっている。それでもエースの警護を頼みたい」
クロノスのメロン監督が深々と頭を下げた。
レイターは困った顔で言った。
「別に昔の話はどうでもいいんだ。ただ、来週俺はティリーさんとアブダ星系まで出張なのさ。S1プライムはテレビで見てるから。他の奴に頼むんだな」
五年ぶりの再会はあっという間に終わった。
メロン監督はしばらく脅迫状を見つめていた。
これはいたずらじゃない。
銀河警察もすでにエースの身辺警護を始め、銀河総合警備の二人のボディーガードが二十四時間態勢で守っている。それでも不安だ。
今回のS1プライムはレーシングチームだけの話ではない。会社全体にかかわる話なのだ。
メロン監督は通信機を営業部長席にセットした。
* *
営業部長に呼ばれたティリーは思わず手にしていた資料データを落としそうになった。
「君のアブダ出張だが、急遽取りやめになった」
「えっ?」
わたしはあわてて部長に反論した。
「この話はもう、先方との根回しも終わっているんですよ!」
厄病神のレイターの顔が頭に浮かんだ。
レイターの船で行くと決まってからというもの、わたしは念入りに準備を進めてきた。営業部にはフェニックス号で出かけると仕事が失敗するというジンクスがある。
だけど、その出張そのものが無くなってしまうなんてことは想像もしていなかった。
信じられないし、納得できない。
そんなわたしに部長は気持ち悪いほど優しい声で言った。
「先方には私から話しておく。君には突然で悪いが、S1プライムの応援でルト星系へ飛んで欲しいんだ」
怒りの驚きはそのまま喜びの驚きへと一気に移行した。
S1プライム。部長は確かにそう言った。
*
『S1プライム』は年に一回開催される。
銀河最速のS1レーサーが、リレー形式で対戦する宇宙船業界の一大イベントだ。
もちろん、わたしの憧れ無敗の貴公子も出場する。
S1プライムは新型スポーツ船のプロモーションも兼ねている。
レーシング仕様に改造した新型船『プラッタ』はすでに先週行われたS1プライムの予選を一位で通過し、今年も優勝の期待が高まっている。
S1担当は社内でも花形部署。そこにわたしが選ばれたのだ。
*
S1プライムが開催されるルト星系の惑星ルトワンへ、レイターのフェニックス号で向かった。
S1機が宇宙へ飛び出すためのサーキットが地上に作られている。
そのパドックで、わたしは見慣れた自社のエンブレムじっと見つめた。
時間を司る神クロノスをイメージし時計の針が一時五十二分を指したマーク。
世の中はどこでどう転がるかわからない。
夢にまで見たチャンスが巡ってきた。
大きく息を吸い込むと、部屋の中へ足を踏み入れた。
「営業部のティリー・マイルドです。今日からよろしくお願いします」
部屋の真ん中に『無敗の貴公子』エース・ギリアムが立っていた。
本物だ。格好いい。目が吸い寄せられたまま動かなくなる。
眼福だ・・・。
*
一年前、学生だったわたしは何をしたいというあてもないまま就職活動を続けていた。
学校の成績は悪くなかった。
故郷のアンタレスは求人も多く、大した苦労もしないで自宅から通える大手機器メーカーから内定をもらった。
安定していて優良企業。給料もそこそこで、両親も喜んでいた。
でも、わたし自身はしっくりきていなかった。
主に工場で使う大型機械が主力のメーカー。その商品は自分の生活と間接的にしか接点がない。
仕事とはそういうものだ、とわかってはいるけれど、これがわたしのやりたいことなのだろうか・・・。
そんな時だった。
銀河最大手の宇宙船メーカーであるクロノス社が新卒の求人募集をしていることに気づいたのは。
わたしはクロノスのレーサー『無敗の貴公子』エース・ギリアムの大ファンで女の子にしては宇宙船に詳しかった。
彼氏や男の子たちとS1レースを観ては船の話で花を咲かせた。
エースはクロノス社の御曹司で専務だ。同じ会社に入社したら会えるかも知れない。
親にも彼氏にも内緒でエントリーシートを送った。
記念受験のつもりだった。
なのに、なぜか、受かってしまった。
