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銀河フェニックス物語【少年編】 第二話 家庭教師は天才少年 (まとめ読み版)
密航者のレイターは戦艦アレクサンドリア号の調理場でアルバイトをすることになった。
・銀河フェニックス物語 総目次
・第一話「大きなネズミは小さなネズミ」まとめ読み版
・<少年編>のマガジン
「アーサーをお前の教育係に任命する」
と、アレック艦長が言った瞬間のレイターの顔は見物だった。
「げげげげげっ」
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「アーサーの報告次第ではこの艦から追い出すからな」
「マジかよ」
彼は肩を落として返事とも言えない返事をした。
*
教育係を命ぜられたのはいいが……
僕は戸惑っていた。僕と同じ十二歳というのは一体どんな勉強をしているのだろうか。
ジュニアハイスクールの問題集を取り寄せた。大体のレベルは把握できた。テスト形式の問題をレイターに解かせてみる。
勉学の基本となる現代文の解答を見て驚いた。
選択問題はできているから、文字が読めないということはないのだろう。
しかし、記入問題がひどすぎる。綴りが至る所で間違っている。これは学習障害というものじゃないだろうか。
僕はどこからどうやって教えればいいのだろう。記憶できないということが僕はできないのだ。
「君、本は読むかい?」
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「本? そんなの読むわけねぇじゃん。目が悪くなるんだぜ。あ、マンガは読むぞ」
途方に暮れながら、他の教科を採点する。
驚いた。
数学はほとんどできていた。計算が得意なようだ。
ワンランク上のハイスクールの高等数学も解かせてみる。高度なプログラミングもできる。これは一体どういうことだろうか。
教科によってムラが激しい。
基本的に暗記科目は苦手なようだ。苦手というか覚える努力をしていない。歴史は壊滅的だが、地理は満点を取っていた。
この結果をどう判断すればいいのだろう。自分は同世代と接する機会がほとんどか無かったから、分析のしようがない。
テストの結果を持って艦長室へ向かった。
*
アレック艦長はレイターの現代文の解答を見てあきれた顔をした。
「あいつ、バカなのか。お前、大変な生徒を受け持っちゃったな」
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他人事のような言い方だが受け持たせたのはあなただ。
「まあ、面倒見てくれる親がいなかったんだから仕方ないだろ」
艦長は同情した声で言った。戦災孤児だった艦長とレイターの境遇には共通項が多そうだ。
現代文の解答用紙からは勉強に対する姿勢が感じられない。だが、
「こちらも見てください」
僕は数学と地理の解答を見せた。
これらは全問正解している。アレック艦長が目を見開いた。
「おい、あいつなんなんだ」
艦長はひったくるように僕の手からすべての解答用紙を奪い取った。
「ははははは、天才とバカは紙一重って奴じゃないか」
「普通の十二歳とは違うと思いませんか?」
「違うだろ」
やっぱりそうなのか。
「こいつは面白い拾い物をした。アーサー、お前も退屈しないだろう」
そういう問題ではありません、という言葉がのどまで出かかった。子どもの頃であれば口に出していたが、上官に反論はできない。
*
僕はレイター本人に聞いてみた。
「君は一体どこで勉強していたんだい?」
「あん? 学校だぜ」
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「高等数学は初等科の教育課程に入っていない」
「高等数学?」
「高度なプログラミングができるじゃないか」
「ああ、それは、ダグんちで覚えたからさ」
彼がどういう生活を送っていたのか、どうもよく読めない。マフィアが早期教育で勉強を推奨していたというのだろうか。
レイターに貸与したポータブル端末に全教科のテキストと問題集を設定した。
彼の理解度を見ながら、次の課題を与えることにした。
「期限までにやってなければ、この艦から降りてもらう」
「ちっ、宿題かよ」
「わからないところがあったら聞いてくれ」
レイターが僕に質問してくることは無かった。
正直に言うと助かった。僕は教えるのは苦手だ。問題を見れば答えが頭に浮かぶ。どうしてそうなるのかと聞かれても困るのだ。レイターのレベルに合う補助線を導き出さなくてはならない。
採点をしているとわかる。彼は頭も悪くないし飲み込みも早い。
