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80代母が急性骨髄性白血病で2回目の入院!絶望的な状況から退院まで

80代の母が急性骨髄性白血病で2回目の入院をすることになりました。
1回目の入院では感染症になり、40°近い高熱で、命の危機に陥った母。
血液検査で白血球も血小板も増えず、週に一度は輸血が必要な状態での退院となりました。

詳しくは以下の記事に書いています。

その後、母は白血病細胞が増えてきたため、2度目の治療をすることに。
今回の入院で母は肺炎になり一時は死を覚悟しましたが、無事に退院して家に帰ることができました。


80代母|急性骨髄性白血病2度目の入院の日

入院前、母は白血球数が200程度。
しかもほとんどが白血病細胞で、とても疲れやすくなっていました。

「もう、家に戻って来られないかもしれない」と思っていたのか、母は入院前に指輪などを妹と私に分けてくれました。
医師の説明では、「感染症のリスクが高く、治療効果が期待できないかもしれない」との
厳しい見通しでした。
でも、私はまだ母に、最後の挨拶をする気持ちにはなれませんでした。

3月最後の週の入院の日、妹と一緒に母を病院に送りました。
病室には付き添いは1人しか入れないとのことで、妹に付き添ってもらうことに。
エレベーターで車いすに乗った母と別れるときに、母に「ありがとう」と言われました。
私は、母の手を握って「頑張ってね。また会おうね。」と言ったものの、「もしかしたらこれが生きている母の手を握る最後になるかもしれない」と思いました。

抗がん剤治療が始まり感染症を発症

翌日から抗がん剤治療が始まりました。
今回の抗がん剤は2週間の注射と飲み薬でした。

10日目に、38°台の熱がでて、クリーンルームに移ることに。
抗がん剤治療を始めて、白血球数はほぼ0になり、熱が上がったり下がったりしていました。
入院しているので、すぐに輸血ができるのはありがたかったです。
外来で輸血をすると、ほぼ半日がかりで、母は辛そうでしたから。

4月の中旬、恐れていたことが起こりました。電話したときに、咳をしていたのが気になっていたら、感染症を起こしてしまいました。
医師の説明では、感染源は不明ですが、白血球数が少ないので、どこから感染してもおかしくないとのこと。
抗生剤を投与しているが、結局本人の白血球数が上がらないと、効果が期待できないそうです。
母は肺炎になり、酸素吸入が必要な状態になってしまいました。
私たちには祈ることしかできません。

4月の下旬、入院してから30日後に医師からの説明を聞くため、父と妹と叔父とで母の病室へ行きました。
もう、生きている母に会えるのはこれが最後かもしれない。
久しぶりに会った母は、弱々しく一段と痩せていました。

先生の説明によると、「今後の治療は難しい。最後を病院で迎えるのか、自宅で過ごすのかを家族で話し合う時期」という内容でした。
私は母が希望するのなら、在宅医療を選んでも良いかとも思いました。
ですが、母が「家族に迷惑をかけたくない。」と言い、その場で家族で話し合った結果、「訪問看護で母を看取るのは負担が大きいのではないか」「母にとっても苦しいかもしれない」という結論になりました。

医師と看護師が退室後、私たちは母と写真を撮りました。
母は、これまで本当によく頑張ったと思います。
1回目の抗がん剤治療でも、命の危機に陥りました。もう、充分頑張ってくれました。
母との別れは辛いですが、これからは楽になる方を選んでほしいとも思いました。

母の肺炎が悪化し死を覚悟、これまでのお礼を伝える

母と面会して1週間後、妹から連絡がありました。
母から電話があり、「息苦しさが激しくなってきたので、モルヒネを使う。ナースステーションの前の病室に移動することになった。」という内容でした。
母は「もうダメみたいよ。」と言っていたそうです。

私は医師からの連絡を待っていましたが、電話はありません。
母に電話してみると、とても息苦しそう。
「お母さん、今までありがとう。」とお礼を言いました。
母は小学2年生の時に、実母を亡くしていて、我が子にどんなふうに愛情を注げばよいのか分からなかったそうです。
「お母さんは最高のお母さんだったよ。私たちのために、長生きしようと頑張ってくれてありがとう。」と伝えました。
「幸せな人生だった。子どもにも恵まれたし、2人とも良い人と結婚できた。なにも心配することがなかった。」と言う母の言葉が胸に迫り、涙が止まりません。

母は人並みの苦労はあったと思います。中小企業に勤めていた父の会社が不景気で給料カットになり経済的に苦しくなったり。保険の外交員をしていて、契約が取れずノルマに追われたり。父の癌や自分の持病。
実母を早く亡くしているので、健康への不安は大きかったと思います。

さまざまな苦しかった思い出も、亡くなる前になると、良い思い出に変わるのでしょうか。
人が死ぬのは当たり前のこと。
恵まれた人生だった。幸せだったと感じながら親が亡くなっていくのは、子どもにとっても幸せなことです。

母が生きて退院

ゴールデンウィーク中に母は死んでしまうかもしれない、と思っていましたが、その後、母がモルヒネを使うことはありませんでした。
レントゲンとCT検査で、肺に水が溜まっていることが分かり、息苦しさはそこからきていたようです。
足のむくみが酷いみたいでしたが、骨髄検査では異常がなく、白血球数は3000まで上がりました。
肺炎が治ったわけではありませんが、命の危機は脱したようでした。

そしてクリーンルームから一般病室に移ることができました。相変わらず、動くと息切れし、足はむくんでいるようでした。
ですが、病院での治療は必要なくなり、医師から「むくみはすぐには治らないので退院しても良い。」と言われたそうです。
10日前まで死んでしまうかもしれないと思っていたのに、退院とは。
母は長い入院生活がストレスだったようで、翌日に退院しました。

今回の退院は前回と違い、血液検査の数値は正常になっています。
輸血の必要もありません。
なんの制限もなく、普通の生活を送って良いそうです。

もちろん、白血病が完治したわけではなく、いつかは再発するのでしょう。
長い入院生活で、母は歩くのもやっとなくらいに体力が落ちています。

ですが、一時的でも治って、楽しい時間が過ごせるのであれば嬉しいです。

これから、どのような経過をたどっていくのでしょうか。

未来のことは分かりません。
今を大切に、幸せを積み上げていきたいです。

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