父親は猛反対した。アンタレスから遠く離れたソラ系に一人娘をやれるか、と。
そんな父親とのやりとりの中でわたしは気がついた。
宇宙船に関わる仕事がしたい。クロノスで働きたい。
母は、
「やりたいことなら頑張りなさい」
と背中を押してくれた。
女友だちは笑っていた。クロノス社は何万人も働く大企業。
役員のエースに会える可能性なんてゼロだよ、と。
地元アンタレスの研究所に就職が決まっていた彼氏は寂しそうだった。
「エースの近くで活躍しておいで、僕は待ってるよ」
わたしには出来過ぎた彼氏だった。
*
「ティリー君にはエースと営業部の連絡係をつとめてもらう」
メロン監督の声でわたしは我にかえった。
「エース・ギリアムです。よろしく」
エースがわたしの前に手を差し出した。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
自分の声が上ずっていた。
スラリと伸びた指。貴公子にふさわしいきれいな手だ。
その時、
「あたしはジェニファー。よろしく」
エースの隣にいた背の高い女性がわたしとエースの間に身体を割り込ませてきた。
「は、はい。よろしくお願いします」
頭を下げたわたしはエースと握手をしそびれてしまった。
香水の香りがプンと鼻につく。
ストレートの栗毛色の髪をかきあげながらわたしの前に立った。
この人、ことしのレースクイーンだ。
「あたし、エースの身の回りのお手伝いしてるから」
色っぽいというのはこういう人のことを言うのだろう。
身体にぴっちりと張りついた短い丈のワンピース。襟ぐりは大きく開き胸の谷間がくっきり見える。
整ったその顔をファッション誌から抜け出してきたようなメイクで微塵の隙もなく固めている。
少しぶ厚めの唇はまるで深紅のビロードを貼り付けたようだ。
「いやぁよろしく。俺、ティリーさんのボディーガード」
レイターがジェニファーの手を両手で握った。
まったく、この人は美人とみればいつもこうだ。
そんなレイターにエースが話しかけた。
「元気そうだな」
レイターはエースの顔を一瞥すると、
「はめられた」
と吐き捨てるようにつぶやいた。
そのやりとりを見て二人が知り合いだったことを初めて知った。
クロノス社の役員とボディーガード。
レイターはうちの社に勤めていたこともあるから、どこかで顔を合わせていても不思議ではない。
だけど、「はめられた」というのはどういう意味だろう。
「警備本部に顔出してくる」
レイターはくるりと背を向けた。
今朝からずっと彼は不機嫌だった。ジェニファーの手を握った時以外は。
*
警備対策本部はS1レースの管制塔、コントロールタワーの中にある。
正面の大スクリーンには会場見取り図が映し出されていた。
その周りにある多数の小型モニターは監視カメラの映像が数秒ごとに切り替わり、騒がしく点滅している。
レイターは不機嫌そうな顔を隠そうともせず警備本部へ足を踏み入れた。「やあ」
二メートルを超える大柄なクリス警備課長が人懐っこい笑顔でレイターに近寄ってきた。
その馴染みの顔を見てレイターは大きなため息をついた。
「あんたかよ。メロンの親父に入れ知恵したのは」
「優秀なボディーガードを紹介してくれと頼まれたんだ。いやあ、また一緒に仕事ができて嬉しいよ」
S1プライムの警備は業界ナンバー一の銀河総合警備『銀総』があたっている。クリス警備課長はその現場責任者だ。
「俺はティリーさんのボディーガードだ。エースは関係無ぇ」
上目づかいにクリスをにらみつける。
「だけど、巻き込まれる可能性があるよねぇ」
子どもの機嫌をあやすような言い方にレイターはむっとして目をそらした。
四十を過ぎているクリスは巨体に似合わないかわいい顔をして笑った。
レイターがクリスと初めて会ったのは十年前。
あのころクリスは銀河警察の警備部にいた。
その後、人事異動で管理職への辞令が出たとき、「やっぱり現場だな」と言って躊躇無く警察を辞め『銀総』に引き抜かれた。
昔から腕の立つ男だった。
昔から巨体で、そしてレイターは十年経っても彼の身長を追い超すことはできなかった。
