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銀河フェニックス物語【出会い編】 第十五話 虹の後にも雨は降る (一気読み版)
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「見積書を送付いたしました。ご確認の程、よろしくお願いします」
通信機の前でティリーは頭を下げた。
「はい、わかりました」
「いつ頃、結論出そうでしょうか?」
「二、三日待っててください。社内の承認手続きが終わり次第、こちらから連絡します」
取引先のスミスさんの回答を聞いて、わたしは胸を撫で下ろした。
ギリギリだけれど、この契約が今月中に決まれば営業企画課の目標達成だ。
*
「ティリー君、しっかり頼むよ」
フレッド先輩に念押しされた。
「はい、スミスさんの希望額に沿う見積もりが出せましたので大丈夫だと思います。後は先方の決済待ちです」
このところ、営業企画課の売上げが振るわない、と幹部会でうちの課長が責められたという。
そこで、フレッド先輩が「課全体の月の目標を新規に設定して、徹底しましょう」と提案し、採用された。
このわたしの契約が締結できれば、月内ぎりぎりに課の目標台数に達する。残りは四日。
そんな訳で今回の見積書は社内の関係部署に急ぐよう頼み込み苦労して作り上げた。
スミスさんの感触は悪くない。自信はある。
後は、先方の回答を待つのみ。
*
早く返事が欲しい。
スミスさんから折り返し連絡がくることになっている。
通信機から目が離せない。
着信するたびにドキドキする。落ち着かない。
若いスミスさんは少し頼りないところがある。経理に説明するため見積書の内訳を細かくして欲しいと要望してきた。
おそらく社内の調整に時間がかかっているのだろう。
*
気を揉んで待っているうちに、二日が経った。
明日がうちの課の締め切りだ。
もう待ってはいられない。スミスさんに確認の連絡を入れて、進捗状況を探らなくては。
通信機に手をかけた時、フレッド先輩に苛立った声で聞かれた。
「ティリー君、スミスさんの件はどうなってるんだい?」
「すぐ、確認します」
間が悪いな。
これじゃあ、先輩に言われて確認するみたいだ。あと一分早く連絡すれば「やってます」と言えたのに。
小さくため息をつきながらスミスさんの会社の通信回線を開く。
モニターにはスミスさんの同僚の若い女性が出た。
「スミスは本日出張で戻りません。申し訳ございません。明日、こちらから連絡させます」
嫌な予感がする。新型船購入の決済は進んでいるのだろうか。
「あのぉ、御社が導入を検討されている新型船の件はご存知でしょうか?」
「ああ、スミスが見積書がこない、とか言っておりましたが」
「え?」
頭の中が真っ白になる。どういうこと?
見積書を送信して確認の電話も入れたのに?
*
通信機を切ったわたしはコンピューターを操作しメールの送信履歴を確認した。
二日前まで戻って指が止まった。
血の気が引くとはこういうことを言うのだろう。
送信トレイの中に送られないままスミスさん宛の見積書が残っていた。
そんなバカな。
見間違えじゃないかと目を身開いてもう一度見る。やっぱり残っている。
ど、どうして?
二日前のあの時、送信先を間違ってはいけないと、念入りに再度アドレスを確認したことまではっきり覚えている。パスワードもかけた。
思わず息を飲んだ。そのせいだ。
いつもと違う手順のせいで、送信ボタンを押し忘れたまま保存してしまったんだ。
下書きの一覧から消えたから送信したと思い込んでいた。
やらかしてしまった・・・。
わたしはスミスさんに見積書を送ったつもりで確認の電話を入れたけれど、スミスさんはこれから送られてくると思ったのだろう。
先方は船の購入を急いではいなかった。
焦っていたのはこちらだけ。
とにかく急いで見積書を送らなくちゃ。
スミスさんあての送信ボタンを押す。
違う、あわてて取り消しボタンを押す。
このまま送っちゃだめだ。
遅れたお詫びと決済を急いでもらうように頼まなくちゃ。
胸がバグバグ音を立てだした。
落ち着け。落ち着け。自分に言い聞かせる。
自分のミスだ。
レイターの言葉が頭に浮かんだ。「誰だってミスはするさ。次はあんたがミスするかも知れねぇ」
厄病神のせいだ。本当にミスをしてしまった。
あの時、レイターは続けた「どうやってミスから立て直すかが勝負だ」と。
裏の手を使ってでも立て直さなくては。
明日中に契約をしないと課の目標が達成できない。
きょうはスミスさんは出張で連絡が取れない。
ということは、明日の朝一番で「今日中にお願いします」と頼めば間に合うか。
いや、彼は決済に二、三日かかると言っていた。
こちらがミスした上に、無理なお願いをしたら会社の印象が悪くなる。
そもそも、若いスミスさんが一日で決済を回せる気がしない。
先方にとっては急ぎでも何でもないのだ。
どうすればいい?