*
数日後、アレック艦長に声をかけられた。
「お前、レイターにちゃんと勉強教えているか?」
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「は、はい」
と咄嗟に答えたが、艦長が言う「ちゃんと」とはどういう状態を指しているのだろうか。
「あいつ、俺のところに化学式を聞きに来たぞ」
驚いた。僕に聞いてこないと思ったら他の人へ聞きに行っていたのか。
「すみません」
「まあいい。あのぐらいは俺でも教えられる」
アレック艦長は満更でもないと言う顔をした。
「俺はハイスクールのころ化学は学年トップだったからな。俺が化学が得意だとレイターに教えたのか?」
「いえ」
艦長とは幼い頃から付き合いがあるが、化学が得意という話は初めて聞いた。
*
教科の出来にムラがある理由がわかってきた。
レイターは『銀河一の操縦士』になるのが夢で、そのための努力は惜しまなかった。僕が知らないような宇宙船のデータなど驚くほど記憶していた。
星間航路の情報も航海士顔負けだ。だから地理の問題は間違えない。
三角関数など高等数学がわかるのも、航路計算に必要な航行プログラミングのためだと言うことがわかった。つまりは宇宙船お宅なのだ。
だが、プロではない。
「君が航海士になりたいのなら、この本を理解しなくちゃいけない」
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僕は『宇宙航法概論』の本を渡した。宇宙航空大学の難解なテキストだ。航行プログラミングをできるだけでは一級航海士にはなれない。
「サンキュ」
本嫌いのレイターがうれしそうな顔をして本を受け取った。
親切心ではない。僕はわかっていた。物理学の基本を知らないレイターの能力ではこのテキストは全く理解できないことを。
僕の中に意地悪な気持ちが湧き上がっていた。この本を見て絶望すればいい。
レイターの知っていることなんて所詮アマチュアレベルだ。僕はプロとして宇宙航法を理解している。
レイターはどう反応するのだろう。僕は興味を持って観察した。
ページをめくったレイターは眉をひそめてつぶやいた。
「こいつは難しいな」
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快感と、居心地の悪さが同居する。これは優越感とそれを感じる自分への罪悪感か。
「わからないことがあったら聞いてくれ」
社交辞令の様に僕は言った。
「意味分かんねぇけど、これ覚えねぇと一級航海士の免許取れねぇんだよな?」
「ああ」
しばらく本を眺めていたレイターは突然『宇宙航法概論』の音読を始めた。同じところを何度も何度も声に出して繰り返す。
驚いたことに彼は本を頭から丸暗記し始めた。つっかえながら式も覚えようとしている。
文字と記号の羅列を追う理解のない記憶は非効率だ。とはいえ子どものころの記憶は定着しやすい。
神殿の跡取りは幼いころから意味の分からない経典を繰り返し音読することで暗記する。
お宅のエネルギーを侮ってはいけなかった。僕は悟った。知らないことは新たな燃料の投下なのだ。どんなに目的地が遠くても絶望などしないのだ。
それだけの熱量をもって対峙するものを自分は持っているだろうか。
操縦士を夢見るレイターにとって、この丸暗記は将来役立つことだろう。
僕は敵に塩を送ったということだ。いや、そもそもレイターは敵ではない。彼のためになることを面白く思わない自分の器の小ささが嫌になる。
レイターは自分のやりたいことに対する集中力と熱意には凄まじいものがあった。自分から物理学のテキストが欲しいと言い出し、『宇宙航法概論』を持って航海士や機関士の部屋へと出かけて行った。
一方で、やりたくないことは徹底してやらなかった。彼は文学や生物学など操縦に関係ないとみるや、宿題を解きもせず、でたらめを書き込んでいた。
そうした教科について、どうすればレイターのモチベーションを高められるか。僕は家庭教師として考えなければならなかった。
子供のやる気を引き出す。という悩みは多くの親が抱えているようだ。情報ネットで検索をかけると大量の情報があふれていた。
好きなことへの興味と苦手科目を結びつける。レイターの性格や行動から判断するにこれがモチベーションを上げるのに手早そうだ。
僕はレイターに問いかけてみた。
「宇宙空間で人は生きられない」
「当たり前じゃん」
「どうしてだい?」
「え?……あ」
レイターの目の色が変わった。
「なぜ、宇宙船の中で生物が生命を維持できるのか。生物学がわからずして宇宙船の構造は語れない」