*
クリスが警察の制服を着た小柄な男を呼んだ。
階級章は警部。
「レイター、こちらが地元のルト星警察のヒル警部だ」
クリスに紹介された男は、年の頃はクリスと同じぐらいか。警察時代からの知り合いのようだ。
「ヒル、彼がエース・ギリアムの連絡係のボディーガード、レイター・フェニックス」
「よろしく。クリスから話は聞いている」
「そりゃどうも」
レイターは肩をすくめた。
ヒル警部の目が注意深くレイターを観察する。
ボディーガード協会のランク3Aというが、どうみてもだらしない格好の若造だ。
「で、誰がエースを狙ってんの? お巡りさん」
口のきき方もまるでなっていない。
クリスも警察を辞めて人を見る目が曇ったんじゃないのか。
数字の書かれた表をクリスが取り出した。
「まあ、これを見てくれ」
一目見てレイターはにやりと笑った。
「面白いねえ。俺も万年二位のギーラル社に賭けよっかな」
S1プライム賭博のオッズ表だった。
S1賭博は禁止されている。
かつてはマフィアが仕切る闇賭博が横行していたがここ数年賭けが成立していなかった。
『無敗の貴公子』の連勝を止める要因が見つからないからだ。
しかし、今回、賭博は開帳された。この裏レート表は闇賭博の証拠品だ。
「ギーラル社へ大口はっているのは?」
レイターの問いにヒル警部が答えた。
「黒蛇会という地元マフィアだ」
「黒蛇さん、当たったら大儲けだぜ」
ギーラル社は予選を二位で通過している。船もパイロットも悪くない。エースさえいなければ優勝濃厚。
黒蛇にエースを狙う動機があるということだ。
「証拠があるなら、早く捕まえりゃいいじゃん」
と言うレイターにヒル警部が答えた。
「これだけではエースの脅迫容疑は問えない」
「そこは警察の腕の見せどころだろ。別件で引っ張れよ」
レイターは挑発するように口の端だけで笑った。
* *
宇宙船レースは人気が高い。
中でも、S1プライムはお祭りだ。
銀河中の星系から観戦に多くの人が訪れ、全星系に生中継される。
星系の知名度が一気に上がり、大きな経済効果が期待される.。
そのため、地方星系を中心に、S1委員会を舞台とした激しい誘致合戦が毎年繰り広げられていた。
これと言った観光資源の無いルト星系がS1委員会総会の投票で開催星系に決定したのは二年前のこと。
星を挙げてのイベントに街は活気にあふれていた。
*
フェニックス号への帰り道、ティリーの足がエースのデジタルポスターの前で止まった。
かっこいい。
目抜き通りには人気レーサーのブロマイドやサイン入り商品を扱う土産物屋のワゴンが所狭しと並んでいる。
後ろにいたレイターも足を止める。
エースのポスターは一番目立つところに飾られていた。
昨日までメディアを通じてしか見たことの無かったエースと、きょう、わたしは直接話をしたのだ。
彼は自分が思っていた通り、いや、思っていた以上に素敵な人だった。
女友だちにメッセージで伝えなくては。
思い出すだけで顔の筋肉がゆるんでしまう。
「何にたにた笑ってんだ気持ち悪りぃ」
いつもならむかつくレイターの言葉も軽く受け流す余裕がある。
「エースは天才なのよね、十二歳の頃からコースで操縦してて・・・」
「俺は九つの頃から操縦してたぜ」
レイターのことなんて聞いていない。
「十八歳でデビューして以来レースで負けたことが無いってすごいわよね」
「俺だって、バトルで負けたこと一度も無ぇよ」
レイターの操縦がうまいことは知っている。でも、言ってやりたい。
「レーシング免許持って無いくせに」
「あんなのは時間と金の無駄。サーキットでしか使えねぇんだから」
「サーキットで飛ばせない人には何も言う資格はありません」
「うるせぇ」
ああ、楽しい、気分がいい。
自称『銀河一の操縦士』のレイターも、プロのレーサーそれも『無敗の貴公子』の前じゃ形無しだ。
レイターの機嫌が悪い理由が分かる気がした。
*
道の反対側から見覚えのある人が歩いてきた。
黒い長髪を後ろで束ねた長身の男性。連邦軍将軍家の御曹司アーサー・トライムス少佐だ。