裏の手なんて考えても思いつかない。立て直せない。
苦労して作った見積書だったのに。二日前に戻りたい。
泣きたい。泣いちゃダメ。自業自得だ。
はあ、ため息がでる。
いや、ため息ついている暇は無い。
こんな恥ずかしい失敗、誰にも言いたくない。
気の重さに倒れそうだ。
消えてしまいたい。
*
フレッド先輩は透明に区切られたブースの中で作業をしていた。
ドアが重い。ブースの中へ入るとわたしは頭下げた。
「どうしたんだい?」
フレッド先輩が慌てて立ち上がる。
わたしの落ち込んだ様子でトラブルが発生したと分かったのだろう。
「申し訳ありません。見積書を先方へ送付し忘れていました」
「何だって?」
「送信したつもりでしたが、通信コンピューターの中に見積書が残っていたんです。気がつきませんでした。担当者は出張で、きょうは本社へ戻らないそうです。本当にすみません。三日分作業が遅れてしまいました」
自分の声が震えている。
いったん言葉を切って唇を噛んだ。
涙が出そうだ。
明日中の契約は無理です、課の目標は達成できません、と正直に伝えなくては。
「そうか、良かった」
よかった? 聞き間違えたのだろうか。
「いやあ、契約断られたのかと思ったよ。まだ、先方は判断していないんだね。じゃあ、連絡先を教えて」
フレッド先輩がテキパキと先方の通信回線を開いた。トップセールスマンである先輩のその様子は嬉しそうに見えた。
笑顔でカメラに向かう。
「すみません、クロノス社のフレッド・バーガーです。新型船の購入の件でご連絡差し上げました。おわかりになる方お願いいたします」
さっき会話した若い女性が事務的に答えた。
「担当のスミスは出張にでておりきょうは戻りません」
「実はこちらに手違いがございまして、そのご報告と謝罪を急ぎさせていただきたいのです。上司の方にお取り次ぎを願えませんか」
フレッド先輩は頭を下げた。
保留画面の後、スミスさんの上司という女性が出てきた。
フレッド先輩が説明する。
「新型船のお見積を一昨日送らさせていただくはずでした。それが、こちらのシステムのエラーで送信されていなかった様なんです」
システムエラー?
違う。わたしの人為的ミスだ。
「二日も遅れてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
「ご丁寧にありがとうございます」
先方の女性上司は社交辞令で返した。
先方は見積書が遅れたところで困ってはいない。
謝罪で時間を取られて迷惑そうにも見えた。
フレッド先輩が声を落とした。
「ここだけの話ですが、こちらのミスで貴重なお時間を奪うことになってしまいましたので、もし、今月中にご契約いただけるようでしたら、更に値引きさせていただきます。早急にご検討いただけますでしょうか」
「あらそうなの?」
フレッド先輩が見積書と一緒に値引き額を提示すると女性上司は明らかに興味を示した。
「じゃあ、きょう中に経理に説明して、あす、お返事しますわ」
「よろしくお願いいたします」
フレッド先輩は頭を下げて通信機を切った。
鮮やかだった。ピンチがチャンスへと一気に切り替わった。
レイターが「フレッドは立て直すのがうまい」と言っていたことを思い出す。
助けてもらって先輩には感謝しかない。
「ティリー君、この契約は僕が取ったことにするよ」
「は、はい。もちろんです」
「値引き分は君に付け替えるよ」
「はい」
「値引きポイントはこういう時に使わなきゃ意味がないからね」
「わかりました。ありがとうございます」
わたしは頭を下げた。
「礼には及ばないよ。先輩として後輩のフォローと指導は当然のことさ。今後は書類の送り忘れがないようにきちんと確認するんだよ」
「はい」
わたしったら立て直すどころか、右往左往しているだけだった。
さすがトップセールスマンだ。
尊敬する。見習わなくては。
*
そして、翌日。
フレッド先輩とスミスさんの上司の間で契約が完了し、営業企画課の目標は無事達成できた。
わたしは心からほっとした。
わたしのせいで課の皆さんに迷惑をかけるところだった。
メールを送り忘れた件は課長から口頭で注意を受け、深く反省した。
課内目標の提案者であるフレッド先輩は次の人事で昇進すること間違いなし、と噂された。
*
その数日後のことだった。
社内の廊下で、レイターとたまたま会った。
「ティリーさんの契約、フレッドのものになっちまったんだって?」
どこで聞いたのだろう。この人は事情通だ。
「仕方ないわ、見積書送り忘れるなんて、社会人失格よね。レイターの言ってた通りわたしも失敗しちゃった。しかもうまく立て直せなかった」
わたしは一連の経緯を思い出して肩を落とした。
「だけど、あの変な営業企画課の目標さえなけりゃ、送り忘れは問題にならなかったんだろ」
変な、というのには抵抗あるけれど、確かにあの目標がなければスミスさんが出張から帰ってきてから見積書を確認してもらって、おそらく翌月に契約が取れただろう。
「そうしたら、ティリーさんの値引きポイント使わなくても済んだんだぜ」
「それはわからないわよ。先方は値引きで心が動いたんだから」
「けど、向こうから言われた訳じゃねぇんだろ。適正な見積もりを出したんだから、三日待ってればよかったんだ。あの値引き分は会社の損失だぜ」
レイターが妙に突っかかる。
「あなた、何が言いたいの?」
「ティリーさん、知ってたかい? 今月の売り上げ月間賞、一隻差でフレッドが取ったんだぜ」
「え?」
知らなかった。
「ティリーさんの分の一隻で月間賞の五万リル獲得さ。あんたの失敗はフレッドにとって渡りに船だったんだ。自分の値引きポイントは使わねぇで、上手いことやるよなぁ」
嬉々として先方へ連絡を入れるフレッド先輩の姿が頭に浮かんだ。
「しかも、あの変な課内目標は、絶対、自分の昇進のための道具だぜ」
先輩がわたしを助けてくれたのは、後輩のフォローじゃなくて自分のためで、わたしは利用されたってこと?
いやいや、そもそもわたしが見積書を送り忘れさえしなければこんなことにはならなかったのだ。
「人生は勉強することがたくさんあって楽しいねぇ」
それだけ言うとレイターは笑いながら去っていった。
失敗は勉強になるけれどその授業料は高くつく。
わたしは深くため息をついた。
雨の後には虹が出る。
けれど、それで終わりじゃない。虹の後にもまた雨は降るのだ・・・。 (おしまい)
第十六話「永世中立星の誕生祭」へ続く
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