彼はこれまで手付かずだった生物の課題を一気に片付けだした。驚くほど理解が進んでいる。呼吸と発酵の演習問題も一つも間違えていない。
医官のジェームズが楽しげに僕に話しかけてきた。
「生物を教えて下さいって、医務室にレイターがやってきてさ。いやぁ、懐かしいな。あんな問題解くのは」
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レイターは船のどこにでも教師を見つけていた。
*
だが、とにかく現代文には困った。彼にとって文学を読むことは苦痛ですらあるようだ。
「本なんて読んでたら目が悪くなるんだぜ。操縦士には命取りさ」
レイターはベッドの上の段に寝っ転がりながら、携帯通信機を使ってゲームを楽しんでいた。器用な彼はゲームも得意なようだ。
「視力が落ちるのは本のせいじゃない。通信ゲームも一点を見続けていれば視力は低下する。目の構造を理解すればわかることだ」
「マジ?」
「読書によって自分の知らない世界を知ることができるし、現実の世界でできないことも本の世界を通して楽しむことができるんだ」
僕が読書の意義を説く。彼はゲームを止めて僕を見た。
「ふ~ん、あんたが文学とやらを読んでる理由がわかったよ。下々の生活を知りたいんだ」
「なっ」
「俺はあんたとは違う。やりたいことは本の世界じゃなくて自分でやる」
「読書によって他者の考えを知ることもできる」
「あん? 現実の方が面白いだろうが。あんたもマフィアの世界で暮らしてみろよ。裏切り、嫉妬、色恋に暴力、気がつきゃ殺人、何でもありだぜ。事実は小説より奇なり、ってな」
「……」
屁理屈だが経験からくる妙な説得力を持っている。この僕が反論できない。士官学校のディベート授業でも負けたことがないのに。
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「とにかくさぁ、文学読んでる暇があったら『航法概論』覚える時間に充てた方がマシだろ」
その行動原理はわかりやすいほど徹底している。
運航に必要な星系の名前はどんなに難しくても間違えないのに、普通単語の綴りは相変わらずミスだらけだ。直すためには努力が必要だが、その労力に価値を見出させることができない。
「綴りを間違うな」
「意味は伝わってるじゃねぇか。綴りチェッカーが直してくれるし」
「直しが多いと頭が悪く見えるぞ」
「バカで結構。あんたに比べりゃ誰だってバカだ」
「君は馬鹿ではない。だが、馬鹿に見えるということは他人からの評価も下がるということだ」
「評価が下がって困ることなんて何もねぇよ。あんたは将軍家の天才って言われてるからバカに見えたら恥ずかしいんだろ」
そんなことを考えたこともなかった。
だが、違うと言い切れるだろうか。
将軍家にふさわしい行動を求められ、それに応じることに疑問を抱いたことはなかった。裏を返せば、僕はレイターが言う通り自分の評価が下がることを恐れているのかも知れない。
感情の痛いところを的確に突いてくる。やりにくい。
論理的に説得できなければ、最後は脅すしかない。
「次の綴りのテストで九十点以上が取れなければ、この艦から降りてもらうようアレック艦長に進言する」
「く、くそ~」
レイターは僕を恨めしそうににらみつけた。
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彼をこの艦から降ろすということは、地球の福祉施設に戻すということ。それは、マフィアに殺されるということだ。レイターも腹をくくったようだ。文字通り死ぬ気で綴りを覚え始めた。
仕方がない。
レイターが間違えやすい単語を部屋中に張りまくった。
一度見たらすべてを記憶する僕にはよくわからないが、常に目に入れておくのは暗記に有効らしい。落ち着かない部屋になったがこれも任務だ。遂行するためには一つずつ解決して進むしかない。
何のために? 自分の評価を下げないために?
頭を抱え、ゆっくりと息を吐く。
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なぜだろう。レイターと向き合うと、自分の嫌な部分が次々と見えてくる。
こんなことは初めてだ。なぜ、自己がレイターに投影されるのだろう。同じ年齢だからだろうか。
合わせ鏡の中に、醜い自分がどこまでも続いているように錯覚する。
僕は、まるで初めて鏡を見た幼子のように混乱していた。 (おしまい) 第三話「流通の星の空の下」へ続く
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