こんなところで会うなんて意外だ。
アーサーさんもわたし達に気がついたようだ。
「こんにちわ」
挨拶をかわすと、レイターの不機嫌な顔が更に曇った。
アーサーさんはいかにも観光客というラフな格好だ。チェックのシャツが似合っている。
「お休みなんですか?」
「ええ、S1プライムのチケットを友人からもらったので観戦にきたんです。ティリーさんはお仕事ですか?」
「そうなんです。でも、今回はおいしい仕事なんです」
また、顔が笑ってしまう。
誰かに聞いてもらいたい。
「実は、わたし弊社のエース・ギリアムのファンなんですけど、仕事のおかげで生のエースに会えて、テレビで見るより素敵な人で、仕事やっててよかったって今、とっても幸せなんです」
「それは良かったですね」
他人から良かったと言われると喜びの実感が一層膨らんだような気がした。
「それじゃあ、また」
と、アーサーさんは去って行った。レイターとは一言も交わさなかった。
* *
嫌な予感しかしねぇな。
すれ違い様にアーサーの奴、こんなもの手渡しやがって。
レイターは薄いコイン型の小型無線機をポケットにしまった。
俺の仕事はティリーさんの警護。連邦軍の話は聞いてねぇぞ。
フェニックス号に戻るとレイターは自分の部屋のベッドに腰かけた。
無線機の真ん中についていた受信機を耳の中に貼り付ける。
コインを腕時計にはめてジョグボタンを回す。
地元警察のヒル警部の声が聞こえてきた。
「黒蛇についてつかめたか?」
「進展はありません」
警察無線では大した話はでてねぇな。
さらにジョグを回し特命諜報部のデジタルバンドに合わせた。
ピッと小さな電子音の後、アーサーの声が耳の奥に聞こえた。
「おまえに、頼みたいことがある」
「ったくよお、あんたがS1プライムの観戦とは笑っちゃうね。もう少しマシな嘘がつけねぇのかよ」
「嘘じゃないぞ。S1プライムの観戦に来たんだ」
「はっ?」
「冗談だ」
「・・・先に言っとくが俺の仕事はティリーさんの警護」
「エースの警護もだろ」
「わかってるなら話は早い。俺は忙しいんだ」
「ティリーさんはエース・ギリアムのファンだったんだな」
アーサーの言葉がレイターの感情のツボを刺激した。不機嫌さが一気に増幅する。
「・・・切るぞ」
「まあ待て」
アーサーが本件を切り出した。
「S1誘致に絡む汚職疑惑が浮上している。ルト星系からS1委員会の複数の委員へ金が流れたというものだ」
S1委員会はみなし公的機関で金が動けば贈収賄罪が成立する。
「そいつは警察のお仕事だろ」
「そう、銀河警察が捜査していた。先週、収賄側委員のリストを入手したと内偵捜査員から連絡が入った。だがリストを本庁に渡す前に殺された」
「ふ~ん、誰に?」
「ルト星政府だ。S1プライムを成功させ名を売ることがこの星系の外交政策の第一目標だ。そのため汚職リストの流出を必死になって妨害している」
「こんな小せぇ星の政府なんざどうにでもなるだろうが」
「ルト星は必死だと言っただろ。どうしてここに私がいると思う?」
「嫌な予感がしてきた」
「ルト星政府は捜査を妨害するために反連邦のアリオロンと手を組んだんだ」
「はあ? アリオロンも物好きだな、こんなちんけな汚職事件に首つっこむなんて」
アリオロンと銀河連邦は戦争中だが、ここは前線でも何でもねぇ。
「アリオロンが欲しがっているのは新開発船の技術データ」
「残業スパイかよ」
「そうだ」
「ま、天下のS1プライムの真っ最中だからな。開催星系の協力があればいくらでも機密情報が抜けるってか」
「我々の任務は汚職リストの回収だ」
「われわれ?」
わざと聞き返すレイターをアーサーは無視した。
「銀河警察の内偵捜査員はリストをフィルム化してS1プライムのサーキット内に隠したと言い残して死んだ」
サーキットってどれだけ広いと思ってるんだ。
「諜報部員を捜索に当たらせたいが、サーキットへの立入通行証の入手に手間取っている。ルト星政府の目が厳しくてね」
レイターはベッドの上にある自分の通行証に目をやった。
「偶然にもお前は正規のパスを持っている」
「俺は忙しいっつったろ」
「わかっている。バンドをKの二百五十六に合わせてみろ。我々が傍受した無線がセーブしてある」
「あん?」
アーサーの通信は切れた。
*
レイターはジョグを回してKバンドに合わせた。ぼそぼそとした声がかろうじて聞こえる。耳を澄ます。
「エースがスターティング・グリッドに出てきたところを狙う」
レイターの目が細くなる。こいつは黒蛇のやりとりだ。
「とにかく一発でエースを仕留めろ。そして何よりも捕まるな。我々黒蛇の手によることがばれたら賭博自体が成立しなくなる」
「わかっている。これまでに俺が失敗したことがあったか」
「期待しているぞ、T・T」
無線はそこで切れていた。
T・T、聞いたことのねぇコードネームだな。地元のスナイパーか。
チッ。アーサーに借りを作っちまった。
* *
さあ、今日は新型船プラッタの発表会だ。
ティリーは自分に気合いをいれた。
クロノス社本体にとってはレースよりきょうの発表会のほうが本番だ。
マスコミや業界関係者を招待してのお披露目。
プラッタを好意的にメディアに取り上げてもらうため広報部と連携して作業にあたる。
サーキットの隣にあるコンベンションホールがその会場だ。
「よっこいしょ」
思わず声に出してしまった。
プラッタのパンフレットを持ち上げる。
タブレットペーパーは数がまとまると結構重たい。ブースまで運ばなくちゃいけないと思うとうんざりした。
「ほい」
レイターはドアを開けると手ぶらでついてきた。
「これ、運ぶの手伝ってくれないかしら?」
訴えかけるような目でレイターを見る。
「俺はあんたの召使じゃねぇ。ボディーガードだ」
「わかってるけど少しぐらいいいじゃない」
「手が塞がるとあんたを守れねぇだろが」
ああ、むかつく。
「こんなところで一体誰が狙うっていうのよ!」
と、ふいに腕が軽くなった。
目の前にエースが立っていた。
「大変そうだね。手伝うよ」
わたしが持っていたパンフレットの半分以上をすでにエースは抱えていた。
あせって声が震える。
「あ、あの大丈夫です。運べますから」
「僕もブースへ向かうところなんだ、一緒に行こう」
「はい」
さすが貴公子だ。
レイターが手伝ってくれなくて良かった。レイターに感謝したい。
幸せだ。
「足が無重力になってやがる」
後ろからついてくるレイターのつぶやきなんて耳に入らない。
わたしの隣にエースがいる。
レイターは無視。二人だけの世界に酔いしれる。
*
発表会のブースは準備が整っていた。
わたしとエースが受付へ到着するとジェニファーが飛んできた。
「エースったら、どこへ行っていたの? 探したわ。衣装の最終確認をしましょ。ティリーさんも一緒に」
「は、はい」
控え室でエースとスタイリストが打合せを始めると、ジェニファーはわたしを化粧室へ連れ出した。
「あなた、一体どういうつもりなの?」
腕を組んだジェニファーが怖い顔で私を見下ろす。
「え?」
どういうつもり、と言われても何のことだかわからない。
「エースにパンフレットを運ばせるなんて何様だと思ってるのよ?」
「それは専務が」
「エースのせいにするわけ!」
バンっと化粧台を叩いた。
ジェニファーの目がつりあがっている。
「いえ、そうじゃなくて・・・」
「言い訳はいらないわ! あなた、勘違いしてるんじゃない?」
わたしの話を聞くつもりはまるで無いらしい。
たたみかけるように言葉を投げつけてくる。
「あなたエースが好きなんでしょ。見てればわかるわ。エースは優しいわ。あなたが助けてって言えば手伝ってくれるでしょうけど、そんな手は二度と使わないことね。媚びたような目をしたって無駄よ。あなたじゃエースどころか誰も落ちないわ。大体、エースに取り入ろうなんざ十年早いのよ。ガキのくせに」
言葉の波状攻撃にあっけにとられた。
「ジェニファー」
エースの声がした。
「はぁ~い。今いきま~っす」
まるで別人のような声を出すとジェニファーはカツカツとヒールの音を立てて化粧室を出ていった。
今のは一体何だったの?
後にはジェニファーの残り香が漂っていた。
同じ空気を吸うのも嫌だ。息を止めながらわたしは化粧室を後にした。
* *
レイターは警備本部に顔を出しクリスに声をかけた。
「なあ、黒蛇のスナイパー情報が欲しいんだけど」
「ほいほい、スナイパーはこいつらだ」
クリスがデータ検索をかけると二人の顔写真が浮かび上がった。
どちらのイニシャルもT・Tとは違う。
「こんだけ?」
「後は、確認のとれていない人物が一人」
「T・Tかい?」
レイターの言葉にヒル警部が反応した。
「お前T・Tのこと知っているのか?」
「んぱ。知らないから聞いてる」
「我々警察もT・Tというコードネームしか把握していない。雇われスナイパーで男だ。直近では黒蛇の対立マフィアの幹部五人が殺られている。殺人罪で手配中だ」
「使ってる銃は?」
「RP12のレーザーだ」
「ふ~ん。随分軽い銃だな」
「眉間を一発で撃ちぬく腕がある」
「サンキュ」
それだけわかれば十分だ。レイターは警備本部を出ていった。
ヒル警部がクリスにたずねる。
「サーキットに銃は持ち込めんぞ。彼は何を根拠にスナイパーを疑っているんだ?」
「知らんが、レイターの情報収集力を侮っちゃいかんのよ」
「得た情報は警察と共有するのが筋だろうが」
「無理だな。あいつ、子どもの頃から警察のこと嫌ってる、というかハナから信用して無いのさ」
* *
三百人入るホールは満席だ。最後列にはテレビカメラが構えている。
舞台の袖にティリーは立っていた。
新型船プラッタの発表会が始まった。
司会のジェニファーにスポットライトが当たる。
「時間になりました。これより新型船プラッタの発表会を始めさせていただきます」
くやしいけれどボディコンシャスなスーツが似合っている。
小耳にはさんだところによるとジェニファーは女優志望らしい。マイクを持つ姿は堂に入っている。
「エース・ギリアムから皆様にご挨拶申し上げます」
エースがプラッタの前に立った。
「今回発売するプラッタは、とにかく飛ばしの反応がいいんです。これまでのスポーツ船にない手ごたえを僕は感じています」
かっこいいエースの後ろ姿を見ていたら泣きたくなってきた。
わたしはエースに取り入ろうなんてしていない。エースのことは好きだけど仕事は仕事として割り切ってのぞんでいる。
けれど、他の人もそんな風にわたしのことを見ているのだろうか。
ドキッとする。
確かに浮かれ過ぎていたかもしれない。
気を引き締めなくては。とにかく今は仕事に集中、集中。
「S1プライムでも僕は負けません。どうぞ新型船プラッタの飛ぶ姿を応援してください」
エースのあいさつが終わった。同時に、暗転。
ここで一旦エースは舞台の袖へ戻ってくる。
ダダンッツ。
わたしの後ろに立っていたレイターが真っ暗なステージへ向かって走り出した。
厄病神が何をする気?! 予定に無いわよ!
次の瞬間、
ガッシャァァーーーン。
ガラスの割れたような大音響がした。
あまりにリアルな物音に会場中が緊張感に包まれる。
何? 何が起きたの?
真っ暗な中、レイターがエースの肘を抱え引っ張るようにして戻ってきた。
呆然として次の指示を待っている音効担当者の前のスイッチをレイターは勝手に押した。
ジャーン。
予定通りの激しいアタック音楽が流れる。
それに合わせてジェニファーのナレーションが始まった。
「宇宙を疾走するプラッタ。その姿は絶対王者にこそふさわしい」
プラッタにスポットライトがあたる。
暗い空間にプラッタの姿が浮かび上がった。
プラッタをのせた台がゆっくりと回転しステージ上をカラフルな照明が照らし始める。
えっ? ステージの床がキラキラと輝いている。こんな仕掛けは知らされていない。
光っているものの正体に気づいて、わたしは息を飲んだ。
鏡の破片。
ミラーボールだ。
天井を見上げる。上から下がっていたミラーボールが落ちたのだ。
ちょうどエースが立っていた辺りだった。
*
「全く、どういう警備体制なんだ」
メロン監督が怒っている。
「面目ない」
『銀総』のクリスさんは大きな身体を折り畳むように頭を下げていた。
「とにかく発表会は滞り無く済んだんだからいいでしょう。今後の話をしましょう」
エースがなだめる。
発表会が終わり、警備担当者とクロノスの社員だけで会議が開かれていた。
ジェニファーはいない。ちょっとだけジェニファーに優越感を持つ。
わたしはこの席で初めてエースの命が狙われている事を知った。
黒蛇会という地元マフィアがS1賭博を成立させるためだという。許せない。
プラッタの発表会が終了した後、警察が現場検証に入り、落ちたミラーボールは遠隔捜査ではずれるように仕掛けられていたことがわかった。
事故ではなく明らかに人為的なものだった。
会議室は重苦しい空気が流れている。
わたしの隣に座っているレイターが伸びをしながらあくびをした。
「ふああぁ」
緊張感を持って臨んでちょうだい、と言いたい気持ちをこらえる。
発表会が対外的には問題無く済んだのはレイターが落ちてくるミラーボールからエースを守ったおかげだった。
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